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『星読みの真似事姫』と婚約破棄されましたので、王国の暦は来年から狂います

掲載日:2026/08/13

「星読みの真似事しか能のない女だ。ロズヴィータ・オルドレイン、おまえとの婚約は今日かぎり破棄する」


 春の夜会だった。管弦が止まり、シャンデリアのいちばん明るい下で、王太子オズヴァルト殿下が高らかに仰った。お隣には侯爵令嬢ユスティーナさま。扇の陰でくすくす笑っていらっしゃる。


「十年も婚約者の座に据えてやったのに、おまえときたら茶会もそっちのけで、夜な夜な塔にこもって星を眺めるだけ。妃の学びは半端、社交は不調法──なあ、皆も知っていよう。城の者がおまえを陰で何と呼んでいるか。『星読みの真似事姫』だ」


 広間のあちこちで、遠慮のない忍び笑いが起きた。


「以後は心ゆくまで星と暮らすがいい。俺の隣には、もっとふさわしい人がいる」


「だって殿下のお隣ですのよ? 星を眺めて数を呟くだけの方には、荷が重うございますわ」


 ユスティーナさまが軽やかに仰って、笑いがまたひとつ揺れた。わたくしに向く視線は、同情が三割、好奇が七割というところかしら。


(数を呟くだけ、ねえ)


 言い返す言葉なら持っている。けれど言わない。代わりに、少しだけ昔の話をさせていただこう。


 王国には暦というものがある。種まきの布告、港の出航びらき、祭日の日取り。国じゅうの畑と船と鐘楼が、あの一枚の紙に合わせて動く。出しているのは宮廷天文寮──ということに、なっている。


 その数字を引いてきたのは、わたくしだ。


 オルドレイン伯爵家は代々、王家の天文台を預かる家である。父が病で観測に立てなくなった年、十のとしのわたくしが代わりに星を測り、初めて暦を引いた。以来十年。夜ごと塔に登り、星の高さと月の道を測っては、塔に眠る二百年分の観測記録と、各地から届く風と潮の便りに重ねてきた。魔法ではない。嵐の来やすい旬、霜の下りる頃合いが読めるだけの、地道な照合の術である。日付をひとつに言い当てる力でもないから、危うい年には欄外へ小さく但し書きを添える。十四の冬にはそれで出航びらきを三日遅らせ、帰った船乗りたちが寮の壁に干し魚を吊るしていった。礼を受け取ったのは寮の名前で、わたくしの名前はどこにもない。殿下が仰る「夜な夜な星を眺めるだけ」の中身が、これである。


 娘の筆と知っているのは、天文寮の寮頭ただひとり。父の代からの取り決めで、封をした計算稿は寮頭さまだけが受け取り、寮の名で清書して布告に回す。旧い計算の術は父の代で寮から絶えていて、検算できる者もいないから、秘密は十年破れようがなかった。名義はすべて寮のもの。それで構わなかった。暦は誰かの手柄のためではなく、麦と船のためにあるのだから。


 殿下にとって、暦は空気と同じ。あって当然、誰が作っているかなど考えたこともないもの。


 ──さて。殿下はいまの一言で、何をお捨てになったのでしょうね。


 わたくしは扇を畳んで一礼した。泣きも縋りもしない。その値打ちのある相手には、もう見えなかったから。


「謹んでお受けいたします。──では殿下、来年の暦は、どなたかお引きくださいませ」


「? ああ、好きに言っていろ」


 殿下は一瞬だけ怪訝な顔をなさって、すぐユスティーナさまのほうへ向き直られた。おわかりにならないなら、それでよろしいのです。



 翌朝、わたくしは王都の外れの天文台に登り、観測帳を革紐で括った。十年分、六十三冊。夜ごとの数字をびっしり書き込んだこの帳面は、オルドレイン家の財産であって寮のものではない。置いていく道理がない。寮へ納めた計算稿は、あちらの棚のもの。持ち帰るのは、この生の帳面だけである。


