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北山に巣食うもの

山道へ近付くにつれ、人の姿は減っていく。


代わりに目立つのは木々のざわめきと、遠くから聞こえてくる、川の音だけだった。


「本当に誰も居ないね」

オサリアが辺りを見回す。


「猟師も最近は奥へ入らないらしいからね」

ヨザキは周囲を警戒しながら歩く。


やがて山道の入口へ差し掛かった時だった。


「おい、待ちな」

低い声が掛かる。

声のした方を見れば、弓を背負った壮年の猟師が立っていた。


「旅人か?」

「ああ」

ペプシルが答える。


「その山に入る気ならやめとけ」

猟師は険しい顔をした。


「最近は様子がおかしい」

「魔物か?」

ヨザキが尋ねる。


「魔物だけじゃねぇ――何か変なもんがいる」

 

風が吹き抜ける。


「猟師連中も奥には近付かなくなった」

「サクヤですら最近は深入りしてねぇ」


四人は顔を見合わせる。


その時だった。


〈ガサッ〉


頭上の枝が揺れた。


「誰や、オレの噂しとるん」


聞き覚えのある声。

見上げると、太い枝の上に緑髪の女性が座っている。

広場で騒ぎの中心にいた、あの問題児だった。


「げっ」


サクヤは四人を見るなり顔をしかめる。


「昼の余所者やん」

そして山の方へ視線を向ける。


「……まさか思うけど」

嫌な予感がしたような顔で言った。


「北の山、行く気ちゃうやろな?」

「そのつもりだ」

ヨザキは即答した。

 

「あー……」

サクヤは片手で顔を覆う。

深いため息。


「やめとき」


「理由は?」

ヨザキが尋ねる。


サクヤは枝の上で足をぶらつかせた。


「危ないからや」

「具体的には?」

「それが分からんから危ないんやろ」

サクヤは枝から飛び降りた。


ふわりと着地する。


「最近の山、ほんまにおかしいねん」


赤い瞳が山の奥を見つめる。


「魔物も変やし、人も消えた」

その場の空気が少しだけ重くなった。


「だから行くな言うとるんや」

だがヨザキは首を横に振った。


「それでも行く。その為に来たんだ」

即答だった。


サクヤは数秒、ヨザキの服装を眺めた。


学府の制服。

きっちり整えられた襟元。

手放さない手帳。


「……あー」

心底嫌そうな顔をした。


「レヴァリアかいな」

サクヤは面倒そうに呟いた。

「何か問題でも?」

ヨザキは表情を変えずに聞いた。

 

「…ラグナじゃ、あんま評判良うないねん」

「評判?」

オサリアが首を傾げる。


「『レヴァリアの連中は研究ばっかしとる』とか」

「『他の街が戦っとる間も安全な場所におる』とか」

サクヤは指を折りながら並べた。

「そんな話ばっか聞く」

 

ヨザキは少し考えた。

「なるほど」

意外にも否定しない。


「オレは別に知らんけどな」

サクヤはあっさり言った。


「会ったこともないヤツの話やし」

「……」

ヨザキは顎に手を当てる。

 

「現にオレが今出会ったレヴァリアの人間は、危ない言うとる森に自分から突っ込もうとしとるし」

「むしろ変人寄りやろ」

「褒め言葉として受け取っておこう」

ヨザキは手帳に視線を戻す。


「ま、勝手にしたらええけど」

そして親指で北の山を指した。


「最近ほんまにおかしいからな」

赤い瞳が山の奥へ向けられる。

その表情からは、先程までの軽薄さが少しだけ消えていた。


「行方不明者、増やさんといてや」

そう言い残し、サクヤは近くの木へ飛び乗る。


枝を蹴り、さらに上へ。

あっという間に緑の中へ姿を消してしまった。


「……嵐みたいな人だね」

オサリアが呟く。

 

「でも山の異変については、本気で警戒しているようだった」

ヨザキは手帳を閉じる。


「猟師も、村長も、彼女も同じ事を言っていた」

「つまり異変は実在する。なら調べる価値はある」

「ま、調査だしなあ」

イリアスは肩を竦める。

 

四人は視線を交わした後、北の山へ足を踏み入れた。



森へ入ると、空気が変わった。


頭上を覆う木々が陽光を遮り、辺りは昼間だというのに薄暗い。

 

〈サァァ……〉

 

