アークソサエティ大槻聖堂
◆本作品は『エブリスタ』と『カクヨム』にも投稿してあります。
雪が舞う中、鬼多見悠輝はその建物の前でブレーキをかけてMTBを急停止させた。
アスファルトにクッキリとタイヤの跡が残ったが、積もる前で良かった。
高い塀と閉ざされた門に阻まれ、中の様子は判らない。
悠輝は無造作にMTBを乗り捨て、門を軽々とよじ登った。普段なら大事なROCK5500をこんなに乱暴に扱ったりはしない、だが今は緊急事態だ。
「何だお前は!」
白装束の男三人が血相を変えて彼を取り囲む。
「坊主頭の高校生と変人の女をさらって来たよな? 大人しく返せ」
「な、何を言っているッ、警察を呼ぶぞ!」
「そうだ、お前は不法侵入者だッ」
男たちが口々に叫ぶ。
「そう言うお前らは誘拐犯だろ。
オン キリ ギャク ウンソワカ」
願い事を成就させるという聖天真言を唱える。
三人の男は放心した。
「明人の所へ案内しろ」
「わかった」
命じると男たちは建物の扉に導く。
精神を操る呪法は苦手だが、狂信的な人間は意外に術にかかりやすい。
狂信的になることで考えることを放棄しているため、異能の力に抵抗する事が出来ないのだろう。
観音開きの大きな扉には宗教法人アークソサエティの紋章が刻まれていた。
今から三〇分ほど前、悠輝は天城翔の探偵仲間である斉藤恭治から緊急の連絡を受けた。
天城と門脇明人がアークの支部に拉致されたらしいと言うのだ。
明人は悠輝の従弟で、天城に頼まれて彼女の仕事手を伝わせていた。
市議の娘の行方不明事件を追っていて、調査しているのは明人の通う桑野高校のはずだ。
どうしてアークに拉致されることになったのかは判らないが、天城と約束していた定時連絡が無いため、斉藤がGPSで追ったところこの施設にいることが判った。
悠輝は彼に別の仕事を頼み、単身このアークソサエティ大槻聖堂に乗り込んだ。
操っている男たちが扉を開け放つと、広いロビーが視界に入る。
そこには十数人の白装束に囲まれるようにして、桑高のブレザーを着た二人の少年と、二人の少女がいた。
一人の少女は血の付いたナイフを握っており、坊主頭の少年をショートカットの少年が膝枕をしている。その背後に隠れるようにして、もう一人の少女がいる。
ショートカットは少年ではない、男子用のブレザーを着た天城だ。坊主頭の明人は腹部から血を流している。
思わず舌打ちをした。また、自分の判断ミスで大切な人が傷付いている。
「鬼多見……」
天城が背後を振り返り、安堵の表情を浮かべる。
無言で近付いていき、明人の傷口を確認する。
かなり深い、救急車を呼ばないと。
「ユウ兄ちゃん……ゴメン……」
「どうしてお前が謝るんだ? 悪いのはおれだ、本当に済まない。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」
傷口に手を当てると、出血が和らいだ。
明人は安心したのか意識を失った。
「三瓶、救急車を」
普段なら本名を呼ぶと「ボクの名前は天城翔だ」とビジネスネームで呼ぶことを強要するのだが、さすがに今回は素直に頷いて、悠輝が差し出したスマートフォンを受け取った。
「おいッ、貴様ら、我らの聖域で勝っては許さん!」
太った中年の男が焦れたように叫んだ。
この男は他の信者と違い、神父が着るようなローブを身に着けている。司祭か、宮司か、和尚かは知らないが、こいつが大槻聖堂の責任者だ。
アークソサエティは神道と仏教、そしてキリスト教の神仏をまとめて祭っている。
教義はつぎはぎで、売りは御多分に漏れず終末思想と超能力だ。
事実、集まった者たちが信奉しているのは神でも仏でも教義でもなく、教祖の耶蘇未麓だ。
「救急車が到着するまでに決着をつける」
天城は通話を終えた。
「わかった」
「勝手は許さんと言っている!」
「ギャアギャア喚くな、お前らも乗ることになるんだ、呼んでおいた方がいいだろう」
言うや否や悠輝はわずかに身体を反らし、背後から近付いていた信者の腕を捻り上げた。
手にはスタンガンを持っており、それが音を立てて床に落ちた。
その音が合図だったかのように、信者が一斉に襲いかかる。
手にはスタンガンの他にも警棒やナイフなどが握られている。
悠輝は腕をつかんでいる信者を投げ飛ばして数名の動きを封じ、反対側から来る奴らの攻撃をかわしながら片っ端から殴り倒していく。
「ウッ」
「グワッ」
「ガッ」
信者の悲鳴やうめき声が次々上がる。
悠輝も少しは負傷したが、鬼多見法眼に殴られるのに比べれば蚊に刺されたような物だ。
「ったく、信者だか八十年代のヤンキーだか判らないな」
十名くらい殴り倒したところで、狂信者もやっと状況が理解出来たのか、遠巻きに見ているだけになった。
「何をしているッ、この狼藉者を叩きのめせ!」
司祭もどきが叫んだが、悠輝の強さを目の当たりにして信者たちは明らかに怯んでいる。
「お前が直接かかってこい、信者に示しがつかないだろ?」
明らかにもどきが動揺した。
「待てッ、我らが相手だ!」
小柄で神経質そうな男と、ラグビー選手のような大柄な男が悠輝ともどきの間に割り込んだ。
二人とも顔に痣を作っている。
「まがい物とは言え、異能者を二人もボコるなんて、やっぱりお前は自慢の従弟だよ」
意識を失った明人を振り返る。
「誰がまがい物だッ?」
小柄な男が悠輝に向けて異能力を使う、眼の前に忘れる事の出来ない少女が現れる。
彼女の名は渡部由衣、悠輝が判断を誤ったために生命を落とした。
由衣が恨めしげに睨んでいる。悠輝が最も怖れ、最も見たくない物だ。
しかし、余りにも稚拙すぎる。この数千倍は強烈な物を、何度も法眼に視せられている。
「保育園の発表会か? 幻術なら最低でもこれぐらいやれ。
オン エンマヤ ソワカッ」
幻術使いは身構えたが、何も起こらない。
「フン、口ほどにもない。私には何も見えないし聞こえないぞ!」
「そうか? それはお前が鈍いからだろ」
「負け惜しみも大概にしろッ。
後鬼、お前の異能力で……ヒッ、ヒィイイイイッ、手がッ、手が腐っていくッ」
突然、自分の掌を見つめながら叫びだした。
「どうした前鬼ッ?」
前鬼と後鬼、修験道の開祖である役行者が使役したと伝えられる鬼の名だ。
こんな雑魚に名乗られては、二人の鬼も浮かばれない。
「腕がッ、腕の肉が腐り落ちた!
