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『出来損ないの四男は、魔法を仕組みに変える』 ―― 辺境伯家の四男による異世界魔導革命  作者: トトト
◆ 第一部 辺境の灯火 / 第一章 転生と解析

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第005話 鍛冶屋の娘ティナ

テオが焔を灯してから、俺の頭を占めていたのは次の一手だった。


1人が一度、豆粒ほどの火を灯せた。

それは大きな一歩だ。

だが、まだ「点」にすぎない。

点を線にする。

線を面にする。


多くの人間へ配れるだけの数の道具を、同じ品質で作れるようにしなければならない。

1人だけが使える魔法では、結局のところ、属人的な才能と大差がない。

問題は明白だった。

俺とテオの工作技術が、あまりにも拙い。


「また失敗ですか」


納屋の木箱の上で、テオが焦げた木片をつまみ上げた。


「失敗というより、不良品だな」


「同じじゃないですか」


「気分が違う」


火種盤、試作13号。

中央の紋様がわずかに歪み、起動と同時に魔力が逸れて木片を焦がした。

危険なほどではない。

だが、これを人へ配ることはできない。

俺の『解析』には、どこが間違っているのか見えていた。


線の角度。

溝の深さ。

接続点の位置。

ほんのわずかな違いだ。


けれど、それを見抜けることと、正確に彫れることは別の能力だった。

設計はできる。

製造ができない。

前世なら、仕様書だけ完璧なのに実装できるエンジニアがいないプロジェクトだ。

最悪である。


「テオ。これ、同じものを10個作れると思う?」


「無理ですね」


即答だった。


「2個なら?」


「たぶん違うものが2個できます」


「正直でよろしい」


俺も同意見だった。

火種盤を実用にするには、再現性がいる。

1個作れた。

では駄目だ。

10個作って10個動く。

100個作って99個動く。

できれば100個全部動く。

その状態まで持っていって、初めて仕組みになる。

俺は机の上に並んだ木片を見つめた。

必要なのは、腕のいい作り手だ。

細い線を同じ深さで刻める。

同じ形を何度でも作れる。


そして、こちらの設計を理解しながら改善できる人間。


「職人を探そう」


俺が言うと、テオは首を傾げた。


「屋敷の職人に頼むんですか?」


「いや」


屋敷付きの職人へ正面から頼めば、父か兄たちの耳に入る。


まだ早い。

それに、俺は別の場所を見たかった。

屋敷の外。

領民の暮らす場所を。


「村へ行こう」


「俺もですか?」


「君は土地勘があるだろう」


「ありますけど……ルクス様、勝手に出て大丈夫なんです?」


「出来損ないの四男だからね」


便利な肩書きだった。

誰も期待しない。

誰も警戒しない。

誰も予定を管理しない。

その自由を、俺は最大限使うことにした。


---


屋敷から麓の集落までは、子どもの足で半刻ほどかかった。


歩きながら、俺は何度も足を止めたくなった。

畑が、痩せている。

遠くから眺めていたときより、ずっとひどかった。

土は白っぽく乾き、作物の背丈は低い。

畝の間には雑草すらまばらだ。

農家の男が鍬を振るっている。

身体は細い。

服は何度も継ぎ当てされていた。

道端では、子どもが薪を拾っている。

俺より年下だ。


「この辺、いつもこんな感じ?」


俺が聞くと、テオは不思議そうな顔をした。


「こんな感じって?」


「畑」


「普通ですよ」


その答えが、いちばん重かった。

これが普通なのか。

屋敷も貧しい。

だが、領民はもっと貧しい。


辺境伯家の帳簿だけ見ていても、本当の問題は分からない。

現場を見なければならない。

前世と同じだった。

会議室の数字だけで会社を語る経営者ほど、現場から遠い。


