第1話 忘却の願いと、無人境の始まり
第1話 忘却の願いと、無人境の始まり
純白、という言葉すら安っぽく感じるほどの、一切の不純物がない空間だった。
上下の感覚もなく、自分が立っているのか浮いているのかすら定かではない。ただ、心地よい微睡みのような温かさだけが全身を包み込んでいた。
「やあ。唐突で申し訳ないけれど、君は死んでしまったよ」
ふと、直接脳内に語りかけてくるような声が響いた。
目の前には、人の形を曖昧に模した光の塊のような存在が浮かんでいる。性別も年齢も、その表情すら読み取ることはできないが、なぜか不思議と威圧感はなかった。おそらく、これが地球の概念で言うところの「神様」というやつなのだろう。名前も知らないし、向こうも名乗る気はないようだった。
「死んだ……なるほど。まあ、不思議と取り乱す気にはなれないな。自分なら、こういう状況でも『まあ、やりかねないか』ってあっさり納得しそうな気がしてたし」
僕は、自分でも驚くほど落ち着いた声で返した。生前、ファンタジー小説や転生モノの物語を好んで読んでいたことも影響しているのかもしれないが、それ以上に、地球での人生にどこか未練がなかったからだろう。
「適応力が高くて助かるよ。さて、君の魂は輪廻の枠組みから少し外れてしまってね。私の管理する別の世界――君たちの言葉で言えば、剣と魔法のファンタジー世界へ転生させてあげようと思うんだ。もちろん、ただ放り出すわけじゃない。君が望む環境と、生きていくための力を授けよう」
神様は、楽しげな響きを帯びた声で言った。
転生。剣と魔法の世界。
普通なら胸を躍らせて喜ぶところだろう。しかし、僕の心に真っ先に浮かんだのは、希望ではなく「清算」だった。
「転生させてもらえるのはありがたい。でも、その前に一つだけ、絶対に叶えてほしい願いがあるんです」
「ほう? 言ってみなさい」
「僕の『名前』と、『家族や親戚に関するすべての記憶』を、僕の魂から完全に消去してください。地球で得た科学やモノづくりの知識、趣味の記憶は残してほしい。でも、血縁にまつわるドロドロとしたしがらみだけは、綺麗さっぱり忘れ去りたいんです」
神様の光が、わずかに明滅した。まるで瞬きをして、僕の魂の奥底を覗き込んでいるかのようだった。
「……なるほど。君の生前の記録を見させてもらったが、これはまた……。因習、複雑すぎる戸籍、親族間の愛憎劇。確かに、これらを抱えたまま新しい人生を歩むのは、少しばかり重荷かもしれないね。よかろう、その願い、聞き入れよう。君の記憶から『誰が誰であったか』『自分が何という名で呼ばれていたか』を、完全に消去する」
「ありがとうございます。それで十分です。もう、誰かの人生に振り回されたり、理不尽な伝統を背負わされたりするのは御免だ」
僕は深く息を吐き出した。これでようやく、本当の意味で自由になれる。
「では、転生先についての希望を聞こうか。どんな環境を望む?」
「とにかく、人間関係のしがらみがない場所がいいです。近くには強力な魔物しかいなくて、普通の人間が絶対に寄り付かないような、強力な結界で守られた土地。目の前には広大な浜辺と海があって、裏には豊かな森と山、淡水を蓄えた湖、そして未開の洞窟がある場所。そこで、誰にも邪魔されず、自分の好きなようにスローライフを送りたいんです」
「欲張りなオーダーだが、面白い。君の望む箱庭を用意しよう。その代わり、人間社会から完全に隔絶された場所だから、生き抜くための力は必須だ。君には、地球の知識を具現化し、あらゆるものを創り出せる『万能創造』のスキルと、それを支える『魔力無限』、そして空間を跳躍する『転移』の魔法適性を授けよう。さらに、環境に順応するための『全ステータス補正』もつけておく」
