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モリスが地球を踊るとき  作者: morriss090
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1 運命の出会い

1章 出会い



 まだ、九月だというのに、降り立った成田空港は、長袖の人々であふれていた。僕は袖のない腕を持ち上げて時計を見る。長針と短針がちょうど重なって自分の方を指している。

6時32分と11ぶんの8分。中学受験の時に暗記した知識が頭をよぎる。実生活では役に立たない知識だ、32分と33分の間にあるのは、静寂な1分だけ…

いや、静寂じゃなかった。


「まったくイヤになっちゃう。」


耳をつんざく高い声。僕の意識は、急激に現実に戻される。


「ど、ど、どうしたんですか?」


「もう、イヤよ。インドには二度と行かないわ。見てよ、あたしたちだけよ、こんな薄着でうろちょろしてんの。ばっかみたい。」


「出しますか?上着。」


「上着って、何言っての?このサリーの上に何羽織らせようとしてんのよ。ばっかみたい。」


全日空のタラップを降り、リムジンバスに向かう、この騒がしい二人組はドキュメンタリー映画監督・安西美幸あんざいみゆきとその助手の安川一やすかわはじめであった。

インドでの撮影で3か月ぶりの帰国だった。

思えば、三か月前、スポンサーの立花氏は、わざわざ、安西の事務所まで訪ねてきて、それはそれは丁寧に平身低頭しながら、低いバリトンの美声を響かせて言ったのだ。


「経費削減のほど、よろしくお願いいたします」


と。

そして、監督は立花氏に「右斜め35度の自分が一番美しく見える」と監督だけが思っている角度を保持したまま、ええ、ええ、と大仰にうなずき、


「わかりましたわ。お任せください。」


と言ったのだった。


その結果が、今だ。本当だったら、10人規模の撮影隊を組んで行くはずだったのに、

インドロケは、二人ぽっちで行くことになった。

現地での僕の役割は多すぎた。ホテルのチェックイン、チェックアウト、スッタフの現地調達から、ロケハンなどなど。

監督は現場にやって来て、現地のカメラマンに身振り手振りで指示を出し、カメラを回してチェックして…そして、いなくなる。その後のギャラの支払いや、後かたづけは、僕が全部ひとりでやった。


確かに、僕の不手際でスケジュールが押したところは認める。それでも、少しくらい労力をねぎらってくれたっていいのに…。監督はいつだって自分のことばかりだ。今だって悪態ばかりついている。インドの食生活から、国民性から、とにかく何から何まで腹が立って、腹が立って仕方がないという状態。


「暑くて死にそうだったし、何を食べても腹が下るし、道歩いてるだけで人だかりできちゃうし。いいことが一個もなかった。詰まんなかった。」


監督は、後ろで手を組み、小さな子供がするようにイヤイヤと肩をゆらせながら、大きな声で言った。

これ以上、監督の気分がこじれると、僕にとっても大変な事態になりそうなので、監督の半歩後ろから、少し身を乗り出し、下から覗き込むように


「そんなに文句ばっかり言わないでください。いいこともありましたよね?」

と静かに声をかけた。


「何よ、何よ。なかったわよ。」


「いい()が撮れたじゃないですか。」


監督のほほがかすかに赤くなる。


「そうね、いい画はとれたわね。」


「また、撮影残ってるんで、一か月たったら、いい画を撮りに行きましょうね。」


あくまでも、ご機嫌をうかがうように、柔らかな口調で、優しく優しく、言ったつもりだったけれど、卑屈な態度が逆に気に障ったのか、監督はインドから僕に向かって矛先をかえ、攻撃しだした。


「だいたいね、アンタぁ~小姑みたいにうるさいのよ。アタシの好きにさせて欲しいのよ。」


「ハイ。」


「頭の上から説教しないで欲しいのよ。」


「ハイ、すいません。」


「どっちにしたって、もうインド撮影はごめんだわ。スタジオでなんとかならな・・・。」


監督の言葉が言い終わらないうちに、僕はドンと前に出た。


「それは、ダメです!監督自ら言ってたじゃないですか。この映画の売りはモノホンのインドを臨場感あふるる映像で表現するところにあるんだって、ほら、プレゼンの時に。感動しましたよ。さすがって…」


