14.不可解な鬼たちの行動(四日目、日中)
明るい光が差し込んできた。暖かな日の光……。僕は、今、生きている……? 吸血鬼の襲来はなかったのか?
「妙だな……」と、僕は布団で寝転んだまま、紙巻きたばこを取り出して一服燻らせた。徐々に体内に血がめぐってきて、生きている実感が湧いてきた。
喜びが一気に込みあげてきて、僕は腹を抱えて笑い転げた――。
ふと我に返ると、今度は志乃さんの安否が気になってきた。僕は布団をはねのると、急こう配の階段を一目散に駆け下りた。彼女は台所にいた。
「あら、和弥さん。どうしたの、そんなに慌てふためいて……?」
「ああ、いえ、志乃さん……、ご無事で何よりです!」と、僕は息を切らせながら答えた。
「何、いってんのよ――」と、志乃はまんざらでもなさそうであった。
僕と志乃さんは、村長の館に向かって足を運ぶ。時は辰の四の刻(午前八時半から九時まで)だ。蝉の声がしだいに騒々しくなっている。一匹のおにやんまが目の前を悠々と通り過ぎた。村長の館に着いたが、出迎えは誰もいなかった。
もしかして、琴音お嬢さんが、単独で殺された……? まさか、そんなことがあり得るのか?
僕の背筋に一瞬冷たいものが走ったが、それは杞憂と判明した。しばらくすると、両手で眠そうに目元を擦りながら、琴音が玄関口に現れた。
「まあまあ、志乃さんに和弥さん。今日もよう来てくれたわ。さあ、あがって頂戴」
「それじゃあ、遠慮なく――」と、僕は革靴を脱ぎはじめた。
相変わらず、梅小路屋敷の廊下は、とてつもなく長い。とぼとぼ歩くうちに、またもや気がかりなことが浮かんできた。他でもない、都夜子さんの安否だ。吸血鬼が、僕や志乃さんを差し置いて、何の能力もなさそうな未亡人を襲うとは、ちょっと考えにくいことではあるが、そのまさかが起こっていたら……。都夜子さんの愛らしい笑顔が、まぶたの奥に浮かんでは消えていく。
ようやく、奥の居間にたどり着くと、そこには二人の人物が居た。一人は座布団に姿勢よく正座している、茜色の着物を纏った都夜子さんだった。僕の肩の力が一気に抜けた。そしてもう一人は、都夜子さんから少しだけ距離を置いて申し訳なさそうに壁際にたたずむ、黒の女中服に白いエプロン姿の小間使い葵子だった。
後家都夜子「ああ、和弥さん。生きていらしたんですね……」
小間使い葵子「みなさま、ご無事で何よりです。今日こそ勝負が決する日だと思います。気を引き締めてまいりましょう」
いつも冷静沈着な葵子だが、僕が部屋に姿を現した時、ふとその表情がいくぶん和んだような気がした。
令嬢琴音「それでは、現時点ではっきりしたことを報告するわね。ゲームはまだ続いているんよ。つまり、うちたち五人の中に、吸血鬼はまだ潜伏しています! そして、昨日亡くなった方は、処刑された猫谷さんと……、土方中尉さまです! 詳しい死因は、むろん、うちにはわかりません。でも、状況から察するに、吸血鬼に襲われた、としか考えられんけど」
書生和弥「その……、実に不思議なのですが、吸血鬼は――、ひょっとしたら吸血鬼たちは――なのかもしれませんが、どうして僕や志乃さんではなくて、中尉を襲ったのでしょう? 全く理解できません!」
令嬢琴音「さあね。そんなん、うちに訊かれても、答えようがないやん。鬼さんに直接訊いてみたら? あはは……」と、令嬢が無邪気に笑った。
後家都夜子「和弥さんには失礼ないい方になってしまいますが、本当に不可解ですよね。吸血鬼側にとって、和弥さんよりも将校さまを襲うことが優先される理由なんて、何かあるのでしょうか?」
女将志乃「考えられる理由が一つだけあるわ。吸血鬼側が、琴音お嬢さまの想い先を土方中尉だと思ったからよ!」
書生和弥「どういうことですか?」
女将志乃「吸血鬼が勝利を収めるためには、琴音お嬢さまの想い先を抹殺することが必要条件よね。そして、吸血鬼側には、あたしたちが知らない何らかの情報があって、和弥さんよりも中尉さまの方が、琴音さんの想い先である可能性が高いと判断した。結果は的外れであったけどね……」
令嬢琴音「そういうことなんやろか? でも、もうばれちゃったわね。うちの想い先はね……、和弥さん、あんたなんよ――」と、琴音の唇が、恥ずかしそうに小さく動いた。
確かにそう結論付けられる。なにしろ、生き残っている男は、僕一人だけなのだから……。
書生和弥「しかし、僕以上に中尉を想い先だと断定する理由って、いったい何ですか? 現に琴音お嬢さまは、はっきりと中尉は想い先でないと、昨日、告白されたじゃないですか」
