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noteの小部屋  作者: 小椋夏己
20260521(木)「サンダルでから始まる作品・シロクマ文芸部」

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短編小説「打小人」

 サンダルでバシバシと一枚の紙を叩く。


打小人ダーシウヤン


 香港の伝統的な厄払いの儀式だ。


 昔、旅行をした時に見たことがある。道端でおばさんたちが手に手にサンダルやスリッパを持ち、依頼人から預かった品や、誰かの名前を書いた人型をレンガの上に置いてはバシバシと叩いていた。


 おばさんたちは口々に何かの呪文のようなものを唱えていたが、香港の言葉が分からない私には、ちょっと亜流のお経のように感じられたっけ。


 面白いなと思って覚えていたのだけれど、まさか自分がそれをこうしてやる日が来るとは全く思わなかったものだ。


「馬鹿野郎、不幸になっちまえ!」


 私には呪文は分からないので、適当に心に浮かぶ言葉をぶつけながら男の名前を書いた人型を叩いている。A4サイズの紙に適当に描いて適当に切った人型だけど、これだけ怨念を込めたら効果があるはずだと信じて。


 女の一番いい時期、二十代前半から後半をずっとあの人と過ごしてきた。この先もずっとずっと一緒に過ごし、共に年をとっていくのだと信じて。


「ごめん、他に好きな人ができた、別れてほしい」 


 その気持ちを踏みにじったのはそのたった一言。相手は会社の後輩で、一年ほど前から私とかぶって付き合っていたとか。


「だったらもっと早く、とっとと解放してくれとけよ!」


 マンションのベランダで履いていてそれなりにくたびれたサンダル、擦り切れたかかとで男の名を思い切り踏みにじるように叩きつける。私の愛情を、気持ちを踏みにじったのだ、同じように踏みにじってやってもおかしなことはないでしょう。


 半分夏になったような五月晴れの日曜日、今日は男と後輩の結婚式だ。


「晴れてようございましたこと!」


 私とは何年も付き合って一言も出さなかった結婚という言葉、ほんの短い時間でその女には言ったんだね。いくら思い返しても悔しくて悔しくてどうにも気持ちの持っていきようがない。


 もしも結婚していたら不倫を理由に慰謝料を請求することもできるだろう。男の社会的地位に傷をつけることもできたかも。


 もしも正式に婚約していたら、婚約不履行でそれなりに罰を受けさせることもできたはず。だけど、単に交際していたというだけだと、女の貴重な二十代を何年も縛っていても、何もペナルティをつけることはできないなんて、


「なんたる理不尽よ!」


 さらにサンダルの音が高くなる。


「えい、えい、えい!」


 何度も何度も叩き続けたからだろう、ふいにサンダルのかかとが折れて飛んでいった。


 青空にぽーんと飛んでいったサンダルのかかと。一瞬中天に近く上がってきた太陽と重なると、マンションの外の道路に向かって落ちていった。


 なんだろう、その瞬間、ふっと何かが落ちた気がする。


「もういいかな」


 別に許したわけじゃない。そんなことをされてもう好きでもなくなっているけど、こんなことをしていてもしょうがない、そんな気持ちになれた。


 自分に災いをもたらす「小人シャオレン」を叩きのめして厄を払う「打小人ダーシウヤン」、きっと小人が黒い気持ちの一部を持っていってくれたのだろう。


「このぐらいにしといたるわ!」


 私はどこぞの喜劇のような言葉を口にして、エアコンの聞いた室内に入った。  温かいシャワーでも浴びて汗を流してさっぱりしたら、乾いた喉にビールでも流し込もう。小人に小さく乾杯してから。


 そういえばあの儀式を一緒に見たのはあの人とだったなと思い出す。一緒に香港旅行に行ったのだ。この先、もしも何かよくないことが起こったら、あの人はあの光景と私のことを思い出すかも知れない。それを思うとちょっとだけ愉快になった。

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