「…静かだな」

ペプシルが呟いた。

本来なら鳥の鳴き声や獣の気配があってもおかしくない。

だが聞こえるのは風に揺れる葉の音と、自分が踏みしめる土の音だけだった。


ヨザキは足を止める。


「確かに妙だね」

手帳を開き、周囲を観察する。


「魔物被害が増えているなら、痕跡の一つや二つあってもいいはずだ」

「全部逃げたのか?」

イリアスが言う。


「だとしたら何から?」

「奥にいる"何か"から、だろ」

ペプシルは警戒している。


四人はさらに奥へ進む。


暫く歩いていると、オサリアが立ち止まる。

「どうした」

「……これ」

オサリアは一本の木を見つめている。

見れば、そこには深い爪痕が残っていた。

煙突のように太いの木の幹が、無理やり抉られている。


「熊型か?」

ペプシルが幹に触れる。


「いや…まだ新しい」

爪痕の断面にはまだ木の香りが残っている。

つい最近付いたものだ。


「近くに居るってこと?」

オサリアが辺りを見回す。


その時だった。


〈パキッ〉


遠くで枝が折れる音がした。


全員の動きが止まる。


風ではない。

何かがいる。

それもかなり大きい。


「……聞こえたか」

「うん」

ペプシルが腰の剣に手を添える。


数秒。


静寂。


誰も動かない。


ヨザキが杖を握り直した、その時だった。


〈ガサガサッ!〉


茂みが大きく揺れる。


「来るぞ!」


イリアスが身構える。


次の瞬間。


飛び出してきたのは――


手のひらほどの大きさの小型魔物だった。


栗色の毛並み。

長い耳。

兎にもリスにも見える獣。


「え」


オサリアが間の抜けた声を漏らす。


「なんだよ……」

イリアスは拍子抜けしたように肩の力を抜いた。


だが。


その小型魔物は四人を見るなり悲鳴のような鳴き声を上げた。


〈キィィッ!!〉


そして。


四人の脇を全力で駆け抜ける。

 

「……逃げてる?」

オサリアが振り返る。


その直後だった。


〈ガサッ〉

〈バサバサッ!〉

〈キィッ!〉


今度は別の方向から鳥型の魔物が飛び出した。

堰を切ったように、狐型、小型の鹿型、兎型まで――

次々と森の奥から現れる。


だがどれも四人には目もくれない。


一目散に山の外へ向かって逃げていく。


「おいおい……」

イリアスの表情から軽さが消える。


「村長の話、本当だったみたいだな」


ヨザキは乱雑に手帳へ何か書き込んでいる。

「魔物が人里へ降りてくる理由は餌不足じゃない」

「何かから逃げている」


ペプシルは森の奥を睨んだ。


木々の隙間。薄暗い森のさらに先。

誰も居ないはずなのに、妙な圧迫感だけがそこにあった。


「……魔力が濃い」

「濃い?」

「レヴァリアの時と同じだ」

ヨザキは杖を強く握る。

「…あの時と同じ、不快な魔力を感じる」

 

「……」


四人は警戒しながら、さらに森の奥へ進んだ。

 

道は徐々に険しくなっていく。

草木をかき分けるように出来た通路。

踏み荒らされた草。

折れた枝。

まるで大量の何かが一斉に通った跡だった。


「これ全部、逃げた魔物の跡か?」

イリアスがしゃがみ込む。


「数が多すぎるな」

ペプシルも周囲を見回した。


その時だった。


ヨザキが足を止める。


「……あれは」


視線の先。

木々の根元に黒い何かが見えた。


近付いてよく見てみれば、全員の表情が変わる。


「黒い結晶……」

地面から突き出すように生えていた。

レヴァリアで発見されたものと同じだ。


黒い結晶。


いや、結晶という表現では足りない。

 

巨木だった。


漆黒の鉱石が樹木のように空へ向かって伸びている。

周囲の木々よりも高く、

根のような結晶が地面を這うように広がっていた。

周囲の草木は枯れてしまっている。

 

「でかっ……」

オサリアが息を呑む。


ヨザキは既に、手帳へ素早く記録していた。


だが次の瞬間。


〈ゴゴ……〉


地面が微かに揺れた。


「……何だ?」

ペプシルが顔を上げる。


木々の向こう。


何か巨大な影が動いた。


見えたのは一瞬だけ。…それでも十分だった。

そこらの木よりも大きい、明らかに異常な存在。

 

「撤退」

ヨザキが即座に言った。


「は?」

イリアスが振り返る。


「調査目的は達成した」

ヨザキは視線を逸らさない。


「結晶を確認した」

「未知の大型個体も確認した」

再び木々が揺れる。

今度はさっきよりも近い。


「討伐依頼じゃない――命が最優先だ」

 

ペプシルが頷く。

「同感だ」

「逃げるぞ!」


四人は来た道を駆け出した。


だが。


〈ドゴォン!!〉


突然、進行方向の木々が吹き飛んだ。


「なっ!?」

全員が急停止する。

 

土煙の向こうには――巨大な影が立っていた。


黒い外殻。

異様に肥大化した四肢。

木々と見間違うほどの巨体。

木に紛れる、巨大な熊に似ていた。

 

