第93話:おーばー・ざ・しー
〈転移門〉を抜けるとスコットランドですの。
「うわ、ちょっと涼しいですね!」
門を抜けるなり、ナタリーが口に出しました。
向こう側は、ニュー・エディンバラにある魔術士組合の支部ですわ。向こうで門を管理している魔術士の方にお礼を言って、手続きを取り、街へと出ます。
ここ、ニュー・エディンバラは成立して100年ほどの街です。そして、かつてエディンバラと言われた街に位置するわけではありませんの。西暦時代だとグラスゴーと言われた街の近郊に位置しているとか。
暗黒時代の末期、魔族が大規模〈転移門〉をアイルランドに開通させた際、ブリテンの殆どの地域は魔族に蹂躙されたためです。
魔族に蹂躙されてなお、エディンバラの城と街並みの一部は残っています。ですがヨモトゥヒラサクの結界ができ、ブリテン島より魔族の駆逐が完了しても、あの街に人が戻ることはありませんでした。無数の霊と死者の徘徊する呪われた地となってしまっているために。
ダンジョン:死霊城塞エディンバラ。人類領域にある未攻略大規模ダンジョンの1つですの。
「ナタリーたちはスコットランド初めて?」
「はい!」
「わたしはニュー・エディンバラは2回目ね。その先は行ったことないけど」
ナタリーとサリアが頷き、クリスがそう言います。
一緒に来ていたスコットランド組と別れを告げ、ハミシュを伴って馬車で移動。
ハミシュは御者席に座ってもらいましたの。
馬車で街の西へ。街道脇に人馬の一団が見えますの。
ふふ、義兄様は遠くからでもすぐに見えますわね。わたくしは馬車から身を乗り出して手を振ります。
到着し、馬車から降りると、イアン副長が進み出て敬礼をし、報告してくださいました。
「アレクサンドラ閣下!
翠獅子騎士団50名、予定通り一昨日の1600に現着、欠員なし!」
返礼を返し、問い返します。
「報告ありがとうございますの。何か問題は発生しましたか?」
「落馬による軽傷2、食事当番による包丁及び熱湯での軽傷12、配膳時の肉の多寡を巡っての喧嘩をレオナルド隊長が制圧したことによる軽傷28。
いずれも軍事行動への支障はございません」
……食事での負傷者多すぎでは?
ちらりと彼らの方を見ます。青痣をつくっていたり、湿布をしている方が目立ちますの。
「……良し。では30分後にアードロッサンへ向け出発。進軍速度はこちらの馬車に合わせること」
「はっ!総員、移動準備!」
という訳で南西に移動ですの。本日の移動距離は40km程度でしょうか。
一面に広がるのどかな田園風景の中を、時速10km程で進んでいきます。わたくしたちの馬車の横を並走するのは義兄様。
「義兄様の問題はこれなんですのよねぇ」
「馬に乗れない?」
わたくしの呟きにクリスが尋ねます。
「ええ、馬に乗る技量はあるのですが、馬が怯えてしまうのとそもそも義兄様の体格を支えられるような馬はおりませんの」
御者台から声がかかります。
「おい、アレクサンドラ。そのお前の義兄なんだがさっきからずっとこちらを睨んでいるんだ。なんとかしてくれ」
ハミシュですの。先ほどから居心地悪そうに何度も座り直しています。
「ガルルルル……」
義兄様の方を見ます。確かに視線が前を見ているのではなく、御者台のハミシュに向いているんですのね。
……ああ。
「わたくし、学校で何があったかを良く義兄様に話してましたの」
「それがなんだ?」
「ええ、魔術戦闘訓練の決勝で、ハミシュの銃剣にお腹を刺されたり、小銃で撃たれたり、あなたのお祖父様がわたくしの身柄を求めているという話をしてありますから」
「ばっ……てめぇ!」
「あら、事実ですわよね」
ハミシュは大きく舌打ちすると、居心地悪そうに前を向きました。
道は田園を抜けて延々と広がる草原を、時に林の脇を、小さな集落を、氷河湖の脇を抜けていきます。
氷河湖では遅い昼食と給水のために休憩を取り、日が西の空で傾き、色づき始めた頃、アードロッサンの街へと着きました。
アードロッサンは小さな港町ですが、今日は大賑わいですの。わたくしたちを輸送するために近隣からも多くの船が集められているからです。ええ、わたくしたちの輸送に加え、馬50頭の移動ですからね!
