①
エンジン音だけが、暑さで歪んだように轟き続けている。運転席に人などいないかのように。
ガードレールにぶつかった車のエンジンは、一定のリズムで唸りあげて止まらない。
炎天下でアスファルトは煮えたぎり、世界は捻じ曲がって見える。そんな中、道路にある落とし物のような細い足には、あるべき胴体が繋がっていなかった。
引きちぎられた布はアスファルトに張り付き、陽炎の中で猩々緋が咲くように滲んで沈む。茎と花びらのようなそれは、まるで彼岸花のようだ。
ジイ……ジイジィ……ジイィ……
蝉が咽び泣く。事故現場に居合わせたサラリーマンは、血の気が引いた両足でなんとか立っていた。
異常な光景を目撃したせいなのか、耳の奥で、キィイキィと、まるで耳の中で金属が擦れているような音がする。
彼は震える手で、真夏なのにかじかむ指でスマホを操作した。
ふっ——艶妖なため息が耳を舐め上げた。甘ったるい香りが鼻先にまとわりつく。サラリーマンは即座に何かいると、周囲を見渡した。
何もいない。車通りの少ない交差点に居るのは、轢かれた子供と、不気味な音を奏でる車と、自分だけ。
耳の奥で虫が飛ぶ音がして、真夏なのに一気に体の冷える。手が滑ってスマホが道路に落ちた。
カタコトンッと。
✴︎
カタンカタン、コトンカタンと電車に揺られながら、幸司は生あくびをした。
冷房が効いている車内は快適だ。日々の仕事疲れで眠気はあるが、今日は親友の結婚式。服装もあってか、自然と背筋が伸びる。
結婚式は素晴らしいものだった。新郎は大親友。小学校からの友人たちが何人もいる。だからつい、飲み過ぎた。
明日も休みなので、披露宴の後も飲み会だ。地元の駅前にある居酒屋で、幼馴染たちだけで飲むからさらに楽しいだろう。新婦は披露宴会場で親しい友人たちとアフターパーティーというものを楽しむらしい。
真夏の太陽も湿気も容赦なかったが、居酒屋は非常に涼しいので生き返った。
居酒屋の予約しかしていないけど、一応幹事なので、個室の出入り口近くに腰を下ろす。座席が奥の人に、注文用のタブレットを回してもらった。
「幸司。竜はもう、飲めないって」
誠也が、眠そうな竜の上着を脱がしている。
「おう。無理するなー。他にウーロン茶のやつは?」
誰もいなかったので次はビールの人数を確認。その次はハイボール。このメンバーの一杯目はどちらかだ。
ほどなくして主役の悠平が到着。幸司たちは悠平の挙式や披露宴での様子をからかい、改めて祝福し、やがて昔話に花を咲かせた。
そして、誠也が徹の名前を出した。幸司の唇に自然と力が入った。気にしたくないと、ビールジョッキを掴んで呷る。
ゴクリとビールを喉に流し込むと、耳鳴りがした。ほぼ同時に歌と拍手、赤ちゃんの笑うような声が耳の奥で蘇る。熱が出る前のような悪寒が全身を駆け抜けた。
「あの意地悪だった徹が車椅子バスケで活躍とか信じられねぇよな」
「悠平はあいつとインテレで繋がっていたなんて」
誠也と悠平の会話を幸司は聞きたくなくて、向かい側に座る瑞貴に話題を振った。お前はそろそろ結婚するのかと。
「俺? いやあ、どうなんだろう。まだ付き合って一年だし」
「会社の先輩が……」
幸司の言葉を遮るように、誠也が話しかけてきた。
「なっ、幸司。徹が事故に遭う前の日に、幸司があいつと肝試しに行ってくれたんだよな?」
にこやかに笑う誠也と目が合う。しかし、彼の表情はみるみる曇った。幸司の体温も冷えていく。
「幸司? どうした?」
「……飲み過ぎた。トイレ」
鼻先で鉄錆の臭いがする。指が微かに震えて、またしても、あの歌が聴こえた気がした。
——あんよ
——あんよ
——じょうずねあんよ
幸司は席を立ち、トイレへ向かった。急がないと吐きそうだ。居酒屋バイトの経験があるから、吐いたら迷惑だと分かっているけど、気持ち悪さは止められない。
トイレへ着き、崩れるように個室の中へ入り、服を汚さないようにしゃがんだ。便座の蓋に腕を置いて額をくっつける。冷房の効きが悪くて、生臭いというか独特な臭さが充満している。
吐きはしなそうだが、気分不快は治らない。きゃっきゃっと赤ちゃんの笑い声がしたので思わず振り返る。扉があるだけで誰もいない。足音はなく、人の気配もしない。
落ち着けと自分に言い聞かせて、ゆっくりと立ち上がった。蓋を開き、便座に腰を下ろす。両手で顔を覆い、深呼吸を繰り返した。
あれは、あの日のことはもらい事故だった。地蔵を蹴ったのも、賽銭泥棒も徹だけがしたこと。
けれどもあの夜、幸司も恐ろしい目に遭った。小学校の間は、何度も夢に見たけど次第に忘れたというのに、徹の名前を聞いたせいで、小学生の時の記憶が蘇ってしまった。




