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40.都合の良い推理

 洋介が喫茶『サイエンス』から帰ると愛がまだクラブの受付に残っていてくれた。

「愛ちゃん、ただいま。いつも有難う。ずっとお願いし続けていて言い出し難いんですけれど、今から明日会員の方々が沢山来られる時間まで、また東の隅の部屋に籠らせていただきたいんです」

「はい、そうですか。分かりました。しっかり考えて、早く今回の事件を解決していただきたいですわ。とにかく、それで全てが元に戻るのですから」

「理解あるご返事、感謝です」

 愛の笑顔が洋介には呆れ笑いに感じられたが、ただ頭を下げるだけにして、朝食と昼飯代わりのパンやお握りや飲み物が入ったコンビニの袋をぶら下げて東の端にある洋介専用部屋に入っていった。


 翌日の日中に筑波ホビークラブの受付で洋介の姿を見ることはなかった。午後から手伝いに来ていた愛に何人かのクラブの会員から、土曜日だというのに洋介の姿が見えない理由を尋ねられたが、愛は、洋介が遠くに用事があって外出中だ、と答えた。

 日が傾く頃になって、長時間の部屋籠りにも拘らず何のヒントも掴めなかった洋介は、流石に部屋の中に居続けることが嫌になった。気分転換に筑波山でも見ようと思い、そっと廊下に出て窓越しに外を見た時、遠くの道路を走っていた車に夕日が反射して洋介の目を直撃した。

「うわっ、眩しい!」

 そう口に出すと、閉じた瞼の上から両手で太陽光の残像が薄くなるまで擦り続けた。ゆっくりと目を開けた瞬間、久しぶりに洋介に閃きが訪れた。

「これだった!」

 そう小さな声で言うと、洋介は慌てて今歩いてきた廊下を走って戻り、再び部屋籠りに入った。


 夜十時を過ぎた頃、ようやく洋介が受付の中に入ってきた。

「あらっ、洋介さん。もう会員さんたちはほとんどお帰りになってしまいましたけれど、そのお顔から想像すると、ようやくお考えが纏まったご様子ですね」

 確かに洋介の目はキラキラと輝き、自分の考えに自信を持った時の表情になっていた。

「分かりますか、愛ちゃんには?」

「私でなくとも、どなたにでも分かると思いますわ、洋介さんの今のお顔からなら」

「そんなに分かり易いのかな、私の顔って」

 クスクス笑っている愛に笑顔で応えてから受付の受話器を取り上げてつくば東署のいつもの番号を押した。

「ああ、鹿子木さんですか。ようやく考えが纏まりましたので、明後日、月曜日の昼過ぎにこちらに来られませんでしょうか?」

「明後日の昼過ぎですか……、ああ、大丈夫です。午前中は別件で行かなければならない所がありますが、昼過ぎなら大丈夫でしょう」

「実は鹿子木さんと一緒に事件現場に行きたいのです。事件があったのと同時刻に現場で調べてみたいことがあるので、午後二時にこちらに来ていただきたいのです」

「はい、分かりました。よろしくお願いします」



 鹿子木と約束した日の朝、洋介にしては珍しく朝七時半より少し前には身支度を整え、朝食もしっかりと済ませてどこかに出掛けていった。しばらくして戻ると、東の隅の部屋に入りインターネットで検索を続けた。

 鹿子木は約束した時間通り、午後二時に筑波ホビークラブの駐車場に車を入れた。車から降りようとすると洋介がバッグを持って走ってやってきた。

「あれっ、神尾さん。今日は本当に時間通りに出てきてくれましたね」

「ええ。今日は気合が入っているものですから」

「それは素晴らしい。このまま事件現場に行って良いのですか?」

「はい、そうしてください。車の中でいろいろとご説明しますから」

 鹿子木の車は(かん)(ごおり)から県道十四号線に出て、先日と同じ道を通って目的地に向かった。


「鹿子木さん、現時点で我々の手中に収めている証拠になりそうなものはいくつあるか言えますか?」

「あれっ、神尾さん。随分と失礼な事を言われますね。これでも私は刑事の端くれなんですから、勿論言えますよ。先ずは崖の中腹に引っ掛かっていた白い手袋です。これには未精製のトロパン系アルカロイドが付着していました。更に引っ掛かれたことによって切り取られたと思われる皮膚片もありました。それから、事件と関係があるかどうかは分かりませんが、割れた鏡の破片も証拠品になる可能性はあります。えーと、それ以外に何かありましたかねえ?」

「流石は鹿子木さん。現時点で入手できている証拠品になり得るかもしれない物としてはそんなところでしょうね。今日は、それ以外にいくつか、証拠になる可能性のある物を採取したいと考えています」

