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 遥かなるアルキペラゴ  作者: 三山蝗羽
3/3

標本商墓堀りニサッタイ行状記

  釣り師 


 「若造、これが済んだら、釣りに連れて行ってやろう。沿海州に、わししか知らんとっておきの場所があるんだ」

 佐々木を戦闘機に押し込みながら、艦長は確かにそう言った。

 (妙なオヤジだ。この俺様が釣りの名人と知っての上なら、受けて立ってやる)

 佐々木は千歳基地に勤務していた頃、大隊の釣り大会で優勝したことがある。石狩川の支流で六十センチの野鯉をヒットしたのだ。その情報が入っているのだろう。

 (しかしロシアとなると地の利が無いぞ。調べておかねば)


 アルキペラゴ最北の惑星ラダマンテス。その決死の領土防衛任務に当たるボリビア海軍船コンドルカンキ号は、レーザー・キャノン八門、トラム・キャノン(レールガン)三十二門、通常弾頭ミサイル三百基を備えた国連最強の軍艦だ。と言っても今や老朽艦で、米軍の最新鋭の船とまともにやりあえる代物ではない。指揮を執るのは元ソビエト空軍の退役将校、ニコライ・A・バイコフ、七十三歳。釣りと虎狩りと、そしてアメリカとの戦いに人生を捧げる男。今回は燃えに燃えている。彼の戦術論は単純明快だ。言わく、「早い者勝ち」。先に見つけた方が勝つ。たとえこの老朽艦でも、もし先に相手を捉えることができたなら、勝ち目はある、と信じている。そのために人選は彼自身が行い、特に索敵能力に優れた者を集めたのだ。

 コンドルカンキ号自らは相手のレーダーを避けるべく、バイコフ艦長の指示した位置(艦長は猟師小屋と呼んでいる)に潜んでいる。そこは恒星ミノスからは、三千七百光秒(約十一億キロ)離れていた。  

 十六機の戦闘機が、旗艦を球形に囲んで護衛する。

 「各自その信ずる所に従って索敵行動を取れ。敵を発見したなら、指示を仰ぐ必要はない。ただちに突入せよ。残りの戦闘機は敵艦との間に防衛ラインを築き、いざとなれば盾となって敵弾を受け、時間を稼げ」

 パイロット達の間に、一斉にブーイングが起こった。


 佐々木は操縦席に座って苦笑いを浮かべ、機器をチェックしていく。

 (仕掛けも竿もお仕着せだが、これはこれで結構上物だ)

国連が急遽フランスから購入した、型落ちのエタンダール戦闘機。フランスは戦争当事者のどちらにでも、気前良く武器を売ってくれるのでありがたい。彼はエタンダールに乗るのは初めてだったが、メカに強い人間の特性で、まったくためらうこと無くそこら中のスイッチを押していく。フランス語で何やら書かれているが、読めなくても気にしない。機械は人間が動かすようにできている、動かせて当たり前というのが、この種の人間の信仰なのだ。だから、触れてはいけないスイッチなどというものは、存在しない。

 九十インチのメイン・モニターの上隅に、懐かしいイギリスの人形アニメ、サンダーバード2号のマスコットが揺れていた。佐々木の表情が少しほころんだ。ただし、大英帝国の庇護を期待させる物は、この船の中にただそれだけではあったが。

 佐々木は機を少し前進させ、また戻る。続いて左右に振る。2ストロークバイクのアクセルのように、機は佐々木の意志に敏感に反応した。実際、これはバイクの体感による操縦を取り入れたものだ。両足の間の小さなサドルにニー・グリップを利かせ、ハンドルを握ってわずかに体重移動すれば、自分の体のように動かすことができる。

 スコープを調整する。全球探査モードを遠距離用の部分探査に変える。元々、戦闘機のスコープはカバーできる範囲が狭い。全球探査はコンドルカンキに任せ、佐々木は狙いを絞って、より遠くまで触角を伸ばす。

(敵は十中八九、米軍最強のアウターリミッツ。完璧なステルスでレーダーにはかからない。唯一の弱点は、そのでかい図体。見つけるには、背景の恒星と重なる〝蝕〟を捉えること)

 蝕が起これば、スコープの明度計はそれを数字で示す。感度のいいものなら、百光年先の恒星の前を横切る小惑星をも捉えてしまう。解像力の限界を超えているために実像は映らないが、その瞬間、恒星の明度はわずかに下がるのだ。だから数字は目安にすぎない。大量のジャンク情報を(ふるい)にかけるのは、訓練された人間にしかできない。

 索敵訓練では、佐々木は常にトップの成績だった。彼は生まれついてのハンターであり、獲物を見つけることに異常な喜びと才能を発揮したのだ。

 シートに浅く腰掛けて、両膝でサドルを締め付ける。数を数えながらゆっくりと腹式呼吸をする。船は、空間に嵌め込まれたように静止した。

 (バランスが崩れるのは、吸気に転ずる一瞬。それを(すき)と呼ぶ)

 剣道五段である。一刀流の師範の元で、刃引きの真剣での稽古を繰り返してきた。

 (平常心を保て)

  平常心、それは戦いに集中しながら、なおかつ取り巻く全世界を捉えることだ。人間の精神だけが、全球探査と部分探査の両方を同時に行うことができるのだ。

 (遠山の目付けをせよ、剣先を見てはならない、拳からの間合いを計れ)

  足の裏に、道場のひんやりとした板敷きの感触がよみがえる。武者窓から、鳥の声、せせらぎの音が聞こえてくる。

 

 頬に心地よい風を感じた。水楢(みずなら)の梢が揺れ、青空を雲が流れて行く。岸辺の(はん)の木が清流に緑の影を落とし、柳絮(りゅうじょ)が粉雪のように舞う。水面に小魚が群れ、砂をまいたような波紋を造る。そのずっと下、朽ち木や落ち葉が積もった水の底で、背中に光の網をまとった巨大魚が、じっと息をひそめている。やがてそいつは胸びれをひとかき、金色に輝く雲母のかけらを巻き上げ、ゆっくりと進み始める。その先に苔むした二つの大きな岩が張り出し、間に洞窟のような深い淵を造っている。魅力的だ。ここだ、ここしかない。獲物は必ず、ここを通る。

 佐々木はゆっくりと釣り糸を垂れた。

 

 アリゲーター・ガーに似た黒いシルエットが、ぴくりと動いた。一瞬、血の匂いを嗅いだように思ったのだ。

 十二光年先に連星クラウスが見える。木星型巨大惑星三つを含む十六の惑星群が、二つの恒星の間で複雑な公転軌道を描いている。巨体を溶け込ませるには絶好の背景、そのポイントまであと十八光秒。あせるな、じきに腹一杯食える。

 恒星ミノスの前を、直径三千キロ足らずの第一惑星が横切って行く。明度計の数字がマイナス0・072を示し、二時間と五十五分の間その数値を維持して0に戻る。

 第二惑星通過。 

 マイナス0・164。

 0.

