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41.再度事件現場で

 二人は車を前回と同じ場所に停め、傾斜のある山道を登って先ず崖の上に行った。事件現場はざっと見た感じでは荒らされた様子もなく、前回捜査した時と同じような状態であった。洋介は少し安心し、岩宿が転落したと考えている黒っぽい『はんれい岩』があった場所に行って更によく観察した。

「ああ、良かった。鹿子木さん、現場が特に荒らされたようには見えませんね。これなら証拠になるかもしれない物を採取できますよ」

「そのようですね。それで、どれを採取するのですか?」

「先ず、簡単な方からやりますか。鹿子木さん、細かい石を入れられるような容器はお持ちですか? 一応私も自分で用意してきてはいますが、証拠になるかもしれない物なので、警察のお墨付きのものを使った方が良いでしょうから」

「ちょっと待ってください。多分、五つ六つはバッグの中に入っていたはずですから」

 鹿子木はバッグの中をごそごそと探していたが、お目当ての容器が見つかり、嬉しそうに神尾に手渡した。

「有難うございます。崖に最も近い所に落ちている、花崗岩が風化した『マサ』と思われる小さな石を拾います」


 洋介が何の躊躇いもなくすたすたと崖の際まで歩いていくのを見て鹿子木が声を掛けた。

「神尾さん、十分に注意してくださいよ。その先は十数メートルの崖なのですから」

「はい、注意します」

 そう言って洋介は採取すべき石を見繕った。小さめの容器の半分くらいまで『マサ』と思われる白い石を入れ、蓋をしっかりと閉めてから鹿子木に渡した。

「鹿子木さん、必要事項をメモしてくださいね。私が書くより鹿子木さんの方がこういう物の記載に慣れているでしょうから。場所は『崖の上』としておいてください。後で崖下からも黒っぽい石の周りに落ちている『マサ』と思われる白い石を採取したいと思いますので。それと、もう一つ同じ容器をください。今度は固くて崩れていない花崗岩と思われる石をハンマーで砕いて入れますから」

 そう言うと洋介は力を込めて崖上の白い岩盤にハンマーを振り下ろし始めた。『真壁石』は、『はんれい岩』程ではないにしても耐久性に優れていることから、日本銀行本店や旧赤坂離宮の迎賓館にも使われているそうであるが、この辺りの岩石も同じ系統の岩石のようであった。一方で『真壁石』は比較的加工し易いのも特徴の一つであるとのことで、洋介の力でも何とか採取できるくらいの大きさまで砕くことができた。それを入れた容器も託した洋介は、鹿子木に崖の上に残るよう依頼した。


「午後三時半を少し過ぎたところですね。事件発生当時から二カ月過ぎてしまいましたから、少し時刻は早めの方が良いでしょう。私は崖下の鏡が割れていた場所に降りて行きますから、鹿子木さんはこの黒っぽい岩石の傍から離れないでいてください。勿論崖から落ちないように十分注意していてくださいよ」

「何をされるんですか、神尾さんは?」

「崖下で私が呼んだら鹿子木さんは私の方を見てください。そうすればお分かりになるはずです」

 そう言うと洋介は崖下の平らになっている所まで迂回して降りて行った。前回の捜査で鏡の破片が落ちていた場所まで真直ぐに進み、目的地に着くと崖の上を見上げ、大声を出した。

「鹿子木さーん、こっちを見てくださーい」

 鹿子木は言われた通り、洋介の方を見た。すると、突然太陽光が鹿子木の目を捉えた。

「うわー、眩しい! 何をするんですか、神尾さんは!」

「眩しかったでしょう。申し訳ありませんが、鹿子木さんもこちらに降りてきてください」

「はい、分かりました。直ぐ行きます」


 鹿子木が崖下に降りて行くと、洋介は岩宿が転落していた場所付近に立っていた。

「鹿子木さん、眩しかったでしょう。あの割れた鏡はあの場所にセットされていたのだと思います。あの日の午後四時頃、岩宿さんが黒っぽい『はんれい岩』の辺りに置かれた重要書類か何かを取ろうとした時、ちょうど彼の目に太陽光が反射するように仕組まれていたのでしょう。

 ここまでの推理を纏めてみますね。犯行前、黒っぽい『はんれい岩』二つが崖の上にあったのだと思います。一つは崖の際にあり、その直ぐ近くには書類か何かが置かれていたものと考えられます。その岩石は岩宿さんと一緒に転落し、現在は崖下にあります。もう一つの岩石はまだ崖の上に残っているもので、多分岩宿さんは最初崖上に残っている『はんれい岩』の上に立ち、そこから書類を掴もうとしたのでしょう。しかし、届かない位置に置かれていた。それで、仕方なくもう一つの『はんれい岩』の上に乗って書類に手を伸ばした瞬間、あの鏡に反射した太陽光が突然岩宿さんを襲い、トロパン系アルカロイドの効果で瞳孔が散大していた岩宿さんは酷く目が眩んだ、と思われるのです」


