↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/62

第二幕「歌を返して」 第39話 選ぶ権利

 三日目の夕方、旧兵站庫の扉が開いた。


 蝶番の重い音に、倉庫にいた全員が顔を上げる。


 セラが立っていた。


 酒場の作業着のまま。


 片手には、何度も折り畳まれた歌詞の紙を持っている。


 リラは反射的に立ち上がった。


 一歩目を出しかけ、止まる。


 二人の間には、舞台の半分ほどの距離が残った。


「来ると思ってなかった」


 リラが言う。


「私も」


 セラは倉庫を見回した。


 外されていない停止札。


 封じられた水導管。


 返却箱へ入っていない耐火板。


 閉じたままの小型鍵盤。


 誰も、練習を再開する準備はしていない。


 けれど、完全に終わらせてもいなかった。


「会っていいか聞かれてない」


 セラが言った。


 リラの肩がわずかに下がる。


「今日は、私から来た」


「うん」


「許したわけじゃない」


「うん」


「まだ、信じてない」


 倉庫の空気が止まる。


 リラは言い訳をしなかった。


「分かってる」


「本当に?」


「分かろうとしてる」


 セラはその答えを聞き、すぐには続けなかった。


 歌詞の紙の角を、親指で一度なぞる。


「星冠祭に出たい」


 声は小さかった。


 けれど、誰も聞き逃さなかった。


 ラウルが腕を組む。


 レティアの指が、外した手袋の上で止まる。


 マリエは譜面台へ置いていた手を下ろした。


「一回で終わりたくない」


 セラは床を見たまま続ける。


「歌手になりたい。星冠祭のあとも歌いたい。違う歌も作りたい」


 口にするたび、逃げ道が一つずつ消える。


 欲しいものを言えば、その願いをまた誰かに利用されるかもしれない。


 それでも、セラは紙を胸元へ隠さなかった。


「でも」


 顔を上げる。


「私の歌を、勝手に変えられるなら出ない」


「変えない」


 リラが答える。


「すぐ約束しないで」


 セラの声が硬くなる。


 リラは息を止めた。


「ごめん」


「もう間違えないって言われても、信じられない」


「うん」


「何でも私の言うとおりにされるのも嫌」


「それは、かなり難しい注文だね」


「演出家でしょう」


 以前なら、ここで笑っていた。


 リラの口元は少しだけ動いたが、笑顔にはしなかった。


「私が違うと思ったら、言っていい?」


「言って」


「理由も話していい?」


「話して」


「それでも嫌だと言われたら?」


「止まって」


 セラは迷わず答えた。


「納得させる前に、一度止まって」


「分かった」


「分かったふりもしないで」


「分からなかったら、分からないって言う」


 セラは短くうなずいた。


「紙」


「何?」


「決まりを書く」


 リラは作業机へ手を伸ばしかける。


 そこには、閉じた演出表がある。


 触れる前に止まった。


 マリエが譜面台から白紙を一枚抜き、裏返して床へ置く。


「こちらは未使用です」


「ありがとう」


 セラが舞台中央へ進んだ。


 リラの隣ではない。


 向かい側へしゃがむ。


 紙を挟み、二人が同じ距離に座った。


     ◇


「最初」


 セラが鉛筆を持つ。


「歌詞と題名を決めるのは、私」


「うん」


「歌い方も」


「演出とぶつかったら、相談する」


「決めるのは私」


「分かった」


 セラが紙へ書き込む。


 筆先の擦れる音が、静かな倉庫へ響いた。


「次。私が話した記憶は、歌詞に似ていても勝手に使わない」


「本人が許可したものだけ」


「一回の許可を、次にも使わない」


「演出ごとに聞く」


「誰が聞く?」


「私」


 リラが答えたあと、少し考える。


「私以外が使いたいときは、その人が直接聞く」


 エヴレンが長手袋をした手を上げた。


「付け加えてよろしいですか」


 セラが視線を向ける。


「幻影は、本番前に必ず本人へ見せます。抽象的な像でも、私が私的な記憶から作ったと判断した場合は申告します」


「判断を間違えたら?」


「あなたが違うと言った時点で消します」


「理由を聞く前に?」


「消したあとで聞きます」


 エヴレンの声に迷いはなかった。


 セラは紙へ短く書き足す。


 レティアも、外していた手袋を持ったまま一歩近づいた。


「水面へ映す像も、同じ確認を受けます」


「全部?」


「新規の像はすべてです」


「時間が足りないかもしれない」


「時間が足りないことは、許可を省く理由になりません」


 丁寧な声だった。


