聖女さま、異世界へようこそ(4)
低音が響くゆったりした音楽に、疲れた体が深く沈むソファ。薄暗いオレンジ色の関節照明とも相まって緩い心の揺らぎを感じる。あ、ヤバイ、寝落ちるかもしれない、という感想を持つのは自分だけじゃ無いはず。ただ、今日は寝落ちようにも寝落ちは無理だろう。居合わせたチューターの大半はそんなふうに現実逃避しながら、チラ、チラッと視線をむけた先にいる相手を恨めしく思った。
ただいま、土曜日チューター開催の「放課後」真っ只中。ただし、異常事態発生中。
くだんの放課後に参加してみたいと「正式に」言い放った西橘先生を囲んだ「放課後」。正式な面倒ごとは最小限にさっさと「正式に」終わらせたい佳哉の意向と、完全なセキュリティーを求めた小百合の希望から、希望が出た翌日の土曜日に急遽「放課後」開催となったのが、今日、この場。まさかあの翌日に開催するとは誰も予想していなかっただろう。ある意味、大人の事情の集大成の1つかもしれない。
土曜日の昼チームが業務を終えたタイミングで、小百合が送迎のαルファードにいろんな意味で参加出来そうな出勤者と傍聴者をもはや拉致るように押し込んで連れてきたのが15分前。いつもの場所とは違うオトナな雰囲気の会場に、現地で合流した金曜日のチューター含め全員でキャァキャァはしゃいでいたのが10分前。乾杯の音頭の直前に別ルートから登場した講師の西橘先生とお守役の職員の熊守の登場でその場が一気にシーンと静まってしまって、現在。なんとなく乾杯して、どうにかそれぞれ自己紹介して、非常に気まずい雰囲気だけが、せっかくの雰囲気の場所に似つかわしくなく漂っていた。
「あれ、律がご機嫌ナナメ。」
おそらく自分を気遣って横に座って話しかけてくるりっちゃんの、あまりのいつもの「変わりなさ」さえが、今日ばかりは安心感ではなく不安を律に募らせる。
「放課後」の響きだけなら、こんなにも「いつも」だ。自分の腕に巻かれた紅色のリストバンドも、だからなんだと言わんばかりにいつも通りにそこにある。目の前にあるいつもの、ノンアルコールのカクテル。気分だけはと言って、りっちゃんもいつもノンアルコールのカクテルやらビールを頼んでいるけれど、飲めないことと飲まないことは違う。今は、ハタチが遠い。じゃなくて、今は誰も話しかけないで欲しい。目立ってしまって、次の生贄、もとい喋りのターンが自分に来る流れになってしまうのを誰もが恐れていた。
「私は、別に、芸能界に特には興味ないですよ、西橘先生。」
斜め向かいの恵叶のよそ行きの笑顔から、誰か代わりに相手しろと盛大な副音声が各チューターに聞こえてきた。でも、誰も動けはしない。
西橘先生のようにアイドルの立場からいろんな人を見た経験があっても、それでも芸能の道の可能性を聞かれる恵叶さんの顔面は、破壊力があるのだろう。ただ、この話題は避けて欲しかった。この沈黙を破るため、年長者の一人として、あるいは強引に参加した申し訳なさから、この場をなんとかしたかったのかもしれないという希望的観測はあるけれど。全員が腹の中で、「恵叶、顔面の話題、ダメなのになぁ」。
絶対に恵叶の隣のあの席には行きたく無い。けど、キラッキラな西橘先生の対角線で、何故が隅っこで小さくなっている社員の熊守の席も、避難場所とはまた違う気がする。佳哉は、要所要所でその場を仕切ると、しれっとメニュー表に没頭してしまった。何も考えずに食事にあり付けるのはありがたいけれど、同時に会話の糸口を1つ減らしただけでもあるので、正直、ありがたくない。頼りにしていた金曜日の漫才コンビの先輩は、黙々と物凄いスピードで目の前のサラダをつついている。あのまま行くと、テーブルの全部のサラダが2人の胃袋に収まってしまう。向かいの席の歩夢に至っては、あのチャラい雰囲気を一切消して、見事に壁と同化してる。そう、つまり、参加者みんな、今日は身の置き所が定まらないまま、お互いを猛烈に観察し合っている。
