↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『出来損ないの四男は、魔法を仕組みに変える』 ―― 辺境伯家の四男による異世界魔導革命  作者: トトト
◆ 第一部 辺境の灯火 / 第一章 転生と解析

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/41

第004話 最初の被験者

翌日から、俺とテオの「手習い」が始まった。

場所は厩の裏手にある古い納屋だ。

かつて農具を置いていたらしいが、今では折れた樽と湿った藁が積まれているだけで、誰も近寄らない。

俺はそこを勝手に工房と呼ぶことにした。


「工房って、ここがですか?」


テオが天井を見上げる。

蜘蛛の巣が揺れていた。


「名前は大事なんだよ」


「そういうもんですかね」


「そういうものだ」


前世でも、物置同然の会議室に『改革推進室』という札を貼っただけで、人の意識が少し変わることがあった。


中身が先か、名前が先か。

そんなものはどちらでもいい。

変化が始まれば、それでいい。


もっとも、今の俺たちが始めようとしていることを考えれば、この埃まみれの納屋はむしろ都合がよかった。


誰も見ない。

誰も期待しない。

だから試せる。

失敗できる。

俺は木箱の上に羊皮紙を置いた。


そこには、昨日までにギュンターと作った簡易手順書がある。

焔術を7つの工程に分け、そのうち感覚に依存する部分を紋様で補助する。

理屈の上では成立している。

問題は――本当に、才能のない人間でも再現できるかどうかだ。

そして、その検証には1つ大きな障害があった。

テオは字が読めない。


「まずはここからだな」


俺は木の棒を持ち、土の床に大きく文字を書いた。


「これは?」


「……分かりません」


「正解」


「正解なんですか?」


「分からないことが分かった。最初としては十分だ」


テオは変な顔をした。

俺は笑いながら、同じ文字をもう一度書く。


「1日に3つ覚えよう」


「3つだけ?」


「3つも、だ。10日で30。ひと月で90。全部を一度に覚えようとすると嫌になる。でも今日の3つだけならできる」


「……たぶん」


「なら10分」


前世でも同じだった。

大きな仕事を、そのまま人に渡せば潰れる。

工程を分ける。

1つずつ終わらせる。

判断する箇所を減らす。

できたことを見えるようにする。


能力という言葉で片づける前に、仕事の渡し方を疑う。

魔法も教育も、本質はあまり変わらないらしい。

俺たちの奇妙な授業は、そうして始まった。


---


最初の数日は散々だった。


「テオ。この字は?」


「……火?」


「水」


「あ」


「昨日も同じ間違いをしたな」


「だって似てるんですよ!」


「全然似てない」


「読める人にはそう見えるんです!」


言われてみれば、その通りだった。

できる側は、できない側がどこで迷うのかを忘れやすい。


これも前世で何度も見た問題だ。

俺は教え方を変えた。

文字だけを見せるのをやめる。

火なら炭。

水なら桶。

土なら石。

実物と文字を並べる。

似た形の字は同時に教えず、日を分ける。

覚えた数を壁に1本ずつ線で刻んでいく。

10本たまれば黒パンに蜂蜜を塗る。


「これ、勉強というより犬の訓練じゃないですか?」


「成果が出れば何でもいい」


「貴族様ってもっと上品に教えるんじゃ……」


「俺は出来損ないだからね」


そう言うと、テオは声を上げて笑った。

俺も笑った。

不思議なものだった。


前世では、部下や顧客の前でこんなふうに笑った記憶があまりない。


常に次の会議があった。

次の数字があった。

次の問題があった。


今も問題だらけなのに、8歳の下働きの少年と土の床にしゃがんで文字を書いている時間だけは、妙に穏やかだった。

ただ、テオの努力は穏やかという言葉では済まなかった。