 リラは、何も言い返さなかった。


「次」


 セラが鉛筆を置く。


「私が『止めて』か『消して』と言ったら、止める」


「理由を聞かずに」


 リラが言う。


「その場では聞かない」


 セインが記録板を持って近づいた。


「命令系統を明文化します」


「また堅くなる」


 ラウルが言う。


「曖昧だったため、前回は停止が遅れました」


「続けろ」


 セインは白紙の端へ、整った文字で書く。


「歌詞、歌唱、私的記憶に関する最終判断はセラさん」


「はい」


「全体演出と術式間の同期判断はリラさん」


 セラがリラを見る。


「それは必要」


「うん」


「各魔法の安全と実行可否は、担当術者」


 ラウルがうなずく。


「無理な出力は断る」


「水面の形も、最終的な実行判断は私が行います」


 レティアが続けた。


「中止権限は、全員」


 セインは最後の一行を強く書いた。


「中止宣言へ、その場で理由を求めない。再開は、宣言者本人の同意後」


「再開しない場合は?」


 セラが尋ねる。


「そのまま終了します」


「観客がいても?」


「観客がいてもです」


 セインは、百人試演で自分が停止を遅らせた場所を思い出すように、一度だけ目を伏せた。


「今度は、最初の一言で止めます」


 セラはそれ以上、確かめなかった。


     ◇


「歌を変えたときは?」


 マリエが尋ねる。


「変える前提ですか」


 セインがセラを見る。


「変える」


「事前報告は?」


「歌う前に決まってたら言う。歌ってる途中で変わったら、言えない」


「では、固定された時刻での同期は不可能です」


「分かってる」


「分かっていて変える?」


「歌だから」


 セインは目を閉じ、短く息を吐いた。


「予想していた回答です」


 ラウルが笑いかけ、倉庫の空気がほんの少しだけ緩む。


 セインは記録板へ線を追加した。


「歌唱中の変更が発生した場合、リラさんが追従可能か判断する」


「追えなかったら?」


 セラが尋ねる。


「魔法を出さない」


 リラはすぐに答えた。


「無理に合わせて、歌を別の場所へ引っ張らない。追えるものだけついていく」


「炎は、開き始めたら止まらない」


 ラウルが腕を組む。


「直前に変更されたら、俺は元の構成で出るしかない」


「変更を無視する?」


「違う。出さない選択を間に合わせる合図が必要だ」


 ラウルは床に残った安全線へ靴先を置く。


「最大出力へ入る一拍前までなら、止められる。それを過ぎたら、安全に閉じる方を優先する」


「なら、その一拍前にセインが確認信号を出す」


 リラが言う。


 セインは懐中時計を開き、時間を考える。


「確認信号を受け、リラさんが許可を返す。返答なしなら発動中止」


「遅くないか?」


 ラウルが尋ねる。


「あなたが待てれば」


「誰に言ってる」


「待つことを覚えた火術師です」


 ラウルの口元が上がる。


「なら、間に合わせる」


 レティアは紙の端へ、排水と水面閉鎖の条件を書き足した。


 マリエも、自分の欄へ鉛筆を置く。


「私は、セラさんが戻らない場合、低音だけを残します」


「いつまで?」


「息を吸うまで」


「戻らなかったら?」


「音を消します」


「待ち続けない?」


「待つことと、引き戻すことは違いますから」


 セラは、マリエの書いた一行を読み、小さくうなずいた。


     ◇


 ノアは全員の文字が書き終わるまで待っていた。


 最後に紙の前へしゃがみ込む。


 大きなローブの袖から、短い鉛筆を取り出した。


 子どもの字で、一行を書く。


 ――リラは勝手に全部背負わない。


「これは?」


 リラが尋ねる。


「必要」


「全体演出の責任は、私にあるよ」


「全体と全部は違う」


「でも、失敗したら」


「皆の公演」


「私が集めたから」


「集めたことと、所有することも違う」


 ノアは鉛筆を置いた。


「ラウルが出すと決めた火は、ラウルの責任。レティアの水はレティア。私の闇は私」


「演出判断は?」


「リラ」


「歌は?」


「セラ」


「誰かが間違えたら?」


「間違えた人だけで隠さない」


 ノアの金灰色の目が、リラを見上げる。


「すぐ全員に言う」


 リラは紙へ視線を落とした。


 前回は、一人で成功させようとした。


 今度は、一人で償おうとしていた。


 どちらも、自分が中心に立つ形は変わっていなかった。


「分かった」


「本当に?」


「まだ少し嫌だけど」


「なら本当」


 ノアは満足したように鉛筆をしまった。


     ◇


