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noteの小部屋  作者: 小椋夏己
20260528(木)「炭酸のから始まる作品・シロクマ文芸部」

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6/8

短編小説「二日目のジンジャーエール」

 炭酸の泡がわっと湧き立ち、シュワシュワと小さくなってやがて液体に溶け込んでしまうように、妻の命は消えていった。


 まだ40代半ばの若さ。病が見つかった時にはその若さが仇となり、あっという間に広がって、半年もせずに妻は病との戦いを負け戦で終える日を迎えてしまった。


 元々が遅かった結婚。どちらも30代半ばでのこと。もう若くはないからと、結婚後間もなく不妊治療を始めたが、どちらにどうという原因もないのに子どもは授からず、妻が40歳を迎えた時に一区切り終えることになった。


「この先を二人で過ごす人生も悪くはないんじゃないかな。毎回意気消沈する日を重ねるんじゃなく、後は神様に任せて楽しく過ごそうよ。もしも自然にできたら、その時はありがたく受け取ってさ」


 そう言ってもう少しと言っていた妻を納得させ、約束通り二人の日々を重ねていった。楽しくて幸せな日々だった。


 出会いが遅かった二人がまるで少年少女の初恋のように、一からまた恋を始めた日々。それまで不妊治療に使っていた金額を、二人の生活を充実させるために使うことにして、旅行にも結構行った。


 そんなある日、不調を訴えた妻が病院で診てもらったところ、よろしくない病であることが分かり、しかももう手の施しようがないと言われてしまったのだ。


 必死で色々な手を尽くしたが敵は手強く、妻はみるみるやせ細っていった。そして最後の一時帰宅の時、こんな話をしたのだ。


 治療の影響で何を食べても、


「まるで口中にラードでも塗りたくられたみたい、油臭くて食べられたものじゃない」


 と言っていた妻だったが、ただ一つだけ口にしておいしいと言うものがあった。


 薄い琥珀色に硬い炭酸のジンジャーエール。これだけはいつ飲んでもすっきりすると喜んでいた。


 その日も1.5リットルのペットボトルを持ってきて、フタを開け、シュワシュワと激しく踊る液体をグラスに注いだのだが、その姿を見て妻が笑ってこう言った。


「ねえ、相変わらずおっきいペットボトル買ってるのね。こういうのって次の日には炭酸抜けちゃうのに」

「いやいや、だってね、小さいボトルは割高じゃない」


 そう言って開けたてのジンジャーエールを勢いよく注いだグラスを妻に渡した。妻はおいしそうに喉を鳴らし、はあっと一つ息をつく。


「やっぱり開け立てよね、二日目の炭酸ってどうしてもなーんか頼りなくて」「いっつもそう言うよな」


 俺は笑ってもう一杯注ぎ、しゅわしゅわと泡立つそれを妻に渡した。


「俺はまあ、それほどのこだわりはないし、二日目でもそうでもないよ」

「それでもやっぱり違いは分かるでしょ」

「まあねえ」


 確かに大きなボトルに残った炭酸は、翌日にはかなり気が抜けてしまうものだ。妻が嫌がるので二日目でもなんとかならないかと、色々と工夫をしてみたことはある。炭酸が抜けにくくなるという栓を使ったり、ライフハックで見て逆さに立ててみたり。試してはみたがやはり翌日には多少抜けてしまい、開け立ての勢いがなくなっているのはどうしようもなかった。


 そんなことを思い出していたら、妻が突然こんなことを言い出した。


「ねえ、私がいなくなったら、また新しい人を探してね」


 驚いて返事ができず、グラスを口に当てたまま固まっている俺に、妻は続ける。


「嫌なのよ、私がいなくなった後、あなたが一人でいることを考えるのが。だから、もしもそうなったら絶対新しい人を探してね」

「何言うんだよ……」


 俺はかすれる声でそう答えるのが精一杯だった。妻はじっと俺の目を見ながらさらに続ける。


「私がいなくなって、あなたが二日目のジンジャーエールみたいに気が抜けてしまうのが嫌なの。子どもを諦めて二人で過ごしたこの数年、本当に幸せだった。いつも開け立てのジンジャーエールみたいに刺激的で、ずっと笑ってはじけてた。それを忘れてほしくないの。だから約束よ、きっと新しい幸せを見つけてね」


 今から妻にきっと治る、そんな日は来ないと嘘をつくこともできない。だけど、とてもそんなことを約束もできない。


「その時になったら考えるよ」


 俺はやっとのことでそれだけを口にすると、激しく泡立つ液体を一気に喉に流し込み、むせた。妻は笑いながら、口を拭くためのティッシュを渡してくれた。


 その後はもう言葉にはならず、二人でゆっくりとジンジャーエールを飲んだ。


 妻がいなくなり、今も一人でジンジャーエールを飲む。


「ほい、開け立て」


 今は小さいボトルを買って、写真になった妻と自分に一杯ずつ注ぎ、できるだけ一回で飲み切るようにしている。


 開け立てのジンジャーエールを飲むようになってから、それがどれほど物足りないかをもう忘れてしまったが、それでも俺はこう言わずにはいられない。


「二日目のジンジャーエール。頼りないけどなんだか甘ったるくて、これはこれでそんなに悪くないよ。だから、そんなにせっつかないで、もうちょっとこれを味わわせてくれよな」


 俺はぐいっとグラスの中の薄い琥珀色の液体を飲み干すと、空になったグラスを妻のグラスにカチリと当てた。小さく笑う妻が、しょうがないわねと言った気がした。

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