 螺旋階段を、寮頭さまが息を切らして上がっていらした。白いおひげの、わたくしのたったひとりの先生。


「お聞きおよびですか」


「聞いた。……儂が陛下に申し上げる。暦を引いておるのはあなたじゃと」


「なりません」


 わたくしは首を振った。


「王家はわたくしを要らないと仰いました。要らないと言われたものを差し出し続けるのは、押し売りと申します。──それにわたくし、寮の官ではございませんもの。病んだ父の名代を、頼まれもせず続けてきただけ。賜った役目がないのですから、お返しする手続きも要りませんでしょう?」


「じゃが、来年の暦は」


「去年までの写しがございましょう。星は急には変わりませんもの。──ただ」


「ただ?」


「……いいえ。なんでもございません」


 嵐の年と閏のずれだけは、写しではどうにもならない。わたくしが毎年、写しの上から手で直してきたものだ。けれどそれを言う義理は、もうわたくしにはなかった。


「先生。長らくお世話になりました。名義のことは、墓までお持ちくださいまし。あなたの職まで巻き添えにしては、寝覚めが悪うございます」


 寮頭さまは何か仰りかけて、結局、深く頭を下げられた。


 荷馬車に観測帳を積み、最後にもう一度だけ塔を振り返る。十年通った白い塔。誰もいない階段の途中で、一度だけ足が止まった。


 泣くほどのことではない。ただ、下りながら初めて階段の数を数えた。百二十と、四段あった。



 わたくしは領地には引かず、王都の屋敷から社交の場に出続けた。逃げも隠れもしていないという形を残すためであり──正直に申せば、見届けるためでもある。


 最初のほころびは、破棄の年の種まきの布告だった。


 例年なら夏の終わりに出る布告が、その年は半月遅れた。天文寮が寄合を重ねても数字が定まらなかったのだと、噂だけが先に飛んだ。秋の初めの茶会では、隣の席の伯爵夫人が眉を寄せて仰った。


「遅れて出た布告どおりに冬麦を蒔かせましたらね、うちの領は初霜に当たって、畑の三つに一つが蒔き直しですって。天文寮は何をしているのかしら」


「まあ。半月も」


 わたくしは湯気の向こうで相槌を打つ。夫人の後ろでは農政の官吏が青い顔をして、大臣の袖を引いていた。


 冬の夜会では、広間の真ん中まで凶報が届いた。南の港の船団が、出航びらきの日どおりに沖へ出て嵐に突っ込み、三隻が帆柱を折って引き返したという。積み荷の穀物は塩をかぶって使いものにならない。港の代官の使者が大臣に耳打ちする声を、わたくしは三歩離れた場所で聞いた。


「昨年までは、嵐の年には出航びらきが遅らせてありました。今年はなぜ、と港じゅうが……」


 なぜ、の答えを知っている顔が、この広間にいくつあるかしら。


 同じ夜会で、殿下は笑っていらした。


「暦がどうしたと騒がしいな。去年の写しどおりに読めばよかろう。星見など、要は紙の写し取りだ」


 ユスティーナさまがお隣で頷く。わたくしは黙って葡萄酒を一口。


(写しで足りるなら、わたくしの十年はずいぶん暇な十年でしたこと)


 言わないけれど。


 春の謁見の間では、天文寮の若い官吏が殿下に呼びつけられ、諸侯の並ぶ前で叱られていた。祭日の日取りが月の満ち欠けと合わず、市の立つ日が二度も流れたのだという。


「写すだけの仕事で、なぜ間違える!」


 官吏は震えるばかりで答えない。写すだけの仕事ではないからです、と教わっていないのだから答えようがない。わたくしは列の端でそれを見ていた。見ているだけにした。手を挙げる理由なら、あの春の夜会で殿下ご自身がお捨てになった。