 ラダマンテス通過。

 マイナス2・581。

 0.

 異常無し。

 巨体が動く。

 大クラウス。マイナス0・017。

 0.

 小クラウス。マイナス0・017。

 さあ、食事の時間だ。

 0.

 「引いた!」

 佐々木三等空佐の眼が凶暴な金色に輝き、サンダーバードの勇壮なメロディが、高らかに鳴り響いた。

        

 

 アウターリミッツ号

 

 「何だ?」  

 どこか遠くから奇妙なファンファーレが聞こえたような気がして、スタック艦長は読んでいたウォールストリート・ジャーナルから顔を上げた。有りそうにないことだったが、警報が鳴っていて、何やら慌ただしいではないか。メイン・モニターに青い戦闘機が映っている。横腹に御馴染みの国連旗と、UNアーミーの文字が描かれている。こちらの戦闘機があわてて飛び出して行くところだった。ちょろちょろ動いてステルスの邪魔をしないように、艦内で待機させていたのだ。しかし彼らが守るべき旗艦は、とっくに相手の射程距離に入っている。

(遅い!)

 最近の若い兵は、どうも育ちが良過ぎる、と艦長は思った。

(このハエはどこから飛んで来たのだ。なぜとっとと撃ち落とさなかったのだ)

 この艦は見えないのだから、向かってくる戦闘機はただの通りすがりとでも考えたのだろう。報告の必要すら感じなかったのだ。ようやくステルスが破られていることに気付いても、まだなお正体を確かめてから、とか、警告を発してからとか、迷っていたのだ。そんな逡巡は死につながるというのに。

 プロクシマ・ケンタウリの空軍基地を飛び立って十日目、初めて作戦の内容を知らされた時の乗組員の戸惑いは、艦長の想像以上に大きかった。こちらから領空侵犯をしてケンカを吹っかける、その程度のことに、今時の若い兵士達はそんなに引け目を感じるものなのか。

 やはり自分で、実戦経験を積んだ兵を選ぶべきだった。ホワイトハウスの官僚どもは、今回の任務を新兵の訓練にちょうどいいと考えたのだ。

「国籍不明艦に告ぐ。お前達は国連の領土を侵犯している。速やかに退去せよ」

(やかましい! 白々しい、何が国籍不明艦だ)

 アメリカ空軍の超弩級戦艦・アウターリミッツ号は、子供でも知っている。 

 相手が次に何を言うかもわかっていた。

「既に三十六基の核ミサイルが、三十六の方角からそちらに向かっている。起爆の権限は当機に与えられている」

 そう、まさに教科書通り。

 敵のミサイルは、どこへ向かえばいいのかよく知っている。画像分析できる距離まで近付かれれば、ステルスはもう意味を成さない。追尾装置がオンになってどこまでも追ってくる。それなのに、こちらの全球探査レーダーがミサイルを捉えてからは、逃走するにせよ迎撃するにせよ、五秒弱しかない。もちろん今動くのは自殺行為だ。どの方向へ逃げても、こちらからミサイルに突っ込んでいくだけだ。

 あの戦闘機は、爆発に巻き込まれる覚悟を決めているだろうか。奴は、速やかに退去せよ、と言っただけで、いつまでに、とは言わなかった。ミサイル到着までの時間ー─すなわち艦までの距離を教えたくないのか、あるいはブラフの可能性もある。国連が核兵器を所有しているというのは噂だけで、確認は取れていない。本当にミサイルがこちらに向かっているとしても、通常弾頭なら被害は軽微で済む。そこに賭けて勝負すべきだろうか。  

 どうもこの艦全体を覆っている〝引け目〟が、自分にも伝染しているような気がする。ドアノブをいじっている時に、帰ってきた家人に見つかってしまったこそ泥みたいな気分だ、と艦長は思った。いやもちろん、こそ泥はやったことはないが、きっとこんな気分に違いない。

 (完敗か)

 まず実戦では成功した例の無い、それこそ絵に描いたような戦術に嵌ってしまうとは。次年度発行の戦術教本に、『ラダマンテス沖の戦い』として、みじめな一項が加えられるのは間違いなかった。

 教科書には、宇宙での基本的戦術が開陳されている。

 [その一 先に敵を見つけるべく、奮闘努力のこと]

 (まったく、あれを書いた奴は大バカだ)

 スタック艦長は以前から、執筆者に会ったらぶん殴ってやりたいと思っていた。

 どちらか一方にレーダーの飛躍的進歩が無い限り、相手を捉えた時は、こちらも捉えられているのが常である。もし同等の戦力なら、暫時睨み合って後、お互いにそっと引き下がる。格下と見れば徹底的にたたき潰す。戦術もクソもない。コンドルカンキに対しては、そうする予定だった。

 プランAー─国連事務総長もろとも、何の痕跡も残さずこの宇宙から消し去る。ラダマンテスを独立国家として承認し、親米政権を打ち立てるー─

 王様になりたい奴はどこにでもいる。既にラダマンテスの住民の中から、そういうゴロツキを選んで話をつけてある。

 もちろん、公式には事件の発生順序は少し変わることになる。

①ラダマンテスが独立

②アメリカが承認

③国連が怒って攻撃

④アウターリミッツは新国家の要請により、防衛のために出動

⑤国連軍、全滅

⑥めでたしめでたし

 (ホラ吹きバイコフめ、どうやってこちらを見つけたのだ? それともあの小さな青バエが、適当にそこらを飛び回って偶然に当たったとでもいうのか。この広い宇宙で、そんな偶然の出会いがあるだろうか。半径一〇〇〇光秒の空間の中を、何機の探査機を、どんなコースで飛ばせば、敵を見つける確率を最大限に上げることができるか、戦術研究所がシミュレーションをしたことがあったが、現実にはほとんど実行不可能だった)

「まだコンドルカンキの位置は掴めないのか」艦長は答のわかりきっていることを、つい聞いてしまった。そして部下から返ってきたのは、やはりわかりきっていた答だった。

「掴めません」

 

 「どこを探せばいいのかわかっていれば、そうむつかしくはないんだ」

 昔、シカゴの酒場で隣り合わせた酔っぱらいの元パイロットは言っていた。

「俺は得意だったね。演習では部分探査モードを目一杯延ばして、何度も当てたよ。本当だ。上官の受けは悪かったけどな。フロックだって。フロックなんかじゃないのに。どうやるかというと、だな。ウィ……

