ドナドナ ここは地獄の一丁目
既に任を解かれた教官に敬礼後、再度居室に戻り荷物を詰め直していく。遮るような昔話に時折手を休め、じゃれつくスローリーを避け、他の班員とふざけ合いながらとうとう別れの時間がやってきた。誰かが大声で次々と部屋の前を通り抜け、その声に廊下のほうが騒がしくなる。
「東部方面行きのヤツら!先発でるぞ、校庭前に集合!」
廊下からの号令に声の方向を一瞥して向き直ると班員全員と目が合う。名残惜しいが配属先が遠方の者から順にこの学舎を去ることになる。気取ったわけじゃないがコウイチは立ち上がり鞄を拾い上げて肩に担ぐと居室の入り口まで歩くと回れ右で班員に向かい敬礼しスローリー他、仲間たちからも答礼を返す。
「総員、アサクラ・コウイチ『巡査』に敬礼!」
「アサクラ・コウイチ訓練生、あー訂正!アサクラ・コウイチ『巡査』これより現隊を離れます!大変お世話になりました!」
最後くらい決めていくつもりがいつもの癖が出てしまう。
しばし間があって腕を下ろすと勢い良く居室を飛び出し、振り替えることなく廊下を駆けていくのであった。
「行っちゃったねぇ…」
スローリーは名残押しそうに呟きながらぎゅっと両手の肉球を合わせる。
今しがたコウイチが出ていった居室の入り口を見つめ、また瞳に涙を貯める。するとと後ろからミルクボーイが
小さなスローリーの肩に手を置くと
「この班はあいつだけ僻地に飛んだ(配属)もんな。皆はこのままセントラル(中央)の各分署なのにな」
自分も荷物をまとめながらスローリーの独り言のような小さな呟きに返し、ボストンバッグのチャックを閉める。
「あんなにSWATに憧れてたのにシェリフ(交番勤務)なんて可哀想だよ…だって」
ミルクボーイはスローリーの言葉に首をかしげた。てっきりバディだし、聞いているものだと思っていたからだ。
「あいつシェリフじゃなくてSWAT配属になったぞ。聞いてなかったのか?なんでも東部方面管轄のFBIがどーとか、SWAT隊員の欠員が出てその穴埋めがどーとか聞いたぞ。真面目に聞いてなかったから冗談半分で受け流してたけどアイツに限ってあり得ないよな、知らんけど」
ミルクボーイの言葉にスローリーは驚いた。FBIと言う組織は
簡単に言うと国中のエリートを集めて、国レベルの犯罪、地方警察では対処できない大きなヤマに対処するこの国一番の警察機関になるからだ。
「最底辺を彷徨うあのクライベイビーにそんな話があるわけないよ!FBIだよ?何かの間違いじゃない?だって適性検査でSWAT隊員の適正なしって結果だったし、だから最後までゴネて配属一週間前まで配属先が決まらなかったじゃないか」
そう、コウイチの成績は下の下。今出てきた話はFBIと言うエリートが配属される場所だったのだ。それが採用に声を上げたと言うのがあり得ない話である。
人間であるコウイチは生まれた時から人間と言うハンディキャップがあるにも関わらず、亜人に体格で大きく劣り体力検定で赤点、尚且つ筆記にて赤点。射撃検定以下、全ての検定で落第しまくり教官からは温情をかけられ犯罪が少ない過疎地の交番勤務であるシェリフ(保安官)に任命されたが本人は夢であるSWAT隊員にこだわりゴネにゴネまくりその結果、卒業間近に迫り一人だけ配属先が決定していなかった。
「俺も本人から聞いたとき嘘だと思ったぜ。でも…あれ?学生からFBIから声がかかるなんて確かにおかしいな、警官でもない内から運良く欠員が出たからってSWATだぜ?警官としての経験が無いうちに行けないはず、やっぱりあいつシェリフなのに嘘ついてたのか?」
