白銀の聖剣と、黒き迷い子
目を開ければ、ペプシルの手には紛れもない聖剣が握られていた。
一瞬の静寂。
「ク゜ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ッッッッ!!!!!」
魔物の咆哮。眩い光に反応したのか、振り上げられた無数の腕がペプシルに降りかかる。
だがペプシルはその場から動かず、ただ剣を一振り。
「ギェエエエエゥウウッ……!!」
苦しそうに悶える魔物の声。ペプシルの辺りには、あのたった一振りで切られた無数の腕が蠢いていた。その腕を容赦なく踏み潰し、魔物へと歩みを進める。
そして――。
「失せろ」
ただ一言、そう呟いて剣をまた一振り。
――怪物は切られた箇所から紫黒の飛沫を吹き出し、そのまま塵となり消えていく。
再びの静寂。
「――――ペ、ペプシルお前…!」
同僚が勇者の名を呼ぶ。それに呼応するように、街の人々は歓声をあげはじめた。
「ゆ、勇者様だ!」「勇者様ー!!!」「かっこいい!!」
勇者様、勇者様と自分を崇める声が鳴り止まない。
ああうるさい、うるさい……。
自身の手に握られた剣を見る。
俺はたった今、法の首輪を自らくくったのだ。
しばらくして、応援に来るはずだった守衛隊達とも合流する。
「おめでとう、まさかペプシル、君が…勇者になるとはね。」
煮え切らない態度で、同僚は声をかける。彼らも気づいているのだ。勇者法の仕組みに。
守衛隊に続くように、アストラの騎士団が現れる。
「新星騎士団だ。ペプシル君――いや、“新たな勇者”よ。まずは礼を言わせてほしい。」
騎士は胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「君の勇気が、この街を救った。」
周囲の民衆から歓声が上がる。
「勇者様!」「救世主だ!」と、誰もが叫ぶ。
「政府も必ず君の功績を称えるだろう。住居、報酬、名誉、生活保障……何も心配はいらない。」
騎士は穏やかな声音のまま、一歩近づいた。
「勇者保護法に基づき、これより君の身柄は我々新星騎士団が責任を持って保護する。」
保護。
その言葉に、ペプシルは眉を歪めた。
「無論、拒否権は存在する。……形式上は。」
騎士達が静かに周囲を囲む。
「だが、聖剣に選ばれた者を野放しにはできない。君自身も、それは理解しているはずだ。」
…このまま行けば、俺は死ぬまで国に監視される。
危険があれば真っ先に駆り出され、途中でしょうもなく死ねば、「選ばれし者じゃなかった」と勝手にレッテルを貼られるかもしれない。
嫌だ。
民の期待を背負うのも、他人に奇跡を願われるのも、どこか見世物みたいに国民全員から注目されるのも。
…だがこうなった以上、最悪の未来を受け入れるしかない――――そう思った時。
「ねえ。街案内のお礼、してなかったと思って。」
突然、耳元から聞き覚えのある声がした。
振り向こうとした途端、視界が何かに遮られる。
「嫌なんでしょ。期待を背負わされるのも、駒のように扱われるのも」
「じゃ、逃げちゃえば?」
その声と同時に、 冷たい闇が体中の熱を奪っていくような奇妙な感覚を覚える。叫ぼうとした声は喉に張り付き、急速に遠のいていく意識の中で、ペプシルは完全に深い闇の底へと落ちていった。
――……。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
ふと目が覚める。どこか暗い森の中で、木にもたれ掛かるように寝ていたらしい。
鬱蒼とした木々の隙間から溢れる木漏れ日がほのかに暖かい。
鳥のさえずりと、湿った土の匂い。ついさっきまでいたルミナスの喧騒が嘘のような静けさに、ペプシルは頭を揺らした。自分がなぜこんなところにいるのか、思考を巡らせる。
「どこだここ――いっっ……!?」
周囲を見渡そうとわずかに体を動かした途端、全身に激しい鈍痛が走る。
まるで、全身の骨が一度にきしむような凄まじい衝撃。呼吸をすることすら躊躇われるほどの痛みに、ペプシルは思わずその場にうずくまり、歯を食いしばった。
「ああ、勇者覚醒時のアドレナリンが切れたんだ」
