運河の街の休日
【投稿時間変更のお知らせ】
今後の投稿時間は、土日は10時頃、平日は6〜7時頃を予定しております。
「……似合わねえ」
ペプシルは鏡に映る自分を見て、心底嫌そうに呟いた。
深い青色の学徒用ローブ。
胸元にはレヴァリアの紋章が刺繍されている。
「似合ってるよ?」
オサリアは楽しそうにくるりと一回転した。
彼女のローブは少しだけ丈が長く、動くたびに裾がふわりと揺れる。
「俺も着る必要あったか?」
イリアスが自分の袖を引っ張りながら不満そうに言う。
「当たり前だろう」
ヨザキは眼鏡を押し上げた。
「君が一番問題児だ」
「ひどくない?」
「事実だよ」
即答だった。
その時、教室の入口から元気な声が響いた。
「先生ー!」
「おはよー!」
小さな子供たちが次々と教室へ駆け込んでくる。
ヨザキは壁掛け時計へ視線を向けた。
「……もうそんな時間か」
集まり始める生徒たちを見て、小さく息を吐く。
「さて」
彼は三人へ向き直った。
「僕は授業だ。君たちは好きに街を見てくるといい」
オサリアの目がぱっと輝く。
「いいの!?」
「ただし」
ヨザキはぴたりと言葉を止めた。
「問題は起こさないこと」
「起こさねえよ」
「自覚があるのはいいことだね。もちろん、二人もだよ」
「夕方には戻っておいで。もし迷ったら運河沿いを辿ればここへ戻れる」
「わかった!」
オサリアは元気よく手を挙げた。
その様子にヨザキは一瞬だけ不安そうな顔をする。
「……本当に大丈夫かな」
「諦めろ」
ペプシルが肩をすくめた。
教室の外では、水路を行き交うゴンドラの鐘が静かに鳴っている。
オサリアは待ちきれないと言わんばかりに扉の外へ飛び出した。
「早く行こう!」
「走るな!」
ペプシルの声が追いかける。
イリアスは苦笑しながらその後に続いた。
朝の光が運河の水面に反射し、街全体を淡く照らしている。
⸻
「見て見て! あれ何!?」
オサリアが指差した先では、水路の中央を一艘のゴンドラがゆっくりと横切っていた。
船頭は櫂を使っていない。
代わりに船尾へ取り付けられた小さな魔法器が淡い青色の光を放ち、水を押し出している。
「自動推進式ゴンドラだな」
イリアスがちらりと見る。
「魔力結晶を動力源にしてる。レヴァリアじゃ割と一般的だ」
「すごい!」
オサリアは目を輝かせた。
「アイゼルの空中列車もすごかったけど、こっちはなんか綺麗!」
「お前の感想は全部抽象的だな」
ペプシルが呆れる。
⸻
「わっ」
今度は遊歩道の途中で足を止める。
石畳の一角が淡く発光しながら、水面の上へ橋のようにせり上がっていったのだ。
向こう岸から来た老婆が何事もないように渡っていく。
「あれ、来る時に見たヤツ!」
オサリアが呆然と呟く。
「魔法橋だな」
「レヴァリアって何でも魔法で解決するんだね」
「だいたいそう」
「便利!」
「金もかかる」
「夢がない!」
⸻
さらに歩く。
今度は市場だった。
水揚げされた魚、香辛料、見たことのない果物、魔法器、本、薬草………
とにかくいろんな露店が運河沿いへ並んでいる。
そんな中、オサリアはある一点を見つめて動かない。
「お刺身だ……」
オサリアの足が止まる。
「お刺身……」
「二回言ったぞ」
「おっちゃん、それ何の魚?」
魚屋の親父が笑う。
「水竜鱒だよ」
「すいりゅうます?」
「美味いぞ」
オサリアはペプシルを見る。
「自分で買え」
「まだ何も言ってない!」
「だいたい分かる」
「えー」
⸻
市場を抜けると、徐々に露店の種類が変わり始めた。
魚や食料品ではなく、本や魔法器を扱う店が増えている。
「わあ……」
オサリアの足が再び止まる。
「今度は何だ」
「本!」
目の前には古びた書店があった。
木製の棚が店先にまで並び、様々な本が積み上げられている。
店頭には地図帳や歴史書が並んでいた。
『セレスティア建国史』
『六街年代記』
『失われた古代文明』
『海路と交易の変遷』
ありとあらゆる本が所狭しと並んでいる。
「……」
ふと、ペプシルの足が本棚の前で止まった。
「何見てんだ?」
「別に」
そう答えながらも、視線は本から動いていない。
「その本なに?」
オサリアが横から覗き込む。
ペプシルの手には、一冊の分厚い本が開かれていた。
『セレスティア地誌』
街ごとの地形や気候、交易路などが細かく記された地理書だ。
「地図?」
「地図だな」