 年が明けた。写しから写した暦の、二年目である。夏が来て、麦が実らないまま穂を垂れた。種の時期を外した畑は、それでも刈り入れの日だけは律儀に来る。


 そして秋。収穫祭の大広間は、祝いの場ではなく詰問の場になった。


「収めが三分の一も欠けたのだ!」


 壇の下から諸侯の声が飛ぶ。


「布告どおりに蒔いて霜に当たり、布告どおりに船を出して嵐に沈みかけた! 十年間違えなかった暦が、なぜ二年続けて狂った!」


「祭日はずれ、市は流れ、税の取り立てだけは暦どおりに来る! どういう了見か!」


 壇の上では天文寮の若い官吏が真っ白になって俯いている。責めを負わされるのだろう。写しを写すことしか教わっていない、あの若い人が。


 そのとき、列の中から寮頭さまが進み出た。


「諸侯がたに申し上げる」


 老いた声が広間の隅まで通った。


「天文寮が間違えたのではございません。天文寮は、もともと暦を引けぬのでございます」


 どよめきが走る。寮頭さまは構わず続けられた。


「この十年、王国の暦がただの一度も外れなかったのは、寮の力ではなく──あの方の筆でございました」


 皺だらけの指が静かにわたくしを指した。


「オルドレイン伯爵家のロズヴィータさまが、十のとしから夜ごと星を測り、暦を引いてこられた。嵐の年には出航を遅らせ、閏のずれは手で直し、十年、麦も船も守ってこられた。儂は名義を貸していただけの老いぼれにございます。証しは寮の書庫に。あの方の手になる計算稿が、十年分残っております。──この首は、いかようにもなさいませ」


 広間が割れるようにざわめいた。何百という目が一斉にわたくしへ向く。


 わたくしは何も言わなかった。これはわたくしの戦いではないもの。ただ扇を閉じて、寮頭さまに向かって深く頭を下げた。先生、と唇の内だけで。


 墓まで持ってほしいと願ったのはわたくしだ。けれど先生は進み出る前に、真っ白な顔で俯く若い官吏を一度だけご覧になった。それで充分だったのだろう。


「馬鹿な」


 壇の上で殿下が笑った。乾いた、置き場のない笑い方だった。


「女の、それも小娘の手すさびに、国の暦が引けるものか。星見など誰にでも読める」


「誰にでも、と仰せられるか」


 進み出たのは農政の大臣だった。手に麦の穂を一本、握っていらした。


「では殿下にうかがいます。来年の冬麦は、いつ蒔けばよろしいか」


「……それは、暦を見れば」


「その暦が、もうないのでございます」


 大臣は麦の穂を壇の上に置いた。実の入っていない、空の穂だった。


「霜で蒔き直した麦の欠け、船三隻の修繕、塩をかぶった積み荷、流れた市の二度分。諸侯への償いを合わせれば、国庫の傷は小さな戦一つぶんにございます。殿下──あなたさまは女をひとり追い出したおつもりでございましょう。ですが、あなたさまが春の夜会で追い出されたのは、王国の暦そのものでございます」


「儂からも申し上げる」と寮頭さま。「殿下は『星読みの真似事姫』と仰せられた。では、真似事はどちらでございましたか。写しを写すだけだった寮と、星を測っておられたあの方と」


 殿下は口を開き、閉じ、もう一度開いた。それから、壇の下のわたくしを指差された。


「な、ならば──ならばあの女が悪い! 黙って去ったのが悪いのだろう! 暦を引いていたなら、なぜあの夜、そう言わなかった!」


「仰せられました」


 大臣が静かに遮った。


「あの夜、令嬢は広間の全員の前で申し上げております。『では殿下、来年の暦は、どなたかお引きくださいませ』と。それに対する殿下のお答えを、この場の幾人もが聞いております。──『好きに言っていろ』と」