ある朝、俺は彼の指先が黒く汚れていることに気づいた。


「どうした、それ」


「ああ、これですか」


テオが慌てて手を隠す。


「昨日、炭を片づけたから」


嘘だった。

厨房の仕事で付いた汚れなら手のひらにも広がる。

だが黒いのは人差し指と親指の先だけだ。


「夜も書いてるのか?」


テオが黙った。


「怒らないから」


「……仕事が終わったあと、床に。消し炭で」


「寝る時間が減るだろう」


「でも俺、覚え悪いし」


テオは少し恥ずかしそうに鼻をこすった。


「ルクス様が、1つずつ積めば届くって言ったから。だったら俺、数で積もうかなって」


その言葉に、俺はしばらく返事ができなかった。

前世で、俺は何度『努力を仕組みに変えろ』と言っただろう。


努力だけに頼る組織は弱い。

根性論は再現性がない。

そう言い続けてきた。

それは今も間違っていないと思う。

だが。

仕組みを使うのは、人間だ。

渡された1段を、自分の足で登るのも人間だ。

そこには、本人の意思がいる。


俺が作った小さな階段を、この少年は自分の意思で登ろうとしていた。


「テオ」


「はい?」


「今日は5つ進めよう」


「え、増えるんですか!?」


「ご褒美の蜂蜜も増やす」


「やります」


即答だった。

現金なやつだ。

でも、それでいい。

人は理由があれば動く。

理由は立派でなくていい。


---


3週間ほど経つと、テオは簡単な単語なら読めるようになった。

1か月目には、短い手順を上から順番に追えるようになった。

ここで、俺は次の段階へ移った。


「今日から文字の勉強は半分にする」


「やった!」


「残り半分は別の勉強だ」


「……嫌な予感がします」


俺は小さな木片を取り出した。

掌より少し小さい円盤。

表面には細い溝が刻まれている。


ギュンターに教わった基礎紋様を、俺の解析結果に合わせて組み直したものだ。


もちろん俺に木工の腕はない。

溝は歪んでいるし、ところどころ深さも違う。

それでも試作品としては使えるはずだった。


「これ、何です?」


「火種盤」


「……火種?」


「名前は今決めた」


「また名前からですか」


「名前は大事なんだ」


テオが呆れた顔をする。

俺はその木片を箱の上に置いた。

中央には米粒ほどの小さな魔石の欠片を埋め込んである。

屋敷の壊れた照明具からギュンターが抜いてくれたものだ。


魔石は魔力を生み出すものではない。

流れを受け止め、整えるための媒体に近い。

少なくとも、今の俺はそう理解している。


「今日は遊びをする」


「これで?」


「ああ。書いてある順番にやるだけだ」


俺は簡略版の手順書を差し出した。

文字だけではない。

指を置く位置。

息を吸うところ。

力を入れる順番。

全部、図で示してある。

テオが首を傾げる。


「なんか……魔法の本みたいですね」


心臓が一度だけ強く鳴った。


「似たようなものだよ」


嘘ではない。

まだ本当のことを言うつもりもなかった。


『平民に魔法は使えない』


この世界では、それは常識より強い。

空が青いとか、水は低い場所へ流れるとか、それと同じくらい疑われない前提だ。

その前提を抱えたまま実験をさせれば、テオ自身が無意識に止める可能性がある。

なら、最初は知らなくていい。

成功してから説明する。


「手をここへ」


「はい」


「指は力まない。まず息を吸う」


テオが大げさに息を吸う。


「そんなに吸わなくていい」


「先に言ってくださいよ!」


「普通でいいんだ」


「普通が一番難しいですよ」


もっともだ。

俺は笑いを堪えながら、解析の眼を開いた。

視界が変わる。

テオの腕から、かすかな光が立ち上がった。

弱い。

兄たちとは比べものにならない。

だが、ある。

魔力はある。

平民だから魔力そのものがないわけではない。

使い方を知らないだけだ。

この事実だけでも、俺の仮説を1段強くした。