 俺の親父は川魚の漁師だったんだ。俺も子供の頃は毎日、川に入って手伝ったもんだ。ゲプ……ウィ……。

 あんた、泳いでる魚を素手で捕まえられるかね? そんなの無理? 都会育ちだもんな、見ればわかるよ。だけど俺にはできるんだ。得意だったね。俺は魚が次にどう動くか読めるんだ。フゥイイイ……」

 そして、カウンターに突っ伏して、悲しそうにこうつぶやいた。

「昔はさ、……田舎には……そんなガキがいくらでもいたんだよ……」


 敵に漁師がいたのだ。

 プランBに変更するしかない。艦長はマイクを取ると、戦闘機のパイロットに向かって言った。

「アメリカ空軍アウターリミッツ号の艦長、ロバート・スタックだ。我々には国連に敵対する意図は無い。合衆国大統領からのメッセージを預かっている。そちらの指揮官と話をしたい」


 作戦室は証券取引所のような賑わいを見せている。戦場が広大な三次元空間ともなると、古き良き時代のように、平面の地図の上で駒を動かしているわけにはいかない。様々な大きさのモニターが天井から吊り下げられ、部員はそれぞれ透過光の波長の違うサングラスで、自分の情報だけを拾って行く。

 遠距離用部分探査レーダーが、サーチライトのように深宇宙を走査して持ち帰った膨大な情報を、百人を超えるスタッフが分析に当たる。百人を超える怒号が飛び交う。コーヒーの紙コップが床に散乱し、ちぎれた書類が宙を舞う。

「その空域はもういい! いつまでやってるんだ!」

「すべて小惑星です。船ではない。小惑星です」

「コードを振っておいてくれよ。さっきから同じ小惑星を、何度も追い回してるじゃないか!」

 誰かが走って出て行き、また走って戻ってくる。ドアの開閉のたびに、風が起こって紙切れを巻き上げる。

「プランBだ! プランBに変更!」

「プランBに変更、了解」

「プランB」

「プランB」


 アウターリミッツ号には急遽しつらえられた作戦室がもう一つあって、こちらはこぢんまりとして対照的に静かだった。それもそのはず、エイリアンとの交渉に当たるテレパスの一団であり、あまり口を開く者はいなかったのだ。

(さっき報告があった。君のそのウィグル人のガールフレンドは、サマルカンド号でラダマンテスに向かっている)

(そんな。なんのために)

(やはりインジェク文書を見せるべきではなかった)

(しかしあの時、我々は手詰まりでした。彼女の能力が必要だったのです)

(彼女は正確に知っているのか?)

(彼女が知っているのは確かですが、どこまで正確かはわかりません)

(心を読んだんじゃないのか)

(まさか、断わりも無しにそんな失礼なことはしません! 私を何だと思っているんですか!)

 ギリシャ人青年アンドレアスが、他の覗き屋達を心の底から軽蔑していることが、そこにいる全員の心にはっきりと伝わった。


 「虎はかつて、西はアフガニスタンのあたりまで生息しておったんだ。カスピ虎と呼ばれていた。模様が変わっておってな、背中の黒い筋が二本にわかれるんだ。わしはあちこちの動物園で、その形質を受け継いでいる虎がおらんか、ずいぶん探したもんだよ」

 バイコフ艦長に虎の話をさせると際限が無いのだが、ロブレス事務総長も今回ばかりは我慢しなければならない。アメリカ第七艦隊は国連軍の指揮下に入ることを約束して、国連の領土に滞在することが許可された。エイリアンとの交渉には向こうも何人か同席させるが、主導権はこちらにある。こちらも優秀なテレパスを揃えている。

 「あんたはアフガン紛争に従軍したんだろ?」

「うむ、Mi-24戦闘ヘリだ。わしらパイロットはクラカヂールと呼ばれていた。クロコダイルのことだよ。だがわしはチグル、タイガーの方がよかったな。住民にも色々聞いてみたのだが、虎を見た者はいなかった。上空からわずかでも森が見えれば、その度に降りて探して見たのだが、足跡も無かったわい。やはり滅びてしまったのだろうなあ。残念なことだ」

 果たしてこの男は、まじめに戦争をしていたのだろうか?

 事務総長にはハンターの気持ちなどわからないが、ただバイコフのひげ面を見ているうちに、さっきの映画を思い出した。子供達が迷子のエイリアンを匿い、それを政府に雇われたハンターー─むちゃくちゃ悪い奴ー─が追い回す話だった。エイリアンが無事に宇宙へ帰るラストシーンで、総長はちょっと泣いた。

 おお! バイコフの顔は、あの悪者にそっくりじゃないか!

        


 ラダマンテス


 ミノス星系第三惑星・ラダマンテス。気温二十五度、雲はほとんど無く、空は熱帯の海の青さだ。その空の下に、起伏の乏しいテラコッタの赤い大地が広がる。所々に火山活動でできた、外輪山に囲まれた台地がある。L字形をしたエリュシオン高原もその一つで、標高約二千メートル、関東平野程の広さである。雨期になれば酸化第二鉄で血の色に染まる巨大渓谷レッドリバー・バレーがその中央を蛇行する。乾期の今は腰くらいの高さの枯れススキのような植物で覆われている。

 かつてラッフルズは、この星を〝最北の惑星〟と呼んだが、別に天文学的な意味ではない。単にこの星を最後に帰路についたというだけだ。彼は玄武岩の柱にサインを刻んだと手記に記しているが、その柱はまだ見つかっていない。市場には時々「ラッフルズのモニュメント」と称する岩が現れるが、どういうわけかみな、「アルキペラゴ最北の惑星」と刻まれている。ラッフルズがアルキペラゴという名称を思いついたのはずっと後だから、偽物であることはすぐにわかりそうなものなのだが、引っかかる人間は後を絶たない。

 ニサッタイは本物のモニュメントがどこにあるのか、およその見当を付けていた。見つけても、持って帰るなんて無体なまねはしない、拓本を取って売りに出すのだ。場所は秘密にして。その場所とは……絶対に、今歩いているエリュシオン高原なんかじゃない!