「ええ? そんな物、事件現場にありましたか?」

「多分まだあの崖の上と下とに残っていると思いますよ」

「私には皆目見当が付きません。神尾さん、分かるように話してください」

 鹿子木は狐につままれたような顔をして、洋介の説明を待った。


「分かりました。それでは私の推理について順を追って説明します。先ずトロパン系アルカロイドですが、以前、私はヒヨスチアミンやスコポラミンというアルカロイドは抗コリン作用薬として、消化管の痙攣による疼痛を抑えるとか、胃などの内視鏡検査の前処置に使われている、とお話しました」

「はい、確かに神尾さんはそう言われました。あの後、私も鑑識の係官に訊きましたからよく覚えています」

「あれからいろいろと調べてみたんです。そしたら、面白い事が分かりました」

「何ですか、その面白い事って?」

「昔、西洋の貴婦人たちが病気の治療や検査のためとは異なる目的であのアルカロイドを使っていたというのです」


「えっ、貴婦人が使っていたんですか? 一体何のために」

「実は、あのアルカロイドは目に対して瞳孔散大作用を示すのです。この作用を利用して貴婦人たちの目が大きく見えるように、つまり一段と美しく見えるようにするために使ったというのです。今でも眼科で医師が目を観察する目的で使われているようですよ」

「貴婦人たちの美しく見せたいという欲求は留まるところを知らなかったということですかね……。それで、それと今回の事件とはどう繋がるというのですか?」

「犯人は何らかの方法によってあのアルカロイドを岩宿さんの目に塗り、瞳孔散大を起こさせたのではないかと考えているのです」

「何のために瞳孔散大なんて起こさせるのでしょうか?」

「岩宿さんはがっしりとした体格の持ち主でした。犯人が体力に自信のない人だったとすれば、素手で岩宿さんを崖から突き落とすのは難しいと判断したのではないかと思うのです。それで、太陽光が目に入れば普通でも眩しいのですが、その状況をさらに一段と眩しくさせるためにあのアルカロイドを使ったのだと考えたのです」

「ああ、そうか。頑丈な岩宿でも、瞳孔散大した目に太陽光が入ったため、あまりの眩しさでフラフラしてしまい、バランスを崩して崖の上から転落してしまったということか」

「私はそう考えたのです。あの鏡も同じ目的のために使われたと考えています」

「どういうことですか?」

「それは現場に行って鹿子木さんと一緒に確認してみましょう」


「まあ、いいでしょう。神尾さんの言われた通りであれば、アルカロイドと鏡の使用目的は推理できたことになります。それから、手袋に残されていた細胞片はDNA型鑑定に使うための非常に重要な証拠品です。でも、さっき神尾さんはまだいくつかの証拠品が現場に残されていると言われましたよね。それは一体何ですか?」

「もし鹿子木さんが今回の事件の犯人だとしたら、岩宿さんの目を眩しくするだけであの崖から確実に転落させることができると考えるでしょうか?」

「いや、眩しくすれば岩宿がバランスを崩すくらいのことはできるでしょうが、それだけでは転落まではしない可能性もあると思うのが普通でしょうね」

「そうですよね。だから犯人はもう一つ転落の確率を上げるための仕掛けを準備したと考えられるのです」

「犯人は一体何を準備したのですか?」

「鹿子木さん。筑波山の山頂付近は風化され難い『はんれい岩』から成り、裾野から平地にかけての部分はそれよりは風化し易い『花崗岩』で構成されているのだそうです」

「突然、何なんですか、筑波山の岩石のことなど言い始めて」


「犯行現場となった場所は、昔から良質な白系の花崗岩である『真壁石』が産出される地域の中にあります。しかも、筑波山の裾野である『山麓緩斜面』からも離れた場所なのです。『山麓緩斜面』なら、筑波山の山頂付近から転がり落ちてきた黒っぽい『はんれい岩』が存在していてもおかしくはありません。でも事件現場には黒っぽい『はんれい岩』は普通存在していないのではないかと思うのです。犯行のために持ち込まれたとしか考えられません」

「それはどういう意味ですか?」

「崖の上と下とにあった黒っぽい岩石は二つとも『はんれい岩』に違いないと思います。しかも、一つの面はほぼ平らになっていました。平らではない部分は表面が風化してざらざらした感じがありましたが、平らな面は新たに空気に触れたような感じで、まだ風化が進んではいないように見えました。

 筑波山山頂付近にある大きな岩石は皆『はんれい岩』で、風化に強く雨風で削られにくく『筑波石』と呼ばれています。『筑波石』は、およそ七干五百万年前に地下約十キロの深さでマグマがゆっくり冷えてできた深成岩の一つだそうです。その後隆起したり、上に乗っていた岩石が削られて圧力が低下したりして多くの割れ目ができたようです。『はんれい岩』はそんな割れ目の方向に沿って割れやすく、直方体に割れた筑波石は庭石などに利用されているようです。また、墓石にも使われる高価な石材なのだそうです。