俺は覚えておくことにした。

今日は職人探しだ。

だが、この土地の問題は、いずれ必ず向き合う。

そのとき。

カン。

澄んだ金属音が響いた。

カン。

カン。

一定の間隔。

迷いのない打音。

俺は足を止めた。


「鍛冶屋、あっち?」


「あ、はい。村で1軒だけです」


音を追って路地を曲がる。

煤けた石造りの小屋。

開け放たれた入口から、赤い炉の光が見えた。

中には大柄な男がいた。

腕は丸太のように太い。

おそらく鍛冶屋の主人だ。

だが。

俺が目を奪われたのは、その男ではなかった。

炉の脇。

小さな作業台に向かっている少女。

年は10歳前後だろうか。


赤茶色の髪を後ろで乱暴に束ね、頬には煤がついている。


彼女は小さな金具を固定し、鏨を当てていた。

カン。

1打。

鏨をわずかにずらす。

カン。

また1打。

速くはない。

けれど正確だった。

俺は無意識に『解析』を使っていた。

線の幅。

深さ。

間隔。

均一だ。

完全ではない。

だが、俺やテオとは比べ物にならない。


「すごいな」


思わず声に出た。

少女の手が止まった。


「なに?」


顔を上げる。

鋭い目だった。


「見学ならそこにいて。炉の近く来たら危ないから」


「君が彫ったの?」


「そうだけど」


「全部?」


「そうだけど。何?」


少女は俺の服を見た。

仕立てだけなら、村の子どものものではない。


「……貴族?」


「一応」


「一応って何よ」


奥の男がこちらに気づいた。


「ティナ」


低い声だった。


「客人に何という口を利いてる」


「客じゃないでしょ。何も頼んでないじゃない」


「お前な……」


俺は少し笑った。

ティナ。

覚えやすい。


「気にしなくていいです。俺が勝手に見ていただけなので」


男は困った顔をした。


「失礼しました、坊ちゃま。娘は口が悪くて」


「腕はいいですね」


俺が言うと、男の表情が微妙に変わった。

誇らしい。

けれど同時に、困っている。

その理由はまだ分からない。

俺はティナの手元へ視線を戻した。

金具に彫っているのは装飾模様だった。

魔術式ではない。

だが精度が高い。

俺が欲しかった能力そのものだった。


「これと同じ線、彫れる?」


俺は懐から紙を1枚出した。

火種盤の紋様、その一部分だけを書き写したものだ。

肝心の全体構造は分からないようにしてある。

ティナが受け取る。


「細いね」


「できる?」


「材料は?」


俺は持ってきた木片を渡した。

ティナは表裏を確認した。


「木か。できるけど、この幅だとあんたの絵のままじゃ途中で欠けるよ」


「え?」


「ここ」


少女の指が図面の角を指した。


「曲がりが急すぎる。この太さなら少し丸めたほうがいい。あと、この線とこれ、近すぎ。彫るなら離したほうが安定する」


俺は固まった。

その指摘は、正しい。

術式の意味は知らない。

なのに、製造上の弱点を一目で見抜いた。

設計と製造は違う。

前世でもそうだった。


設計者が机で描いた理想形を、現場のエンジニアや職人が「これは作れない」と現実へ戻す。

そのフィードバックがなければ、製品にはならない。


「直していい?」


ティナが聞いた。


「やってみて」


「じゃあ勝手に変えるよ」


鏨を持つ。

カン。

線が1本入る。


『解析』で見る。


俺が彫ったものより、はるかに正確だった。

カン。

カン。

迷いがない。

しかも速い。

数分後。


「こんなもん」


差し出された木片を受け取った。

俺は言葉を失った。

線の深さが揃っている。

角も滑らかだ。

交点の崩れもない。

そして何より。


俺が指定した紋様より、作りやすく、壊れにくい形へ微修正されている。


術式として成立する範囲内で。

偶然か?

