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『出来損ないの四男は、魔法を仕組みに変える』 ―― 辺境伯家の四男による異世界魔導革命  作者: トトト
◆ 第二部 王都の盤上 / 第1章 入城

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◆【幕間】宰相の書斎

王都の夜は暗くならない。

貴族街には蝋燭が灯り、商業区では夜市の油皿が揺れ、王城の塔には一晩中、魔石灯が燃えている。

だが宰相ガレオン・オルディスの書斎にある灯りは1つだけだった。

広い机の端に置かれた小さな燭台。

若い頃からの習慣だ。

必要以上の灯りを嫌うのではない。

光を増やせば見なくてよいものまで見えたつもりになる。

政務も同じだった。

無数の報告を集めれば真実に近づくとは限らない。

1つの事実を影の形まで読むほうがいい。

老宰相は机上の紙を持ち上げた。


『ファルケンハイト辺境伯家四男、ルクス。西門到着。同行平民の登録区分について異議。

王命履行の遅延責任を確認したため、臨時に随行書記・魔導具運用担当として受理』


最初の報告。


『魔導具4点を申告。封印方法と番号を自ら記録。試験機構一箱は監察使ノエルの管理に移行』


2枚目。


『オルディス公爵家客館への招待を辞退。公務か私的厚意かを確認した上で、王城指定を優先すると回答』


3枚目。


『同日夜、商人ギルド王都支部へ入館。行商人ヴィント、副支部長メルダと面談。内容は不明』


ガレオンは紙を順番どおり重ね直した。

到着から半日にも満たない。

それだけの時間で、あの子どもは四度、王都の縄を外した。


規定へ逆らわず、規定を使う。

厚意を侮辱せず、意味だけを分ける。

監視を避けず、見せる行動を選ぶ。

そして宮廷へ足を置く前に商人へ手を伸ばした。


「9歳、か」


掠れた声が書斎へ落ちる。

嘘の年齢ではない。

出生記録、洗礼記録、辺境伯家の家譜。

すべて一致している。

ならば異常なのは年ではなく中身だ。

机の反対側に立つ男が無言で待っていた。

ガレオンの家令を30年務める、セドリックである。


「客館を断られると、お考えでしたか」


「半分は」


「ではなぜ馬車を?」


「受ければ近くで見られる。断れば、断り方を見られる」


「結果は」


「最も厄介な断り方をした」


無礼なら罰せる。

怯えるなら囲える。

恩を喜ぶなら買える。


だがルクスはガレオンの厚意を公務と私事に分けた。

どちらの責任で差し出す手かを使者自身に選ばせた。

9歳の子どもが使う問いではない。


「ノエルが教えた可能性は?」


「使者の報告では、監察使は口を挟んでおりません」


「なら、なお悪い」


ガレオンは監察報告書へ手を伸ばした。

分厚い束だった。

痩せた畑。

育土杭。

平民学校。

工房。

火種盤。

照明盤。

魔導銃。

盗賊団の捕縛。

フェルゼン軍500の撃退。


若い王が読めば奇跡と呼ぶだろう。

軍務官なら新兵器に目を奪われる。

商人なら利益を数える。

ガレオンが見たのはそのどれでもなかった。

再現。

報告書の中で何度も現れる言葉だった。


血統魔法は強い。

しかし継承は不確かだ。

偉大な魔導士の子が同じ才を持つとは限らない。

1人を育てるのに年月がかかり、死ねば技も消える。

だから貴族家は婚姻と教育と家譜で力をつないできた。

不完全でもそれが王国の柱だった。

ルクスの道具はその柱を必要としない。

1台が壊れても同じものを作れる。

1人が死んでも別の者が使える。

弱い力を100へ配り、隊列と合図で1つの力にする。

恐ろしいのは魔導銃の威力ではない。

1発目の後に2発目を作れることだ。


「商人ギルドへ人を」


「すでに。面談の詳細はメルダの部屋付きも知らされておりません」


「買える者は?」


「清掃係が火種盤らしき青い灯りを見たと」


ガレオンは目を閉じた。

メルダは馬鹿ではない。

製法を求め、断られたとしても流通だけで価値があると気づく。

血を持たぬ商人にとって、魔法を商品へ変える話は何十年待っても現れなかった好機だ。

金は身分を越えて流れる。

その流れへ再現可能な力が乗れば、止めるのは難しい。


「市場へ出す前に認可で止めますか」


セドリックが訊いた。


「今すぐ聖導院へ渡せば、異端審問を求めるだろう」


「好都合では?」


「強すぎる火は消したいものまで照らす」


ガレオンは首を横に振った。

確証のないまま9歳の子どもを異端として拘束すれば、王は反発する。

新技術を欲する武官と商人も敵へ回る。

辺境伯ヴォルフラムは中央への不信を確信し、西方諸侯が結束する口実になる。

何よりルクスを殉教者にしてはならない。

人は殺された理想を美しく記憶する。


「まず、謁見させる」


「陛下に?」


「王命で呼んだのだ。避ければこちらの恐れを示す」


ガレオンは新しい紙を引き寄せた。


「ただし、謁見の議題を限定する。辺境防衛の功績、魔導具の安全性、フェルゼンとの紛争。

この3つ。平民教育や統治制度には踏み込ませない」


「従いますか」


「従わぬなら、王命を軽んじた記録が残る。従えばあれの力を兵器の話へ閉じ込められる」


セドリックは頷いた。

それが宮廷だった。

言葉を奪うのではない。


話してよい順番を決め、時間を決め、聞く者を決める。

相手の声を残したままその意味を狭める。

血を流さずに人を殺す方法をガレオンは知り尽くしていた。