顎を掻きながらミルクボーイは考え込むがスローリーの頭には一切入ってこなかった。FBIのエリートと訓練で泣き出すコウイチの姿がどうしも乖離し過ぎているからだ。
「まぁ無事決まって喜んで行ったんだしSWATだろうがシェリフだろうが応援してやろうや。また夏の長期休暇で集まることになるしその時ゆっくり話でもしようや。お前も特殊車両整備大隊配属だろ?頑張れよ」
不安がるスローリーの横を荷物を持ってミルクボーイの巨体が通りすぎ、コウイチと同じく敬礼をして居室から出ていく。そしてミルクボーイを皮切りに次々と各方面行の出発案内の声が上がり班員たちは一人、また一人と別れの言葉を交わし、敬礼しながら居室を後にする。
最後にはスローリーただ一人が残り、各員のロッカーに忘れ物はないか、綺麗に整頓された二段ベッドの毛布、布団と枕の位置を確認を終えシーツと枕カバーをテーブルの上に集める。
あんなに手狭に感じた居室は静かになりとても広く感じた。今でも目を瞑ると目蓋の裏に仲間の姿が映る。
誰もいなくなった居室に向かいスローリーは敬礼すると背伸びをしてパグのコボルトには高い位置にある照明のスイッチを切った。長く過ごした居室のドアを、スローリーはゆっくりと閉めるのだった。
コウイチが校庭までの道を走っていくと校庭前にはOD色の大型トラックが何台も停車していた。車列を見ながら一番端に停めてある3t半トラックの横にいるドライバーに声をかけた。
「すいません、東部方面行のトラックはどこでしょうか?」
「東部方面はこのトラックだ。数が揃うまで後ろに回って待っててくれ。全員集まってから出発だ」
「了解しました」
トラックの後ろに回るとちょうど先に来た警官が自分達の荷物をバケツリレーしながらトラックの荷台の真ん中に詰めていく途中だった。コウイチもその列に加わり、荷物をどんどん荷台にいる警官に手渡していく。
後から後へ同じく東部方面に配属になる警官が続き、荷物を詰め終わるとトラックの後ろに整列して待つ。
助手席のドアが開き、警官が降りてきて列の前に立つと総員の確認をとっていき、確認が終わるとゆっくりと顔を上げる。
「総員異常はないな、よし!乗車準備!」
「「乗車準備!」」
顔を強張らせながら復唱していく。
「乗車!」「「乗車」」
乗車の掛け声で先頭の警官はトラックの取っ手を掴み、開いたあおりにある溝に足をかける。何度か足を動かして引っ掛かりを確かめ声を上げた。
「三点支持よし!」
掛け声の後、先頭の警官が荷台に乗り込むと次の警官もまた三点支持の掛け声とともに乗車していく。自分の番が来ると取っ手を握り、足を溝にかけて同じく三点支持の掛け声とともに乗り込んだ。
「つーめ!つーめ!」
乗り込んですぐ次の警官が乗り込んでくるため、こうして奥へ奥へと掛け声を出しながら折り曲げたパイプに木の板を打ち付けただけの粗末な長いベンチに腰かける。荷台の左右にはこうした席があり、真ん中に荷物を置いて移動する。この席がまたくせ者で何せ長距離移動なのに尻を守るものもない、背もたれもまた木の板である。
片道2000キロの長旅(途中輸送機に乗り換え)の大移動であるにも関わらずこの扱い、舗装路を走るだけましだがサスペンションがへたってるハズレ個体ならまさにお尻が割れる。しかもこの3トン半の仕様だが途中高速道路に途中乗るのにシートベルトなんてものはないので命を守るものがない。
窓もなく荷台は常に真っ暗で、夏や冬だと乗れたものじゃない。ヒーターにクーラー?なにそれ?夏は灼熱、冬は極寒で隙間から風が入り荷台には雪が舞う代物である。あー春の移動で良かったとコウイチは心からそう思い、別れとは違う涙を流していた。