さっき見た影だ。


「回り込まれた!」

ヨザキが叫ぶ。


魔物が咆哮する。


〈グォォォォォォッ!!〉


衝撃で周囲の枝葉が揺れた。


「どうする!?」

イリアスが銃を握る。


「戦うな!撤退優先だ!」

ヨザキは即答した。

 

だが逃げ道がない。


背後は急斜面。

前方には魔物。

横は深く暗い森。


その時だった。


頭上から声が飛ぶ。

 

「右や!!」


全員が反射的に見上げる。


木々のはるか上に、彩やかな緑髪が見えた。

尻尾が小刻みに震えている。


「サクヤ!?」

「ボサッとすんな!」

サクヤは枝から枝へ飛び移る。


「そのまま右!」

「倒木の下くぐれ!」

言われるまま走る。


数秒後。


〈ドゴォン!!〉


さっきまでいた場所へ魔物の腕が叩きつけられた。


地面が砕ける。


「うわっ!?」


「左や!」


サクヤが叫ぶ。


「そこ獣道になっとる!」

四人は方向転換する。


木々が密集した細道。

普通なら見逃すような隙間だった。


サクヤはさらに前方の枝へ飛び移る。


「まだ止まんな!」


〈ドゴォン!!〉


背後で木々が薙ぎ倒される。


振り返れば、巨大な魔物が無理やり森を突き進んでいた。

その巨体だけで木々がへし折れていく。


「速っ……!」

オサリアが顔を青くする。


「右!」


サクヤの声。


四人は反射的に方向を変えた。


次の瞬間。


〈ズガァァン!!〉


さっきまで走っていた場所へ巨大な腕が叩きつけられる。


土が舞い上がった。


「っぶねぇ!!」

ペプシルが舌打ちする。


「そのまま左沿いや!」


サクヤは木々の上から叫び続ける。


まるで山そのものが彼女の庭であるかのように、的確な指示を出し続ける。


ヨザキは走りながら周囲を見ていた。


「……誘導している」

「何?」

「魔物との距離を調整してるんだ」

イリアスが顔を上げる。


確かにサクヤは逃げ道を指示しているだけではない。


森の密集地帯。


倒木地帯。


急斜面。


巨体では通りにくい場所ばかり選んでいる。

いつの間にか、魔物との距離が離れていた。

 

サクヤが叫ぶ。


「そのまま突っ切れ!!」


四人は全力で駆け抜ける。


枝を避け、

倒木を飛び越え、

息も絶え絶えになりながら走り続ける。


背後では木々が倒れる轟音が響いていた。


〈ドゴォン!!〉

〈グォォォォッ!!〉


「まだ来んのかよ!?」

イリアスが叫ぶ。


「いいから走れ!!」

ペプシルが怒鳴る。


どれだけ走っただろうか。


やがて。


轟音が遠ざかり始めた。


木々が倒れる音も。


地面の揺れも。


そして――


静かになった。


「……」


誰も足を止めない。


さらに数分走り続けて。


やがて前方を飛んでいたサクヤが立ち止まる。


「止まってええ!」


四人はその場で立ち止まる。


「はぁ…はぁ…っ」


オサリアはしゃがみこみ、膝に手をついた。

イリアスも肩で息をしている。


ペプシルだけが振り返った。


森は静かだった。


巨大な気配も、咆哮も、もう聞こえない。


「……撒いたか」

ペプシルが森を睨む。


「多分ね」

ヨザキは眼鏡を押し上げた。

普段通りの声だった。

だが肩は僅かに上下している。

「大丈夫か?」

イリアスが聞く。

「大丈夫な訳ない。しんどい」


その時、近くの枝からサクヤが飛び降りた。


「言わんこっちゃない」

呆れた顔だった。


「ほれ、水」

サクヤが革袋を放って寄越す。

息一つ乱れていない。


「……お前疲れねぇの?」

「これくらい普通やろ?」

サクヤは首を傾げた。


ペプシルは無言で周囲を警戒していた。

息は乱れていない。

「お前もかよ」

イリアスがうんざりした顔をする。


ペプシルはサクヤを見る。

「お前……付いてきてたのか?」

「そらそうやろ」

サクヤは当然のように答えた。


「何でだよ」

イリアスが呆れた顔をする。

サクヤは数秒考えた後、「死にそうやったから」と答えた。


「そんだけ?」

「それだけや」

あまりにも即答だった。

イリアスは頭を抱える。


「お前なぁ……」

「いや実際そうやん」

サクヤはケロリとしている。


「行くな言うたやろ」

「それでも行くって言ったのは僕達だ」

ヨザキが言う。


「せやから見とったんや」

サクヤは近くの木にもたれ掛かった。


「何かあった時だけ助けたろ思って」

「最初から助ける気だったんじゃないか」

ペプシルが言う。


「ちゃうわ」

「ラグナの山で旅人死にましたーとか書かれたら、たまったもんやあらへんで」

そう言いながら、サクヤは残った水をゴクゴクと飲んだ。

 