◇

燭台の火が揺れた。

その炎の向こうに別の炎が重なる。

40年前。

まだガレオンが22歳だった年。


夏に雨が降らず、秋に麦が実らず、冬を越す前に倉が空になった。

領主たちは備蓄を守り、商人は値を上げ、農民は種籾まで食べた。

最初の蜂起はパンを求める列だった。

老人も女も子どももいた。

若いガレオンは騎兵を止め、領主に倉を開けるよう進言した。

ほんの一部を配れば鎮まる。

彼はそう信じていた。


領主は拒んだ。

翌日、列は槍を持った。

3日後、領主の館が燃えた。


解放された倉へ人が殺到した。

強い者が袋を奪い、弱い者は踏まれた。

蜂起の指導者は公平な配給を叫んだ。

だが命令は届かず、別の村から来た者は敵と呼ばれた。


貴族の家が襲われた。

次に貴族へ麦を納めた村が襲われた。

次に蜂起へ加わらなかった村が襲われた。

正義は飢えより速く腐った。


ガレオンが鎮圧軍を率いて着いたとき、館の庭に首が並んでいた。

貴族だけではない。

徴税書記。

倉番。

反対した農民。

逃げ遅れた子ども。


彼は降伏を呼びかけた。

返ってきたのは火矢だった。

戦いは1刻で終わった。

騎兵が飢えた群衆を踏み潰した。

雪の上を血が流れた。


その夜、若いガレオンは吐いた。

翌朝、死者の数を記録し、3日後には新しい代官を選び、1週間後には軍の食糧を村へ配った。


遅すぎた秩序だった。

だが秩序が戻らなければさらに死んだ。

あの日から彼は知っている。

血の秩序は正義ではない。

堤だ。


ひび割れ、泥に汚れ、上に立つ者だけが乾いた足で歩ける、不公平な堤。

それでも一気に崩せば、最初に溺れるのは泳ぎ方を知らない者たちだ。

改革者は堤の向こうの野を語る。

ガレオンは崩れた水の下にあった顔を覚えている。


「閣下」


セドリックの声で、過去が消えた。

ガレオンは自分の右手が震えていることに気づき、机の下へ隠した。


「お疲れでしたら続きは明朝に」


「疲れて判断を止められるなら宰相は要らぬ」


声は平静だった。


「ルクス・ファルケンハイトは平民に力を配っております」


「ああ」


「ですが報告書には、武器庫の鍵、製造番号、使用者登録、事故記録もあります」


ガレオンはセドリックを見た。

家令は視線を伏せたまま続ける。


「40年前の蜂起とは違うのではありませんか」


長い沈黙が落ちた。


「違う」


ガレオンは答えた。


「だから、危険なのだ」


理想だけなら飢えた人間の衝動で崩れる。

この子どもは理想が崩れないよう、鍵と帳簿と役割を作る。

力を配るだけでなく、配った後を管理する。

40年前の蜂起よりはるかに長く続く。

長く続けば、血の秩序に代わるものになる。


「閣下は秩序を守りたいのですか。それとも血を守りたいのですか」


セドリックが主従の年月に賭けて問うた。

ガレオンはすぐに答えなかった。

その2つはこれまで同じだった。


血を持つ家が力を継ぎ、責任を継ぎ、領地を守る。

例外と腐敗があっても他に国を100年保つ方法はなかった。


だがもし。

血に代わって、仕組みが責任を継げるなら。

その考えをガレオンは切り捨てた。


1つの辺境で1年続いたにすぎない。

若い成功を国家へ当てはめる者は失敗の死者を数えない。


「両方だ」


彼は言った。


「今は、まだな」


◇

セドリックが退出した後、ガレオンはノエルの報告書をもう一度開いた。


監察使の文章は冷静だった。

危険性。

再現性。

軍事転用。

既存秩序への影響。

だがところどころに奇妙な近さがある。


『ルクスは個人の善意を前提にしない。失敗を記録し、役割を分け、次の者が同じ結果を出せる状態を作る』


まるで、その考え方を以前から知っていた者の文章だ。

ノエルはどの派閥にも属さない。

だから王は重用した。

だがどこにも属さぬ者が何も信じていないとは限らない。


「お前は何を見ている」


ガレオンは誰もいない部屋で呟いた。

ルクスの向こうか。

あるいは別の誰かか。

報告書の余白にガレオンは1つだけ名を書いた。

カイン。


商人ギルドの裏で、材料を買い集める正体不明の名。

まだ噂にすぎない。

だがルクスの王都入りと同じ時期に伏流が2つ動き始めている。

偶然として捨てるには老宰相は長く生きすぎていた。


彼は呼び鈴を鳴らした。

入ってきた夜番の書記へ3通の命令を渡す。

1通は謁見の議題を限定する儀礼官への指示。


1通は商人ギルドの低級魔石取引を調べる税務官への指示。

最後の1通はファルケンハイト家別邸の監視を続ける密偵への指示。

ただし侵入も接触も禁じた。


「見て、記せ。動くな」


ルクスが監視されていると承知で何を見せるか。

まずはそれを見る。

盤上の駒は置かれた瞬間より最初にどちらを向くかで性質が分かる。


ガレオンは燭台の火を見た。

小さい火だった。

指でつまめば消せる。


だが火を消すだけでは暗闇に何が残るか分からない。


「来るがいい、辺境の子よ」


老いた声は夜へ沈む。


「お前が堤を壊すだけの者なら、私が止める。新しい堤を築くと言うなら――その重さを、この国のすべての死者の前で証明してみせろ」


火は消さなかった。

ガレオンは夜明けまで報告書を読み続けた。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

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