「至れり尽くせりですね。感謝します」
「なに、君がその辺境の地をどう開拓していくのか、私にとっても良い暇つぶしになりそうだからね。さあ、行くがいい。名もなき魂よ。新たなる世界で、君だけの理想郷を創り上げるのだ」
神様の声が遠のくと同時に、視界が強烈な白い光に包み込まれた。
その光の中で、僕の中にあった「家族の顔」「親戚の名前」「因習の記憶」、そして「自分の本名」が、まるで朝霧が晴れるようにスッと消え去っていくのを感じた。
心の中に残ったのは、澄み切った虚無感と、これから始まる新しい生活への純粋な期待だけだった。
***
――ザザーッ、ザザーッ。
心地よい波の音が、鼓膜を優しく揺らした。
重かったまぶたを開けると、そこには突き抜けるような青空と、エメラルドグリーンに輝く広大な海が広がっていた。
足元には、雪のように白く、サラサラとした砂浜。
ゆっくりと体を起こして背後を振り返れば、深く鬱蒼と生い茂る巨大な原生林が広がり、その奥には天を突くような険しい山々がそびえ立っている。左手の方角には、太陽の光を反射してキラキラと輝く大きな湖があり、右手にはぽっかりと口を開けた岩山の洞窟が見えた。
「……本当に、言った通りの環境を用意してくれたんだな」
僕は立ち上がり、大きく伸びをした。
身体が驚くほど軽い。前世の記憶――科学や工作、サバイバルの知識はしっかりと頭の中に残っているのに、自分の名前や家族の記憶だけが、ぽっかりと綺麗に抜け落ちている。それが不思議と心地よかった。今の僕は、何者でもない。ただの「僕」なのだから。
海風を胸いっぱいに吸い込み、僕は自分の手を見つめた。
神様が与えてくれたというスキル。それが本当に使えるのか試してみる必要がある。
「ええと、たしか『万能創造』だったか」
頭の中で、足元の砂から純度の高いガラスの塊を生成するイメージを描く。
すると、身体の奥底からじんわりとした熱――魔力と呼ばれるものだろう――が湧き上がり、指先を通って砂浜へと流れ込んだ。
シュゥゥゥッ!
という微かな音と共に、僕の目の前にある砂浜の一部が瞬時に変質し、透き通るような美しい直方体のガラスブロックがポツンと出来上がった。
「すげえ……本当にできた」
しかも、魔力を消費したことによる疲労感が一切ない。これが『魔力無限』の恩恵か。
これならば、材料さえあればなんだって作れる。家も、道具も、インフラも、すべて僕の思いのままだ。
「とはいえ、まずは寝床と水だな。いくら結界があるとはいえ、夜を野ざらしで過ごすのはご免だ」
僕はガラスブロックを拾い上げ、確かな重量と冷たさを感じながらニヤリと笑った。
誰の目も気にする必要はない。誰の干渉も受けない。
僕だけの、僕による、僕のための国造り。最高のスローライフが、今ここから始まるのだ。
僕は歩き出し、まずは洞窟の方へと向かった。
あそこなら、雨風をしのぐ仮拠点として最適だろう。道中、森の入り口で太い木の枝を見つけると、再び『万能創造』を発動させ、枝を鋭利で頑丈なサバイバルナイフへと作り変えた。
手の中でしっくりと馴染むナイフの感触。地球の知識と異世界の魔法が融合した瞬間だった。
波の音と、森のざわめき。
遠くから、時折魔物らしき雄叫びが聞こえてくるが、結界のおかげかこちらに近づいてくる気配はない。
完全に守られたこの箱庭で、僕は今日から、この手で世界を切り拓いていく。
【ステータス】
名前:なし
年齢:18(肉体年齢)
職業:開拓者
レベル:1
HP:150/150
MP:∞/∞
スキル:
・万能創造Lv.1
・魔力無限
・空間転移Lv.1
・全ステータス補正(大)
・地球の知識
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