は、腹も、腹からもウジが湧いている……。
助けてくれッ、後鬼ッ、小角様ッ、教主様!」
完全にパニックに陥っている。
「しっかりしろッ、お前は何ともない!」
「後鬼、イヤだ、こんな死に方はイヤだ……助けてくれ、助けてくれよぉ」
相棒が何を言おうがその声は届かない。
「貴様、何をしたッ?」
「バカかお前は、さっき幻術をかけると言ったろ」
後鬼の顔がみるみる赤くなる。
「おのれッ、いい気になるな!」
ロビーにあるイスやテーブルが宙に浮き、悠輝に向かって飛んでくる。
しかし、悠輝に触れる前にそれらはピタリと静止した。
「なるほど、お前は借り物の念動力使いか」
「黙れッ、オレはこの能力を修行して得たのだッ」
「与えられただろ?
まぁいい、幻術と違って念動力はおれの専門分野だ。まがい物と本物の違いを教えてやる」
空中で静止していたイスとテーブルが凄まじい勢いで動き出し、後鬼にぶつかると彼を押したまま壁に激突する。ドンッと大きな音がして身体がめり込んだ。
ドンッと大きな音がして身体がめり込んだ。
「安普請だな、震度3で潰れるぞ、小角」
「な、なぜ私の名をッ? 心を読んだのか?」
「前鬼がお前の名前を言ったのを聞いてなかったのか?」
アークの幹部はこんな愚物ばかりなのか、いつまでも関わってはいられない。
「一応名乗ってやる、おれは鬼多見悠輝。その名通り鬼や魔物の類いを飽きるほど見てきたが、まがい物を見せられたのは初めてだ。
従弟を刺されて頭にきているのに、火に油を注ぎやがって、胸くそ悪い」
「ほざけッ、救急如律令」
ローブの下から取り出した呪符が、鴉の姿になり悠輝に襲いかかる。
「裂気斬!」
悠輝が手刀で宙を斬ると、鴉が真っ二つになり紙に戻る。
「ぎゃッ」
小角は頭頂部を押さえて尻餅を突く、薄くなっている部分から血が噴き出している。
「で、お前が明人を刺したのか?」
血の付いたナイフを持ったまま、呆然と成り行きを見ていた少女を振り返る。
悠輝の射貫くような視線に、少女は我に返り後ずさる。
「やめろッ、その娘は洗脳されているだけだ!」
「だからどうした? こいつのした事に変わりはない」
天城の言葉を意に介さず少女に近付いていく。
「あ、ああ……」
悠輝の殺気に圧倒されて、少女は足がすくんで逃げることも出来ない。
彼は少女の額に触れた。
「オン テイジュ ジンバラ サラバラダ サダ シッジャ シッジャ マニ アラタンノウ ウン」
「イヤーッ!」
身体を引きちぎられるような悲鳴を上げ、少女は倒れた。
「なにも殺さなくたって……」
「三瓶、おれを殺人鬼か、こいつらと同じだと思ってんのか?」
「え?」
「三年間ぐらいの記憶を奪っただけだ」
「殺ってないのか……」
露骨に天城は安心したような表情を浮かべる。
「でも、おれは精神系の呪法は苦手だからな。入信している記憶を消したかったんだが、他にも色々無くなっている」
「ちょっと待てッ。それじゃ、大切な記憶を失っているかも……」
「間違いなく消えている。それどころか、ごっそり記憶を消したから、三年前に退行しているはずだ」
天城が何か言いかけたが、それを遮るように、
「今日でここは閉鎖だ」
と、宣言すると再び手刀で縦に空を斬る。その先にあるのは、教祖の耶蘇未麓像だ。
像は真っ二つになり、左右に倒れた。
「わぁああああ!」
小角の悲鳴が響いた。
悠輝は無造作に裂気斬を放ち続け、教団施設は瞬く間に崩壊していく。
救急車のサイレンが近付いて来た。
悠輝は破壊をやめ、明人を抱きかかえた。
天城ともう一人の制服の少女が、明人を刺した少女の両脇を支えて、悠輝と共に表に出る。
「この件はお前の言葉を信じたおれの責任だ。でも、納得出来ない。
お前、言ったよな? 『多少のリスクが無ければ人は成長しない。でも、明人クンの命を危険に曝すようなことは、さすがにしないよ』って」
「ああ、判ってる。その事については詫びる言葉もない、償いはする」
「今度は信じてもいいのか?」
「もちろんだ、覚悟は出来ている」
「口約束では済まさないからな」
天城翔こと三瓶茂子は重々しく頷いた。