僕は熱弁した。もしかしたら監督より僕の大声の方が周囲に迷惑をかけていたかもしれない。

だのに・・・

監督はまるで聞いていなかった。僕の熱弁が終わる前に「重大発表しまぁす」と片手を挙げると、すっと姿勢を正した。


「わたくし、もう、インドには行きません。」


僕はしばし、茫然と立ち尽くした後、慌てて、


「か、監督~。そんなに、嫌?なんですか?その割には、インドで買った、そのサリー、超お気に入りじゃないですか。」


「これは、いいのよ。でも、ホントこれだけ、良かったのは。」


監督は自分が着ているサリーを愛おしそうになでた。

茜色から空色に替わるグラデェーションのこのサリー。監督は一目見るなり100メーター先から怒涛のように走りより、一切値切らず、いい値で買ったのだ。そして、その場で着替えて、右手の人先指を空に高く掲げ、高らかに宣言したのだった。


「私は地球を手に入れた!」

と。

周辺にいたインド人たちはなんのことやらわからないまま、祝福の拍手をしている。僕がやっと監督のもとにたどり着いたときには、ちょっとした教祖のようになっていたのだった。

僕は思わず、ぼんやりと思い出に浸ってしまった。一方監督は、さっきとは打って変わって、遠くを見つめ、足元もおぼつかなくなっている。


僕は「はっ」とする。


そうか、分かってしまった!監督のこのご機嫌ななめな感じ、インドへの恨みつらみ、あのホテルのベルボーイだ。監督好みの美少年だった。最初のうち、可愛い可愛いとうるさく言っていたのに、帰国寸前には、なにも話さなくなっていた。僕が知らないうちに告白したんだ。そして、こっぴどくふられたんだ。気づいてしまえば、簡単なこと。ここは、その悪い思い出に触れないように、巧妙に話題を運ばなければならない。監督は、それこそいい年なのに、素晴らしいドキュメンタリー映画を何本も撮って、その筋じゃあ、結構有名なのに、色恋の話となると、中学生レベルの反応を見せるのだから。僕は我ながら棒読み口調だと心の中で嘆きながら、さりげなく話題をすり替えた。


「監督。それ、値切らず買ったから、円に直しても結構な値段になるんじゃないですか?インドではあらかじめ値切ってもらうように高めの値段がついているって本に書いてありましたよ。」


「え?なに?サリーのこと?」


「そうですよ。ああいう所は五分の1くらいの値段になるって。」


「アンタ~やっぱり、あれね、あれ。うん、バカ。」


僕は、いきなりバカと言われたので、少しむっとしながらも、我慢我慢と手をさすり、心を落ち着かせた。


「バカですかね?」

「うん、そうね。っていうか、無知。サリーはね、プライドで着るのよ。値切ったら値切っただけ価値が下がるのよ。ただの物じゃないの。そう、あれは一期一会、あの時、あの状況で手に入れなければ意味のない、私の一部。いえ、私がサリーの一部なのだわ。」


しんみり話す監督の言葉に僕は意外に深い話だったと、襟を正し、教えを乞うため身を乗り出した。その瞬間…


「あの人、なんだって、これ着た私の価値がわからなかったのかしら…。」


最後は尻すぼみに、つぶやく監督を見ながら、僕は自分の試みが失敗したことを悟っていた。


「安川ちゃん、アタシ、インドには未練はあるけど、希望がないの。アナタ一人で行ってらっしゃいよ。」


「え?一人でって。僕が撮っていんですか?そんなの、願ったりかなったりですよ。でも、あとで、文句言わないで下さいよ。」


自然と笑みのこぼれる僕に監督は、怖い顔で


「何言ってんの!アンタ、プロでしょ。文句あったら、言うに決まってるでしょ!何度だって行ってもらうわよ。リテイク・リテイク・リテイク・ザ・灼熱の国、インド!!」


監督は自分の思い付きが存外に気に入り、機嫌が直ってきた。しまいには、鼻歌を歌い、腰をふりふり。逆に僕は、監督の言い出したらきかない性格を思い、心底おびえていた。


一緒に行ってほしい。


監督に認めてもらえる画が撮れると思えなかった。僕は、ええい、ままよ、とやけっぱちに楽しいインド演出して監督を誘ってみた。柄にもなくリズムまで取って、


「監督、インドは楽しい所ですよ。もう一回、一緒に行きましょ。インド・インド・素敵なインド、踊るマハラジャアー・カーペットの国。」


一回転して、ひざまずいて差し出した僕の手を、監督は、ペチと叩くと、冷ややかに


「魔法瓶じゃあるまいし、“ジャア”はないでしょ。それに、カーペットと言えば、アラビアン!インドじゃないわ。」


僕の楽しいインド計画は、全くの逆効果をもたらし、監督を不機嫌にしてしまった。が、次の瞬間、監督が突然立ち止まり、おなかを押さえて苦しみだした。顔をゆがめながら、腰を折る。


