第100話:不純な査定 —— 51歳、部下の善意(おせっかい)に戦慄する
「……なんや、この査定基準。設計した管理職の顔が見てみたいわ。評価項目が感情論に寄りすぎて、現場の定量的な実績が完全に黙殺されとるやないか」
五十一歳の元商社マン、田中(肉体年齢二十二歳)は、スラムのボロ屋の片隅で、昨日の「境界線での捜索活動」に伴う、あまりにも報われない収支決算を計算していた。
昨夜、境界線の森でザックたちの姿を探していた田中は、結局誰にも会えないまま、行く手を阻む魔物を「最短工期」で排除した。指先から放つ超高圧の水流で、邪魔な獣を淡々と切り裂き、動線を確保する。彼にとってはただの「現場清掃」に過ぎず、それを物陰からザックたちが目撃し、そのあまりの恐怖に震えながら逃げ帰ったことなど、今この瞬間も微塵も気づいていない。
田中は「あいつら、俺が探しに行く前に自力で帰ってたんなら、一言連絡(報告)くらい入れろや」と、内心で彼らの報・連・相の欠如に毒づきながら、昨日の判断を振り返る。
かつて雇用主だったセレスとの「最悪の再会」の末、決死の覚悟で逃げ出した自分にとって、目立つことは即「死」を意味する。だからこそ、現場に転がっていたフォレストベアの死骸には一切手を触れず、すべてをそのままにして立ち去った。
(……あんなもん拾って帰ってみろ。足がつくに決まっとる。現場に余計な在庫を残さない。それが『死人』として生き延びるための鉄則や)
田中のリスク管理は、経営者として完璧なはずだった。だが、昼を過ぎても、ザックとニコが戻ってこない。
「……おい、ミア。ザックたちはどうした。昼の営業時間に遅れるのは、うちのルール違反やぞ」
内職の手を止め、戻ってきたミアに問いかける。だが、ミアは落ち着かない様子で視線を泳がせていた。顔色はどこか青ざめている。
「……あ、あのね。ザックとニコは……昨日おじさんが言ってた、あの森に……」
「……あぁ? あんな危ない場所に、わざわざ行ったんか?」
「……だって、おじさんが『魔物同士の殺し合いがあって、自分は逃げるのに必死だった』って言ってたから……。ザックが、……おじさんがそう言うなら、そこにあるのは『誰のものでもない素材』のはずだって……。それを拾ってギルドに持っていけば、昨日のおじさんの『経費』が返せるって……」
田中の思考が、一瞬停止した。
(……待て。あいつら、俺の嘘を真に受けて、あの『残骸』を拾いに行ったんか?)
田中にとって、あの死骸は存在自体がリスクだ。だが、何も知らない子供たちからすれば、それは空から降ってきたような莫大な臨時ボーナスに見えたのだろう。
「……マズい。……それはマズすぎる……!」
田中がウォータージェットで断裁した断面は、あまりにも「不自然」だ。魔物同士の噛み跡でもなければ、騎士団の剣の筋でもない。ギルドの百戦錬磨の査定官が見れば、一目で「異常な精度の魔法による切断」だと見抜く。
田中は震える足で、ギルドへと駆け出そうとした。その時、ドアがゆっくりと、重々しく開いた。
「…………た、ただいま」
戻ってきたザックとニコは、顔を強張らせていた。ザックの手は、抱えた革袋の重みで小刻みに震えている。
「……これ、ギルドに持っていったよ。おっさんの昨日言った通りに、『魔物の縄張り争いの跡に落ちてたのを拾った』って言い張ってな。……査定官のやつ、断面を見て、見たこともないような顔で固まってたけど……」
ザックは、銀貨の詰まった袋をテーブルに置いた。昨日の「掃除」の光景をその目で見た彼にとって、この金は「拾い物」などではないことを知っている。
「……おっさん。これ、金だ。こんなの見たことないくらいの額だぜ。これで……」
「……使うな。一銭もや」
田中の冷徹な声が、ザックの言葉を遮った。
ザックは戸惑い、それから少し反発するように声を上げた。
「……なんでだよ! これだけありゃ、新しい服も、もっとマシなメシも……」
「ええか、ザック。よく聞け。商売には『出所不明の利益』ほど怖いもんはないんや」
田中は立ち上がり、ザックの目を真っ直ぐに見据えた。
「ギルドの査定官が固まってた理由を考えろ。あの断面はな、普通やない。あれを『拾った』なんて言い張ったガキが、その後どうなると思う? 『もっといい素材の場所を知ってるんやろ』『誰がやったか吐け』——。そうやって、権力を持った連中が、土足で俺らの生活に踏み込んでくるチケットを、お前らは自分らで買ってしもたんや」
ザックが息を呑む。昨日の「あの」田中の冷酷なまでの手際を思い出し、その正体が世間にバレる恐怖が、ようやく実感を伴って彼を襲った。
「……おっさん、でも、これ拾っただけだって言い張れば……」
「甘い。ガキの嘘なんか、権力者には通用せん。……ザック、俺がどうやってこのスラムに来たか、教えたるわ」
田中はわずかに視線を落とし、自虐的な笑みを浮かべた。
「俺はな、かつて『月銀貨五枚』の安値で、便利なウォーターサーバーとして貴族にこき使われてたんや。紆余曲折あって、ようやく逃げ出せた……自由になれたと思った矢先に、あろうことか、また最悪な再会をしてしもたんや。……捕まって、またサーバーに逆戻りよ」
ザックとニコが、息を止めて田中を見つめる。
「だがな、回路がガタついて、以前より性能が落ちてた俺に愛想を尽かしたんか、邪魔な奴隷の首輪を無理やり外そうとしやがった。首輪の爆発に巻き込まれて死ぬのを覚悟した……いや、逆にこれしか逃げ場はないと、爆死したふりをして、血反吐を吐きながら泥水を這ってここまで逃げてきたんや。……死体としてスラムに捨てられて、ようやく手に入れたのが今の生活やぞ」
「……死んだふり、してまで……」
「便利な道具、目立つ能力……そんなもんは、持ってるだけで利用され、性能が落ちれば使い捨てられる。俺は一度『死人』になって、ようやくこの場所を見つけたんや。……あの綺麗な断面のせいで、王都の連中が俺の『生存』に気づいてみろ。今度こそ完全にスクラップや。……お前らも道連れにな」
ザックは、テーブルの袋と田中を交互に見つめ、最後には力なく肩を落とした。
おっさんの過去は、想像以上に泥沼だった。そして、昨日のあの「異常な光景」を知っている自分たちには、それがどれほど重い警告か、嫌というほど分かってしまった。
「……逃走……資金……」
「ああ。これは、メシを食うための金やない。……俺らの首を絞めるロープの代金や。もし、調査の奴らがここに踏み込んできた時、これを持って即座に逃げるための『退職金』や。ええか、この金に手をつけた瞬間、俺らの潜伏期間(スラム生活)は終わると思え」
「……ああ。……分かったよ。これは、触っちゃいけない金なんだな」
「……物分かりが早くて助かるわ。今日から、徹底的に『知らない、見てない、拾っただけ』の隠蔽工作を叩き込むからな。……ええか、一瞬でも隙を見せたら、即・倒産(破滅)やぞ」
田中の瞳には、いつバレるか分からない恐怖が色濃く宿っていた。
あの死体捨て場に転がっていた絶望を、二度と繰り返すわけにはいかない。
子供たちの「善意」という名の致命的な過剰在庫を抱え、田中の綱渡りなスラム生活は、一寸先も見えない極限の経営難へと突入する。