「それで岩宿はバランスを崩して転落したしまったというわけですね」

「岩宿さんがバランスを崩した瞬間、崖の際に置かれていた黒っぽい『はんれい岩』の下で岩石を支えていた『マサ』が簡単に崩れ、『はんれい岩』と共に岩宿さんも転落していったのでしょうね」

「なるほど。アルカロイドと鏡による目くらましと、石の下の仕掛けとの両方で岩宿を転落に導いたというストーリーですね。十分あり得る話だ」

 鹿子木はあたかも自分自身で解き明かしたかのような口ぶりでそう言った。

「なので、この辺りに散らばっている『マサ』と思われる白い石も採取していき、崖上で採取したものと同じかどうかを調べていただきたいのです。鹿子木さん、もう一つ容器をください」

 鹿子木は頷き、バッグから容器を出して洋介に渡した。洋介はよく観察しながら細かな石を採取して鹿子木に渡してから、二人は駐車しておいた車に戻った。


 車に乗り込むと直ぐに洋介は鹿子木に言った。

「鹿子木さん、我々にはもう一つ確かめておかなければならないことがあります。このまま車でもう少し上の方に進んでいただけますか?」

「ええっ、まだ登るのですか? 坂が急だし道が細いので車で行くのは結構きつそうですよ」

「いえ、きっと行けるはずです。崖の上に台車か何かであの黒っぽい岩石二つを運べるような所が存在しているに違いないのです」

 鹿子木は仕方なさそうな顔をした後、必死になってハンドルにしがみつくようにして運転した。急で曲がりくねった舗装もされていない山道を少し走ると、傾斜が緩やかでやや開けた場所に出た。

「鹿子木さん、この辺に車を停めてください。車から降りてあの崖の上に出られる小道を探しましょう」

 鹿子木は直ぐに道の脇にあって草がまばらに生えているスペースを見つけ駐車した。待ち構えていた洋介はまだ車がしっかりと停まらないうちにドアを開け、外に出た。車の傍に立って、山とは反対の方向を向き、周囲を眺め回した。


 何かを見つけたのか洋介が走り出した。鹿子木も慌てて後を追った。

「鹿子木さん、この辺りは心なしか草が踏みつけられたようになっています。きっとあの崖の上に繋がっていますよ。さあ、行きましょう」

 そう声を掛けるとどんどん先に行ってしまった。遅れてついていった鹿子木の前で洋介が急に立ち止まった。

「どうしたんですか?」

 そう言って前を見ると、あの崖の上のほぼ平らな場所が鹿子木の目に飛び込んできた。

「鹿子木さん、やはり車の通れる道と駐車スペースとがありましたね。犯人は崖の上の部分とほぼ同じ高さまで、車であの二つの黒っぽい『はんれい岩』を運び上げ、そこからは一輪車か何かで事件現場まで運んだのでしょう」

「そうでしょうね」

「これで、採取した岩石の分析結果が想像通りの結果であれば、間違いありませんね」

「戻ったら分析してもらうよう最大限の努力をします」

 鹿子木は自信なさそうな態度でそう言った。


「その後、犯人は崖の際で二つの『はんれい岩』を一輪車から下ろし、一つは崖より少し手前に置き、もう一つは崖の際すれすれに置いたのですね」

「そうです。わざわざ外から運んで来てまで『はんれい岩』を使った理由は、先ほども言ったように、白い石ばかりのこの辺りで黒っぽい岩色は目立つからだろうと思います。岩宿が目的地を発見し易くするためでもありますが、犯人が岩宿に対して指示を出す時にも理解され易いと考えたのだと思います。二つ目の『はんれい岩』を置く前に、崖に最も近い部分を岩石用ハンマーで削り取り、別の場所から運んできた風化が進んだ花崗岩である『マサ』を柱のように手で固めて何本か置き、ちょっと見では安定しているように仕組んだのだろうと考えているのです」