「ヴー、痛い。それより、何よりこれ何、ちょっと腹がおかしいわ。重いっていうか、全部出したい感じ。ほら、アタシ、インドではエビセンしか受け付けなかったから、完全に炭水化物の取りすぎなのよ。」


「ああ、そうですね。トイレですよね。トイレ、トイレ。えーっと。」


僕は焦った。早く探さなければ。首をキョロキョロさせる。荷物をほおりだしたまま、猛ダッシュで動き回り、トイレの表示を探した。監督はトイレを我慢できないのだ。三〇秒も待てない、一度、ほんの10秒遅かったために、監督がビニル袋で用を足してしまった時のことを思い出したら、冷や汗が出てくる。あの時の後始末だって僕の仕事だった。最悪・・・。映画に関しても、私生活に関しても、凡人とは違う感性を持った監督は、本当に扱いづらい。僕はいつも困っている、困っているのだが、逆にこんな人、面倒みれるのは自分だけだと自負しているところもあった。そして、トイレが見つかった。僕は確認するや否や、大きな声で叫んだ。


「監督~、こっちこっち。荷物は後で回収するから、早く行ってきてください。どうぞ、ごゆっくり。」


「ふん、荷物とられたら、首だからね。」


「ハイハイ。」


監督は、さっきまでインドは嫌だとくだを巻いていた人とは思えないほどの素早さでトイレに向かっていった。おそらく、僕の最後のハイハイは、耳に入らなかったであろう。そんな監督を見て、ああ、やっぱり、ぎりぎりだったと、胸をなでおろした。しかし、監督はすぐに戻ってきた。青い顔をして、額には玉の汗が浮かんでいる。必死の形相で迫ってくる監督に、


「は、はやいっすね。」

と言うと、監督は、腰をかがめて、おなかを押さえたまま、首をかしげながら、


「どうしよう?どうなってるんでしょう?」


と、うろたえた。


「どうしたっていうんです?」


「デ・ナ・イの!アタシだって出したいのよ?っていうか、おなかパンパン。パンパンで痛いの。でも、なのに、そうは問屋が卸さないんだってばぁ。もしかして、これって、

便秘かもしれない・・・。」


まるで、この世の終わりかというように心細げな監督、それもそのはず、生まれてこの方便秘になったことがないのが自慢なのだ。腹の中に不要なものは1分でも長く置いておきたくない、いち早く体外に放出するのが監督の信条なのだ。僕も慌てた。こんな非常事態ははじめてだ。どうしたらいいんだろう。監督以上に動揺してしまっている。そんな時、監督が重いはずの腰をフリフリ叫んだ。


「モカシェイクでゴーゴーヘブン!!」


「ああ、そうか。モカシェイク。インドで切らして以来飲んでないっすからね。もちろん、さっき売店で買っておきましたよ。監督は、これがないと…。」


「余計なことは言わないことね!さっさと渡して、ああ、無常愛情」


「監督こそ、余計なこと言ってないで、早く飲んでください。」


「そうしよう。」


「そうそう、そうして、早くトイレに行ってください。ってか、トイレで飲んでください。」


僕は、再びトイレへと走り去る監督の背中をしばし眺め、先ほど買いだめしたモカシェイクを見やる。今回の一時帰国の一因とも言えるモカシェイク。監督はこれがないと、居ても立っても居られない状態になる。映画のインスピレーションもわかなくなってしまう。アルコールも入っていない、フツーに売っている飲料水だというのに、ここまで、ジャンキーになるとは。僕が飲んでみても、何の感想もない。ちょっと味の薄いドロドロしたコーヒー牛乳といった印象で、とても、ぜひまた飲みたい飲料ではないのだ。