「次。紙の2番」


「ここ?」


「ああ。手のひらの奥が少し温かくなる感じを探して」


「……分かりません」


「何も感じない?」


「腹が減ってる感じなら」


「それは昼まで我慢しろ」


1回目。

魔力は動いた。

しかし2番目の紋様へ入る直前で散った。

当然、何も起こらない。

テオが肩を落とす。


「失敗?」


「成功だよ」


「何も出てませんけど」


「魔力は動いた。つまり入口までは合ってる。失敗箇所が1つ減った」


俺は羊皮紙に印をつける。

前世なら障害切り分けだ。

全部を『動かない』で括ってはいけない。

どこまで動いたか。

どこから動かなかったか。

それを分ければ、問題は小さくなる。


「もう1回」


「はい」


2回目。

今度は2番目を通った。

3番目で流れが急に太くなり、魔石の手前で霧散した。


「あちっ」


テオが手を離す。


「大丈夫か?」


「ちょっと熱かっただけです」


俺は盤を確認した。

中央の木がわずかに焦げている。

想定外だった。


「今日はここまで」


「え、まだできますよ」


「駄目だ。原因を確認する」


「でも」


「テオ」


少し強く言うと、彼は口を閉じた。

俺は盤を布で包む。

実験は成功より安全が先だ。


前世で炎上案件を何度も見た理由の1つは、『もう少しなら大丈夫』を積み重ねたことだった。


魔法なら、その判断ミスは本当に人を燃やす。

俺は自分に言い聞かせた。

これは遊びではない。

相手は8歳の少年だ。

俺の仮説を証明するための部品ではない。


---


その夜、俺は火種盤を抱えてギュンターの書斎へ行った。


「焦げた?」


老人は盤を見るなり眉を寄せた。


「3番目の工程で流量が増えすぎました」


「当然じゃ。お前の図は流れを整えることばかり考えて、逃がし口がない」


「逃がし口」


「術者が無意識にやっているのだ。余分なマナを散らす。血統持ちはそれすら感覚で覚える」


俺は机に身を乗り出した。


「それも工程ということですか」


「工程というより、癖じゃな」


「癖なら、仕組みにできます」


「お前は本当にそればかりじゃな」


呆れた声だったが、ギュンターの口元にはわずかに笑みがあった。


2人で盤を削り直した。

外周に3本の細い溝を追加する。

余剰魔力を外へ逃がすためだ。


さらに、テオが一度に流し込みすぎないよう、入口を狭くする。


「これでは威力が落ちるぞ」


「構いません」


「焔術なのに?」


「今欲しいのは強い火じゃない。誰でも安全に同じ火を出せることです」


ギュンターが手を止めた。


「誰でも、か」


「はい」


「貴族も平民も?」


「使えるなら」


老人はしばらく黙っていた。


「ルクス様」


「なんです?」


「その言葉は、外では軽々しく口にするな」


声が低かった。


「1つの家術を盗むより危険な思想じゃ」


「なぜです」


「分かっておるだろう」


分かっていた。

魔法が血統から離れる。

それは便利な道具が1つ増えるという話ではない。

武力が変わる。

農業が変わる。

商売が変わる。

貴族が貴族である理由が揺らぐ。


この小さな盤が成功すれば、世界の一部を支えている前提が崩れる。


「だからこそ、まず1人です」


俺は言った。


「1人で再現できるか確かめる。次に同じ人が繰り返せるか確かめる。その次に、別の人でもできるか確かめる。それから考えます」


「慎重なのか大胆なのか分からんな」


「慎重に大胆なことをやるんです」


ギュンターは鼻で笑った。


「前世とやらで、さぞ嫌な子供だったろうな」


「子供ではありませんでした」


「何?」


「あ、いえ。何でもありません」


危ない。

俺は盤を受け取った。

明日、もう一度だ。


---


2日目。

テオは納屋へ入るなり盤を見た。


「直ったんですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「だから試す」