いや。

もう1つ確かめる。


「もう1枚、同じものを作れる?」


「当たり前でしょ」


2枚目。

ほぼ同じだった。

3枚目。

やはり同じ。

俺の背中がぞくりとした。

再現できる。

この少女なら。


「テオ」


俺が呼ぶと、隣で見ていたテオも分かっていたらしい。


「俺たちより、めちゃくちゃ上手いですね」


「言い方」


「事実じゃないですか」


正しい。

ティナが眉をひそめた。


「何なの、あんたたち」


「感動してる」


「は?」


「君の腕に」


ティナが止まった。

少しだけ頬が赤くなる。


「……馬鹿にしてる?」


「本気だよ」


「貴族ってそういう言い方するの?」


「他の貴族は知らない」


俺は木片を持ち上げた。


「これを同じ品質で作れる人を探してた」


「それくらい普通でしょ」


「普通じゃない」


はっきり言った。


「少なくとも俺にはできない。テオにもできない」


「俺まで巻き込まないでくださいよ」


「事実だろ」


「そうですけど」


ティナは困ったようにこちらを見た。

褒められ慣れていない顔だった。

俺は1つ気になった。


「君、この鍛冶場を継ぐの?」


空気が変わった。

ティナの表情から、さっきまでの尖った明るさが消えた。

奥の男も視線を逸らした。


「継がない」


「継げない、の間違いだろ」


男が小さく言った。

ティナが父親を睨む。


「同じよ」


「違う」


「結果は同じ」


俺は黙って待った。

やがてティナが吐き捨てるように言った。


「女は鍛冶場を継げないの」


「法律?」


「村の決まり。職人組合の決まり。昔からそう」


「腕は?」


「関係ない」


「父親より上手くても?」


「おい」


父親が少し傷ついた顔をした。

ティナが初めて笑った。


「細工なら、もうあたしのほうが上手いよ」


「言うな」


そのやり取りに悪意はなかった。

だからこそ、余計に分かった。

父親が娘の腕を認めていないわけではない。

むしろ認めている。

それでも継がせられない。

個人の意思ではなく、仕組みが止めている。

テオのときと同じだった。

テオは平民だから魔法を学べない。

ティナは女だから鍛冶場を継げない。

能力ではなく、生まれた位置で役割が決まる。


この世界は、どれだけの才能をそうやって捨てているんだろう。


前世の俺なら、こう評価した。

人材配置が最悪だ。

だが。

問題が仕組みにあるなら、仕組みを変えればいい。


「ティナ」


「何」


「俺と組まない?」


「……は?」


「作ってほしいものがある」


「これ?」


「今は、その一部」


俺は火種盤を取り出した。

焦げ跡だらけの試作品だ。

ティナが受け取る。


「ひどい出来」


「知ってる」


「線ガタガタ。深さも違う。これ作った人、向いてないよ」


「俺だ」


ティナが黙った。

テオが横を向いて笑いを堪えている。


「笑っていいよ」


「……ごめん」


「そこは否定してほしかった」


だが、むしろ好都合だった。

俺にない能力を、この少女は持っている。


「これを、ちゃんと作れる形にしたい」


「何の道具?」


そこは迷った。

全部を話すか。

まだ危険だ。

だが、何も話さず作業だけさせるのも違う。

ティナはただの手ではない。


作り手として必要なのは、命令に従う人間ではなく、考えて改善する人間だ。

俺は決めた。


「火をつける道具だ」


「火打石?」


「もっと簡単に」


「油?」


「使わない」


「じゃあ何で燃やすの」


俺はテオを見た。

テオが小さく頷いた。

俺は火種盤を彼へ渡した。


「見せて」


「ここでです?」


「小さく」


「はい」


テオが盤へ手を置く。

息を整える。

今では手順書を見なくても起動できる。

数呼吸。

ぽっ。

中央に小さな焔が灯った。

ティナの目が見開かれた。

鍛冶屋の父親も動きを止めた。


「……え?」


火が消える。

静寂。


「今の」


ティナがテオを見る。


「魔法?」


テオが照れくさそうに頬を掻いた。


「たぶん」


「たぶんって何よ!」


「俺、平民なんで」


「知ってるわよ!」


ティナが俺を見る。


「どういうこと?」


俺は答えた。


「魔法を分解した」


「……意味分かんない」


「俺も最初は分からなかった」


「そういう意味じゃない!」


当然の反応だ。

俺は火種盤の線を指した。