「準備が整ったところに、二つ目の問題を見事に解いた岩宿がやってきた。……、私にはそれから先、どうやって岩宿の目にアルカロイドを入れたかが分からないのですがね」

「これは全て私の勝手な想像なのですが、一応筋が通るようには考えてみましたのでお聞きください」


 鹿子木は、是非にというような素振りで洋介に話を続けるように促した。

「犯人が岩宿さんと顔見知りであれば、きっと変装していたと思います。何故なら、犯人は岩宿さんに話しかけ、さらに握手をする必要があったからです」

「ええっ、どういうことですか? きちんと説明してくださいよ」

 鹿子木は洋介の言っていることが理解できないでいたので、詰問調になった。

「犯人は岩宿さんが黒っぽい『はんれい岩』と思われる石に近付いた時、姿を現したのでしょう。そして、難問を見事に解き明かし目的地に辿りつたことを褒めたのでしょう。そして白い手袋をした右手で岩宿さんと握手をしたのだと思います」

「ああ、そうか! その手袋にはアルカロイドが塗ってあったので、岩宿の右手にはアルカロイドが付着してしまった。その手で目を擦れば、目の中にアルカロイドが入ってしまう、という寸法だったわけだ」


「その通りだと思います。もしかすると、犯人は小さな手鏡を持ってきていて、それで太陽光を反射させて岩宿さんの目に当たるようにしたかもしれません。眩しさを感じた岩宿さんは右手で目を擦った。それで、岩宿さんの右手に付着したアルカロイドは犯人の企み通り頬の上や目の中に入ったのだと思います」

「なるほど。ところで、神尾さん。あのアルカロイドは目に入ってからどのくらいの時間が経てば瞳孔散大が起こるのでしょうか?」

「私が調べたところでは、目に入ってから数分後には瞳孔散大が始まり、三十分から四十分後が最大の作用となるそうです。ですから、ほんのちょっと会話をしていれば岩宿さんの瞳孔は散大し始めたと考えられます」


「その後、犯人はどうしたのでしょうか?」

「犯人は岩宿さんに崖際の『はんれい岩』の上に移動するよう勧めたのでしょう。例えば、その石のすぐ傍に岩宿さんが欲しいと思っていた情報が記載されている書類が置いてあったとかして」

「そうか。岩宿がその石の上に乗った瞬間、崖下にセットしてあった鏡に反射した太陽光が目に入ってしまった。バランスを崩すと、それまで辛うじて崖際の『はんれい岩』を支えていた『マサ』の柱が崩れ、岩石と共に岩宿が崖下に転落していった、ということですね」

「そういうふうに私は推理してみたのです。つまり、岩宿さんが手前の『はんれい岩』の上から崖際の『はんれい岩』の上に乗り、その近くにあった目的の書類に目をやると、崖下の鏡に反射した太陽光が目に入るように鏡の角度を調整してあったのだと思うのです。

 それで、目が眩みバランスを失った岩宿さんは転落する際、必死で犯人にすがろうとしたのでしょう。岩宿さんのどちらかの手は辛うじて犯人の右手を捕まえた。しかし、力が足りなかったか掴むのが不十分だったかして、犯人の右手を擦り抜けて岩宿さんは転落してしまった。犯人の右手にはめた手袋は岩宿さんに引っ張られて犯人の手から離れて大きく宙を飛び、崖の中腹に生えていた灌木の枝に引っ掛かった。犯人の右手の皮膚の細胞片も一緒に」

「きっと、その通りですよ。でも、崖下の鏡は何故割れていたのでしょうかね?」


「多分犯人は犯行後崖下に急いで降りて行ったと思います。目的の一つは岩宿さんが致命傷を負っていることの確認です。もう一つは岩宿と一緒に落ちた書類や岩宿さんが持ってきたと思われるお金、それからセットしておいた鏡の回収だったのでしょう。ところが第一発見者の塩貝明美さんが犬を連れて近づいてきてしまった。特に犬の吠える声は犯人の冷静さを奪うものであったに違いありません。慌てた犯人は鏡を踏むか落とすかして割ってしまった。全部を回収する時間がないと判断したのでしょう。仕方なく、鏡は割れた状態であの場所に残されてしまった」

「なるほど。岩宿が転落していた場所からはだいぶ離れているし、警察は証拠の品とは考えないであろうと犯人は高を括ったのでしょうね。でも、神尾さんが乗り出してきてしまった。それが犯人にとっては予測できないことだったのですね」


「いや、まだ単なる想像の世界の話ですし、ある程度の犯人の目星は付いていますが、証拠は何もありません」

「いや、これまでの神尾さんの推理から考えると、犯人は片桐でほぼ決まりでしょう。私は署に帰ったら、今の神尾さんの話を上司にします。そうすれば、片桐から口腔内細胞を任意で提出してもらうことを許可してくれると思います」

 鹿子木はすっかり事件が解決するものと思い込んでいるような表情で言った。

「鹿子木さん、犯人が片桐さんと決まったわけではありませんよ。可能性を広く考えて捜査してくださいね」

 洋介の言葉は鹿子木の左の耳に入り右の耳から抜けていった。


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