「俺で?」


「嫌ならやめてもいい」


初めて、俺はそう言った。

テオが瞬きをする。


「昨日、熱かっただろう。危険がゼロとは言えない。やめても怒らない」


「……ルクス様」


「何?」


「これ、本当は何なんですか」


鋭い。

いつまでも遊びでは通せないか。

俺は少し考えた。

全部は言わない。

だが嘘もやめよう。


「俺が作りたいものの試作品だ」


「何を作りたいんです?」


「今まで、できる人にしかできなかったことを、できない人にもできるようにする道具」


テオは盤を見る。


「俺みたいなのでも?」


「君みたいな人だから試してほしい」


「……失敗したら?」


「盤を直す」


「俺が悪いんじゃなく?」


その問いに、俺は息を止めた。

テオは笑っていなかった。

これまで何度、彼は『できないのはお前のせいだ』と言われてきたのだろう。


字が読めない。

礼儀を知らない。

力が弱い。

身分が低い。


世界の側に用意されていないものまで、本人の不足として数えられてきたのかもしれない。


「手順通りやって失敗したなら、悪いのは手順だ」


俺は言った。


「君じゃない」


テオは目を丸くした。


「……変なの」


「何が」


「そんなこと言う人、初めてです」


そして、盤の前に座った。


「やります」


「いいのか?」


「はい。だって俺が失敗しても、俺のせいじゃないんでしょう?」


「その代わり、書いてないことを勝手にやったら君のせいだ」


「急に厳しい!」


緊張が少しほどけた。

俺は解析を開く。


「始めよう」


1回目。

入口を通る。

2番目。

安定。

3番目。

昨日より細い流れが、ゆっくり魔石へ入る。

余剰分が外周へ流れた。

いい。


「そのまま」


4番目。

テオが息を止めた。

流れが途切れる。


「止めない。息も工程の一部だ」


「む、難しい……」


「もう一度」


2回目。

4番目を越えた。

中央の魔石がほんの少し赤くなる。

だが5番目で散った。


「今の見ました?」


「見た」


「赤くなった!」


テオの顔が明るくなる。

成功に近づいていることは、本人にも分かったらしい。


3回目。

俺は口を出す量を減らした。

手順書を見る。

指を置く。

息を吸う。

吐く。

魔力を流す。

テオ自身が1つずつ進める。

解析の視界で、細い光が紋様の上を走った。

1。

2。

3。

4。

5。

6。

あと1つ。

俺の掌に汗がにじむ。

大丈夫だ。

構造は成立している。

理屈は合っている。


でも理屈が合っていても、現実は動かないことがある。


前世では、それも嫌というほど知っていた。

最後の工程。

形を保った熱を、盤の中央へ押し出す。


「ゆっくり」


俺は小さく言った。

テオが頷く。

そして――。

ぽっ。

音がした気がした。

火種盤の中央に、小さな橙色の火が灯った。

豆粒ほどだった。


兄たちが操る焔と比べれば、笑ってしまうほど小さい。


剣も焼けない。

敵も倒せない。

鍋の湯を沸かすにも時間がかかるだろう。

だが。

燃えている。

確かに。

テオの手の下で。


血統魔法を持たない平民の少年が流した魔力によって。


俺は何も言えなかった。

テオも動かなかった。

2人で、ただその火を見つめた。

やがてテオが震える声を出す。


「……ルクス様」


「ああ」


「これ、何ですか」


もう隠す意味はなかった。


「魔法だよ」


「え?」


「君が灯した」


テオが俺を見る。

それから火を見る。

また俺を見る。


「いやいやいや」


「何だ」


「俺、平民ですよ」


「知ってる」


「魔法は貴族様のものですよ」


「そう言われてるね」


「じゃあ、これ何なんです?」


「だから、魔法だ」


「話がおかしい!」


テオが叫んだ拍子に集中が切れた。