「貴族が感覚でやってることを、順番に分けた。難しいところは、この紋様にやらせる。そうすれば、魔法の才がない人間でも小さな火なら使える」


ティナの顔から血の気が引いた。


「それ……まずくない?」


意外だった。

年齢の割に理解が早い。


「何が?」


「だって、魔法って貴族のものでしょ。普通の人間が使えたら……怒る人、いるんじゃないの?」


いる。

確実に。


「だから秘密にしてる」


「それを今あたしに見せたの?」


「君に作ってほしいから」


「断ったら?」


「口止めをお願いする」


「お願いだけ?」


「脅す材料がない」


ティナが数秒こちらを見つめた。

それから、ふっと笑った。


「変な貴族」


「よく言われる」


「今日初対面でしょ」


「これから言われる予定だ」


ティナは火種盤をもう一度見た。

表情が変わっていく。

怖がっている。

同時に、興味を抑えられない。

職人の目だった。


「この線」


彼女が指でなぞる。


「全部、意味あるの?」


「ある」


「じゃあ、さっきあたしが丸めたところは?」


「許容範囲だった」


「もっと変えたら?」


「動かなくなる場所もある」


「どこまでなら変えていい?」


「それを一緒に調べたい」


完全に食いついた。


「材料は木だけ?」


「今は」


「金属ならもっと細く彫れるよ。熱にも強い」


「魔力の流れ方が変わる可能性がある」


「じゃあ試せばいいじゃない」


俺は思わず笑った。

いい。

この考え方は、とてもいい。

分からないからやらない。

ではなく。

分からないなら試す。


「組む?」


俺はもう一度聞いた。

ティナが父親を見る。

父親は難しい顔をしていた。


「危険なことなんでしょう」


男が俺へ聞いた。


「はい」


嘘はつかなかった。


「娘を巻き込むんですか」


「無理には」


「父ちゃん」


ティナが遮った。


「やりたい」


「ティナ」


「やりたい」


もう一度。

強い声だった。


「私、鍛冶場継げないんでしょ」


父親が黙る。


「だったら、自分の仕事くらい自分で選ばせて」


その言葉は、子どもの我儘には聞こえなかった。

ずっと積もっていたものなのだろう。

父親は長い息を吐いた。


「……危ないと思ったら、俺が止める」


「父ちゃんが?」


「お前だけで行かせるわけにいくか」


ティナが目を丸くした。

俺も少し驚いた。

男は俺を見る。


「細工は娘のほうが上です。だが材料と炉のことなら俺のほうが分かる」


「助かります」


「ただし」


「はい」


「娘を道具みたいに使うなら、そこで終わりです」


俺は一瞬、返事に詰まった。

道具。

前世の俺は、人をリソースと呼ぶ仕事をしていた。

人数。

工数。

稼働率。

合理的な言葉だ。


けれど、合理的な言葉ほど、人間そのものを見失うことがある。


「分かりました」


俺は頭を下げた。


「彼女には、作業をさせたいんじゃありません。一緒に作ってほしい」


男はしばらく俺を見てから、小さく頷いた。


---


その日の午後。

鍛冶場の隅に、俺たち4人が集まった。

俺。

テオ。

ティナ。

そしてティナの父。

火種盤の改良会議だった。


「この線は?」


「魔力を集める」


「じゃあ太くしたら?」


「流れすぎる」


「細くしたら?」


「詰まる」


「面倒ね」


「魔法だからね」


「魔法って、もっとふわっとしてるものだと思ってた」


「俺も」


ティナが木片へ線を引く。


「だったら、この3本を1回別々に作って、どれが一番安定するか試せば?」


「いいね」


「あと、この角。ここ毎回割れそう」


「形を変えると術式が」


「少しなら平気なんでしょ?」


「解析する」


俺が図面を見る。

成立する範囲を示す。

ティナが製造可能な形へ直す。

テオが実際に起動する。

失敗する。

原因を解析する。

また直す。

気づけば日が傾いていた。

試作2号。

失敗。

3号。

起動するが熱を持ちすぎる。

4号。

安定したが、魔力消費が大きい。

5号。

テオが手を置く。

小さな焔が灯る。

10秒。

20秒。

消える。


「もう1回」


ティナが言う。

テオが起動する。

また灯る。

3回。

5回。

10回。

同じだった。

俺は木片を見つめた。

同じ品質。

同じ結果。

再現性。

ようやく、その言葉を使えるところまで来た。


「これなら」


俺が呟く。


「複製できる」


ティナが笑った。


