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25.他の容疑者

 一週間後の火曜日、鹿子木はG製薬会社つくば研究所の小会議室の中で佐藤総務課長と面談していた。洋介と一緒に岩宿の転落現場を調べて署に帰った鹿子木は、上司から別件の捜査の応援を命じられた。まだ事件とは判断されてもいない捜査に集中していることへの警鐘であろうと感じた鹿子木ではあったが、やっておかなければならないことをほったらかしにはできなかった。

「佐藤課長、朝から押し掛けて来まして申し訳ありません。岩宿副本部長の件が事故なのか自殺なのか事件なのか、なかなかはっきりしないものですから、我々もちょっと困っていましてね」

「いえいえ、こちらこそいろいろとご迷惑をお掛けしております。私でできることでしたら何でも喜んでご協力致します」

「そう言っていただけると、こちらもちょっとホッとします。よろしくお願いします」

 鹿子木はかるく頭を下げてから本題を切り出した。


「先日私がお話を伺った研究部門会事務局を長く務めてきた安田順一さんも昔は合成研究者だったそうですね?」

「はい、そうでした。もう十年以上前の話ですが」

「安田さんから聞いたのですが、岩宿さんが合成研究グループ長をしていたセクションで安田さんは消化器系の薬の合成をやっていたのだそうですね。その時、二人の間でトラブルがあり、安田さんが合成した化合物が良い活性を示したにも関わらず、そのすぐ後に人事異動があって総務部門に配置転換になったと聞きましたが」

「はい、その通りです。安田さんが我々の組織に来てから、飲み会などの席でよく愚痴をこぼしていましたから私もある程度は知っております」

 そう答えた佐藤は安田が喋った内容とほぼ同じことを鹿子木に話した。


「そんな目に遭った安田さんも太田さん同様、岩宿さんを恨んでいたのではないのですか?」

「そうですね……、全く恨んでいなかったとは言えないと思いますが……。刑事さんは今回の岩宿副本部長の死が殺人事件だと思われていて、さらに、うちの社員が犯人なのではないかとお考えなのでしょうか?」

「いえいえ、先ほども言いましたように、事件なのか事故なのか、あるいは自殺なのか、まだ何も分かってはいません。ですから、現時点ではあらゆる状況を想定して対応しておかなくてはならないのです。ご理解ください」

「はい、理解しているつもりではいるのですが……。私が何か言うと、誰かが疑われるとか、酷い場合にはその人を陥れてしまうのではないかと心配になってきたものですから」

「いやいや、心配ご無用です。私も一応捜査のプロですから、佐藤課長から聞いたことをよく調べもしないで、誰かを犯人に仕立てるなんてことはしません。どうかご安心ください」

「はい、分かりました」

 佐藤はそうは言ったものの、依然として不安げな表情を崩さなかった。


「安田さんの話に戻しますが、あの人は今でも岩宿さんのことを相当恨んでいるような所があったのでしょうか?」

「私にはそんな風には見えませんでしたが……。安田さんはご自分の事には区切りがついていたように思えます。ただ……、太田さんを含めた、本来自分のやりたい業務から岩宿副本部長によって外されてしまった研究者たちの気持ちには非常に同情的ではありました」

「太田さんや安田さん以外にも、岩宿さんに不本意な組織に異動させられた人たちがいるのですか?」

「こんな言い方は亡くなった岩宿副本部長に失礼かもしれませんが、あの人の部下であった研究者の中で、ある程度の成果を上げた人たちは、何らかの形で研究の本流からは外されてきたように思えるのです」

「えっ、成果を上げた人たちが、ですか?」


「はい。部下の研究者たちの努力によって達成された成果は、本人たちの評価にはほとんど繋がらず、結局全てが岩宿さんのものになっていったように見えるのです。それでも文句も言わずに岩宿さんについていく人は大事にしていましたが、少しでも不服を言う人は容赦なく他の部署へ配置転換してきたと思います」

