光の屈折は、グラス越しに(3)
「西橘先生が、金曜日の皆と放課後をご一緒したいと。。。」
ちょっと相談だという軽いノリで夏観が囁いた、金曜日のチューター業務開始前のちょっとした時間。
なぜだろう、しばしの沈黙。
「は?」
「え?」
「へ?」
「い?」
「の?」
チューターのほぼ全員が、口を半開きのまま、言葉を捻り出そうとして何も出ず。間抜けな顔で固まったまま。
人間、びっくりすると驚きの言葉も一音での表現が限界となるらしい。それでも、そんな一語でさえどこかに個性は出るものなんだなーと、どうでもいいことを小百合は考えていた。
「最近、厄を引き寄せすぎじゃないですか?」
一足先に平常心を取り戻した小百合の一言に、夏観が露骨に嫌な顔をする。
小百合にとってみれば、本日締め切りの『大学紹介』と言う提出物だけ提出しにきて帰宅しようとした矢先に、そのままチューターチームにすれ違っただけのこと。
「お祓いに行くことを、お勧めしますよ?」
人ごとだと小百合が面白がったのが、ケイトの何かに触れてしまったのか。
普段なら面倒ごとの気配に小百合を巻き込まないはずのケイトが、底冷えする声を出した。
「逃さないわよ。」
いつもの賑やかなチューター漫才コンビ二人組は、その場の空気を読んでか、不自然なほど静かに縮こまっている。
「いや、部外者。普通に帰るし。」
退散を決め込んだ小百合の前に、まさかの、熊守が立ちはだかる。
「熊守を、一応、職員側として派遣するからさ。」
苦笑いの夏観が、熊守を払い除けようとした小百合を止めにかかる。
「ウチの車が、外で待ってるから、今日は無理。」
「しょうがないじゃん。西橘先生が、放課後に参加したいっておっしゃって、わざわざ職員通してご連絡くださっちゃったんだから。」
最早、夏観の敬語が、全く敬語の対象を敬ってない。
「いや、無理なものは無理ですから。皆さんで、頑張ってください?」
「別に、今日じゃないから!!」
夏観が繰り出した渾身の一言に、その場の全員が突っ込みたくて口をパクパクさせたところ、佳哉がスッと発言した。
「それを先に言って貰えませんか!!!」
講師が放課後に参加することは、別に珍しいことでもない。それなりに交流はあるし、小百合だって、水島先生と土曜のチューターとともに放課後をしたこともある。ただ、ちょっと、この「放課後」は特殊なのだ。
他の校舎では今も引き続き、言わずもがな、交流会や飲み会だけがある。小百合達の所属する校舎でも昔はもっと「ゆるかった」、、つまりもっと好き放題に個人的な講師とチューターの交流会とか飲み会はあったのだが、佳哉の代できっちり管理することを佳哉がチューターのリーダーになった際に宣言。
以降、非常にきっちりと、チューターの「誰が」「いつ」放課後に参加したかの記録に加え、講師の参加に関しては、参加は各回一人のみに限定した上で、講師から職員への事前報告を徹底させた。無論、チューターから事後報告も行い、ガッツリと状況を各所で監視できる体制にしている。ひとえに、大事なお子様を保護者からお預かりしているという姿勢を後輩のご家族に示し、ご両親からも安心感を持って頂ける組織を目指すという、佳哉の理想の実現化だ。佳哉が新入り時に感じた個人的な苦労を、後輩に同じようにさせるものかという個人的な強い意志があることは否めない。
「準備が非常に面倒ですね。」
佳哉の声が冷たい。
「こんなことで大事な業務時間を使うのもバカバカしいので、西橘先生が参加を希望されている日付だけ俺宛にもらっても?場所と参加者をこちらで調整します。ああ、女性職員の参加希望者やメディアが殺到しないように、直前まで状況は極秘にします。」
「え?そこまで厳しくする?」
夏観の声に、佳哉の声のトーンがさらに下がった。
「水曜の勝間が聞きつけたら困ります。あの阿呆はまだチューターの在籍でしょう?お忘れですか?」
「。。。。。。。」
「西橘先生のいろんなお話にあてられて、第二の勝間が出ないとも限りませんしね。厳重に情報管理します。この話は、ここで終わり。業務に戻りましょう。」
チューターの皆も、このことは絶対に広めないでね?という佳哉の念押しに、その場にいた全員が頷いた。穏やかににっこり笑う佳哉が、心の芯から底冷えしそうなほどものすっごく怖かったとはのちの後輩談。
「小百合は、このまま今日は帰宅してどうぞ。ただ、この後に小百合が何をすべきかは、わかってるよね?」
恐怖どころか殺気を感じた、というのがのちの小百合談。
ニシタチが参加したいという意向はきっと、熊守経由だろう。要は小百合と話したいんじゃないかなー、それをこの形で持って来たという予想をしたら、佳哉の怒りも分からないでもない。放課後は、佳哉が心血注いで守っているある意味、楽しい時間、、、聖域なのだから。小百合にできることは、抵抗を諦めて放課後の開催に向けた準備をすることだけ。
「はい。。。。後で、連絡シマス。。。。」
小百合は佳哉の指示に渋々と頷いて、蚊の鳴くような小さな声で素直にお返事。
帰宅のため待機している送迎の車に連絡を入れようと小百合が慌てて鞄からスマホを取り出すと、パッと眩しい光が広がった。うっかりスマホのライト機能をオンにしてしまったのだ。恐怖心から小百合の手が震えていたわけでない、誤操作だ。
チューター用の教務室の出入口に近い、自習室受付窓口付近に置かれているガラスの花瓶が、ライトの光を自然と拾う。グラスを経たスマホのライトの光の方向は、当然の物理法則で歪んだ。
「あ、ごめん。」
小百合はすぐにライトを消し、そのまま退出。チューターもいつも通りの落ち着きと賑やかさを取り戻し、業務に勤しんでいる。佳哉も担当生徒に向き合う準備を、いつも通りに開始した。ただ、一瞬の偶然の出来事が異様に強烈に印象に残って、佳哉の胸がざわつくのを鎮められずにいた。
そういう悪い予感はなぜか、当たるもので。
放課後への講師の参加の話をして、そのための準備に関して小百合に指示を出したのは、そうせざるを得ないのだから仕方がない。ただ、それ等をわざわざ、オープンスペースである教務室であの時間に行ったこと。なんと愚かで、考えなしだったことだろう。この後、佳哉は猛烈に後悔することになる。
あれからわずか数時間後の、担当授業終了後。佳哉に降って来た、まさかの「お願い」。けれど、よくよく振り返れば、確実に未然に防げたはずの「お願い」。
厄払いが必要なのは、俺だ。
「ねぇ、南雲くん。西橘先生のように、僕も放課後に参加してみたいのだけれど?」




