戌亥神社
朱理は唸る二匹の犬と共に鳥居を見つめた。
誰か来る、それも大勢!
石段を上がり、白装束を纏った者たちが次々に鳥居をくぐり抜けて、彼女と犬たちを取り囲む。
「なんですかッ、あなたたちはッ?」
毅然と言ったつもりだが、声が微かに震えた。
一、二、三……
柴犬と秋田犬、それに中二女子一人を相手に十四人もいる。しかも、
異能者が混ざっている……
でも、何か変だ、自分たちとはどこか違う。祖父や母はもちろん、叔父より強力な異能者はいない。その上、その能力も馴染んでいない、と言うか薄っぺらい。
脳裏に叔父が話していた、『借り物の能力』という言葉がよぎる。
「驚かせてすみません」
人垣の後ろから声がした。白装束たちがサッと左右に分かれ、鳥居に続く道が出来た。鳥居をくぐり一人の男が現れた。白装束だが他の者たちよりも高価そうで、異能力も一番強い。
「私はアークソサエティで司祭を務めている世羽と申します。
真藤朱理さん、ここは貴女に相応しくない、我々と共に本来いるべき場所に参りましょう」
癇に障る自分に酔った口調で司祭は言った。
「わたしを拉致するつもりですか?」
朱理は冷ややかに答えた。これでハッキリした、紫織を誘拐したのもアークだ。悠輝への復讐か、それとも紫織と自分の験力が目当てなのか。
「残念です、本当に残念です……」
世羽は大げさに肩を竦める。
「貴女は我々を勘違いしています。我々は純粋に、人々の幸福と世界の平安を願っているのです。
そして、それを実現するためには、貴女たちの協力が不可欠」
「人を殺すのも世界平和のためですか?」
世羽は悲しそうに眉を寄せた。
「おおッ、あれは悲しい事故でした。決して我々が望んだ事ではありません」
「そうですか。わたしも、あなたたちと行く事を望んでいません。帰らないなら警察を呼びます」
朱理がスマートフォンをポケットから出そうとすると、左右から白装束が近付いた。
しかし、朱理に触れる前にその二人に梵天丸と政宗が襲いかかる。梵天丸は飛び上がり一人の首に噛みつき、政宗はその巨体でもう一人を押し倒し顔面に噛みついた。二人の信者の口から悲鳴が上がる。残りの信者が一斉に朱理に襲いかかろうとする。
「やめなさい!」
世羽が一喝すると、信者の動きがピタリと止まった。
「失礼しました。皆、気が立っているのです。
貴女の叔父様が、我らの大事な仲間を傷つけ、心のよりどころである聖堂を破壊しました。とても許せる事ではありません。
この神社や寺を壊されれば貴女だって、同じ気持ちになるでしょう」
言っている事が理解出来なかった。たしかに、悠輝はアークの大槻聖堂を破壊したが、それは彼らが明人を傷つけたからだ。それ以前に、アークは誘拐やリンチ殺人も犯している。
「しかし、我らの教主はそれをゆるし、貴女たちに正しき道を示そうとしています。
反対する者たちが多数いるのにも関わらずに」
本当に訳が解らない。
「別に、ゆるしてもらう必要なんてありません。わたしも明人さんを傷つけ、紫織を誘拐したあなた達をゆるさないから」
世羽は大袈裟に溜息を吐いた。
「どうして解ってくれないのですか? 我々は誰も傷つけたくはないのです」
「それは脅しだよね? 言う事を聞かなければ暴力を振るうって」
「先に暴力を振るったのは貴女でしょう? その二人が何よりの証拠です」
口を血で濡らした梵天丸と政宗が、再び朱理を守るように彼女と世羽の間に立つ。
噛まれていた二人はうめき声を上げながら、それぞれ咽と顔を押さえて倒れている。
「わたしに襲いかかってきたから、ボンちゃんとマサムネくんが助けてくれたんだよ!」
勝手な物言いに苛立ちが募る。何を言っても無駄だ、この人たちに言葉は通じない。
