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8話:現在の環境対策と巨大台風の弱体化作戦

 二酸化炭素、排出量をゼロにする事やプラスティック、ビニール袋を全廃するとしても今迄、排出してきた二酸化炭素を減らす事にはならず2015年以降、台風、台風の巨大化、集中豪雨、異常高温、偏西風の方向の予期せぬ蛇行などで気象が読めなくなっているが守りだけでなく、少しでも異常気象を人為的に変える試みをすべきであり、それをすることが人類がこれからも長く存続するためには必須条件だろう。また、自国、経済、最優先で旧態依然として大国の経済的、政治的、軍事的脅迫が続いているのを見ると、そんなことをやっているうちに人間の住めない地球になってしまう。


 共産主義による平等な納得いかないが『世界がもし100人の村だったら』の様に他人のために自分達が住む地上の人類全体を仲間として世界の平和を考えていくべきだとうと思うが、実際には自己の利益のためのエゴがまかり通る世界が以前として続き、そろそろ反吐が出てしまう。何て馬鹿なのだろう、もっと自然を大切にすべきであり、原油も地球の埋蔵量を枯渇させないように使い続ける努力をするのではなく、金のために地下深くの岩盤にしみ込んだ原油を化学薬品を注入し取り出し、分離する様になった大国では最近、なぜか大型台風、台風、竜巻、森林火災、地震がふえている。もっと長い時間で地球を見て行こうではないか。また、直近の風、台風の巨大化、集中豪雨、異常高温、偏西風の方向の予期せぬ蛇行などに対して盲目的に受けいれるのではなく人間の英智で台風。台風の方向を変えたり、集中豪雨もたらす海水温を下げたり偏西風の方向を変える研究をし人類への被害を食い止め、地球環境の根本的な改善策を考えていくべきだろう。以前から巨大台風の人工制御が試みられた。


 しかし巨大台風などの熱帯低気圧のエネルギーは膨大で、その渦を消滅させるどころか進路を変えるだけでも、ものすごいエネルギーが必要。太平洋戦争で原子爆弾が使用されると、そのエネルギーのすざましさから昭和21年に「原子爆弾による台風制御の可能性に関する予備的報告」という論文が書かれている。しかし原子爆弾といえども台風のエネルギーの100分の1のエネルギーでしかなく転向点付近の極めてわずかの作用で台風の進路を変える可能性がある程度でしかない。しかし、それより放射能汚染など台風制御によるメリットをはるかに打ち消す被害を出すため原爆による熱帯低気圧の制御は実用性のない話。次に、熱帯低気圧を人工的に制御するには熱帯低気圧は地面との摩擦等によって常にエネルギーを失っていることに注目した。


 もしエネルギーの補給がなけれ膨大なエネルギーといえども1日位で消失するからだ。熱帯低気圧のエネルギー源は大量の水蒸気が中心付近で能率的に水滴に変わる時に発生するときの熱ですが海面付近の温度を下げたり海面に膜をはるなどして空気中の水蒸気そのものを減らすことは、なかなかこない。そこで熱帯低気圧を人工的に制御する方法として研究が進められているのは水蒸気を中心付近で効率的に水滴に変えエネルギー放出を妨げるという方法。具体的には水蒸気が中心付近に達する前に飛行機でドライアイスやヨウ化銀などを散布する事で大気中に多量の小さな氷の結晶「水晶核」を作り早めに雨を降らせてしまう方法が考えられる。つまり人工降雨の方法の応用。アメリカでは第二次大戦後から本格的な巨大台風の弱体化計画の実験が試みられた。


 最初が1947年の最初の熱帯低気圧制御の本格的な実験はアメリカ陸軍通信隊と海軍調査所を中心としたシラス・巻雲計画で1947年10月13日フロリダ半島のマイアミを襲ったあと太平洋を北東進している台風に対して行われた。B17爆撃機がこの台風の中を3回通過し合計80キログラムのドライアイスを散布し、それによって台風の風が弱くなったという確証はつかめなかったが台風の雲頂部の表面にはっきりした変化が表れるという成果があった。実験時の台風はアメリカ東岸から500キロメートル以上も離れており、しかもアメリカ合衆国から離れるように進んでおり勢力は衰え始めた。


 しかし実験後台風は勢力を盛り返しヘァーピン・ターンをしてジョージア州を襲い倒れた木の下敷きとなって1人が無くなるなど被害が発生しています。このためシラス、巻雲計画は大問題となった。この実験を行った時、既に台風は進路を変えたこと1906年10月にも全く同じコースをとった台風があったことなどが明らかになり、実験と台風襲来には関係がなかったことが認められている。この後、この種の実験は中止された。その次の試みはアメリカ気象局は昭和1956年に「全国台風計画」をたて飛行機で台風上でヨウ化銀を播くという実験を昭和1958年8月末に台風「デイジー」に対して行ったのを始め、何回かの実験をしたが良い結果は得られなかった。


 昭和1962年、アメリカ気象局と海軍は「ほえるあらし計画」をたて台風の制御をめざした大がかりな実験をスタートさせた。この計画では昭和1947年の教訓から「24時間以内に人口密集地から100キロメートル以内に来る可能性が10パーセント以上ある台風に対しては実験対象としない」と決めた。昭和1965年8月末の台風「ベシー」は、小型で眼の壁がはっきりして、実験に適していたので実験準備が開始された。しかし台風進路が北西から西に変わり人工密集地へ近づく可能性が出て来て9月1 日に実験準備が中止された。台風「ベシー」はアメリカ南部を襲い大きな被害が出たが、この時の実験中止が全ての報道機関には伝わらず一部で実験中と報じられたため大騒ぎになった。


悪戦苦闘だった熱帯低気圧の制御計画が最初に成功したのは昭和1969年の台風「デビー」に対しての実験。1969年8月18日、プエルトルコの基地からヨウ化銀の人った散弾筒を積んだ飛行機5機と観測器を積んだ飛行機8機が、1000キロメートル先のデビーに向かって次々に飛びたった。散弾筒はデビーの眼の壁の外側の雲にヨウ化銀の煙をまき散らすために投下され、高度11000メートルで爆発した。実験の結果はデビーの最大風速が毎秒50メートルから35メートルへと30パーセントも弱体化した。建物等に対する被害は風速の2乗に比例「風圧に比例」するため風速が30パーセント低くなると風の破壊力が約半分に減ったことになる。台風「デビー」は翌8月19日に最大風速が毎秒50mへと発達したが8月20日に同種の実験を実施した結果、最大風速は毎秒42メートルに再び減少し16パーセントの減少となった。

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