(あの眼だ。あの魔女め。俺に催眠術をかけやがった。でなければこの俺様が、あんなキャッチセールスに引っかかるわけがない)あの手の詐欺師は、もてそうにない男に目を付けるという。悔しい。

 「未知との遭遇ツアー」と書かれた黄色い旗を振りながら、相変わらずウィグルの青い民族衣装を纏ったアイジャマが行く。その後に、山のような荷物を担いだ寡黙な拳法青年リー君。背丈はニサッタイと変わらないが、細身で、鋼のように鍛えられた筋肉の持ち主だ。アイジャマの用心棒よろしく、決して彼女から離れようとしない。それに続いて十七人の能天気な老若男女。彼らはいずれ『被害者の会』を結成することになるだろう。

 ニサッタイはだらしなく行列からはみ出して歩いていた。こちらもリー君程ではないが、大荷物を担いでいる。重力は地球と変わらないのに、今日はやけに重く感じた。道が上り坂というだけじゃなかった。もしかして、頭の中を全て見られたかもしれないという恐怖感にとらわれていた。何という間抜け。   

 (あの女は、フィールド・ノートから俺のバカな人生をどれくらい知っただろう。もう〝墓掘り〟は返上だ、今日からは〝正直〟ニサッタイ君だ)

 何か憎まれ口をたたいてやろうとアイジャマに近付くと、リー君が拳法の構えをとってすごい形相で睨みつける。何だよ、あいつ。あのグッピーに惚れてんのか? 俺のことを恋敵とでも思ってるのか? 冗談じゃねえよ、まったく。

 あれはシャトルを降りる時だった。アイジャマのバッグから、ぐしゃぐしゃの札束と何枚かのパンフレットがこぼれ落ちた。ニサッタイが拾ってやったが、アイジャマは礼も言わず、それを慌ててバッグに押し込んだ。

(新しいパンフレットのラフだった。ウィグル語でなく、英語だったおかげで俺にも読めた。

「ファーストコンタクトの地ツアー」

 あの守銭奴め、このネタでまだまだ稼ぐ気だ。ー─エイリアンとの交渉を、大国に秘密裏にやらせてはならない、このことを、世界に伝えるのよー─とか何とか言ってなかったっけ。まったく、俺なんか足下にも及ばない悪徳商人だ)

 峠にさしかかって、ふいに行列の歩みが止まった。上空を何かが横切り、一瞬その影に入ったのだ。爆音がじきに追いついてきた。皆が上を見て歓声を上げた。巨大な、とてつもなく巨大な船だった。ニサッタイも思わず「うわっ。でけえっ!」と叫んだ。アメリカ空軍のアウターリミッツ。軍オタが泣いて喜ぶ代物だった。写真を撮らなくちゃ。こいつは高く売れるぞ。くそっ、荷物が重くて上を見るのがつらい。

 前方の急坂を下って一キロ程行った先に、狭い平坦地があった。巨船はその上空二千メートルのあたりに停止する。真下に直径二百メートル程の小さなクレーター。ニサッタイはようやく気付いた。今まで一行は、シャトルを降りてから一直線にそこに向かっていたのだ。アイジャマの言ったことは嘘ではなかった。彼女は正確に場所を知っていたのだ。

(何もかも本当だった。本当にエイリアンが来るんだ。って喜んでられるか。これなら詐欺の方がまだマシだ、冗談じゃねえ)

 船はもう一隻、国連カラーの青い軍艦がいた。これもかなり大きいのだが、アウターリミッツの横に並ぶと、タンカーと漁船だ。護衛の戦闘機が回りを取り囲んで、星のようにキラキラ光っている。ニサッタイはアイジャマの方に駆け出した。リー君に殴られても、これは止めなければ。

「中止だ! 中止しろ! ここは戦場になるぞ!」

 その声が聞こえたはずなのに、アイジャマは旗を差し上げて平然と言った。

「皆さん、着きましたよ。ここで、人類と地球外知的生命体との、歴史的なファースト・コンタクトの瞬間を、それはもうすぐです、待ちましょう!」

「アイジャマ!」

「それから、どうかご心配なく。アメリカ空軍は現在、一時的ではありますが、国連軍に編入されています」

「あ…?」

「我らが地球人代表・国連事務総長ナサニエル・ロブレス氏とエイリアンとの会見を、アメリカ空軍の無敵の戦艦アウターリミッツ号が警護します。……ニサッタイ、虫でも採ってれば?」

       

        

黄昏


 アウターリミッツから揚陸艇が次々に吐き出されて、地上に降りていくのが見える。工科隊だ。何度もシミュレーションをしてきたのだろう。無駄な動きが一切無く、照明塔に囲まれた野球場のような設備が、地から湧くようにでき上がっていく。

 リー君は、草を刈って整地すると、シシカバブの屋台を組み立て始めた。大荷物のわけだ。ディレクターズ・チェアと携帯テーブルが並べられ、ツアー客達はエイリアンとの会見場を見下ろしながら、写真を撮ったり、お茶、あるいはビールを飲んでいる。アイジャマの計画にそつは無かった。ここはアリーナの特等席だ。

 ニサッタイは離れた所で捕虫網を持ち、手持ち無沙汰にしている。斜面を風が上がってくる、いわゆる吹き上げで、普通なら絶好の採集ポイントなのだが、虫なんか全然いなかった。大体ラダマンテスは、生物相は貧弱だ。ラッフルズも一日足らずで引き上げたのだ。しかし逆に言うなら、ここは商売敵の来ない星だ。何か採れればそれは大珍品で、高値で売れる。この星へ来たがったのも、その程度のヤマっ気だった。

 ラダマンテスの時ならぬ建設ラッシュに参加すべく、ニサッタイもライトトラップ用のスクリーンを組み立て始めた。と言っても棒を二本立てて、間に白いスクリーンを張るだけである。日が暮れたらその前で灯を点ける。地球なら、カブトムシやらクワガタムシやら、にぎやかに飛んで来て楽しいのだが。

 早くも赤い顔をした客の一人が、ふらふらと近付いて来た。

「映画かね? ヒヒヒ。エッチなやつか?」

「うっせー、ハゲ」と怒鳴りそうになるのをこらえて、丁寧に説明してやる。

「いえ、衛生害虫の調査です。ロア糸状虫というのがおりましてね、御存知ない? 白くて細長い、ミミズのような虫です。こいつは人間に寄生して、皮膚の下を這い回るのです。何百匹も。ぞわぞわと。最後は眼球に出てきます。厄介な奴ですわ。ま、大した害は無いのですがね。不快害虫といったところですな。ははは。そのロア糸状虫を媒介するアブを、このスクリーンに集めます。もうすぐ、集まります。あ、あれかな。違うか。私? 私は予防薬を飲んでますから大丈夫」


 陽が傾き、空は次第に群青色を帯びてくる。鉄さび色の暗い満月が中天にかかり、地平線から雲が湧いてくる。気温が下がり、少し肌寒くなってきた。枯れススキが揺れ、どこか秋のようだ。

(日本を出る時、確かに蜜柑の花の香りがしていた。あれから何ヶ月になるんだろう)

 HID(高輝度放電ライト)ライトのスイッチを入れ、フィルターの波長は、紫外線をやや強くする。後は放っておけばいい。ニサッタイには、まだ陽のあるうちに試すことがあった。十年程前に一人の香具師(やし)が、カナブンのような翅の生えた虫の死骸を、このラダマンテスで拾っている。その標本は回り回って奇跡的に南方博物館に届けられた。しかしその後、何人かの研究者や標本商が訪れたが、この星で何かが飛んでいるのを見た者はいない。 