ヨザキは表情を引き締める。

「君はあの魔物を知っているのか?」

 

サクヤの顔つきが変わった。

「名前は知らん」


森の奥を見る。


「あんなん前はおらんかった」

サクヤは腕を組み始めた。

 

「最初に見たんは半年くらい前や」

「一体だけか?」

「分からん」

サクヤは首を振る。


「近付く前に逃げとる」

「君でも?」

オサリアが驚いたように聞く。


「当たり前やろ」

サクヤは耳を後ろに倒し、呆れた顔をした。

「死にたないわ」


その言葉に全員が少しだけ黙る。

あれだけ山を掌握していたサクヤですら、近寄ろうとしない。

それだけで危険性は十分伝わった。


「ただな」

サクヤは続けた。


「最近の盗難騒ぎも、人が消えたんも、魔物が逃げとるんも」

赤い瞳が細くなる。


「全部始まった時期が近いんや」


ヨザキの目が鋭くなった。


「つまり関連している可能性がある、と」

「知らん」

サクヤは肩を竦めた。


「でも嫌な感じはする」

その言葉は妙に重かった。


理屈ではなく感覚。

けれど、この山で生きてきた人間の感覚だった。


 

しばらく沈黙が続く。


風が木々を揺らす。


誰も先程の魔物がいた方角を見ようとはしなかった。


「……とりあえず」

ヨザキが手帳を閉じる。


「村へ戻ろう」

誰も異論はない。

 

調査目的は達成した。

黒い結晶、未知の大型個体、

そして山全体に広がる異常。

十分すぎる成果だった。


「それは勝手にどうぞやけど、オマエら寝るとこどうすんの?」

サクヤの一言に、四人は顔を見合わせた。


「……あ」

オサリアが声を漏らす。


「宿」

ヨザキが呟いた。


「取ってないの?」

「取ってない」

「取ってないのかよ」


イリアスが思わず突っ込んだ。


「調査だけして帰る予定だったからね。それに金も多くはない」

ヨザキは平然としている。


「お金なら大丈夫!」

オサリアは自信満々に胸を張った。


「レヴァリアでの報酬金がまだ残ってるから!」

そう言ってバッグの中へ手を突っ込む。


ガサゴソ。


ガサゴソ。


「……あれ?」


オサリアの動きが止まった。


「どうした」

ペプシルが聞く。


「えっと……」

オサリアはもう一度バッグを探る。


ガサゴソ。


ガサゴソ。


「……」


嫌な沈黙。


「オサリアちゃん?」

ヨザキが眉をひそめる。


「お財布がない」

 

全員が固まった。


「はぁ?」

イリアスが聞き返す。


数秒。


誰も何も言わない。


「……盗まれた?」

ヨザキが静かに聞く。


「た、多分」

オサリアの声が小さくなる。


「最後に見たのいつ?」

「聞き込みの最中に、鹿肉買った時……」

ペプシルは額を押さえた。

イリアスも「おいおい…」と天を仰いだ。


そして。


サクヤだけが真っ先に反応した。


「それや」

耳をピンと立てた。赤い瞳が細くなる。


「盗難騒ぎ」


ヨザキの表情が変わった。


「詳しく聞かせてくれ」

「最近ようあんねん」

サクヤは腰に手を当てる。


「金とか食料とか、細かいもんがちょこちょこ無くなる」

「…もしかして、その犯人ってサク――」

「ちゃうわアホんだら!」

「冗談だっつーの」

イリアスは悪戯な笑みを浮かべていた。

 

サクヤは額を押さえながら盛大にため息を吐く。

「…見張り立てても見つからんし、見当もつかん、と」

「1回で盗まれる量はそこまででもない。でも積み重なってきたら流石に看過できやんらしい」

「そうだろうな」

 

そう話している横で。


「ご、ごめんなさい……」

オサリアが小さくなっていた。


「うちがちゃんと持ってれば……」

「いや」

ペプシルが即座に否定する。


「盗んだ奴が悪い」

「せやな」

サクヤも同意した。


「落としたならともかく、盗まれたんやろ?」

オサリアは小さく頷く。


「なら気にすんな」

サクヤは彼女の頭に手をポン、と置く。


「……とりあえず」

ヨザキが手帳を閉じる。


「村長に報告しよう」

「盗難の件も含めてね」

全員が頷く。


どうやら、思っていた以上に厄介な話になってきたらしい。

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