女将志乃「そうよね。あたしも吸血鬼じゃないから、奴らの気持ちなんかわからないわ。でも、事実からそう考えざるを得ないじゃない?」
小間使い葵子「女将さまには、そろそろ、本日の調査をお願いしたいですけど……」
女将志乃「そうね。でも、その前に昨日調査した鈴代さんの遺言から伝えておくわ。といっても、彼女は簡単な遺言しか残してないわね。まず、和弥さんに関する個人的な恨みつらみの文章からはじまって……。あっ、ここんとこは省略しておくわね。あまりいい言葉じゃないし……。そして、最後に、自分は村人だといいきっているわ」
後家都夜子「たった、それだけ……、ですか?」
女将志乃「そうね、あたしからみて、役に立つ情報は書かれていないわね」
書生和弥「つまり、彼女は使徒であった、ということですか? 最初から僕たちを混乱に貶めるためだけに行動をしていたとでも……?」
女将志乃「さあ、どうかしら。今となっては、真実は闇から闇というわけね」
後家都夜子「大河内さんか、鈴代さんか? いずれにせよ、使徒はすでに死に絶えていると考えてよさそうですね?」
小間使い葵子「安易に結論付けない方が良いと思われます。鈴代さまの和弥さまに対する嫌がらせは酷かったけれど、それだけで彼女が使徒であったということには、必ずしもならないと思います」
女将志乃「あたしも小間使いに賛成ね。鈴代さんのことをあまり論理的に取り扱わない方がいいと思うわよ。さて、じゃあ、どなたを調査いたしましょうか? 当然、昨日の犠牲者の将校さまか猫谷さんのどちらかだと思うけど」
書生和弥「やはり猫谷さんでしょう。中尉の死因は明らかに失血死ですから」
女将志乃「ということは、昨日の間に、感染者が出ていることもあり得ないわけね。もっとも、吸血鬼はあと一人しかいないはずだから、物理的に感染者を生み出すなんて無理でしょうけどね……」
志乃は猫谷の遺体にそろそろと近づくと、静かに調査をはじめた。暫しの沈黙の後、彼女の口がゆっくりと開いた。
女将志乃「調査は済んだわ……。でも、何ということでしょう。あたしたちはとんでもない見当違いをしているわ!」
明らかに志乃は取り乱していた。僕は心配になって声をかけた。
書生和弥「落ち着いてください。いったい、どんな結果が出たというのですか?」
そして、直後の志乃の返答は、僕たち全員を恐怖のどん底に叩き落とすものとなった……。
女将志乃「猫谷さんの遺体を隈なく調べたわ。そしたら……、ああ、何ということでしょう。彼の正体はね……、無能力の村人なのよ!」
その瞬間、何もかもがわからなくなった。目の前がぐるぐるとまわり出して、やがて、回転はゆっくりと収束していった。
猫谷がただの村人だった! これまでにいったい何人の『ただの村人』が登場しただろうか? まず、僕自身、高椿子爵、霊媒師鈴代、行商人猫谷の四人は、確実に無能力の村人であったことになる。そして、吸血鬼に失血死させられた大河内青年、蝋燭職人菊川、将校土方中尉の三人も、確実に吸血鬼ではない!
逆に見れば、僕を除いた四人の女性の中には、二人の吸血鬼が紛れ込んでいることになってしまう。そんなことが……、まさか? となれば、村側が勝利するためには、今日の処刑で吸血鬼の一人を倒すことが必然となる! いや、それでもだめだ。今晩、僕が襲われれば、同時に、琴音お嬢さまも後追い自殺をしてしまう。村側の勝利は万が一にもあり得ない!
いや、本当にそうなのだろうか? 落ち着いて考えるんだ――。死んだ人間のことまで考えて、全てをきちんと説明する真相をつかむのだ。例えば、猫谷だ――。奴はただの村人でありながら、なぜあんな嘘を吐いたのだ? 彼の昨日の行動は、結果的に、村側を破滅に導いている気さえしてくる。ひょっとして、奴の正体は……、使徒――!
令嬢琴音「もう、全てがあかんわ! うちら村側の勝利は絶対にあらへんよ」
女将志乃「何かおかしなことが起こっているのよ。あたしたちは何か大事なことを見落としている……」
後家都夜子「でも、全てをきちんと説明することなんて……?」
みなが自己を見失って狼狽えていた。しかし、その中で一人だけ冷静沈着な人物がいた。
小間使い葵子「どうやら、わたくしたちは鬼側に完全に追い込まれてしまったようですね。でも、ここで、わたくしもささやかな反撃をさせていただきます」
令嬢琴音「反撃やって……? 所詮は、小間使いのあんたに、いったい何ができるんよ?」
小間使い葵子「わたくしはじっと時を待っておりました。昨日、猫谷さまが天文家を騙った時にも、じっと耐え忍んで事実を隠してまいりました。ただ今より真実を告白いたしましょう。
わたくしの正体は――、天文家です!」