「ねぇ、律、小百合っていつも、あんな感じなの?トークタイム。」
恵叶が強引に律に話題を振った。
「まぁ、いつもと言えば、いつもですけど。。。」
自分たちに話題が振られなかったことで明らかにほっとしている漫才コンビに、恨めしい気持ちを視線でぶつけながら、律は渋々と返事をする。
「トークタイム?」
西橘先生が、助かったとばかりに話題を拾って恵叶に尋ねた。
「はい。高校生クラスには、1限目と2限目の間に少し長めの休憩時間があるんです。そこで、クラス担当のチューターが受験に関するいろんなテーマについて毎週、生徒に向けて話すんですよね。例えば、受験校の決め方とか、高校の過ごし方とか。そこにいる真里谷、、、あ、職員さんも生徒も、一部の講師の先生も皆、『りっちゃん』って呼んでますので、そっちの方が教務室で通じるかもしれません。彼女のトークは結構有名で。実は私も今日、真面目に初めて『りっちゃん』の話を聞いたんですけど、正直、驚きました。」
「驚いたの?」
「ええ、熱量というか、圧倒されると言うか、別世界というか。あれを毎週受け取り続けたら、『りっちゃん』信者が多い理由もわかるなぁと。」
恵叶がそのまま話題のボールを、茶化した物言いで雑に小百合に投げた。拗ねたように小百合が返す。
「信者っていう言い方は、生徒のこと考えると、流石になくない?」
「いや、今年、無事に合格できた生徒の保護者が号泣しながらお礼言ってきてたでしょ。さすがに、あの場は騒然としたわよ。あぁ言うの見ちゃうとさ、ほら、、」
「ケイトさん。」
律はほぼ、無意識だった。
「毎週、りっちゃんはいろんな話であんな風に僕らにぶつかってくれました。りっちゃんだけの別世界というか、、、流行りの表現を使えば、りっちゃんワールドに毎週末異世界コトリップ、です。有無を言わなさない強制召喚に始まって、ゴリゴリに僕らに全力で魂でぶつかって、その後にあっさり日常へ強制送還されます。それを毎週繰り返して、気づいたら僕らもいつの間にか全力でりっちゃんに応えて行くようになりました。結果、ただの高校生から、闘いに挑める受験生にしてもらってました。」
何も難しい事を考える必要はない。自分たち生徒と、りっちゃんのあの時間を、部外者に自慢するだけだ。りっちゃんが生徒との距離感や、感情論や、保護者との関係性から周りに宗教じみていると誤解されやすいと自嘲してることは、生徒の皆が知ってる。だから、自分たち生徒が言葉にしてそんな奴らを蹴散らすんだって、生徒だった時から皆でやってきたこと。今年のクラスの子たちだって、僕ら卒業生に聞いてとっくにやってること。僕ら生徒の「いつも」だ。りっちゃんのクラス出身者の結束が堅いことを、りっちゃんだけはきっと知らないけれど。
「信者扱い、どんとこい、むしろジョウトウです。けど、宗教と違ってりっちゃんは、一方通行じゃないです。いつでもりっちゃんのところに行き来できるように、ちゃんと最初から何度でも使える転移陣のある招待状を、僕ら全員に渡してくれます。りっちゃんは、甘やかしてくれないから、うっかり間違って使うと叱られるだけでキツイ時もありますけど。でも、だからこそ、絶対的に安心できる、受験の時に、こんなふうに僕らの味方でいてくれる人、他にいません。それを、、、僕らが受験しやすいように、呼吸をし易いように、僕ら生徒の親まで巻き込んでやってくれるんです。その保護者の方の反応、全然理解できます。おかしいところなんて、何1つありません。」




