2.十一人の村人
僕たち三人が村長の屋敷に到着した時には、すでに何名かの村人が集まっていた。僕たちは、屋敷の一番奥にある広い部屋に通された。そこには六名の男女がいた。
「みなさん、遅れてしまって申し訳ありません。こちらは甥の飯村和弥です。それから、こちらが行商人の猫谷さん。今夜、七竈にお泊りのご予定です」と、志乃が僕たちを紹介した。
「へえ、志乃さんの甥ということは、綾乃さんの息子さんなのだね。和弥君といったかな? わたしは高椿精司と申します」と、タキシード姿の小柄な男が真っ先に反応して、右手を差し出し、僕に握手を求めてきた。僕は素直に応じた。
「なるほどね、綾乃さんのように品の良い顔立ちをしている……」
「母をご存じですか?」
「ああ。わたしがまだ小さな少年の時に山向こうの村から嫁がれてきたのだが、本当に清らかで美しいお方でねえ。結婚式の行列では、どきどきしながら眺めていたものだ。でも、どこかさびしげな表情を、時々、されることもあったなあ。子供心によく覚えているよ」
「そのあと、母はどこにいったのですか?」
「ええと、相手は二男坊だったから、結婚した後は、東京かどこかにいって暮らしている、という噂は流れていたけど……。そんなことは、むしろ、君自身の方がよく知ったことじゃないのかい?」と、子爵は逆に問い返してきた。
「おっしゃる通りなのですが、東京に出て僕を生んだ後で、母はすぐに死んでしまったのです。父も僕が九つの時に事故で他界しました。僕は父方の親戚の下で育てられました。実際、鬼夜叉村にやってきたのは、今日が生まれて初めてです。みなさんには、長い間ご無沙汰しておりまして、大変申し訳なく思っております」と、僕は深々と頭を下げた。
「そうだったのか……。いや、そんなことは気にしなくていいんだよ」
子爵はねぎらいの言葉をかけてきた。「それじゃあ、ここに居る村の衆を、順番に紹介することにしよう。まず、あちらに座ってみえるのが、蝋燭職人の菊川さんだ」
子爵がちらりと目を配った黒背広の男は、顔全体が包帯でぐるぐる巻きに覆われていて、まるで古代エジプトのミイラのような不気味な姿をしていた。他人との会話が嫌なのか、一人ポツンと離れて、座布団に胡坐をかいて座っていた。
「顔の包帯は、昔、事故で顔の半分を大やけどしてしまったためと噂されている。詳細は不明だがね――」と、周囲には聞こえないような小声で、子爵が耳元で囁いた。
「そして、あちらにふたりいる女性だが、騒いでいる方が宮田鈴代さんという。鈴代さんは、バス停近くにある鬼夜叉神社の世話をしていて、ちょっと性格は変わっているけど、根は悪い人ではない。もう一人の若い女は、わたしの家で小間使いをしている東野葵子だ。ああ見えて、非常に利口な娘だな……」
僕は最初から気づいていて目を合わせないようにしていたのだが、向かいの端に座っているのは、樫の木の下で僕たちを脅した中年女だった。村の長が死んでしまうかもという深刻な事態にもかかわらず、用意された酒に酔っぱらって、すっかり上機嫌になっている。その隣で、背筋をピンと伸ばして正座しているのは、見た感じはまだ二十歳前後に見える女性だった。黒を基調とした薄手の洋服に白いエプロンをまとい、衛生的な白のヘアバンドで髪をとめていた。細身で華奢な体つきをしており、幼顔に似つかわず、どこか落ちついた雰囲気がある。
「それから、あそこでお手玉を遊んでいる少女が、村長の一人娘の梅小路琴音嬢だ。可愛らしいお嬢さんだが、少々知恵おくれの気があるんじゃないかとの悪い噂も立っている。真実なのかどうかは、わたしにはわからないけどね――」
そういって、子爵はひとさし指を伸ばしてこめかみのまわりをくるりとまわした。僕は、縁側に座っている緋色の振袖を着た雛人形のような美少女を見つめた。彼女は、意味不明な歌を口ずさみながら、一人でお手玉に興じていた。
「最後に、あそこにいるとびきりの美人が……」