最後の警官が乗り込むと天井の幌を降ろし脱落防止ベルトをかける。ドライバーはあおりを上げた後、輪留めを取って運転席に乗り込み、電気系統スイッチをONにしてメインキーを回すと3トン半は低回転のドロドロとしたエンジン音を響かせる。
先頭のこのトラックが後続に窓から手を出し合図をするとギアを一速に入れアクセルを吹かしてクラッチを繋いでいくとゆっくりと営門に向かって無情トラックは新米警官を背に乗せ走り出していく。
コウイチは輸送機に乗り換える空軍基地まで距離があるため一眠りしようと思い腕を組んでうつむいた時だった。
「なぁ、あんたミルクボーイの班のやつか?俺はトラヴェン・リーブス。皆からハウスダストって呼ばれてた」
「アサクラ・コウイチです、クライベイビーで呼ばれていました。ミルクボーイの班だけど訓練で一緒になったことあったかな?覚えてなくてすいません」
向かいの席に座っている男から話しかけられた。人間の姿に獣耳に目がいく、ニコニコとした人懐こい笑顔で細身のイケメンときた獣人の男は名前をトラヴェン・リーブスと名乗った。
ミルクボーイと同じく、違う班では教務(学級委員長のようなもの)の役職に就いており、教務の業務で知り合い、タバコミニケーションで仲良くなったらしい。そこの会話でどうやらミルクボーイからコウイチの話題が出たことがあるらしく声をかけたようだ。
「やっぱりそうか、訓練や座学では一緒になったことはないが体力検定で隣でやってたくらいだよ。東部方面配属になるからトラックで一緒になったら道中宜しくってミルクボーイから聞いてな」
警察学校では班単位での移動で、訓練で同じにならなければ基本的に他の班員と接することもない。例えば教務の業務で違う班の教務と作業をしたり、それこそタバコ休憩でたまたま一緒になる以外は他の班員と知り合うことはない。
同じ訓練を受けてた違う班の同期については結構仲の良かったやつがいたが全員もれなくセントラル(中央)にそのまま配属となり東部方面配属の同期で知り合いはいなかった。
「なるほど、ミルクボーイの友達ですか。同じ東部方面となると配属はシャーペンシル州のフェラメル(首都)あたりかな?」
「当たり、シャーペンシル(以下SH)は今年、結構定員割れで中央からかなりの数が割かれたみたいだな。後ろのトラックもうちの班員が結構乗ってるよ」
広大なこのアメダス国内には50の州と一つの特別区を加え共和制国家が敷かれ、地域ごとに様々な種族がくらし高度な自主性が保たれている。
州ごとに議会、警察、裁判所がありアメダス国憲法以外にも独自の憲法、刑法、民法が州ごとに存在する。
警察学校も各州にあり、一部を除いて卒業後そのまま州の各警察署に配属になるのが自然な流れだが今回人員が不足している州警察に比較的採用人数が多いセントラル(中央)から人員が配属される流れとなった。
ハウスダストとコウイチの自己紹介からこのトラックに乗った全員の自己紹介に変わるとやはりSHの警察所に配属になるのがほとんどだった。コウイチ以外だと他一名が空軍基地の途中にあるハイウェイパトロール(高速隊)に配属になった(本人の希望)ことからも州の警察学校に入学したらその州の警察に採用される。
「最後になったけどクライベイビーはどこ配属なんだ?SHでないとすると大きいとこだとLAだろ?」
コウイチは勝ち誇った顔に足組までして待ってましたと言わんばかりに配属先を堂々と披露する。ここまでひた隠しにしたのも最底辺を彷徨ってことによる反動でもあった。ようは自慢して褒めてほしい気持ちがコウイチにはあったのだ。
「実はロスはロスだけどSWAT隊員に任命されたんだ!」