でも…もしかしたら、ここに監督の素晴らしいインスピレーションの秘密があったりして…もう一回のんでみようかな、と蓋に手をかけた瞬間、変な顔の外人女性が声をかけてきた。僕は、こういった外国人はすべて無視することにしていた。


「スコーシ、スミマス」


僕は体を少しひねり、外国人に背中をむけた。


「スコーシ、スミマス」


外国人は僕が体をひねった方向にグイッと近づいてきた。

僕は更に体をひねった。


「スコーシ、スミマス」


更に、近づいてきた外国人。僕の体はこれ以上ひねれそうにない。仕方がないので答えることにした。


「はいはい、何ですか?」


明らかに迷惑そうな顔と声で応じたというのに、外国人は全く気にする様子がない。


「モリスハ、アクタカワサン、サカシテイマス。」

「それで?」

「アクタカワサン、“DOMINIC”キマシタ。モリス、アクトレス、ナルイイネ、イイマス。」

「それで?」


僕は、この外国人は一体何を求めているんだろう、と、心ならずも興味を持ち始めていた。


「モリス、ニホンキタラ、ポク、サカシテ、イイマス。」


誰かを探しているのかな?でも。


「悪いけど、僕は知らないよ。」

「ニホンノヒト、ミナ、アクタカワサン、シッテル、イイマス。」


日本のみんなが知っている芥川さんはもう死んでるし…

違うよな、だまされちゃったんだよ、この人。


僕がどう言葉にしていいものか逡巡していると、外国人は、洋服をゴソゴソまさぐると、しわくちゃの紙を取り出し、僕のほうへ差し出した。そこには、走り書きの汚い字で“茶川りゅうの助 ぼっちゃん”と書かれていた。僕はさらに、絶句してしまった。字が間違っている。

そこへ、重大な仕事を終えた監督がトイレから帰ってきた。


「ヤスカワちゃん、お、ま、た、せ。何やってんの?この子誰?」


「よく分からないけど、旅行者に騙されたみたいです。女優になりたいって。」


僕は外国人の方へ顎を向けた。かといって、僕は外国人を軽んじたわけではない。監督がすぐに歩き出すことに備えて、両手に荷物を抱えていたため、比較的自由になる部分は顎しか残っていなかったのである。


「なに、そんなのまともに相手にしてんのよ。著名なアタシの力をあてにしてくるハイエルみたいな子なんて山ほどいるでしょ。いちいち相手してたら…。」


監督は、バタバタと手足を動かしながら、そこまで勢いよくしゃべって、ハタと止まった。外国人が手にしていたしわくちゃの紙をじっと見ている。そして、つぎに外国人の顔をじっと見た。

僕は、外国人に替わって、今までの話をまとめて説明し始める。


「これ、見せたら、日本で女優になれるって言われたんですって。漢字も間違ってるし、著者名と作品名も食い違ってるんですよ。字も汚いし、いい加減に書いたんでしょうね。ある意味許せないですよ。とんだ日本の恥さらしです。ともあれ、我々には関係ないことですし、行きましょうか。」


と、歩き出した僕ふっとした疑問がわいた。あれっ?今、僕、最後までしゃべった?普段、会話の最後の方は監督に遮られ、最後までしゃべったことがないものだから、ちょっとした違和感に足を止め振り向いた。

監督は、まだ、外国人としわくちゃな紙とを交互にじっと見つめている。

僕は少し離れて見ることで、分かってしまった。監督がこの変な外国人に興味を持ってしまっている。まさに、獲物を見る目つきだ。でも、こんなブサイクと言っては失礼だけど、監督のお眼鏡にかなうはずがない。監督は何といっても徹底的に美しいものが好きなのだ。映画だって、繊細で美しい映画、美しすぎて涙が出る、などという批評が出ることは珍しくない。もちろん、私生活においても、好きになるのは眉目秀麗な美少年と相場が決まっている。それに監督は直接自分を売り込みに来る女優志願・俳優志願の若者をハイエルと呼んで忌み嫌っているのだ。これは、おそらくハイエナのドイツ語読みかフランス語読みか、もしくは単に監督の造語かもしれないけれど、とにかく、目の前の外国人はどう見てもハイエルで、監督の機嫌がわるくならないうちに、とっとと退散するに限る、はずなのだ。なのに、僕は監督と外国人の間に割り込むことができなかった。口を開くことさえ、はばかられる、何か…。


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