第13話 伯爵令嬢の台頭②
広間の一角では、エレナを囲む形で数名の貴族が話を続けている。その中には伯爵夫人、子爵、騎士の代表、さらには高位官吏らしき人物も混じっている。彼らの会話は周囲には聞き取りづらいが、ときおり「王宮での動き」「殿下の心労」などのフレーズが漏れ、どうやら単なる世間話ではなさそうだ。
エレナは柔らかな微笑で応じながら、時折「殿下が気がかりですわ」としおらしく語る。すると、取り巻きの者たちは「大丈夫です、エレナ様がいれば殿下もお心が軽くなるでしょう」と盛り上がる。まるでロザリアの存在などなかったかのように、彼女を「未来の王太子の隣にふさわしい存在」として担ぎ上げる雰囲気すら感じられた。
そのやりとりを遠巻きに見ていた数人の貴族は、冷やかな視線を交わす。
「まったく、あのエレナ様には恐ろしいほどの後ろ盾があるみたいだ。普通の伯爵令嬢がこんなに急激に台頭するなんて、にわかには信じられない」
「噂では、王宮内で権力を握ろうとしている『ある派閥』が動いているらしい。グランフィールド公爵家を排除して、エレナ様を新たな中心にするつもりだとか……」
「それが事実なら、ロザリア様の婚約破棄と“裏切り者”の扱いも、すべて仕組まれた陰謀なのかもしれないわね」
一人の貴婦人が神妙な面持ちでつぶやく。その推測はあくまで噂話の域を出ないが、多くの人々が似たような懸念を抱いているのは確かだ。ロザリアが突如「裏切り」とされ、婚約破棄を言い渡された直後に、エレナが浮上するという筋書き――その陰に何か巨大な力が働いている可能性は否定できない。
それでも、エレナは儚げな佇まいで人々を魅了し続け、口当たりの良い言葉で周囲を包み込み、まるで無垢な花のように見えてしまう。実際、彼女に接した者の多くは「まるで天使のよう」と口を揃えるほどだ。その裏で何があろうと、表向きは疑いようのない優雅さをまとっている。
「……あのクレイボーン伯爵家がここまで目立つ存在になるなんて、かつては想像もできなかったのに」
「もしかすると、王太子殿下の『新しい想い人』というのは、彼女なのだろうか……」
そんな噂までちらほら耳に入る。実際、王太子がどこまでエレナに惹かれているのかは未知数だが、周囲は勝手に「将来の妃候補」などと盛り上がっている。しかも、この騒ぎを否定する王宮関係者が現れないことも、噂を加速させている要因の一つだ。
一方、ロザリア・グランフィールドの名は、今や「かわいそうに」「でも自業自得かもしれない」「王家に逆らったらしい」といった形でしかささやかれない。社交界に出てくることもなく、完全に沈黙を守っている彼女の姿は風前の灯のように扱われ、もうこれ以上彼女の話題を続ける人はほとんどいない。そんな中、「ロザリア様が失脚した瞬間を狙ってでもいるかのように、エレナ様が台頭してきた」という見方をする者たちが、さらに不穏な空気を感じ取っていた。
「ええ、殿下も弱っているのかもしれません。そこを巧みにエレナ様が癒やしているとしたら、何か裏があるのでは……」
「クレイボーン伯爵家の背後にいる派閥って、具体的にどこなのかしら。もし殿下を取り込むつもりなら、政権を覆すぐらいの勢いがあるのかもしれないわ」
そんな声を聞きつけつつ、エレナ本人はというと、どこ吹く風とばかりに儚げな笑みを保ち続けていた。やや頼りなさそうに見えるその佇まいに、紳士たちは保護欲をかき立てられ、貴婦人たちは微妙に嫉妬と憐みが入り混じった感情を抱く。その絶妙なバランスが、彼女の存在感を余計に際立たせているのだ。
エレナと視線が交わった瞬間、まるで小鹿のように怯えた表情をするが、そのすぐ後に相手の社交辞令に合わせて柔らかく頬を綻ばせる――その仕草を目にした誰もが「守ってあげたい」と感じてしまう。まるで「清楚な令嬢」を装う名女優のようだ、と冷ややかに評する者もいれば、「一度話しただけで心を奪われそうになった」と熱狂する者もいる。
