第92話:おんまいうぇいほーむ
それからの数ヶ月は特に大きな出来事も無く過ぎていきましたの。日々を学業と修行に費やし、時に友と遊び、時に義兄様や騎士団の訓練に帯同しました。
6月、4学年後期の試験も問題ありませんでしたの。今期は謹慎したり体調を崩したりライブラに行ったりと幾度か授業を休んでしまっていますので、それによる減点はあるでしょうけど。
でもその分の学習はしっかりしましたの。テストの手応えは充分でしたし、今まで足を引っ張っていた魔術制御がクロの[神域展開]を使わせていただくことで間違いなく学年トップになりましたからね。前期は座学だった魔術決闘訓練も後期は実技優勝ですし、成績は上がっているでしょう。ふふふ。
テストの翌日は、みなさんで打ち上げの食事会をして……。そうそう、6年生の方々はもう卒業ですのよね。ベリンダ監督官が監督官をモイラさんに引き継ぐと発言してみなさんが悲鳴を上げられたり、イーリーさんがクリスにナタリーの魔法をレポートして送るように依頼したりしていましたわ。
卒業式では正装された最上級生のみなさんを笑顔と涙で送り出し、次はわたくしたちが帰省する前日。わたくしはミセスの部屋に赴きました。
〈騒霊〉さんの淹れてくれたお茶を楽しみながらお話しします。明日からわたくしがいなくなるためか、今日は紅茶にフルーツタルトがついてきましたの。
口にすると瑞々しい甘さが広がります。
「今年一年も、いや今年は特にお世話になりましたの」
「そうねえ。魔術戦闘訓練もあったものねぇ」
お婆ちゃんの姿のミセスがにこにこと笑みを見せました。
1年を振り返りつつ談笑し、わたくしは最後にミセスに封筒を渡します。表面には休学の文字。
ミセスはそれを見て軽く溜息をつき、頷かれます。
「わたくしは明日、家へ、ポートラッシュに戻りますの。お伝えした通り、寮からはサリアとクリス、ナタリー。後はハミシュと向かいます」
「出来れば新学期にちゃんと戻ってきて欲しいけど。仕方ないかねぇ」
「流石にポートラッシュに戻り、そこからハイランドまで行くとなると難しいですの」
そうなのです、わたくし、新学期の9月までにサウスフォードへ戻れませんのよね。元より夏休みはわたくしもみなさんも帰省するのですが、今年はわたくしそれにくわえてハミシュとお祖父様に会いにいくというのがありますからね。
「本当はね、学校を卒業してからそのあたりの懸案を片づけられればとも思うんだけどねぇ。あなたにはその時間がないのよねぇ、レディ・アイルランド」
わたくしは頷きます。卒業したらすぐにポートラッシュ領で軍務に加え、領主としての学習を行わないとなりませんからね。
「アレクサンドラ、あなたの旅路に幸いあらんことを願うわ。
……〈祝福〉」
「はいっ!」
実家のポートラッシュからここサウスフォード魔術学校のあるセーラムの町まで直線距離なら500km強でしょうか。数ヶ月前、お父様がザナッドに乗って飛んで来た時でアイルランド島を囲むヨモトゥヒラサクの結界沿いに飛んだとして600kmの道のりでしょう。それを1日で往復されたのですから、さすがはドラゴンライダーというべきですの。
では陸路だとどうでしょう。これが非常に遠回りになりますの。ヨモトゥヒラサクの結界は北東部、バリーキャッスルの港の先にのみ切れ目があり、そこを船で抜けて対岸のキンタイア半島南部のキャンベルタウンの港に行くしか方法がありませんの。さらに別の船でアラン島を回り込むようにアードロッサンの港へ。そこから南へ街道沿いで陸路700km近い道のりになりますの。
婚約破棄の際、1日に100kmの距離を馬車で走破しましたが、あれは最高級の馬車に魔術師が乗って1日半の道のりなのでできたこと。
貴族用の上等な馬車で長期旅行だと街道を急いだとしても1日60kmが限度でしょう。つまり船旅と合わせてまるまる半月かかりますの。往復したらほとんど休みが無くなってしまいますわ。
そこでどうするかと言うと……。
「サイモン校長、よろしくお願いいたしますの」
「「「「よろしくお願いします」」」」
わたくしと同郷のサリアそれに今回同行するクリス、ナタリー、ハミシュ、他にもスコットランド地方在住の生徒数名が校長室前に集まっています。
校長室から出てきたサイモン校長にわたくしが頭を下げると、みなさんで礼をとりました。
みなさんトランク一杯の荷物を小脇に廊下に並んでいますの。
4年生以上の生徒達は使い魔をつれています。もちろんわたくしの横には金魚鉢に入ったクロが浮いていますし、クリスはフラッフィーを小脇に抱えていますわ。
「うむ、良かろう。今年1年間お疲れさまじゃな」
校長先生は強い魔力を感じさせる長杖をつき、白いローブを着込んで頷かれます。
王国の首都ライブラ、スコットランドの中心であるニューエディンバラ、そしてここサウスフォードの3箇所には〈転移門〉の秘宝があるのです。
空間操作系魔術の大魔術、〈転移門〉はサイモン校長の得意魔術ですが、流石に数百kmも離れたところに大量の人員を送ることはできませんの。
ですが、この秘宝は特定の座標、つまり別の〈転移門〉の秘宝に向かっての転移を強力に補助します。
座標が登録されているので転移事故、いわゆる「石の中にいる」が起きませんし、魔力櫃からの魔力の供給を受けられます。
使用料はかなり高額なのですが、わたくしが魔力櫃に事前に魔力供給していることと竜鱗を提供することで使用が許可されてますのよ。
ニューエディンバラからアードロッサンまでは陸路で1日、そこから船で2日ですから、つまり3日でポートラッシュまで移動できますの!
義兄様や翠獅子騎士団のみなさまは半月前にアードロッサンに向けて出発されてますの。今日あたり到着している予定ですわ。
秘書のエミリーさんが校長室の隣にある部屋の鍵を開けました。
この部屋は地下にある魔力櫃の真上にあり、殺風景な部屋の中央には高さ3m程の凱旋門のような形状の金属製の門が置かれています。
校長先生はその脇に立ち、魔力を練り始めました。地下からも魔力が門へと流れ、門に刻まれた魔術文字が順に輝き、門の中央、何も無い空間が輝き始めます。
(たのしみ)
アホ毛が風も無いのにゆらりと揺れました。
「おや、スティング。ご機嫌ですわね」
(ここではないどこか。はじめて)
なるほど、わたくしの髪に宿った霊はここで取り憑いたものですものね。旅に出たことはありませんか。
「アイルランドは良いところですのよ。きっと気に入りますわ」
『それはわたしも楽しみですね』
クロが話に加わりましたの。
「ふふ、クロも初めてですか?」
『そもそも陸地にいませんからね』
……そういえばそうですわね!
「ま、まあアイルランドの海にもなまこさんはいますもの。きっとクロも気に入ってくれると思いますわ」
校長先生の詠唱が一段と大きくなり、術式がついに完成しました。
「〈転移門〉!……接続成功だ。では諸君、いきたまえ。また秋に元気にもどってくるんじゃよ」
門の向こうには別の部屋の景色が見えますの。
門の維持にも魔力を消費するので、みなさん校長先生にお礼を言ってエミリーさんに手を振りながら、足早に門をくぐります。
「では行ってまいります!」
わたくしたちは光の中に吸い込まれていきました。