 殿下の指が力を失って下りた。


「……たかが、星見で」


 その一言で、広間の空気が決まった。諸侯の誰かが吐き捨てるのが聞こえた。まだわかっておられぬ、と。


 気づけばユスティーナさまのお姿は、壇の上のどこにもなかった。侯爵家の席にもない。あの方の家は、退き時を読むことにかけては誰より正確でいらっしゃる。



 収穫祭から幾日かのち、諸侯夫人の茶会でのこと。招かれもせずに現れた殿下が、卓の間を突っ切って、わたくしの前に立たれた。


「ロズヴィータ。おまえ、最初から知っていて黙って見ていたな。国が傾くのを、笑って眺めていたのだろう」


 茶器の音がいっせいに止んだ。


「わたくしは社交に不調法だそうですから、笑い方までは存じません」


 それだけ申し上げて、わたくしは目を伏せた。言い争う気はない。その必要も、もうない。


 なぜなら──顔を上げたとき、冷えた視線を浴びていたのはわたくしではなく、殿下のほうだったから。夫人がたの目は口ほどにものを言う。凶作の年に、責める相手をお間違えでございましょう、と。


 殿下は誰の目も拾えないまま、荒い足音を残して出ていかれた。あの方の周りから人が引いていく音を、わたくしはその日、初めてはっきり聞いた気がする。



 冬の初め、わたくしは諸侯の列に呼ばれて王城の大広間に立った。立太子の資格審査──諸侯と大臣がたが殿下の器を問い直す場の、その結びの布告に、凶作の証人として列席を求められたのである。


 審査の場でも、殿下は同じことを仰ったそうだ。いえ、そうだ、ではない。わたくしは末席で直に聞いた。


「星見ごときで継承を云々するなど、正気の沙汰ではない!」


 誰も言い返さなかった。もう答えの出ている問いだったからだ。


 玉座の前で、国王陛下が羊皮紙を読み上げられた。


「王太子オズヴァルトは、立太子の資格審査の結果をもって、継承の順位を弟宮に譲るものとする」


 殿下は棒立ちだった。


「来年の暦は隣国より購う。その代は──」


 陛下は一度言葉を切り、苦いものを呑むように続けられた。


「金貨三万。あわせて凶作の責として、王家より諸侯へ償いを行う」


 金貨三万。天文台の十年の費えの、ざっと十倍である。隣国の使節は「観測というものは人手がかかりますので」と、にこやかに値を釣り上げたと聞く。わたくしがただで引いていたものに、王家は初めて値札を見たのだ。償いのほうには王家の直轄地がふたつ、形に入ったという。


 弟宮さまが進み出て、陛下の前に膝をつかれた。まだ声変わりも済んでいらっしゃらない。その細い背中に、諸侯は深く頭を垂れた。頭を垂れる先を失った方だけが、壇の脇に立ち尽くしていた。


 退出の折、殿下がわたくしの前を通られた。焦点の合わない目で、呟いていらした。


「なぜだ。……たかが星見で、なぜ俺が」


 最後までそうなのですね、殿下。あなたは暦を失った理由を、暦が読めないゆえに、永遠にお読みになれない。


 わたくしは頭を下げて、お見送りした。それだけをした。



 雪の降る午後、王家の使者が伯爵家の門をくぐった。慇懃なお辞儀と、上等な毛皮の贈り物と。


「暦だけでも、もう一度お引きいただけまいか。爵位も報酬も、望みのままにと陛下が」


「お断り申し上げます」


 わたくしは毛皮を押し返した。


「わたくしの星は、もう王家の空を回っておりません」


 使者は言葉を替えて三度願い、三度同じ答えを持ち帰った。三度目の使者は寮頭さまの口添えまで頼みに行ったそうだけれど、先生は首を縦に振らなかったという。あとで届いた文には、一行だけ。


『あなたはもう、自由じゃ。』



 春先のよく晴れた朝、北から客人が来た。


 ギデオン・ノルドグレン辺境伯。北の海と山を預かる、熊のように大きな方。従者に運ばせた古い革の行李を三つ、客間に積み上げて、その方は開口一番こう仰った。


「十年、探していた」


「……はい?」


「これを書いた人を」


 行李の中身は公式の暦の写しだった。十年分。どの頁も潮風と手擦れでよれて、余白という余白に細かい書き込みがある。


「うちは海で食っている領だ。俺は毎年、王国の暦と自前の海暦を突き合わせてきた。それで気づいた。暦の出航びらきが、たまの年だけ三日ずれる。ずれる年は決まって、欄外に小さな但し書きがあるんだ」