「当たり前でしょ。作るなら同じもの作るわよ」


その“当たり前”が、俺には欲しかった。

俺は気づいた。

ここで初めて、役割が分かれたのだ。

俺が術式を解析する。

ティナが作れる形へ落とす。

テオが使う側として試す。

1人の天才が全部やるのではない。

違う強みを持つ人間が、工程を分担する。

仕組みが生まれ始めている。

前世で何度も作ろうとした組織の形が。

異世界の辺境。

埃だらけの鍛冶場で。

小さく。

本当に小さく。

始まっていた。


「そうだ」


ティナが突然言った。


「これ、何ていうの?」


「火種盤」


「ださい」


「え?」


「もっとかっこいい名前ないの?」


「機能が分かりやすいだろ」


「そういうところがださいのよ」


テオが吹き出した。


「俺も少し思ってました」


「君まで?」


2人が笑う。

俺は不本意だった。

だが。

この騒がしさは、悪くなかった。

前世の俺は、仕事を1人で抱え込みすぎた。

自分がやったほうが早い。

説明するより、自分で直したほうが確実だ。

そう思い続けた結果、最後には自分自身が壊れた。

今度は違う。

俺が全部できる必要はない。

むしろ、できないほうがいいのかもしれない。

できないから、人を探す。

人を探すから、仕組みになる。

俺は火種盤を持ち上げた。

小さな木の円盤。


テオが魔法を使えるようになっただけなら、それは奇跡だった。


だが。

ティナが同じものを作れるようになった瞬間。

奇跡は、製品になった。

そして製品は、増やせる。

増やせる力は。

いつか、社会を変える。

その日の試作は、そこで終わらなかった。


「待って」


帰り支度を始めた俺を、ティナが止めた。


「まだ何か?」


「これ、木で作り続ける気?」


「当面は」


「やめたほうがいい」


即答だった。

ティナは完成した火種盤をひっくり返し、縁を爪で弾いた。


「木は安いし加工しやすい。でも水を吸う。乾けば縮むし、湿れば膨らむ。こんな細い線、季節が変わったら幅まで変わるよ」


俺は黙った。

そこまで考えていなかった。

術式が正しいか。

起動するか。

魔力消費はどうか。

俺の視点は、完全にそこへ寄っていた。

だが製品は、机の上だけで使うものではない。

持ち歩く。

濡れる。

落とす。

熱くなる。

何十回も使う。


前世なら当然やっていた耐久性の検討を、魔法という新しい対象に夢中になり、俺は抜かしていた。


「代わりは?」


「銅」


ティナは炉の横にある端材を拾った。


「鉄より柔らかい。細かい溝も彫りやすい。錆び方もまだまし。高いけど、小さい板ならそんなに要らない」


「熱は?」


「木よりずっと強い」


「魔力との相性が分からない」


「だから試すんでしょ」


またそれだ。

俺は笑った。


「何?」


「いや。君、いい技術者になると思って」


「ぎじゅつしゃ?」


この世界には、その言葉がまだ馴染まないらしい。


「作るだけじゃなく、どう作れば壊れにくいか、安くできるか、同じものを増やせるかまで考える人」


ティナは少し考えた。


「鍛冶屋と何が違うの?」


「俺のいたところでは、鍛冶屋みたいな人たちが世界中のものを作ってた」


「また変な言い方」


「褒めてる」


「ならいい」


ティナは銅片を作業台へ置いた。

そこからさらに1刻。

俺たちは木、銅、薄い鉄板の3種類で同じ紋様を試した。


結果は意外だった。

木は起動が早い。

だが連続使用で溝の一部が焦げる。

鉄は丈夫だ。


しかしテオの弱い魔力では、起動までに時間がかかった。

銅は、その中間だった。


「もう1回」


俺が言う。


「今日何回目だと思ってるんですか」


テオが泣きそうな顔をした。


「17回目」


「数えてるなら休ませてくださいよ!」


「あと3回で20だ」


「区切りの問題じゃないです!」


ティナが腹を抱えて笑った。


「ルクス、あんた人使い荒いね」


呼び捨てだった。

父親がぎょっとする。


「ティナ!」


「あ」


本人も気づいたらしい。

俺は肩をすくめた。


「そのままでいいよ」


「……いいの?」


「作業中に坊ちゃまと呼ばれるほうが面倒だ」


父親は何か言いたげだったが、最後には諦めたようにため息をついた。

それも、小さな変化だった。

この場所では、俺は辺境伯家の四男である前に設計をする人間で。


ティナは鍛冶屋の娘である前に作る人間で。

テオは下働きである前に使う人間だった。

身分ではなく、役割で並ぶ。