 ライトトラップから距離を置き、カーボンファイバーの捕虫網を目一杯の六メートルまで伸ばして空を睨む。ネットの口径は四十五センチ、(ラタン)の枠の特製品だ。    

 明るい間は姿を見せず、かといって、暗くなっても灯に集まることのない生物がいる。ほんのわずかの黄昏の間だけ、空を飛び回る。黄昏飛翔性(たそがれひしょうせい)。ニサッタイはその可能性に賭けてみた。

 シシカバのいい匂いが漂って来る。客達がざわめいている。空が暗くなって、会見場の灯が目立ち始めたのだ。ディズニーランドのようできれいだった。ニサッタイはできるだけ灯を見ないようにした。薄暮(はくぼ)の空に、眼を慣らさなければならない。時々黒い小さな物が、空を横切って消えるのを確かに見た。やはり何かがいるのだ。しかし、これはむつかしい採集法だった。虫はたいてい暗色で、背景との区別が困難な上に素早いのだ。腕を伸ばし、虫が飛ぶと目星を付けたあたりに、網を真っすぐに立てたまま待つ。腕の筋肉がぶるぶる震え出し、首が痛くなってきた。弾丸のように飛んで来た奴に、でたらめに網を振るった。ほとんど見えなかったが、竿をたぐり寄せると赤褐色の虫が二匹入っていた。透明な二対の翅を高速で振動させている。ニサッタイは息をついた。さすがは俺。

 さあ、シシカバとビールだ。ツアー代金に入っているはずだ。

「あつかましい」アイジャマが銜えタバコで言った。

「二割引で、その上、料金後払いのくせに」

 ぶつくさ言いながら、それでもシシカバ二本とビールを出してくれた。

 爆音がこちらに近付いてきた。国連の船を護衛していた戦闘機の一機が、高度を下げて向かってくる。さすがの酔客達も、浮き足立った。ニサッタイはアイジャマの顔を窺う。これは彼女にも想定外らしく、眼にちょっと不安の影がさしている。リー君だけは闘志満々だ。

 戦闘機は屋台の十メートルばかり手前でホバリングし、それからゆっくりと降りて来た。機銃掃射するつもりは無さそうだったので、ニサッタイはテーブルの下からそっと這い出した。

 ハッチが開き、タラップが降りて、アラビア数字の1と0が出て来た。いや、細長い人間と丸い人間だった。

「やあ、君たち、いいことしてるなあ」

「なんだ式部か……式部! 何! 式部?……ななななな何だお前!なんなんだお前!」

 式部仁三郎がマスクをはずした。顔の真ん中に三角形の跡ができ、コアラみたいだった。

「国連の、コンドルカンキに乗ってたんだよ。そしたら灯が見えたんだ。こんな所でライトトラップをやってるのは誰だろうと思ったら、ニサッタイだニサッタイだ」そう、抱きつかんばかりに、うれしそうに言った。

「こちらはマルコ君だよ。欧州大学院の教授で、超数学者だ」

 式部は横にいた細長い男を紹介した。

「初めまして。いや、なんと美しい。あなたこそはこの宇宙の、最高の数式の具現者だ」

 紹介されたマルコ・トレンティーノは、最初からアイジャマしか見ていなかった。ニサッタイが驚いたことに、アイジャマがポっと頬を赤らめた。戦闘機とさえ戦おうとしたリー君も、相手がイタリア人となるとさすがに不安そうだ。

 パイロットがタラップを降りて来た。ヘルメットを取ると、どこかで見たことのある四角い顔だった。

「こちらの方が安全だと思いましたので、お連れしました。お久しぶりです、ニサッタイさん」

「あ……あ? ああ、確かツクバで……」

「その節は、貴重な標本を安くお譲りいただき、ありがとうございました」

「そうだったっけ」

「佐々木君、ニサッタイから標本買ったの?」式部が、にこにこしながら聞いた。

「ええ、グレシット博士の、手書きラベルの付いた標本を」

 昆虫学者ジャドソン・リンズレイ・グレシット。少年時代を戦前の日本で過ごし、戦後はハワイのビショップ博物館の昆虫研究部長を務めた。そのため、日本の昆虫学者の多くが彼の世話になっていたが、先年、桂林で飛行機事故で亡くなっていた。

 式部が懐かしそうに言った。

「グレシット博士かあ。あの人は障害者達のリハビリと生計のために、施設に標本造りの仕事を卸していたんだ。だから彼の採集品は、全てきちんとラベルの付いた標本になってるんだね。それはすごい量だよ」

 佐々木三等空佐がニサッタイの顔をじっと見て、バリトンでゆっくりと言った。

「そう・で・す・か。たく・さん、あ・る・の・です・か」

 アイジャマが眼を眇め、口の端にかすかに意地の悪い笑みを浮かべて、ニサッタイを見ていた。悪徳商人は悪徳商人を知る。

「え? え? そうなの? 何だ、たくさんあったのかぁ。少ししか仕入れできなくて、貴重な物だとばかり思っちゃって……は、は、は」

 顔から血の気が引いてくる。リーといい、佐々木といい、何で体育会系筋肉バカどもは〝正直〟ニサッタイ君をいじめるのだ?

 式部が言った。

「ラベルは本物には違いないよ。それに、たくさんあっても、そうそう市場には出ないしね」

 佐々木はちょっとの間考えたが、すぐに笑顔になった。

「そうですね。あの標本はこれからも大切にします」そして船に戻っていった。

「私は上から、皆さんをお守りします」

 エタンダール戦闘機は、再び爆音とともに飛び立っていった。


 ニサッタイは、取ってきたシシカバ五本を地面に突き立て、ビールを持ってスクリーンの前にあぐらをかく。ネットを四十五センチ籐枠から六十センチの特大チタン合金枠、通称・強欲君に変える。

 読み通り、今ならアイジャマは気前がいい。マルコの前で、懸命にお上品に振る舞おうとしている。化けの皮が剥がれる前に、ツアー代金ももう少し値切ってやろう。

 式部がシシカバを載せた紙皿と、ビールを手にやって来た。

「このシシカバは、本当においしいねえ」

「いくらだった?」

「サービスだって」

「やっぱり」

「何か、採れた?」

 ニサッタイはウェストポーチから毒瓶を出して、式部に見せた。さっき飛んでいた虫だ。

「ほおーっ、すごい! これは変わってるね。前のとも違う。新種なのは間違いないけど、また系統的な位置づけがむつかしそうだね。新属かもしれない。二匹とも買うよ」

 感激してもらえるとうれしかった。標本商冥利につきる。

「いいよ、サービスだよ」

「僕じゃなくて、博物館で購入するから。今年は標本購入費にゆとりがあるんだ。二十万円でどう?」

 どうもこの男とだけは、俗っぽい話はしたくなかったのだが。

「御の字だよ。それよりお前、あそこにいなくていいのか?」ニサッタイは会見場を顎で指す。

「あそこは、本当に危ないんだよ。エイリアンよりも、人間がね。佐々木君はそういう空気を察して、ここに連れて来てくれたんだ」

 式部のような男が言うなら、それは真実、そうなのだ。戒厳令下の韓国に昆虫採集に行った、若い頃のことを思い出した。夜間外出禁止令が出ているのにも拘らず、夜中にうろちょろして、兵隊にM–16を突きつけられたのだ。そいつの眼に殺気が溢れていた。ニサッタイは震えながらパスポートを見せたが、もう少しで小便をちびるところだった。