 大きな指が一つの頁を開いた。見覚えのある、わたくしの細い字がそこにあった。


『北風の早い年。船出は三日待つこと。』


「この年、但し書きどおりに三日待った俺の鰊船は、嵐を丸ごと躱した。隣の領の船は沈んだ」


 指が次の頁をめくる。


『霧の夏。灯台の火は日暮れを待たず入れること。』


「この年は灯りに救われた。迷った船が二艘、火を頼りに帰ってきた。──三日ずらした年には必ず理由がある。誰かが北の海の嵐まで測って、誰にも知られない欄外で、会ったこともない船乗りを守ってくれている。俺は十年、この字だけを頼りに船を出して、十年、この字の主に会いたかった」


 わたくしは何も言えなかった。


「ひとつ訊きたい。なぜ署名しなかった。これだけの仕事だ。名前を入れれば、誰もあんたを笑えなかった」


「……暦は、麦と船のためのものですもの。引いた者の名前など、麦は読みません」


「麦は読まんが、人は読む」


 辺境伯は行李の蓋を、ぱたりと閉じられた。


「名も知らん相手に十年守られるというのは、な。存外、落ち着かんものだ。礼の言い先がない」


 名前を呼ばれたことより、公に証明されたことより──欄外の小さな文字を十年、一つも見落とさずに読んでいた人がいた。そのことのほうが、ずっと。


「収穫祭の顛末は聞いた。王家は字の主を『真似事姫』と呼んで追い出したそうだな。都合がいい」


 辺境伯はにこりともせずに仰った。


「求婚に来た。──うちの空は、星がよく見える」


「…………まあ」


 口上がそれだけなのが、おかしくて。気づいたらわたくしは十年ぶんくらい笑っていた。


「ロズヴィータ嬢。返事は急がない。ただ、これだけは。──俺が惚れたのは筆じゃない。嵐の晩に、会いもせん船乗りのために三日を書き足すほうだ」


 言い終えて、辺境伯は行李の縁を大きな手のひらでひとつ撫でた。十年分の頁の角が、指の油で丸くなっていた。


 この方は最初から、わたくしを綽名でも家名でもなく、名前で呼ぶ。


「観測帳が六十三冊ございますけれど」


「馬車を三台連れてきた」


「……嵐の晩も観測に出ますけれど」


「北の男は嵐に慣れている。番茶を淹れて待つ」


 その春の終わり、わたくしはノルドグレン領へ嫁いだ。



 北の塔は王都の天文台より小さくて、空は倍も広い。


 わたくしはいま、誰にも命じられない自分の暦を引いている。鰊の船出、麦の種まき、雪祭りの日取り。領民のための一枚と、それからわたくしのための欄外を。出来上がった暦は領の広場に貼り出され、端のほうに小さく、引いた者の名前が入る。あの方が「麦は読まんが、人は読む」と譲らなかったのだ。


 風の強い朝には、漁師たちが塔の下から「奥方さま、明日の海は」と呼ばわってくる。返事のかわりに旗を一つ揚げると、皆、帽子を振って坂を下りていく。真似事姫の但し書きは、この領では正面の一等地に書かれている。


 夜、塔に登ると、観測の卓はいつも整っている。象限儀は右、砂時計は左、帳面は斜めに、膝掛けは二枚。わたくしの癖のとおりに、毎晩あの方が並べて待っている。


 王都からの便りには、弟宮さまの立太子の礼が滞りなく済んだこと、継承の座を降りた方が暦の値の高さをいまも嘆いておいでなことが、短く書いてあった。


 さて、今夜の欄外にはこう書こう。


『よく晴れる。婚礼の祝いに、流れ星のおまけつき。』


 十年測ってきた星が、初めてわたくしのためだけに流れる。


(了)

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