「SWATだって!?嘘だろ?本当なのか!」
ハウスダストの驚きも当たり前だった、SWATになるにはまず実務経験あり、尚且つ成績優秀者であり配属になるにあたり推薦を首都の警視正クラスから受ける必要があるからだ。まだ学校出の新米警官、それも幹部候補生ではなく一般採用の巡査クラスにはあり得ない待遇だった。ましてやコウイチは下の下ほどの実力しかない雑魚警官であるにも関わらずだ。
荷台にいる全員の見る目が変わる、それはもう羨望の眼差しを向けられコウイチは有頂天の頂点と言ってもいいだろう。ざわざわ騒ぎがおさまらない中、コウイチは更なる驚愕の爆弾を放り込んだ。
「なんでもFBI長官の推薦でね、面識はないんだけど…あとロスだけど所属は州警察(ロスだとLAPD)ではなくて支部のある連邦保安官局(USMS)に配属になったんだ。FBIとUSMSでは管轄が違うのにFBI長官の推薦を受けてUSMSに今度新設されるSWAT部隊、通称『SOG』に所属が決まっています」
照れて頭を掻きながら開いて顎が塞がらない荷台の警官たちの反応を楽しんだ。FBIとUSMSでは同じ司法省の警察機関ではあるがなぜFBIの長官が見ず知らずの自分をSOGに任命したのかは自分としても疑問の残るところだが結果オーライであまり深く考えないことにしていた。
腕組みしながら更に大きく鼻息を吐いたコウイチにハウスダストは呆気にとられながら質問を返した。
「これは、首席卒業者様ともなるとFBIの長官もほっとかないもんなんだな…こりゃ凄い人と同期になったもんだ」
「そこは自分でも不思議で…でも頑張りますよ!だって…」
コウイチの語尾が萎むにつれて荷台の熱気が一気に冷めるのを感じた。SWATだの御大層な言葉を並べて隠された真実に皆が気づいたからだろう。コウイチもこうして自分に酔うことで未来の悲劇から目を反らしていた。組んだ足を元に戻し、両手でうつむいた頭を抱える。御通夜になった荷台の警官の一人がポツリと呟いた。
「LAは犯罪のるつぼ…そこは…御愁傷様…」
「…はい」
全国治安ランキングワースト一位、世界各国から見ても類を見ない犯罪の見本市。それが悪名高きLAである。
天を突く摩天楼の下では日夜アメダス国の果ては北から東から南の国の犯罪者達が集う街、複数のギャングが支配しており住民よりギャングが多く住む街、警察官の殉職者数一位の州であるLAの連邦保安官内のSWAT隊員に配属される糞雑魚新米警官…
これはどう考えても夏季休暇まで生き残ってはいないだろう。
一人涙目になるコウイチはどうしても班の仲間達にはこのことを詳しく告げないできた。言えるはずがなかった、夢が叶ったよ、短い間だけねと言われるのも思われるのも嫌だった!
「うん…一番の出世株になるのは間違いないな」
ハウスダストの言う二階級特進については誰も笑わなかった。
笑えない冗談だ、それはコウイチを除いて…
「ふふふふ…」
終いにはうずくまり、壊れたように笑い続けるコウイチを他所に新米警官を乗せた3トン半はどんどん目的地の『地獄』に向かって突き進むのであった。
装備説明
73式大型トラック(通称は3トン半)
73式大型トラックは人員、及び貨物を運ぶのに用いられる汎用キャブオーバートラックである。陸、海、空軍全ての軍隊で使用され、初期型(SKW-440~441)から新型(SKW477)まで幅広く使用されている。
元々軍用であったものが払い下げられ警察でも貨物の運搬など各種任務に運用されている。
津波の被害にあった基地では装甲車が軒並み壊れる中、73式大型トラックはエンジンがかかったなど頑丈さでは比類なき強さを誇る。