「仕方ありませんね、貴女には言葉が通じないようだ」
こっちの台詞だ、と朱理が叫ぶより先に信者が動いた。
オモチャのような拳銃を朱理に向けて引き金を引く。
あっと思った瞬間、政宗が朱理に覆い被さるように立ちはだかる。
「ギャンッ!」
と政宗の口から悲鳴が上がる。
「マサムネくん!」
彼が受けたのは銃弾ではない、銃から伸びた二本の線だ。その線の先に金属が付いている。朱理には何か判らなかったが、これはテーザーガンと呼ばれるスタンガンの一種だ。
彼女の中で沸々《ふつふつ》と怒りが湧き上がる、かつて友達が自分の験力が招いた魔物に殺された。もう誰も死なせない、もう誰も失わない、そのためにこの忌まわしい験力を使いこなすために修行をしているのだ。しかし、験力は人に対して使ってはならないと祖父と叔父、そして母からも言われている。
朱理が一瞬迷った隙に、信者たちに取り囲まれる。
機敏な梵天丸が片っ端から噛みついて行くが、相手が多すぎる。梵天丸が警棒で叩かれる。
「キャン!」
再び愛犬の悲鳴が朱理の心を引き裂く。
「ボンちゃん!」
自分に群がる相手に必死に朱理は抵抗する。学んでいるのは験力だけではない、少林寺拳法も身に付けた。
何人かスタンガンを押しつけようとしたが、朱理は何とか躱す。しかし、そう長くは持たないだろう、すでに警棒で何発か殴られ、口の中に血の味が広がっている。
どうしよう……おじさん、どうすればいい?
験力を使うべきなのか迷っていると、ざわめきが起こった。
「朱理ちゃん、験力を使え!」
ボロボロになっている明人が片っ端から、信者を殴りつけている。
「明人さん!」
「お師匠から言われたろうッ、『験力は基本的に人に対して使ってはならない。しかし、自分に危険が迫ったら迷わず使え』って。今使わなくて、いつ使うんだッ?
ウッ」
警棒で殴られ、額から血が流れる。
「明人さんッ」
もう迷ってはいられない、朱理は自分の中に在る力の源に意識を向ける。それは小川のせせらぎのように穏やかだが、奥に行けば行くほど力強く激しいうねりになっていく。この力は自身の内に在るのではない、内から外に繋がっているのだ。
「ヒートブレイド!」
朱理の両腕が焔に包まれ、一瞬敵が怯む。
「タァッ」
手刀を信者たちに向けて振るうと、焔が伸びて数人の白い衣服に引火する。
「うわぁあああ!」
次々と信者が悲鳴を上げる。叔父の裂気斬ほど威力はないが、火は人間に本能的な恐怖を与える。
余談だが、悠輝は修行と称してトレイルコースの樹木伐採を裂気斬のみで行った。朱理と紫織を守る力を得るため、彼はそれこそ血の滲むような努力をしたのだ。彼には及ばないが、朱理も祖父に課せられた修行の他に鍛錬を続けて、このヒートブレイドを身に着けた。
必殺技を叫ぶのは厨二染みていて嫌だが、実際中学二年生なのだから仕方ない。
「さがれッ、我らに任せよ!」
甲高い声がして、他の信者を押しのけ新手が三人現れた。シニヨンの女性におかっぱとスキンヘッドの男性、彼女たちは『借り物の異能者』だ。
「士門、行け」
「了解ッ。大天使ウリエルよ、その聖なる光により罪人を捕縛したまえ!」
おかっぱの男が手で十字を切る。
アークは仏教と神道だけではなくキリスト教も取り込んでいる。ここに現れた連中は、キリスト教にかぶれているらしい。
全身が鉛で固められたように重くなり動けない。この感覚は知っている、呪術的な金縛りだ。
「摩帯、捕獲を」
「はいッ。我が守護天使サンダルフォンよ行け!」
スキンヘッドが懐から取り出した呪符が、翼の生えた醜いサルのような姿に変わる。天使と言うより小悪魔か天狗みたいだ。
臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前ッ、破!