子爵が、志乃の隣にいる長い黒髪の女性に目を向けた時、突然、軍服姿の大柄な将校が飛び込んできた。
「おおい、大変だ。たった今、隣村からの電話で、土砂崩れで道路が分断されたという連絡があった。当分の間、バスは村までやってこられないそうだ!」
「おいおい、それじゃあ、こんな村に立ち往生ってことかい!」
知らせに驚いた猫谷が、真っ先に声を張りあげた。その直後、猫谷は自分の失言に気づいたのか、恥ずかしそうに顔を伏せた。
子爵は、将校にちらりと目を配ると「彼は土方中尉だ。普段は松本の駐屯地に勤務している。たまたま、今は帰省していたんだな。それから、七竈の女将さんの横に座っている絶世の美女を見たまえ。彼女は西園寺都夜子さんといって、ついこの前、夫を亡くしたばかりの未亡人――、いわゆる、後家さんってやつだ」
僕は都夜子さんに目を向けた。確かに鬼夜叉村の女性はみな美人ぞろいだ。しかし、その中でも都夜子さんは別格だった。長い黒髪が艶々とたなびき、上品な形状の口もとは清らかな薄紅色を呈していた。吸い込まれるように魅惑的な濡色をした瞳が、どこかもの悲しげに潤んでいる。未亡人ということが、とても信じられない。すべすべした桜色の柔肌は、女学校を卒業したばかりの生娘を思わせるしなやかさがあった。
時は子の刻(午後十一時から午前一時まで)に入っていた。子爵はさっと立ち上がると、遠慮して誰もがいえなかった台詞を、堂々と口にした。
「さあ、今日はもう遅くなってしまったことだし、いつまでここにいてもご迷惑だろうから、そろそろ引き上げようか?」
とその時、梅小路家で執事を務めている大河内青年が、血相を変えて飛び込んできた。
「大変です。旦那さまが、旦那さまが……」
一同はいっせいに席を立ち、村長の寝室へと向かった。しかし、途中で、彼らの眼前に立ちはだかったのは、うつせみとは思えぬ程、蒼白な形相をした老人であった。足元はかなりおぼつかないものの、獲物を狙うかのごとく血走った眼球が爛々と輝いていた。たまたま先頭にいた子爵を見つけると、老人は狼のような牙をむき出しにして、飛び掛かってきた。さすがの子爵も圧倒されて、腰から後ろに崩れ落ちた。老人は上に覆い被さって、まさに子爵の咽喉もとを食い破らんとしている。
「誰か、たっ、助けてくれ!」と、子爵が悲鳴を上げた。
腕力に自信のある土方将校が、後ろから老人を羽交い絞めにすると、強引に子爵から引き剥がした。
「大丈夫か?」と、猫谷が子爵にかけよった。
「うん、なんともない――」締め付けられた咽喉もとを苦しそうに抑えながら、子爵が答えた。
「うわあ!」
今度は将校が老人に振りほどかれた。「畜生。なんて、馬鹿力だ!」
老人は、今度は獣のように四つん這いになって身構えた。しかし、それも束の間、苦しそうに顔をゆがめると、おぞましい呪いの言葉を発して、うつぶせに倒れ込んだ。まるで、悪魔にとりつかれたかのようにのた打ち回る老人の姿は、見るもの全員を凍りつかせた。やがて、小柄な老人の身体は、見る見る灰と化してしまった。
「きゃー!」
叫び声を残して志乃が卒倒した。傍にいた都夜子が女将の身体を抱きかかえた。
「そうれ、みろ! この和弥という若者がいかんのじゃ。こやつがこの村に災いを呼び込んでしまったのじゃ!」と、鈴代がここぞとばかりに甲高い声を発した。
「お父さまが、灰になっちゃった……」と、呆然として、令嬢が回廊に立ち尽くしていた。
そしてこの事件は、この村でこれから繰り広げられるおぞましき惨劇のほんの序曲に過ぎなかったのである。山奥の平穏な鬼夜叉村には、すでに恐ろしい魔の手が忍び寄っていた。吸血鬼に感染した村長の寿命は、たった今尽きたが、ここに居る十一名の男女の中には、真性の吸血鬼が二人も紛れ込んでいたのだ。さらにこの晩、見てはならない吸血鬼王の姿を直視してしまった村人の一人が、王に魅了されてしまった。