火が消える。


「あっ!」


「あ」


「消えた!」


「また点ければいい」


「また!?」


「今のは偶然じゃない。手順は記録した。もう一度同じことをすればいい」


テオは盤を見つめた。

手が震えている。

もう一度。

今度は俺がほとんど助言せずにやらせた。

一度途中で失敗した。

2度目。

ぽっ。

また火が灯った。

今度はさっきより少しだけ大きい。

テオの顔がくしゃりと歪んだ。


「……俺が」


「ああ」


「俺が、やってる」


「ああ」


「俺にも……できる」


声が掠れた。

次の瞬間、涙が1粒落ちた。

テオは慌てて袖で拭った。


「すみません」


「謝ることじゃない」


「だって……」


彼は火を見つめたまま言った。


「俺、ずっと、こういうもんだって思ってたんです」


「こういうもの?」


「父ちゃんも母ちゃんも平民で。俺も平民で。字も読めなくて。ここで飯もらえてるだけ運がいいって」


火が揺れる。


「一生、薪割って、水運んで、床磨いて。それが俺の分なんだって。別に嫌って言ったら罰当たりなんだって」


俺は黙って聞いた。


「魔法を見ると、すごいなって思いました。でも、自分がやるもんじゃないって。空飛ぶ鳥みたいなもんで。見ても、俺とは関係ないって」


テオが鼻をすすった。


「でも……俺にもできるんですね」


その言葉が胸に刺さった。

俺はこの実験を、仮説検証だと思っていた。

血統魔法を工程へ分解できるか。

感覚を紋様で代替できるか。

平民の微弱な魔力でも現象を起こせるか。

そういう技術的な問いだった。

だがテオにとっては違う。


これは、自分の人生に引かれていた境界線が1本消えた瞬間なのだ。


できる人と、できない人。

支配する側と、従う側。

生まれた瞬間に決まっていると思っていた線。

豆粒ほどの火が、それを越えた。

俺の仮説は証明された。

けれど、証明されたものは技術だけではなかった。

力は、血に閉じ込められていなくてもいい。

配れる。

少なくとも、その可能性はある。


「テオ」


「はい」


「もう一度やろう」


「まだやるんですか?」


「1回できただけでは再現とは言えない」


「今ちょっと感動してたのに!」


「感動と検証は別だ」


「ルクス様、たまに本当に嫌な人ですよね」


「よく言われた」


「誰に?」


「……何でもない」


危ない。

俺たちは結局、その日だけで10回試した。

成功は7回。

失敗3回。

成功率7割。

火の大きさにはばらつきがある。

連続使用するとテオが疲れる。

盤の木材も少しずつ熱で傷む。

課題は山ほどあった。

だが7回成功した。

偶然ではない。

俺は羊皮紙の端に大きく書いた。


『再現可能』


その4文字を見たとき、背筋が震えた。

1人の天才が一度起こした奇跡ではない。

才能のない1人が、手順に従って7回起こした現象だ。

これは、奇跡ではない。

技術だ。


---


夕方。

納屋を片づけていると、テオが聞いた。


「ルクス様」


「何?」


「俺、このこと誰かに言っていいですか?」


「駄目だ」


即答した。

テオの顔が曇る。

俺は続ける。


「君を信用してないからじゃない」


「じゃあ、なんで」


「まだ弱いからだ」


「この火が?」


「俺たちが」


テオが首を傾げる。

俺は火種盤を布で包んだ。


「これを知って喜ぶ人ばかりじゃない」


「魔法がみんな使えるなら、喜ぶんじゃないですか?」


純粋な疑問だった。

俺は少し迷った。

8歳の少年に政治の話をする必要はない。

でも、彼はもう当事者だ。


「もし、テオだけが井戸から水を汲めるとする」


「はい」


「だから皆が君にパンを払う。頼む。頭を下げる」


「はい」


「そこへ俺が、誰でも水を汲める道具を作ったら?」


テオは考える。


「あ。俺、困ります」


「そういう人がいる」


「魔法を使える人たち?」


「ああ」