口も手も動かせないので、朱理は心の中で九字を唱え印を結んだ。金縛りが解け、身体に験力が流れ込んでくる。その余波で小悪魔が吹っ飛んだ。追い撃ちをかけるため、焔に包まれた手で烏枢沙摩身印を結ぶ。
「オン クロダナウ ウン ジャク!」
焔が塊となって小悪魔にぶつかり、次の瞬間灰燼に帰した。
「なッ?」
摩帯が唖然とし、士門も服の胸部が燃え上がる。
「うぉッ」
叫び声を上げながら士門は、慌てて転がり火を消す。恐らく燃えた所に、呪力を付与していた護符でもあったのだろう。
「やはり、私自らやるべきでした」
世羽が前に進み出る。
「お待ちくださいッ、世羽様の手を患わせるまでもありません。わたくしで充分です!」
「できますか、麻利亜?」
「無論です、お任せください」
麻利亜が朱理を睨み付ける。
「大天使ガブリエルよ、我に御加護を罪人には罰を!」
朱理の周りの湿度が急速に高まり、息苦しくなった。両腕の焔からは湯気が上がり、勢いが弱くなっていく。
「くぅ……」
思ったよりも強力で、相性も悪い。早急に決着をつけないとやられる。 朱理は麻利亜との間合いを詰め、拳を突き出す。ところが、まるで水中で戦っているかのように全身に抵抗を受け、スピードが出ない。
簡単にかわされた上に、頬を強く打たれ無様に倒れた。自分で動こうとすると抵抗があるのに、他者から力を加えられると踏ん張る事が出来ない。
「朱理ちゃん!」
明人の悲痛な叫びと共に、梵天丸の悲しげな声と政宗の呻き声が聞こえた。
「誰か、真藤朱理を眠らせろ」
スタンガンを持った信者が小走りに近付き、麻利亜が勝ち誇った笑みを浮かべる。
負けない……わたしが、みんなを守らなきゃ……ううん、絶対に守ってみせる!
叔父から言われた言葉を思い出す、験力で一番大切なのはイマジネーション。朱理は想像した、自分は湖の底にいて、その水を身体から湧き出る験力の火焔で沸騰させ、全て蒸発させる。
そう、わたしは焔の申し子、焔の支配者、どんな魔物も焼き尽くす焔の女神。
自分の内から外界にある験力をかき集める。
「世羽様、御覧いただけましたか?」
「ええ、貴女は優秀です」
誇らしげな麻利亜を世羽が甘ったるい声で労う。
スタンガンを持った信者は屈み、それを持った腕を伸ばす。
朱理は右手で不動三鈷印を結ぶ。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!」
食い縛った歯の隙間から真言を唱えると、スタンガンが身体に触れる直前、信者が焔に包まれ、麻利亜の服の胸からも火が上がった。
「うわぁあぁあぁ!」
「きゃぁああああ!」
火だるまになった信者が転げ回り、麻利亜も己の胸を叩いて火を消そうとする。
「消してあげなさい!」
世羽の言葉に弾かれた様に信者たちが動く。
朱理は立ち上がり、世羽と対峙した。
「貴女に詫びなければなりません。正直、見くびっていました。妹に比べれば大した
異能力も無く、修行半ばで何も出来ない小娘だと」
随分な言われようだ。
「ですが、余りいい気にならない方が賢明ですよ。もう一度言います、私たちと一緒に来なさい」
「同じ事を何度も言わせないで」
「では、仕方ありません。
大天使ミカエルよ、我が敵は汝の敵、神の御名において敵を打ち破らん!」
一番警戒していた相手だけに、朱理は慎重に相手の出方を見ていた。だが、それが災いした。
「え?」
突然、験力を感じられなくなった。
「驚きましたか? これが私の能力です」
嘲りの笑みを浮かべる。周りの信者も何が起こったか理解しているのだろう、ジリジリと間合いを詰め始める。
「今更大人しく従いて行くと言っても手遅れです、悪い子には御仕置をしないと」
その時、自分にまとわり付いていた信者を殴り倒し、明人が割り込んできた。
「朱理ちゃん、どうしたッ?」
「験力を封じられました」
明人の顔が青ざめる。大分数を減らしたが敵はまだ十人近くいる。
「捕らえよッ、真藤朱理以外は排除してかまわない!」
信者が一斉に襲い掛かる、必死で明人は抵抗したが多勢に無勢、しかも相手は武器を持っている。
「明人さん!