 式部が続ける。

「それに僕たちには、たいしてできることもないしね。交渉はテレパスの人達がやるんだ」

「どんな話になるのかなあ…。幕末の、黒船みたいなもんか」

 日本人は既に似たような経験をしているのだから、これは世界のために大いに役立てるのではないか、などと、ニサッタイは柄にもなく壮大な構想を抱いた。

 式部が笑った。

「あの時日本人は、初めて比較対照可能な外部世界に触れたんだ。それで急にみんなが『我が国』って言葉を使い出したんだけど、では『我が国』とは何だろうって、誰にもよくわからなかったんだよね。愛国心ばかりが空回りしてしまったんだ」

 ニサッタイにも理解できた。今度は『我が地球』、あるいは『我々地球人』と言い出すのだ。で、それは何だ? 国連か? アメリカとG7か? よし、俺が坂本龍馬になって、国連とアメリカの同盟を……ニサッタイの妄想が膨らんだところに、式部が水をさす。

「交渉は難しいと思うよ。相手はたぶん、昆虫だから」

「こ、昆虫? 昆虫って……それは分類学上の昆虫綱(インセクタ)って意味?」

 相手が虫では、龍馬の出番は無いかも。

「うん。地球の昆虫が起源だね。相当古い時代に地球を飛び出したんだと思う。その昆虫から進化した知性体だよ。だから、ほとんどプログラム通りに行動するだけだろうね。外界に対しては、敵か食べ物か、あるいはどうでもいいものか、くらいの認識しかないんじゃないかな」

 アイジャマも同じようなことを言っていた。

「ちょっと待てよ。それじゃあ、知的好奇心は?」

「ほとんど無いんじゃない?」式部はあっけらかんと言う。

「それ、おかしいだろ。知的好奇心を持たない生物が、宇宙船を発明して、宇宙に乗り出したりするか?」

 式部は、シシカバをもぐもぐやりながら、わかりきったことのように答えた。

「地球で最初に空を飛んだ生物は、昆虫だよ。それにロケットの発明者もね。でもそれは、知的好奇心からじゃないよ」

確かに、ある種の甲虫は腹の先に燃焼室を持ち、過酸化水素と点火薬をそこで混ぜて爆発させ、噴射する。ヘッピリムシなどと馬鹿にされるが、その実体は完璧な化学燃料ロケットなのだ。また体構造だけでなく、昆虫の本能というのが、あまりにも精密で不可解だ。ミツバチの、幾何学的に完全な六角形の巣房、仲間に蜜の場所を教えるダンス、敵に対する戦術。学習ではなく、生まれながらに全て知っているのだ。だがしかし、その本能は宇宙船まで造らせるだろうか。

「この星に何しにくるのかも、わからないしね。ただそういう生態なんだ、ってだけで、意味は無いのかもしれない」  

「テレパスでも無理だと?」

「原始的な感情はともかく、住んでいる次元が違いすぎると翻訳不能らしいよ」

 式部がスクリーンを指差した。

「昆虫は紫外線を見ているけれど、それが一体どんな色なのか、仮に説明されたとしても、僕らには理解できないだろ?」

 式部はビールを飲み干すと、言った

「……去年、ツクバのサイバー研に呼ばれたんだ。テレパスの人と一緒にね。コンピューターに自我を持たせることにどうやら成功したみたいだ、確認してもらえないかって。

 確認なんて不可能だよね。ただのプログラムで、擬似人格かもしれない。僕は別に唯我論者じゃないけど、たとえば君が、自分は自我を持っている、ということを、僕にどうやって証明する?

 そいつは確かによくできていたよ。会話も滑らかだし、ジョークも飛ばすし。

 テレパスの人? こう言ってたよ。『ピカピカ光ってるだけだ』

 僕にはそれ、どういう意味かわからなかった。彼にも説明できなかった。結局、そこにいた三者、誰一人理解しあえなかったんだ。

 エイリアンの気持ちなんて、本当のところは、わかるわけないよね」

 式部は屋台の方に戻っていった。

 空は東の暗い群青から、西の淡いマリンブルーまで、見事なグラデーションを見せている。地平線は山火事のようなオレンジと赤。奇妙な星座の群れが、錆びた銅貨のような暗い満月を囲んで、誰も知らない神々と英雄の物語を紡いでいる。

(エイリアンがやって来て、世界が一変するかもしれないって時に、この俺のやってることは何なんだろう) 

 一キロ先の会見場の灯がさらに強くなり、その上空には大小のネオン看板と蛍の群れ。まるでラスベガスだ。

 あの灯にはたくさん虫が来ているかもしれないなあ。でも、のこのこ行っても、海兵隊につまみ出されるだけだろなあ。ニサッタイのスクリーンは、あれに較べると情けないほどしょぼかった。人間の眼には見えない紫外線域を強めているので、仕方が無い。まあ、おかげで物好きなツアー客も寄り付かず、煩わされることも無かった。客の眼は全て、会見場に釘付けになっている。

 最後のシシカバの串をくわえた時、式部が二匹で二十万の値を付けた奴が、スクリーンに止まった。本来は灯には来ないのが、来た。こういうことはよくある。エイリアンや昆虫なんて、わからないものなのだ。薩長同盟ならぬアメリカ国連同盟の構想はひとまず置いて、まずは商売だ。ニサッタイはそっと立ち上がり、捕虫網の長さを調節する。この十万円が、相当素早いのだけはわかっている。

 わずかに風が吹いた。スクリーンが微かに揺れた。虫は飛んだ。暮れゆく暗い空に向かって。ニサッタイは慌てて網を振り回した。手応えがあった、というより、ありすぎた。ぼこん、という音がした。あの小さな虫のわけがない。木の枝にぶつけてしまったのだ。

(くそっ。忘れていた。ここには大きな立ち木が……んなもん、あるか!)