「でも、みんなが楽になるのに」


「みんなが楽になることと、今得をしている人が得を失うことは、同時に起こる」


テオはしばらく考えた。


「難しいですね」


「難しい」


前世でもそうだった。

効率化すれば会社全体は良くなる。

でも仕事を失う部署がある。

情報を共有すれば全体は強くなる。


でも情報を持っていることで権力を得ていた人間は弱くなる。

正しい仕組みを作れば、全員が拍手するわけではない。

むしろ、仕組みが本当に力を持つほど敵は増える。

魔法なら、なおさらだ。


「だから、今は秘密だ」


「ギュンター先生は?」


「知ってる」


「じゃあ3人だけ?」


「3人だけ」


テオは少し嬉しそうに笑った。


「秘密の仲間ですね」


その言葉に、俺は一瞬止まった。

仲間。

前世の俺なら、プロジェクトメンバーと呼んだかもしれない。


協力者。

関係者。

人的リソース。

便利な言葉はいくらでもある。

だが今は、テオの言葉のほうがしっくりきた。


「そうだな」


俺は答えた。


「秘密の仲間だ」


テオは満足そうに頷いた。


---


その夜。

俺は自室で、火種盤を机の上に置いた。

小さな木片。

見た目は玩具にしか見えない。

けれど、俺には分かる。


今日ここで起きたことの意味は、兄たちが放つ巨大な焔より重い。


ファルケンハイト家の焔は強い。

1人の術者が兵10人に匹敵することもある。

だが、その力を持てる人間は血統によって決まる。

一方、火種盤の火は弱い。

豆粒ほどだ。

それでも、テオが使えた。

なら10人に配れるかもしれない。

100人に配れるかもしれない。

改良すれば、もっと大きな火を扱えるかもしれない。

農民が畑で使う。

職人が炉で使う。

兵士が戦場で使う。


そうなれば、魔法は『誰が生まれつき持っているか』ではなく、『誰が手順と道具を持っているか』へ変わる。


そこまで考えて、俺は筆を止めた。

浮かれてはいけない。

成功したのは1人。

1つの術式。

小さな火だけだ。

しかも盤は俺とギュンターが手作業で作った。

量産方法もない。

耐久性も低い。

理論も穴だらけ。

世界を変えるなど、まだ笑い話だ。

だから次にやるべきことは明確だった。

再現性を上げる。

盤そのものを改良する。

そして――俺以外に、これを作れる人間を見つける。

俺は自分の手を見る。

8歳の細い指。

木を削れば歪む。

金属加工など論外だ。

設計ができても、作れなければ広がらない。

前世でも同じだった。

設計者1人では、仕組みは完成しない。

作る人間がいる。

運ぶ人間がいる。

使う人間がいる。

改善する人間がいる。

組織とは、役割をつなぐものだ。


「次は……作れる人、か」


辺境の町。

鍛冶場。

この身体の記憶に、1人の少女の顔が浮かんだ。

鍛冶屋の娘。

年齢は俺たちより少し上。


大人に混じって炉の前に立ち、道具を触らせろと父親に食ってかかる変わり者。


名前は――ティナ。

俺は火種盤を持ち上げた。

豆粒の火はもう消えている。

だが、今日灯ったものは消えていない。

1人の平民が、血統の外側から魔法へ触れた。

その事実だけは、もうなかったことにはできない。

——仕組みが、1人の才能を越えた。

まだ、ほんの小さな一歩だ。

けれど俺は知っている。


大きな変化は、たいてい最初は誰にも価値が分からないほど小さい。


前世で何度も見てきた。

1枚の手順書。

1つの共有表。

1つの自動化。

最初は笑われる。

やがて、それなしでは回らなくなる。

なら、この豆粒の火も同じだ。


いつか、この世界がこれなしでは回らなくなる日が来る。


そのとき何が起こるのか。

俺にはまだ分からない。

ただ1つだけ分かっている。

今日。

この埃まみれの納屋で。

世界の前提が1つ、静かに壊れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。