クッ!」
強い痛みが走ったかと思うと、身体に力が入らなくなり倒れた。スタンガンを押し当てられたのだ。
力が欲しい……みんなを守れる力が……
消えゆく意識の中で、朱理は無力感に打ちのめされた。
験力の修業をしても何も変わらなかった。
また、叔父に助けられるのを待つしかないのか。
絶望の闇に飲み込まれようとしていると、何かが鼓膜を震わせた。それは次第に大きくなり、意識もハッキリしていく。闇が晴れ、視界に光が溢れる。そして、気が付いた。震えているのは鼓膜だけではない、地に伏した身体に振動が伝わる。
顔を上げると、梵天丸と政宗が低く唸っていた。二匹とも傷ついているが、牙を剥き出し眼をギラギラと輝かせ全身から異様な殺気を放っている。
地面から、いや猪山全体から験力が二匹に集まっていく。
この様子にアーク信者たちも攻撃を躊躇っている。
梵天丸と政宗が一際大きく吠えた。
その声は轟き、振動は強烈な波動となって、アークソサエティの信者たちを吹き飛ばした。
朱理もこの衝撃を受けたが、痛みはなく、逆に身体の自由が戻っていた。
周りを見ると、倒れた信者たちは、目、鼻、口、耳、あらゆる穴から血を流していた。
「ボンちゃんッ、マサムネくん!」
犬たちに視線を向けると、二匹は満足そうな顔をして倒れた。慌てて駆け寄り、二匹が息をしているのを確認する。ホッと胸をなで下ろす、験力を使い過ぎたのだろう。
「朱理ちゃん、政宗と梵天丸は?」
ボロボロで血だらけの明人が、脚を引きずりながらやって来た。
「二人とも無事です。明人さんは?」
「何とかね。今のうちに……」
言葉を途中で止め、一点を凝視する。朱理が視線の先を追うと、顔中血だらけの世羽が立っていた。
「よくも……よくも……私の部下たちを!」
明人が拳を固める。
「お前らが襲ってきたんだろッ」
ふらつきながらも立ち向かおうとする明人を、朱理は手で制した。
「わたしがやります」
「でも、あいつは……」
「験力なんか要りません、やらせてください!」
明人は何か言いかけたが、結局黙って頷いた。朱理の気持ちを察してくれたのだろう、彼には痛いほど彼女の無力感が解るはずだ。
「うぉおおおおおおッ!」
世羽は落ちている警棒を拾うと、獣のような雄叫びを上げて襲い掛かってきた。
朱理も駆け出して間合いを詰める。
世羽が警棒を振り下ろす。
紙一重でかわし、朱理は世羽の腕を取り、捻り上げようとする。
力づくで世羽は振り払い、裏拳で朱理の顔面を殴る。
鼻から溢れ出る血を無視し、朱理は世羽の懐に飛び込もうとする。
世羽は彼女を阻もうと腕を伸ばす。
朱理は身を沈めてそれを避け、相手の脚を払う。
世羽は体勢を崩しかけたが何とか持ちこたえ、逆に朱理の髪の毛を鷲掴みにして引き上げる。
その瞬間、朱理は世羽の股間を膝蹴りする。
痛みに彼は前かがみになる。
続けざまに今度は顔面に膝蹴りを喰らわす。
堪らず世羽は彼女から身を離し、憎しみに燃える眼で睨みつける。
朱理は怯まず、再び間合いを詰める。
世羽が警棒を振り回し、近づけまいとする。
朱理は身を翻し、落ちているナイフや警棒を次々と投げつける。
世羽は手にした警棒で、次々と叩き落していく。
彼が、妙に近い位置に朱理がいることに気が付いた時には手遅れだった。
彼女が世羽にスタンガンを押し付ける。
「グワッ」
世羽が感電し倒れる。
念のため朱理は数回スタンガンを押し付けた。
「朱理ちゃん、大丈夫かい?」
見守っていた明人が、ハンカチを差し出した。
「はい」
それを受け取り、鼻血を拭き取る。こんな顔を叔父や祖父に見せたら卒倒する。いや、その前に世羽を八つ裂きにするか、精神を完全に破壊するだろう。
「ここは危険だ、とにかく一旦身を隠そう」
明人はそう言うと、政宗の巨体を背負おうとする。
朱理も梵天丸を抱き上げた。頭には様々な疑問が沸き上がり、胸には不安が広がり続ける。
紫織、おじさん、お母さん、無事でいて……




