第94話:お嬢の帰還
港から火の手。歓迎の篝火ってこともないでしょうしね。火事でしょうか。それとも戦闘でしょうか。
マストの上の方や舳先に位置する方も気付きざわめきます。
ちらりと周囲を見渡します。
実のところ、ポートラッシュには海軍がないんですわよね。この船や船員の方々はブリテンの所属ですし、軍事行動はさせられない。というか、わたくしに指揮権がありませんの。
わたくし含め、翠獅子騎士団の皆様も船上での戦闘経験はありませんし。
んー……。わたくしは〈戦声〉の術式で拡声して叫びます。
「総員傾注!……船上なので集まらずにその場で聞きますの!」
こちらに進もうとしてきた騎士団の方を手でとどめます。みんな集まったら船が傾いちゃいますのよ。
「前方、バリーキャッスルより火の手が上がってますの。わたくしはこれより強行偵察に向かいます。船長、錨は下ろさずに待機を」
「お、おう!」
「翠獅子騎士団は、戦闘準備をして船上で待機。船と民間人の護衛に集中すること」
「「はっ!」」
「それとナタリー」
「は、はい!」
呼ばれるとは思っていなかったのでしょう。ナタリーが驚いた表情でこちらを見ます。
「わたくしの視界を共有することを許可しますわ。状況は随時イアン副長に伝達すること。
イアン副長、ナタリーは〈精神感応〉的なものでわたくしの見ているものを見ることができますの。状況を随時聞き取り判断を。こちらの指揮は任せます」
「はいっ、お姉さま、ご武運を!」
ナタリーが胸の前で両の拳を握りしめ、気合を入れています。
「クリス、ハミシュ、サリアはイアン副長の指示に従ってくださいましね」
「ええ、アレクサも気をつけて」「了解した」「はいっ!」
わたくしは義兄様に向き直ります。見上げると義兄様は厳しい眼差しでバリーキャッスルの港の方角を見つめていますの。
「では義兄様、行ってきますわね」
「グルルル……」
義兄様はわたくしに覆いかぶさるように手を伸ばすと、わたくしの後方に漂っていたクロの金魚鉢を掴みました。
「ガウ」
『ふむ。アレクサ、先行を。すぐに追いつきます』
なんでしょう?クロの思念にわたくしは頷き、詠唱を始めます。甲板を船首に向かって走り、幅跳びのように跳躍します。空中で詠唱が完成。
「〈孤独なる撃墜王〉!」
船の上で宙返りしてバランスをとって前へ。
風を切って空を飛びます。みるみる港町の景色が大きくなり、その上を小鬼の類が飛び、手から炎を放っているのが見えますの。
「こんなところまで攻撃を許すとは……!スティング!」
(いえすまむ)
アホ毛が向かい風に逆らってゆるりと揺れます。
「〈騎士帽子〉、ドリルロール!」
(やー!)
右側の巻き髪が解けて右手に纏わりつくと、馬上槍の形状をとりました。
小鬼達の何体かが気付きましたがもう遅い。右手を前に突き出した状態で高速飛行し、小鬼の腹を突き刺します。旋回してもう一度。
小鬼達の手からこちらに何条も炎が放たれます。
「Go Ahead!」
強化魔術、防御魔術を重ねて発動。相手の攻撃を回避するまでもなく〈魔力鎧〉で弾き、さらに別の小鬼を貫きます。幾度も旋回し、その度に小鬼を刺し貫いて制空権を奪い取ります。
眼下では町にまで入り込んでいる魔族と住人達が戦っていますの。
空を舞うわたくしを見つけた兵士が歓声を上げ、下からは人型、獣型の魔族たちから魔術や攻撃が飛んできますが、そうそうこの速度で飛んでいて当たるものでもありません。
「アレクサンドラ様ー!」「我らがお嬢様!」
わたくしはそう呼び掛ける彼らに応えるように右手の槍をぐるりと大きく回すと、おそらく覗いているであろうナタリーに見えやすいように俯瞰で町全体を視界に入れます。
「〈水作成〉」
大規模に水を作り、大きく燃えているところの上に落とします。滝のように水が落ち、蒸気を放ち建物を崩しながら鎮火していきますの。他は小火程度、後回しで大丈夫でしょうか。
ふむ、これ複数方向から奇襲を受けましたわね。半魚人的な形状の魔族が港の東側から、あと町を囲う壁の南側が破られてます。町を覆う小規模な結界が破られ、小鬼たち有翼の魔物が空から火を放った構図でしょう。
西のポートラッシュからは援軍が直にくるでしょう。丘の向こうにこちらに向かう兵らしき群衆らしきものが見えますの。
まずは港を奪還しようとそちらに意識を向けますが。
…………おう。
義兄様が海上を走っておられますの。左手でクロの金魚鉢を抱えて、まるでラグビー選手のように海上を走ってきます。
〈水上歩行〉でしょうか?
「……港は義兄様とクロにお任せしましょう。スティング!南から制圧しますのよ!」
(いえすまむ!)
わたくしは城壁へと降り立ち、制圧を開始しました。
とまあ、着くなりの戦闘となってしまいましたが、特に問題はありませんでしたのよ。
軽く魔族を血祭りに上げているうちに、港からは義兄様の咆哮が。
抗戦していた兵達の士気は跳ね上がりましたし、魔族たちは浮き足立ちます。
「レオナルド様だ!」「突撃隊長だ!」
わたくしと義兄様が町の真ん中で合流する頃には魔族たちは死ぬか逃げるかしており、歓声があがりました。
わたくしは手振りで彼らを静めて声を張り上げます。
「諸君!アイルランドの戦士たる諸君!そしてそれを支える善良なるバリーキャッスルの民たる諸君!」
血を流し剣を持つ兵も、銛を抱える漁師の奥さんも、包丁と鍋で武装する女の子も皆がぎらぎらとした瞳をこちらに向けます。
「勝利ですの!それと……ただいまですの!」
わたくしが拳を突き上げると再び歓声が上がります。
「さあ、とっとと火事を消して怪我を治しますのよ!重傷者から連れてきなさい!
あと沖合いの船が入港しますので、そちらも何人か回して下さいまし!」
とまあそんな感じで、わたくしたちと翠獅子騎士団はアイルランドへと上陸しましたの。まあ、死者無し、重傷者3名、家屋一軒全焼でしたのでいつも通りですわ。問題なし。
ああ、1つ問題ありましたわね。ナタリーですの。
戦闘終了後に上陸したナタリーが、顔を真っ青にしてましたの。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
「お、おねえ……さま……」
クリスがため息をつきながら説明してくれました。
「ナタリーは今アレクサと視界共有してたじゃない。
旋回繰り返す高速飛行とか怖いに決まってるでしょう。しかもアレクサの顔についた返り血を見るに、至近で血飛沫飛び散る戦場。船の揺れもあって酔いもあるわ」
あー……。申し訳ありませんのー。