俺が作りたいものの原型は、もしかすると魔法より先に、この関係の中に生まれていたのかもしれない。


19回目。

銅製の火種盤は正常に起動した。

20回目。

同じ。

ティナが顎を上げた。


「ほら」


「何が?」


「銅のほうがいい」


「20回では耐久試験として少ない」


「じゃあ100回やる?」


テオの顔が青ざめた。


「今日はやめよう」


「ルクス様!」


今度は俺とティナが笑った。

そのあと、俺は材料費について父親へ聞いた。

銅は木より高い。

魔石の欠片も必要だ。

これを領民へ広く配るなら、価格を無視できない。


「100個なら?」


俺が聞くと、父親は目を丸くした。


「100?」


「仮の話です」


男は腕を組み、材料の量を頭の中で計算した。


「端材を使えば最初の20くらいはどうにかなる。100となれば仕入れだな。街道が安定している時期で銀貨――」


具体的な数字が出てくる。

俺はすぐに覚えた。

材料費。

加工時間。

1日の生産数。

不良率。


魔法だったものが、急速に製造業の数字へ変わっていく。


それが嬉しかった。

神秘が失われたとは思わない。

むしろ逆だ。


誰か1人の血の中だけに閉じ込められていた奇跡が、材料と工程と人の手によって増やせるものになる。

そのほうが、俺にはずっと美しく見えた。


「でもさ」


ティナが言った。


「100個作って、どうするの?」


俺は答えようとして、止まった。

何に使う。

火を灯すだけなら、火打石でいい。

この道具の本当の価値は、火ではない。


『平民でも術式を起動できる』という事実だ。


つまり、火種盤は完成品ではない。

証明器だ。

魔法を工程へ変えられる。

血統を道具で補助できる。

そして、その道具を職人が複製できる。

3つの仮説が、1枚の小さな銅板に収まっている。


「今はまだ、100個はいらない」


俺は答えた。


「じゃあ何個?」


「10個」


「何のために?」


「同じものを10個作って、本当に10個とも同じように動くか確かめる」


ティナは少し考え、頷いた。


「分かった。じゃあ明日までに10個」


「明日?」


「何よ」


「3日くらい想定してた」


「そんなにかからない」


職人としての顔だった。


「ただし」


「ただし?」


「図面、ちゃんと描き直して。今の、分かりにくい」


刺さった。


「そんなに?」


「線は多いし、寸法ないし、どっちが表かも書いてない」


「術式としては分かる」


「作る人には分かんない」


正論だった。

設計者が理解できる図面と、製造者が使える図面は違う。


俺はその夜、屋敷へ戻ってから図面を書き直した。

線の幅。

深さ。

角度。

材料。

許容できるずれ。

さらに、作業の順番まで付けた。

一番。

銅板を切る。

2番。

外周を整える。

3番。

基準線を引く。

4番。

魔力導入部から彫る。

――書いている途中で、手が止まった。

これだ。

術式だけではない。

製造そのものも工程へ分解できる。

ティナの腕をそのままコピーすることはできない。


だが、ティナがどう作っているかを整理し、治具を作り、順番を決めれば、いずれ別の人間でも一定の品質を出せるかもしれない。


魔法を標準化する。

道具を標準化する。

そして、作り方を標準化する。

1段ずつ積めばいい。

俺は紙の上に、小さく言葉を書いた。


『火種盤 製造手順 第一版』


前世なら、何でもないタイトルだ。

だが、この世界では。

おそらく誰も書いたことがない種類の文書だった。

翌朝。


その図面を見たティナは、しばらく黙ったあと言った。


「……昨日より100倍まし」


「褒めてる?」


「褒めてる」


「ならいい」


俺たちは顔を見合わせた。

テオが横から覗き込む。


「俺の仕事は?」


「10個全部の試験」


「やっぱりそうなるんですか……」


俺とティナが同時に笑った。

このとき俺は、ようやく理解し始めていた。

技術とは、発明だけでは成立しない。

発見する人間がいる。

形にする人間がいる。

使って確かめる人間がいる。

そして、その間をつなぐ手順がある。

1人の天才が全部を抱える必要はない。

むしろ抱えないほうが強い。


そのことを、このときの俺たちはまだ十分には知らなかった。


ただ1つだけ確かなことがあった。

俺たちの工房に。

2人目の仲間が加わった。

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