ポートラッシュはそれを賄う牧草地という意味では問題ないのですが、森林資源が不足していますの。翠獅子騎士団の方々の宿舎や馬たちの厩舎の建築のため、大工や木材の輸送、船を馬船に改装するなど、アードロッサンと寄港地のキャンベルタウンは前々から賑わっていたとのこと。
臨時の市も立ち、まるでお祭り騒ぎ。まさかこんなに歓迎されるとは思ってませんでしたのよ。
今日はもうここで移動終了ですし、用意された牧場の一角に馬を放ち、歓迎の宴へと繰り出します。
バグパイプの冴えた音に郷愁を誘うティンホイッスル、調子の外れたフィドル、バウロンを撥で叩く音色とそれに合わせた手拍子。
「リールですか。ふふん、フィドルがとぼけていていい感じですわね」
道の真ん中では6人の男女が輪になって踊っています。リールダンスの一種ですわね。脚を素早く前後に動かして地面をタップするフォークダンス。
「お姉さま、フィドルとバイオリンの違いって何ですか?」
うーん、なんと言ったらいいものか。ハミシュが呟きます。
「知らんのか?」
「ええ、ご教授願えますか?」
「酒に酔うと弾けないのがバイオリンで、酒に酔わないと弾けないのがフィドルだ」
わたくしはにやりと笑って肘でハミシュを小突きます。
ちょうど前の曲が終わったところなので、飛び入りで参加しましょうかね!
「クリス、ナタリー踊れそう?」
「無理!っていうか、あんな脚上げたり速く動かすのできないわよ!」
クリスが手をバツにします。ナタリーも自信なさげ。
わたくしはサリアとハミシュの腕を取って前に出ます。
「お、おい待て」
「踊れるでしょう?ナタリー!クロをよろしくですの!」
ええ、ダンスはとても盛り上がりましたのよ。
その後はクリスやナタリー、騎士団の皆さんにステップを教えて下手な踊りも見せました。これはこれでウケていたと思いますの。
明日が船なのでほどほどにと伝えましたが、それでもみなさんお酒や食べ物を楽しまれました。港なのでやはり魚料理が美味しかったですわね。
わざわざアイラ島からもこの市に来たのがいるようで、イアン副長はラフロイグとかいうお気に入りのお酒をケースで買ってましたわ。
そして翌日、見送る方々に手を振りつつ船は出港し、キャンベルタウンへ寄港し、そしてアイルランドに向かって進みます。
わたくしは船の舳先に立ち、前を見つめます。
「クロ見えますか?」
『なるほど、これが』
「ええ、ヨモトゥヒラサクの結界ですの」
アイルランド島からブリテン島は、あるいはブリテンからアイルランドは目視できませんの。
それはこのヨモトゥヒラサクの結界があるため。結界自体も不可視であり、白くぼやけて先が見えない状態です。
ただ、島の北東方向の結界の切れ目、つまり今わたくしたちが進んでいる方向ですが、そこだけは海が続いているように見えます。
ですが霊気を見れば、様相はがらりとかわります。島全体が何も通さない黒いヴェールで覆われているかのよう。
『いや、なんと偉大な大魔術の行使であることか。
アレクサ、これが真に強力な神の御業というものですよ』
船は結界にさしかかります。
そこを越えた瞬間、景色はがらりと変わり、ぼやけて見えなかった正面が急に晴れて巨大な緑の島が。そして逆に後方がぼやけて見えなくなりますの。
「ん?」
あれ。バリーキャッスルの港から火の手が上がってませんか?