「このままでは、王太子殿下の周囲がまた厄介なことになるのではないかしら……。ロザリア様がいなくなったら、エレナ様が台頭して、今度は別の派閥が殿下を操るような形になるとか……」
ある年配の公爵夫人は、不安げに吐息をつきながらそうつぶやく。すでに王太子がロザリアとの婚約を破棄した余波で、社交界は不穏な空気が満ちているのに、さらに新たな波乱の種が持ち込まれるかもしれない。もちろん、エレナ自身が意図しているかどうかは別問題だが、結果的に彼女を担ぐ派閥が存在するとすれば、王国全体を揺るがす変化が起こり得る。
夜会のホールで、エレナはふと人々の視線を感じ取り、その視線を優雅に受け止めるように薄く微笑んだ。取り巻きの一人が「エレナ様、お飲み物を」とすすめれば、「ありがとうございます」と柔らかな声で礼を述べる。その一瞬のやりとりに周囲の注目がまた集まり、パーティの中心にエレナがいる図式が完成するかのようだ。
「……エレナ様、グランフィールド公爵家のロザリア様の件はどうお思いですか?」
誰かが意を決したように尋ねる。薄氷のように繊細な表情を保つエレナは、少し困ったように目を伏せながら答えた。
「気の毒だと思います。ですが、私などには何もできませんわ。きっと……ご本人と殿下の間に大きな事情があったのでしょう。私が口出しすべきことではないかと」
まるで直接自分には関係のない出来事だと言わんばかりの答えだが、その口調には哀れむかのようなニュアンスがわずかに混じっている。それを聞いた取り巻きがすかさず「さすがエレナ様はお優しい」と褒め称え、周囲の視線も「やはり彼女は『あちら』とは違う」と暗に比較するような雰囲気を醸す。そこに不気味な温度差を感じ取る者もいるが、多くの人は流されるようにエレナを持ち上げてしまうのだ。
「まるで、ロザリア様がいなかった頃からこうなるように仕組まれていたみたい……」
「ええ、本当にそう思いますわ。あれほど有能だったグランフィールド公爵家の令嬢が、突如裏切り者扱いされるなんて……」
婦人たちは口を揃えてそうささやきながらも、当のエレナには直接言及しない。あまりにも絶妙なタイミングで主役の座をつかむ彼女に対して、表立って批判をするのは危険だと感じているのだろう。王宮内で何が起こっているか正確にはわからないが、波乱が起きていることは明白であり、迂闊に踏み込めば自分まで巻き込まれるという警戒が働いている。
一方、ある若い貴族令嬢の一団が、エレナの控えめな立ち振る舞いを遠巻きに見ながら、鼻を鳴らすように不機嫌そうにつぶやいていた。
「いくら優雅に見えるからって、あれはやりすぎだわ。儚いふりをして人の心をつかむなんて、ずるい……」
「でも、王太子殿下の周りであんなに評判を集めるのは、やっぱり裏に何かがあるんでしょう? 噂に聞く王宮の派閥がエレナ様を推しているとか……」
「ロザリア様の件だって、本当は何か筋書きがあるのかもしれない。考えると怖いわ……」
そう言い合う彼女たちの目にも恐れが宿る。もし本当に王宮の派閥がエレナを担ぎ、その力でグランフィールド公爵家を貶めることに成功したのだとしたら、いずれ自分たちも同じ目に遭うかもしれない――そんな危機感を抱いているのだ。エレナの魅力は確かに本物かもしれないが、その急激な台頭ぶりには不自然さが拭えない。
ロザリアの失脚と同時期にエレナが台頭し、社交界を席巻する。さらに、王太子との関係が噂され、彼女を取り巻く派閥の影響力が増し始めている。周囲がどう見ても「出来すぎた展開」と思うのも無理はない。こうした空気は次第に「エレナは何者なのか? 背後にいるのは誰だ?」という関心へと変わっていく。
あるいは、王太子自身がエレナに好感を抱いているのかもしれない。少し前までロザリアが王太子妃候補として君臨していたが、彼女が婚約破棄された今、新たな候補としてエレナが浮上するのは当然の流れかもしれない。だが、その裏にある陰謀の存在を、誰もがなんとなく感じ取りながら口に出せずにいる。万一、王太子の耳に入ったらどうなるか恐ろしいからだ。