 ただですね、希少価値が高く、現在は『筑波石』の採石はほとんど行なわれていないようなので、もし入手しようと思えば、『筑波石』を取り扱っている石屋さんから購入するか、昔使っていて今は稼働していない採石場や機械による岩石の切断を行なっていた加工場跡地などに行って拾ってくるかしかないでしょうね。犯行を考えている人が岩石を購入するとは思えませんから、きっと昔の採石場か加工場跡地に行って、ほぼ平らな面を持ち、何とか持ち運びできる程度の『はんれい岩』を拾ってきたのではないでしょうか」


「でも、何のためにわざわざ『はんれい岩』を入手したのでしょうか? そんなことをする必要性があったのでしょうか?」

「それは、あの崖の上はほぼ真っ白な所だったためだと思います。つまり、黒っぽい『はんれい岩』を置けばよく目立つので、犯人が岩宿さんを誘導するのに都合が良かったからだと思うのです。

 まあ、とにかくどうにかして入手した二つの『はんれい岩』は人の手によってあの崖の上に運ばれ、岩宿さんの転落と共に一つは崖下に落ちたのではないかと私は考えているのです。崖の上に大きめの岩石の跡があったでしょう。あそこにあの黒っぽい『はんれい岩』が置かれていたのではないかと思っているのです」

「でも、あの岩石は手に持って簡単に運べるような大きさではなかったと思いますよ。それにあの崖の上に行くには結構な坂道を登って行かなければ辿り着けなかったではありませんか」

「確かに私たちが登った道を通ってあの黒っぽい岩石を運ぶのは無理でしょう。特に犯人が一人であればなおさらです」

「それじゃ、神尾さんの仮説は無理な話ということになりますよ」

「いや、きっと私たちが車を停めた所よりもっと高い場所に車が通れるような道と駐車スペースがあるのではないかと考えているのです。今日はそれも探したいと思っています」

「やれやれ、やらなければならないことが一杯あるなあ」


「やることは他にまだあります」

「ええっ、まだあるんですか?」

「この前、鹿子木さんと崖の上を捜査した時、ほぼ平らな面を持つ黒っぽい『はんれい岩』の傍にもう一つの岩石があったような跡がありました。あそこは白い石が崩れたようになっていましたよね。あの時は、黒っぽい『はんれい岩』の一つと一緒に岩宿さんが転落し、その際、岩石の下にあった白い石、つまり花崗岩が砕かれたのかもしれない、と考えました。しかし、もしかしたら、この考えは間違っているのではないかと思うのです」

「何故ですか?」

「あの辺りは『真壁石』が産出される地域です。それほど簡単に崩れるような石であれば『真壁石』として商品にはならないでしょう。だから、あの崩れたような白い石も外から持ち込まれたものではないかと思うのです」


「何のためにですか?」

「単純に花崗岩の上にあの黒っぽい『はんれい岩』が乗っていた状態で、目を眩しくさせたくらいでは岩宿さんは簡単には転落しない、と犯人は考えたのだと思います。それで、二つあった黒っぽい『はんれい岩』のうち、崖とは離れている部分の下は硬い花崗岩をそのままにしておき、崖に近い方の『はんれい岩』の下を岩石採取用のハンマーか何かで削り取り、他の場所から運んで来た、既に風化して砕けた花崗岩、これを『マサ』というのだそうですが、その『マサ』を手で固め、安定して見えるように『はんれい岩』の下に置いたのではないでしょうか。その結果、崖に近い方の『はんれい岩』の上に乗った岩宿さんが、眩しさでバランスを崩した時、『マサ』の部分が簡単に崩れ、黒っぽい『はんれい岩』と共に崖下に転落し易くなったと考えられます。ちなみに、『マサ』を漢字で書くと、『真砂』と表記するようで、美しい白砂の海岸などでも見られるとのことです」

「そうなると、今日は崖の上と崖の下との両方から砕けた白い花崗岩の風化したものを採取して帰らなければいけませんね」

「ええ、是非お願いします。それと、その風化した岩石と比較するために崖上のまだ風化してない花崗岩も採取しなければいけないのです」

「でも、風化した岩石は簡単に採取できるでしょうけど、風化が進んでいない花崗岩はそう簡単には採取できないのではないんですか?」

「大丈夫です。ほらこの通り」

 そう言うと、洋介は朝方岩石マニアの友人から借りたばかりの岩石採取用のハンマーを自分のバッグから取り出して鹿子木に見せた。


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