 ハレーションでできた闇の中に、恐る恐る、網を差し入れてみた。ぼこん。ぼこん。何かに当たる。そこに何かがあるのだ。ニサッタイは、昼間の付近の景色を懸命に思い描いてみるのだが、やっぱり枯れススキと地平線だけしか浮かばない。スクリーンを照らしているHIDを、その上に向けてみた。


 式部はツアー客の前で、博物学について講演していた。話術なのか人柄なのか、客は皆、一様に話に引き込まれている。アイジャマとマルコもぴったり寄り添ってその中にいた。リー君は慣れない手つきでシシカバを焼いている。きっと涙で塩辛くなるに違いない。

「うわあっ! うわわあっ! ぐわぐわぐわぐわっ!」

 ニサッタイの下品な悲鳴が轟いて、その場の雰囲気をぶちこわした。マルコに出会って以来禁煙しているアイジャマは、かなりいらついていた。眉をしかめて「死んじまえ、マンジュメ、ばか」とウィグル語で毒づき、それからマルコに完璧なイタリア語で、下男の無作法を詫びた。式部は直ちに講演を中止し、シシカバの串をくわえてひっくり返っているニサッタイに駆け寄った。ニサッタイは這いずって、スクリーンから離れようとしている。

「どうしたの、ニサッタイ、大丈夫?」

「うわっ、うわっ、うえっ、うえっ、スクリーンのうえっ」

「スクリーンの上だね?」

 式部はHIDを持ち上げて、ニサッタイの指差すあたりを照らしてみた。

「これは、何と……」

 そこに紫外線を反射して、うす青い蛍光を発している物体が浮かんでいた。


 長径八メートル、短径三メートルの、楕円形の物体。和紙でできているような質感。ほんの三メートルの高さの所だった。式部、マルコ、アイジャマ、それにリー君がすぐそばに寄って観察する。アメリカザリガニのように後退したニサッタイは、遠巻きにしている客達の中に紛れ込んでいる。

「会見場の灯より、こっちの紫外線に反応したんだね」と式部。

「私、こわい」とマルコにしなだれかかるアイジャマ。リー君はエイリアンと戦って死にたい、と思った。

 突然、船の側面に銃撃を受けたように、七つの黒い点が現れた。さすがに四人とも、一歩後ずさった。

 黒点はほぼ三十センチおきに、横に並んでいる。マルコは、7は素数で、それはいいのだが、並びが直線でもサイン曲線でもなく、不規則に波打っているのが気に入らなかった。ひしゃげた北斗七星。

 黒点は次第に大きくなる。穴があきつつあるのだ。そして隣接した穴の広がりに押されて、間の壁が直線になってゆく。七つの穴の内、中の五つは六角形に近くなった。扉は開いた。

「中で何か、動いてる」と、覗き込んだ式部。

「うん、かすかな音がする。出てきたら、挨拶しなくちゃいけないのかな」とマルコ。

「ねえ、マルコ、何か数字を書いてみせたら? 円周率とか素数とか」

 アイジャマがそう言って、バッグからパンフレットのラフを取り出し、裏返しにして渡した。マルコはそれを受け取ると、大急ぎで何か書き始めた。

「出て来た!」式部にしては珍しく、緊張した声で低く叫んだ。

 左から二番目の穴に、ほとんどその口径いっぱいの、真珠の光沢を持った丸いものが顔を出している。その下側のわずかの隙間をこじ開けて、手らしきものが現れ、指が穴の縁にかかる。トゲだらけの、エビの群れを思わせる指だ。続いて穴から逆さまに、真下に滑り落ちるようにして全身が抜け出た。頭を下向きにしたまま、後の四本の足をX状に拡げ、船の側面にぶら下がる。それからカマキリのようにぐっと胸を反り返らせると、そこに居並ぶ人間達を見下ろした。

 カシューナッツの形をした、一対の大きな褐色の複眼。額には、三つの琥珀色の単眼が逆三角形に並ぶ。たくさんの関節でできた腕を、胸の前に複雑に折り畳んでいる。長い触角が、空気を探って盛んに動く。

 時間が凍りついた。


 戦闘機の爆音が静寂を破った。向こうでも気付いたのだ。頭の上を、国連とアメリカ軍の何機もの戦闘機が舞っていた。数台の地上車両がこちらに向かって疾走して来る。あのどれかに、国連事務総長が乗っているかもしれない、とアイジャマは思った。

 エイリアンとその宇宙船に、上空から光の束が投げかけられる。通常の可視光線は、紫外線で見るのとは全く違うエイリアン本来の体色を浮かび上がらせた。

 それは、輝く宝石だった。

 全身、深い深い海の淵を覗き込むようなブルー・サファイア。体側(たいそく)に何列にも敷き詰められた深紅のルビーのボタン、黄金色の眼。光の角度によって、色は絡み合い、燃え上がり、躍った。サファイアはエメラルドの金緑色へ、そして輝く赤銅色へ、赤銅色から再び金緑色へ。突然、背中の四枚の翅が帆のように広げられる。オレンジに縁取られた、アメシストの紫の網。

 耳をつんざく甲高いパルスが響き渡り、HIDが火花を上げて停止した。降り注いでいたサーチライトも同時に消えた。宝石の輝きは失われた。昆虫は、今は蛍光の名残を冷たく燃え上がらせて、青白く、鬼火のように浮かんでいる。

「どけ!」

 いつの間にか前に出て来ていたニサッタイが、コンタクトを試みるアイジャマとマルコを乱暴に押しのけた。アイジャマが怒って何か叫んだが、もう聞こえてはいなかった。

 夕闇の中、ニサッタイ・コジュウロウは顔面を蒼白にし、捕虫網を握ってエイリアンの前に立ちはだかった。


 (ラタン)の甘い香りがした。

 暗い藍色の空のどこかで、微かに筒鳥(ツツドリ)が鳴いている。

 二匹の犀鳥(サイチョウ)の形をした星座が、般若心経を唱えながら瞬いている。うがいでもしているような変な声だ。

 きっと、スペイン人が死んだのだ、スペイン語でお経を上げている。ポクポクポクポク。コジュウロウの無益な殺生をやめさせねば。ポクポクポク。こら、どこへ行く。宿題は済んだのか? 網なんか持って、あいつは何をやらかす気だ? まさか!

 誰か、あの馬鹿者を、止めてくれーーーーーーーーー!

  

 金緑色に輝く蝶を追って、森の中を走っていた。何かにつまずいて空が回転し、地面に叩き付けられた。膝がずきずきと痛む。ズボンが破れて血が滲んでいた。手のひらも擦りむいて、黒い土が食い込んでいる。小遣いを貯めて買った捕虫網が真ん中から折れて、草の中に落ちていた。緑色のバッタが、無惨に破れた白い網にとまってこちらを見ていた。

 絶え間無い蝉時雨と、むっとする草いきれの中、少年は懸命に涙をこらえて、空を見つめていた。十二の夏。永遠の黄昏。

 あの日からずっと、俺はお前を追っていたんだ。二度と逃がしはしない。

〝墓掘り〟ニサッタイは眼に涙をいっぱい溜め、指の関節が真っ白になるまでカーボン・ファイバーの捕虫網を握りしめた。

 地平線が一本の赤い針になり、そして闇が降りた。

 


  墓掘りニサッタイの伝説                            


(それからどうなったの?)