痛みに悶えていると、頭上からあの鈴を転がすような声がした。
「オサリア……!」
「大丈夫?ちょっと触るね」
オサリアはそっとペプシルの身体に触れる。彼女の手に暖かい光がほんのりと灯り、オサリアの顔を優しく照らす。
じわり、と彼女の手のひらから温和な魔力が染み込んでくるのが分かった。
――気づけば、先程までの焼き付くような痛みが嘘のように軽快していた。
「魔物の衝撃波で激しく飛ばされたからね…その上で聖剣振り回してたら、そりゃ身体も悲鳴あげるって」
くすくす、とオサリアは笑う。
「今俺に何をした…?」
「何って、治癒魔法だよ」
「治癒魔法…?んなバカな…治癒魔法は仕組みが分かってないし、実際に使える奴なんて――」
「細かいことは良いじゃん!治ったんだし。それより君の大事な『相棒』、持ってかなくていいの?」
相棒、と言われ一瞬疑問符が浮かぶ。
ふと横を見ると、地面に放り出されている『聖剣』が目に入った。
「……最悪だ、本当に抜いてきちまったのか……」
木漏れ日の光に当てられて輝く銀色の刀身は、自身が国の駒となった最大の証であった。
「…そうだ、ここはどこなんだ?騎士団の奴らはどうした?」
「ルミナスの外…『カミラの森』だよ。闇に紛れて君を連れ出したら完全に巻けちゃった。今頃、血眼になってペプシルとうちのことを探してるだろうねぇ。じきに追っ手がやってくると思うよ」
最悪の状況だと言うのに、オサリアは楽しそうに笑う。
「闇に包んで騎士団の目をくらませ、俺を連れ出した。誰も使えないはずの治癒魔法を使う。……お前、ただの観光客じゃねえよな。何者だ」
オサリアは少し困ったように笑う。
「ただの迷子だよ。……まぁ、君と同じで、アストラに『首輪』をはめられたくない側の人、かな」
「……そうか」
色々気になることはある。
ルミナスは大丈夫か。母は無事か。
こいつは何者なんだ。何が目的なんだ。
このまま逃げ続けるべきなのか、それとも戻るべきなのか――。
勇者法を破って逃亡なんて、国家に反逆したようなものだ。今更帰っても、監視や保護で済むとは思えない。
「……はぁ。終わった、完全に俺の人生終わったわ」
「勇者の台詞じゃなさすぎるね」
ペプシルは深いため息とともに両手で顔を覆った。
もう戻れない。戻れば待っているのは『法の首輪』か、それ以上の最悪の結末だ。
「ともかく、近くの街まで行って人混みに紛れてバレないように過ごすしかないと思うよ、今の所は。」
「俺、指名手配でもされてんじゃねえのか?」
「考えてみてよ、アストラの失態で勇者逃亡しましたー!なんて大々的に言えるわけないでしょ?色んな意味で大パニックになるだろうし。有り得るのは…秘密裏にアストラが刺客を送り込んで君を捕獲しに来るとか。」
「ハッ、最悪過ぎるな」
「ほら、もう動けるでしょ?なら早く行こう!」
オサリアに急かされ、ペプシルは渋々といった様子で立ち上がった。そして、足元で今なお神々しく輝き続けている銀色の刀身を、心底忌々しげに睨みつける。
「…置いてくの?」
「置いてったらアストラに回収されて、追跡魔術の触媒にでも使われかねないだろ」
「 なら持ってくしかないね!ガンバレ、勇者サマー?」
「……やめろ」
ペプシルは、魔物との戦闘で折れて使い物にならなくなった愛剣を鞘から引き抜くと、その場に容赦なく投げ捨てた。そして、銀色に輝く聖剣を乱雑に突っ込む。
二人は森の中を歩き始める。
「ここから一番近い街は…天風機構アイゼルか?」
「ああ、機械技術が発達してる街…そうだ!
剣、そのままだと勇者特有の魔力を放出し続ける歩く広告塔みたいなものだし、アイゼルに行って魔力を遮断する特別なケースでも作ってもらおうよ!」
「そう上手くいくといいがな」
鬱蒼とした『カミラの森』の木々が、次第に開けていく。
森の向こうに広がるのはもう、見慣れたルミナスの平穏ではない。
未知の旅路へと続く地平線だ。
「聖剣、置いてっても持ってっても位置バレるの大変だね」
「いっそアイゼルで溶かしてもらって、剣の材料にしてもらったっていい」
「本当に処されるよ」