イリアスが肩越しに覗き込み、少し笑う。
「好きなのか?」
「別に」
即答だった。
だがページはしっかり開かれている。
しかもかなり読み込んでいるらしく、指先は自然と次の頁をめくっていた。
「めちゃくちゃ読んでるじゃねえか」
「読んでない」
「読んでるよね」
「見てるだけだ」
オサリアは本を覗き込む。
細かな文字、複雑な地図、交易路を示す線…
数秒眺めたあと、素直に言った。
「よく分かんない」
「だろうな」
即答だった。
「ひどい!」
「事実だ」
イリアスが吹き出す。
「勇者くん、意外とそういうの好きなんだな。歴史とか地理とか」
「違う」
「好きなんだ」
「…うるさい」
ペプシルは鬱陶しそうに眉をひそめる。
「アンタたち」
突然、店の奥からしゃがれた声が飛んでくる。
「本は読むために置いてるんじゃないよ」
店先から白髪の老婆が顔を出した。
「買うために置いてるんだ」
「「「…すみません」」」
三人は揃って頭を下げた。
棚へ戻す前に、ペプシルはもう一度だけ表紙へ視線を落としていた。
⸻
本屋を追い出された三人は、再び運河沿いの道を歩いていた。
「……怒られちゃったね」
オサリアがぽつりと呟く。
「誰のせいだと思ってる」
ペプシルが不服そうに返す。
「勇者くんが立ち読みするからだろ」
「お前も読んでただろ」
「俺は覗いただけだ」
「同罪だ」
そんな言い合いをしながら歩いていると――
「お」
今度はイリアスが足を止めた。
珍しい。
オサリアとペプシルが同時に振り返る。
そこには、大きなガラス張りの店があった。
店内には無数の魔法器が並んでいる。
宙に浮かぶ照明、
勝手にページをめくる読書台、
一定温度を保ち続ける保温箱、
小さな水球を浮かべる卓上噴水…
どれも淡い魔力光を放っていた。
店先の看板には、
『魔導工房アクア・アルカナ』
と書かれている。
「へえ」
イリアスが呟いた。
「へえ、じゃない」
ペプシルは嫌な予感がした。
その声を無視するように、イリアスは店のガラスへ顔を近付ける。
「ほー……」
完全に興味を持った時の声だった。
「おい」
「ちょっとだけ」
「その台詞は信用ならねえ」
オサリアが店内を覗き込む。
「なに売ってるの?」
「魔法器」
「それは見れば分かる」
「だよな」
結局、三人は店の中へ入った。
店内は静かだった。
壁一面に魔法器が並び、青白い光が天井を照らしている。
「いらっしゃいませ」
店員が軽く会釈する。
しかしイリアスは返事もそこそこに、商品棚へ一直線に向かっていく。
「……あ」
ペプシルが呟く。
「終わったな」
「終わったね」
オサリアも察した。
イリアスはすでに一つの魔法器を手に取っていた。
手のひらサイズの金属球。
魔力を流すと周囲を照らす照明器具らしい。
彼はそれをひっくり返し、横から見て、裏側を見て、軽く振る。
完全に職人の目だった。
「面白いな」
「行くぞ」
「待て」
「待たない」
「これ絶対整備性悪いぞ」
「知らん」
「ほら見ろ」
イリアスは勝手に納得していた。
「外装を外すのに六本もネジ使ってる」
店員が少し引いている。
「誰だ設計した奴」
「知らねえよ」
「交換部品の規格も統一されてねぇな」
「知らねえって」
「発想は良いんだけどなぁ」
イリアスはぶつぶつ言いながら次の商品へ移動する。
彼の歯車は止まらない。
アイゼルでは機械が担う役割を、この街では魔法が担っている。
イリアスは職人の目でそれらを眺めていた。
オサリアが小声で聞く。
「ペプシルとどっちが長いかな?」
「こっち」
ペプシルは即答した。
その時。
イリアスの動きが止まる。
棚の中央。
一つの魔法器の前だった。
「お」
ガラスケースの中には、小さな魔導時計が置かれていた。
歯車ではなく、水球の流れによって時を刻む特殊な構造らしい。透明な球体の内部では、青い水滴がゆっくりと循環している。水滴が一周するたび、球体の表面へ刻まれた文字盤が淡く発光した。歯車もゼンマイもない。
それはアイゼルの職人たちが作る時計とは、まるで別の思想で生み出された機械だった。
イリアスの目が輝く。
「これ考えた奴、天才か?」
オサリアは二人を見比べる。
そして納得したように頷いた。
「なるほど」
「?」
「ペプシルは本屋、イリアスは魔法器屋…」
「二人とも似てるね!」
「「違う」」
綺麗に声が揃った。
店員は微笑ましそうに彼らを見ていた。