 カシュガル、冬の夜。おとぎ話が大好きな女の子、四歳。

 寝る前にお話をしてくれたおばあさんは、隣で静かな寝息をたてている。女の子はいつものように、そっと夜具から抜け出す。

 アーチ型の観音開きの窓が少し開いていて、声は外の闇の中からやってくる。足音を忍ばせて窓辺に行き顔を出すと、冷気と質の悪い石炭の煙の匂いで、鼻の奥がツンとした。黒々としたポプラの梢で星が瞬いていた。

(この物語はこれでおしまい。新しい物語を聞きたい?)

(どんなお話?)お話は大好きだ。

 毎晩聞こえてくる不思議な声のことは誰にも秘密だった。おばあさんならそれは魔神(ジン)の仕業だと言うだろう。そしてあたしを、声の届かない暗い部屋に閉じ込めてしまうのに違いない。でも魔神だとしても、きっといい魔神なのだ。おばあさんも知らないような不思議な物語を、たくさん教えてくれるのだから。

 巨人オリオンとサソリの話。カシオペアとその娘アンドロメダ、そして英雄ペルセウスの冒険。天空を支えるアトラスの七人の娘、プレアデス(すばる)達。

(でも、六人しかいないのは、なぜ?)

(そう、エレクトラはトロイの陥落の日に、悲しみのあまり流れ星になって姿を消してしまったんだ……)

 (彼女を見つけよう、もう悲しまないでと言ってあげよう)

 ある夜思い切って外に出てみると、声は夜空いっぱいに満ちているのがわかった。それは星座だった。長い年月、人々が思いを込めた星座は、天空に描かれた絵文字でもあったのだ。                    

 今、ラダマンテスの空の星々が、滅びた種族の神話をアイジャマに伝えようとしている。それは百万年の時を経て、形はずいぶん変わってしまっていたが。                                             

 「……天空を支配する大グモのベンと、大地の精霊・大ムカデのセロ……」

 アイジャマは短い指で、崩れた星座の形をなぞっていく。

「……その戦いは何千年もの永きにわたった……」               

「……英雄ドロが現れてセロを助け、ついにベンは天界を追われた」

 南の空に、小さな星に囲まれた女性の顔があった。ああ、ラッフルズの妻だ。彼はこの最果ての地で、愛する妻を星座にして偲んだのだ。


 いつまでたっても目の前が真っ暗だった。ようやく、今は夜だというのを思い出した。背中が冷たい。岩に凭れて座り込んでいるのだった。星明かりで、側に愛用の捕虫網が落ちているのが見えた。チタン合金の枠がねじ曲がり、網が焼け焦げている。

 (もう、使い物にならねえや)

 ずいぶんと静かだ。誰もいないのかな。ゆっくりとあたりを見回すと、少し離れた小高い所に、満天の星空を背景にして黒い人影があった。ぎょっとした。何だ、アイジャマか。

「お前、そこで、何やってんだ?」

「星を見てる」

「そっか。ロマンチックなことで。いてて。おい、誰か俺を殴ったろ」

「て言うか、袋だたきだったよ」

 ニサッタイは頭のたんこぶをさすりながら、懸命に何かを思い出そうとした。

「……そうだ、どっかのジジイがポカポカ殴りやがった……」

 犯人は国連事務総長だと言ったら、信じるだろうか。

「リー君が止めてくれたんだよ。手当てもしてくれたし。彼、医術の心得もあるからね。戻ったらちゃんと礼を言うんだね」

「みんな、帰ったのか? 式部はどうした?」

「ドクター・シキブは国連の船で帰った。ほかのお客さん達はシャトルに戻ってる」

 ニサッタイはよろよろと立ち上がろうとした。

「じゃ、急いで戻らなくちゃ」

「慌てることはないよ、座ってな。時間はあるから」

「……おい、エイリアンはどうした。会見はうまくいったのか?」

「あはは、だめだったよ、逃げるようにどこかへ行っちゃった」

 暗くてよくわからないが、アイジャマはずっと背中を向けたまま、夜空を見上げている。あ、そうか!

「アイジャマ! お前、泣いてんのか? マルコに振られたんだ!バカだねえ。んなもん、付け焼き刃で上品ぶったってダメなんだよ、ああいうインテリ男はな、もっと、こう……」

 アイジャマが振り向いた。笑っていた。黒い影の中、大きな瞳が星を映して、水晶のようにキラキラと輝いていた。彼女は、星々の言葉を汲み取る古代の巫女だった。

 

 アイジャマの持つタバコの火が、蛍のように前を行く。ニサッタイは大きな荷物を担ぎ、破れた網を杖にして、とぼとぼとその後をついていく。

「腹が減ったな。シシカバはもう残ってないか?」

「シャトルに戻れば、まだ少しあるよ。ああ、あんまり上を見ちゃだめ、脳震盪起こしたんだから」

「そうなのか?」 

 彼女はニサッタイに星を見せたくなかったのだ。あの、二羽の不格好な鳥の星座。誰の仕業か一目瞭然、これ以上妙ちくりんな星座を造られては堪ったもんじゃない。まったくそいつらときたら、生みの親の性格そのままだった。壊れたラッパみたいな鳴き声を、いつまでも異星の夜空に響かせていた。

 がさつでうっとうしい男を、それでも時々は振り返ってやる気遣いを見せて歩きながら、アイジャマは星を探した。ほら、あった。網を振りかざして、大きなカマキリに立ち向かっていく男が空にいた。その背中で、若い娘が男のケツに蹴りを、あ、いや、取りすがって泣いている。

「おい、〝墓掘り〟ニサッタイ。あんたって、伝説になるよ」

「はあ? 何だ? そりゃ」

 アイジャマは、それもいいだろうと思った。

 そうだ、この夜空いっぱいに描いてやろう。今日起こったことや、それから、もっともっとたくさんの、誰にも知られていない物語を。神々でも英雄でもない、ちっぽけな私達の、ちっぽけな冒険の物語を。それは、遥かなるアルキペラゴの伝説として、きっと星々が永遠に、この宇宙の片隅に留め置いてくれるだろう。

 西の空に流れ星がひとつ、ほんの一瞬青く輝いて消えた。どこかで、エレクトラが笑ったような気がした。 (完)               



アルフレッド・R・ウォレス「マレー諸島」は思索社 宮田彬 訳 

ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」は旺文社 高村勝治 訳 による。



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