 アルドは、少し離れた場所で全員を見ていた。


 口を出さない。


 規則を決めるのは、自分ではないと分かっている。


「総監督は?」


 セラが尋ねる。


「安全と契約に違反していれば止める」


「演出には?」


「意見は言う」


「決めない?」


「お前たちが決める」


「前みたいに、ぎりぎりまで見ないで」


 セラの声は平らだった。


 アルドは、すぐに返事をしなかった。


「同意が疑われるものは、私が止める」


「本人が拒否したら?」


「最初の一言で止める」


 アルドは銀の杖を身体の前へ置き、頭を下げた。


「今度は、総監督の責任を使う」


 セラは謝罪へ返事をしなかった。


 ただ、紙の最後へ、アルドの名前を書く場所を残した。


     ◇


 全員が書き終えたあとも、リラは鉛筆を取らなかった。


 セラが向かい側から見る。


「書かないの」


「私が最初に書くと、また私の決まりになりそうだから」


「もう、みんなで書いた」


「うん」


「最後はリラ」


 鉛筆が、紙の上を滑ってくる。


 リラは受け取った。


「何を書けばいい?」


「自分で決めて」


 リラはしばらく白い場所を見た。


 間違えない。


 必ず守る。


 二度と傷つけない。


 書こうとした言葉は、どれも未来を勝手に保証するものだった。


 鉛筆を置く。


 ――分からないものを、分かったことにしない。

 ――嫌だと言われたら、説得する前に止まる。

 ――見せたいものが、誰のものかを確かめる。


 三行を書き、手を離した。


 セラが読む。


「守れる?」


「間違えるかもしれない」


「そこは、守るって言って」


「間違えないとは言えない」


 リラはセラから目を逸らさなかった。


「でも、間違えたときに隠さない。止められたら止まる。勝手に正しい名前へ変えない」


「まだ信じられない」


「うん」


「この紙があっても」


「うん」


「それでも作れると思う?」


 リラはすぐには答えなかった。


 以前なら、作れると言い切っていただろう。


「一回ずつなら」


 セラの目が、わずかに動く。


「今日の一回を、今日決める。明日のことは、また明日聞く」


「面倒」


「かなり」


「演出家なのに」


「演出家だから、面倒なところを飛ばしちゃ駄目なんだと思う」


 セラは紙を見下ろした。


 やがて、自分の名前を最初に書く。


 筆圧が強く、最後の線が少しだけ長くなった。


 リラがその下へ署名する。


 ラウル。


 レティア。


 エヴレン。


 マリエ。


 セイン。


 ノア。


 アルド。


 一人ずつ、自分の名前を書いた。


 誰か一人の契約ではない。


 誰か一人を許すための紙でもない。


 同じ失敗を、善意という名前で繰り返さないための境界だった。


     ◇


「歌う?」


 リラが尋ねる。


 セラは歌詞の紙を開いた。


「まだ、戻るって言っただけ」


「星冠祭には出る?」


「条件が守られるなら」


「最初の確認だね」


「光を一粒だけ」


 リラの指が動きかける。


「どこへ?」


 先に尋ねた。


 セラは舞台中央へ立ち、少し考える。


「私の横」


「右と左、どっち?」


「左」


「高さは?」


「肩より少し下」


 リラは豆明かりを灯した。


 核から一粒だけをほどき、セラの左肩から手のひら二つ分離れた場所へ置く。


「ここ?」


「少し遠く」


 光粒を離す。


「ここ?」


「うん」


 リラは、それ以上増やさなかった。


 ノアが顔を上げる。


「暗くする?」


 セラは客席を見た。


「少しだけ」


「顔は残す?」


「最後まで」


「分かった」


 倉庫の上部だけが、ゆっくり暗くなる。


 ラウルは火を出さない。


 レティアも水を呼ばない。


 エヴレンは幻影を作らず、セインは時計を閉じた。


 マリエだけが、小型鍵盤へ指を置く。


「最初の和音は?」


 セラが尋ねる。


「必要ですか」


「今日は、ほしい」


 低い音が一つ、床へ置かれた。


 セラが息を吸う。


 歌が始まる。


 許しが戻ったわけではない。


 消えた信頼が、一度で満ちたわけでもない。


 それでも、セラが選んだ場所へ、セラが許した一粒だけが浮かんでいる。


 リラは動かさなかった。


 次の指示を待つ。


 歌を先回りせず、歌い手が選ぶまで。


 こうして彼らは、完成した公演を取り戻したのではなく、誰が何を選ぶのかを確かめながら、もう一度作り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。