第99話:検品(リストラ)対象外と、噛み合わない査定
「……で、何や。その、借りてきた猫みたいな面は」
翌朝。ボロ屋の貧弱なテーブルを囲む三人の様子に、田中は不審げに眉を寄せた。
昨夜、特損(特別損失)として振る舞った豪華なメシ——スラムでは到底拝めないような、田中の「水」を贅沢に使って煮込んだスープと、少し上等のパン——を平らげたはずなのに、三人の食い進みが異常に遅い。
特にザックだ。いつもなら「おっさん、もっと水出せよ!」と不遜な態度を見せるリーダー格の少年が、今日は一度も田中の目を見ようとしない。それどころか、田中が指先からコップに水を注ぐたびに、その指先を「未知の兵器」でも見るような、怯えと崇拝が混ざった目で凝視している。
「……田中さん、あの」
ミアが、消え入るような声で口を開いた。
「……何や。ノルマが不満か? 言うとくけどな、昨日の捜索にかかった残業代、お前らのこれからの労働時間からきっちり天引きするからな」
田中は事務的に言い捨て、手元の粗末な帳面にペンを走らせる。
「……そうじゃなくて。……怪我、大丈夫なの?」
「怪我? ああ、これか」
田中は自分の腕にこびりついた、乾いて黒ずんだ魔物の血痕を一瞥した。
「返り血や。俺が境界線まで探しに行った時、ちょうど向こうで魔物同士の『派手なリストラ』が始まっててな。巻き込まれんように、必死で泥んこになって逃げ回ってきたんや。……お前ら、あんな現場に居合わせんでほんまに良かったぞ。あれは、51歳の心臓には完全にオーバーフローや」
三人の間に、刺すような沈黙が流れた。
(……嘘だ。逃げ回ってたなんて、嘘だ)
ザックは拳を握りしめた。自分たちは見たのだ。悲鳴を上げる暇もなく、巨大な魔物の首を「水の刃」でスパスパと切り落としていく、無表情な田中の横顔を。
(あの時のおっさんは、俺たちの知ってる『冴えない、水の魔法しか使えない田中さん』じゃなかった。まるで、機械みたいに……淡々と、命を片付けてた)
だが、目の前でパンの耳を咀嚼している田中は、どこからどう見ても、腰痛を気にしながら帳簿をつける、ただの中年男性だった。
「……あの、田中さん」
ニコが、おずおずと手を挙げた。
「……おじさんは、本当は、凄い魔法使い、なの……?」
ペンを動かす田中の手が、ぴたりと止まった。
田中はゆっくりと顔を上げ、ニコをじろりと睨みつける。その鋭い視線に、ニコはヒッと肩を揺らした。
「……ええか、ニコ。……『凄い』とか『凄くない』とか、そんな曖昧な基準で物事を見るな。俺は『蛇口』や。お前らが喉が渇いた時に水を出し、お前らが煮炊きをする時に水を供給する。それ以上の機能も、それ以下の価値もない。……もし俺が、お前らの期待するような『凄い魔法使い』やったら、こんなスラムでガキ相手に小銭勘定なんてしとらんわ」
田中は鼻を鳴らし、再び帳面に視線を戻した。
「……期待値の調整を間違えるな。過度な期待は、そのまま『納品後のクレーム』に繋がるんや。俺に求めてええのは、清潔な水と、明日食うための仕事だけや。分かったか」
「「「……はい」」」
三人の返事は、どこか重かった。
田中は(ったく、昨日の件で完全にビビりおって……。これやから現場を知らんひよっこは困る)と心の中で毒づく。
だが、彼が気づいていないことが一つあった。
子供たちは、田中が自分たちのために「嘘をついている」と思っていることだ。
自分の正体を隠し、あえて「冴えないおじさん」を演じることで、自分たちに余計な恐怖や負い目を感じさせないようにしている——そんな「不器用な、大人の優しさ」なのだと、高度な深読み(誤解)をしてしまっていた。
(おっさんは、自分を『蛇口』だって言い張るつもりなんだ。……俺たちを、ただの子供として守るために)
ザックの中で、田中への評価が「寄生虫」から「底の知れない、畏怖すべき保護者」へと、完全に入れ替わった瞬間だった。
「……よし、検品終了や。食い終わったら、今日の現場(仕事場)に行くぞ。……昨日の『特別損失』分、一分一秒も無駄にさせんからな。しっかり稼いでもらうぞ、俺の大事な……アセット(資産)共」
田中は立ち上がり、バキバキと音を立てて腰を伸ばした。
その背中にかかる期待と畏怖の重さに、田中自身が気づくのは、まだ少し先のことだった。