⸻
魔法器屋を出たあとも、三人の足は自然と市場の方へ向いていた。
昼が近づき、人通りはさらに増えている。
焼き魚の香ばしい匂い。
香辛料の刺激的な香り。
運河を渡る風が、それらを混ぜ合わせて通りへ運んでいた。
「お腹空いた……」
オサリアがぽつりと呟く。
「朝飯食っただろ」
「朝飯は朝飯だよ」
「意味が分からん」
ペプシルが呆れたように返す。
その横でイリアスが財布を開いた。
〈チャリン…〉
中から聞こえたのは、あまり景気の良くない硬貨の音だった。
「……」
「……」
「終わってんな」
ペプシルが言う。
「密航代が高かったんだよ」
「お刺身……」
「だから我慢しろ」
そんなやり取りをしていると――
「おっ!」
突然、威勢の良い声が飛んでくる。
運河沿いの小さな屋台からだ。
焼き魚の串がずらりと並び、炭火の上でじゅうじゅうと音を立てている。
看板には大きくこう書かれていた。
【レヴァリア歴史クイズ!】
【正解者には焼き魚串一本プレゼント!】
オサリアの目が輝く。
「焼き魚!!」
「そこかよ」
「そこだろ」
イリアスが即答した。
屋台の親父は豪快に笑う。
「挑戦するかい?」
「する!」
「お前な…」
親父は腕を組んだ。
「問題だ!」
周囲の通行人も少し足を止める。
どうやらこの屋台の名物らしい。
親父は勿体ぶるように咳払いをした。
「六街円卓議会が成立する以前、この地に存在していた水の王国の名は――」
「レヴァリエン王国」
親父の言葉を遮るように、ペプシルが答えた。
沈黙。
親父が固まる。
イリアスも固まる。
オサリアも固まる。
「……まだ最後まで言ってねえぞ」
親父が言った。
「合ってるだろ?」
ペプシルは何でもないように答える。
親父は数秒だけ彼の顔を見つめていたが、やがて大声で笑い出した。
「正解だ!」
周囲から「おお〜」と小さな歓声が上がる。
「え」
オサリアがペプシルを見る。
「え」
イリアスも見る。
「なんだ」
本人だけ平然としていた。
「兄ちゃん詳しいな!」
親父は焼きたての魚串を一本差し出す。
「有名だろ。授業でも出てたはずだ」
「覚えてねえよんなもん」
イリアスは苦笑する。
「すごい!」
オサリアは素直に感心している。
「別に」
そう言いながら魚串を受け取ったペプシルは、数秒だけそれを見つめた。
そして。
「ほら」
当然のようにオサリアへ渡した。
「え?」
「食いたかったんだろ」
オサリアが目をぱちぱちさせる。
「いいの?」
「一本しかねえんだから早く食え」
ぶっきらぼうな声だった。
だがオサリアは嬉しそうに笑った。
「いただきます!」
ぱくり、と魚串にかぶりつく。
「おいしい!!」
満面の笑みだった。
その様子を見ながら、イリアスが小さく吹き出す。
「勇者くんさぁ」
「なんだ」
「優しいよな」
「別に」
即答だった。
だが否定はしなかった。
「ペプシル!」
オサリアは突然、ペプシルに魚串を掲げる。
「半分こしよ!」
「は?」
ペプシルは思わず素っ頓狂な声を出す。
「べ…つに、一人で全部食えばいいだろ」
「だってペプシルがクイズ正解したんでしょ?」
意味が分からない。
そんな顔をしている。
「ほら!」
オサリアは魚串をぐいっと差し出した。
「いらねえ」
「美味しいよ?」
「知ってる」
「じゃあ食べようよ」
「……」
数秒の沈黙。
周囲の視線が妙に痛い。
イリアスなんか既に面白そうな顔をしている。
「食わねえの?」
「……少しだけ」
根負けした。
ペプシルは魚串を受け取ると、小さく一口だけ齧った。
香ばしい脂の旨味が口に広がる。
「どう?」
オサリアが期待に満ちた目で見上げてくる。
「普通」
「美味しいんだ!」
「普通だ」
「美味しいんだ!!」
「……そうだな」
完全に負けていた。
オサリアは満足そうに笑う。
その隣でイリアスが肩を震わせていた。
「勇者くんさぁ」
「なんだ」
「チョロくね?」
「殺すぞ」
運河を渡る風が、魚の香ばしい匂いを運んでいく。
市場の喧騒の中。
三人はしばらくの間だけ、逃亡者であることも忘れ、静かな水の都で笑っていた。
「そうかそうか、勇者くんは俗に言う『ツンデレ』か」
「黙れ」
「ツンデレってなに?」
「本当は優しくしたいけど、恥ずかしくてぶっきらぼうになっちゃう人の事」
「…?ペプシルはいつも優しいよ?」
「」
「あーあ」




