第101話:まんてんのほしぞらのした
さて、義兄様の隣に座り、テントの立ち並ぶ野営地を眺めます。
……いくつかテントが揺れている気がしますの。いやいや、光源が焚火ですからね。炎の揺らめきのせいとしておきましょう。
まあ本当はここには100人いる訳ですからもう少し歩哨をおきたいところですが、わたくしとクロが警戒していれば問題ないですの。
「義兄様もお疲れでしょう。お休みになられては?」
「グルゥ」
「もー、お優しいんですから」
でも明日もありますのでね。わたくしは荷車の1つから折り畳みの椅子やシート、毛布などを取り出すと、木に寄りかかれるように椅子を設置します。
「義兄様、せめて寄り掛かってお休みくださいまし」
「グルル」
義兄様の手を引き座っていただくと、義兄様は逆にわたくしの手を引きました。
バランスを崩して倒れ込むのは義兄様の腿の上。お腹に手を回され、ぬいぐるみのように抱きかかえられます。
「きゃ。……義兄様?」
「グルルルル」
うーん。わたくしも休めと言われましても。
「まあ、ちょっと休憩させていただきながら、うろうろいたしますのよ。……クロ?」
『はい』
「どうせ火はつけているのですし、お鍋でお湯を沸かしておいてあげていただけますか?」
『了解しました』
鍋が飛んでいき、水が生み出されますの。身体を拭きたい方とかもいるでしょうからね。
ふあぁ。満天の星空を眺めながら、義兄様のおなかに寄り掛かってぬくぬくとしていますの。
わたくしは色々なことをお話しします。眠気覚ましのために。
学校のこと、ナタリーや友だちのこと、騎士団のこと、これからのこと。義兄様は何も語らず、時たまわたくしの言葉に相槌を打ってくれますの。
義兄様の逞しい腕はわたくしのおなかに回され、時おりわたくしの頭を撫でます。
髪の毛がそのたびにくるくると義兄様の指に巻き付きました。
せっかくお湯も沸かしていますし、普段は飲まないのですが夜番用のコーヒーを口にし、マシュマロを焼きます。
それを交互に義兄様と口にしました。
…………ん。
わたくしはむくりと義兄様の膝の上から立ち上がりました。
「ガルゥ」
「そうですわね、ええわたくしが出ますのよ」
「グルル」
「大丈夫ですの、クロもおりますし」
わたくしはクロを呼び寄せて野営地の端へと向かいます。
時刻は深夜、満天の星空にだいぶ傾いた黄色い第一の月。
「スティング。分かりますか?」
(いえすまむ)
「引き摺り下ろしますの」
(やー)
右の巻いた髪がするするとほどけ、そして長さを伸ばしていきます。少ししてぐっと引っかかる感触。
(ふぃーっしゅ)
釣りじゃないんですのよ。
どさりと落下音がします。そのままずるずると地面を擦る音。
「やあ、良い夜ですわね」
「貴様……」
夜陰に紛れていたのは男性型の魔族。フード付きのローブのようなものを纏った人型ですが、隠蔽していてもその魔力、瘴気、隠し切れるものではありませんの。
そもそも飛んでましたしね。
「ふむ、そこの砦の生き残りかしら?それとも偵察かしら?
ちゃんとわたくしの殺る分も出てくれるとは気が利きますわね?」
よく見ると血痕がありますわね。生き残り……義兄様が殺し損ねるとも思いませんし、先に一度逃げたか、それとも死からの蘇生能力かしら。アンデッド系を操作していましたし、後者かもしれませんわね。
「あの狂戦士、このわたしを捕らえる技、貴様ら一体何者だ……」
「わたくしたちを知らないとは新参者ですわね。答えよ、どうやってこの地へ来ましたの?」
わたくしと義兄様を知らない魔族なんてアイルランドにはいませんのよ。モグリですの。まさかこのなりで3歳児ってこともないでしょうしね。
「な、なにを」
「転移門がまだ稼働しているのか、ヨモトゥヒラサクの結界に穴があるのか、それとも北東の切れ目をこっそり抜けて入っているのか。
……あなた隠密行動に向いてそうですし最後ですかね」
魔族はぎょっとしたような表情を見せました。
わたくしは魔力を全身に漲らせます。
「名乗れ魔族、我が名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。アイルランドを継ぐ者、魔を滅する者ですの」
「貴様がっ……!くたばれ!」
「Kill’em All!」
相手が何か魔術を使うような仕草を見せましたが、それより速く。
わたくしの肉体が一瞬で加速して眼前へ。彼は飛び退って逃げようとしますが……。
(めー)
そもそも髪が巻きついていることを認識していませんと。振り解けるようなやわなアホ毛ではありませんのよ。
わたくしはただ脚を軽く踏み込んで膝を踏み砕きながら、左手を掴み捻り投げます。技もない無造作な動きですが、身体が固定されているため負荷のかかった腕の関節を砕いた感触。
右の貫手。魔術で強化された手は脇腹を貫き刺さりました。
両手から伝わる冷たい感触。流れない血。
魔族はにやりと笑みを浮かべ、右手を強く横に横に振ります。顔面狙いのフック。わたくしはひょいと後退し、拳の間合いの外に出ました。
「死体の身体ですのね。元から死体なのか、義兄様に殺されて動き出したのかは分かりませんが、屍の王の類ですか」
「は、はは。そう、そうだ。我こそは屍の王、ネガンドゥザール!貴様らがいくら我が肉体を破壊しようと無駄なこと!」
魔族の身体から白き霧のようなものが放出されます。それは霊体。立ち上る霧は傷となった脇腹のあたりから特に強く湧き上がりますの。
「なるほど、先ほどの戦いで動く死体の類は山ほど出ていたと聞きますが、霊の話は出ませんでしたの。そこまで使役するほどの力が無かったのかと思いましたが、出し惜しみしていたんですのね」
無数の霊を使役してこの魔族は肉体を動かしているのでしょう。あるいは本体そのものが霊体なのか。
「霊体は拳では殴れまい!」
『神域展開』
クロがそう告げると、霊の動きがぴたりと止まります。
「……え?」
ネガンドゥザールと名乗った悪魔は間抜けな顔を曝しました。
「残念でしたわね。去年までのわたくしだったら苦戦していたかもしれませんがね。わたくし、霊体の相手は得意になってしまいましたのよ」
右拳にクロの神力を宿らせますの。
「塵と消えよ、ネガンドゥザール」
わたくしは拳を振り下ろしました。
結局のところ、その夜にあった異変はそれだけでした。
あの魔族がここから逃げようとしていたのか、この野営地を襲撃しようとしていたのかは分かりませんけど、確かに悪霊を憑依とかさせておけば、大きな被害を与えられたのかもしれませんわね。
朝になり、皆さま起きて来られました。
「ふふふ」
朝焼けの中、テントから這い出してきた男性陣の顔を眺めます。
「ははは、諸君!やつれているな!
だが覚悟の決まった良い顔をしている!」