「そうだったんですか。そんな仕打ちを受けた人たちの名前を教えてください」

「太田さんと同じく合成研究者の(おび)(おり)(ゆう)一郎(いちろう)さんと薬理研究者の夜須(やす)健司(けんじ)さんも今では研究ではない組織にいます。帯織さんは現在、東京本社の総務部にいますし、夜須さんは販売事業部に異動になって、今は東北支店でMRをしています。ああ、MRと言いますのは医薬情報担当者のことで、薬についての知識や情報を医師や薬剤師に提供する営業担当者です。昔はプロパーと呼んでいました」


「帯織さんと夜須さんは岩宿さんからどんな目に遭わされたのでしょうか?」

「帯織さんは安田さんが異動になった少し後、岩宿さんが合成系の統括長をされていた時にトラブルになって本社に転勤になりました。原因となったのは、基本的には安田さんと同じようなものです。岩宿統括長の意向を無視して帯織さんが合成したかった化合物を作り、結果的には非常に良い活性が得られたのです。でも、しばらくすると、明確な理由もないのにその化合物は研究対象から外されてしまったのです。当然、帯織さんは岩宿統括長に外された理由を訊きにいったのですが、安全性に不安があると説明されただけで、その根拠は示されなかったという話です。それから直ぐの人事異動で本社に転勤となりました」

「なるほど、岩宿さんがやってきたことがだんだん分かってきましたよ。夜須さんも同じように文句を言ったために飛ばされてしまったのですね?」

「はい、だいたいそんなところです。夜須さんは帯織さんと一緒のプロジェクトで薬理を担当していた若手の研究者でした。帯織さんの受けた仕打ちに我慢できなかったのでしょう。帯織さんが異動になった理由を一人で岩宿統括長に問い質したのです。それから半年後の定期人事異動の際、営業本部に異動させられてしまったのです」


 鹿子木は心底呆れたような表情で大きなため息を付いた後、更に追加の質問を行なった。

「本当に岩宿さんと言う人は酷いことをしてきたのですね。今名前が挙がった人たち以外にも多くの人が岩宿さんを恨んでいたかもしれないですね。そういう方も教えていただけますか?」

「私がかなり詳しく事情を知っているのは、今挙げた人たちくらいですかね。ただ、私が知らないだけで、他にもそういう目に遭った研究者たちがいるとは思いますが……」

「分かりました。佐藤課長にとっては話し難いことだったと思います。よく話していただきました。本当に有難うございました」

 佐藤は心配そうな顔のまま頭を下げて応えた。


 鹿子木は佐藤から名前を挙げてもらった人物から事情聴取をしておかなければならなかった。帯織と夜須は現在つくばに住んでいないので、所属と電話番号を訊き、メモした。

「それでは、安田順一さんからもう一度お話しを伺いたいのですが、ここに呼んでいただけませんか?」

「はい、分かりました。しばらくお時間を頂戴させてください」

 そう言うと佐藤は会議室内の受話器を取り、自分の部下に指示を出し、受話器を置いた。

「しばらくお待ちいただけますか? 今、安田さんの都合を訊いております。あの人は少し離れた有機溶媒の保管庫の近くの小さな事務所にいますので」

「はい、もちろんです」

 そう鹿子木が答えた後、数分間の沈黙があった。


 会議室の電話が静かな音で鳴った。きっと会議を邪魔しないように配慮された音であろう、と鹿子木は思った。佐藤は受話器を置くと、安田の都合が付くことを鹿子木に伝えた。間もなく安田が会議室のドアをノックしてから中に入ってきた。佐藤は鹿子木に会釈すると入れ違いに外に出て行った。

「まだ、私にお訊きになりたいことがあるそうですが、何に関してでしょうか?」

 安田は会議室に入るなり、いきなり質問した。

「まあ、そう慌てないでください。一つひとつ丁寧に調べていくのが私たちの役目ですので、何回も呼び出して、(うるさ)い奴だと思われるかもしれませんが、ご協力ください」

 鹿子木は笑いながらそう言った。

「分かりました。刑事さんも仕事ですものね」

 そう応えた安田の顔から怪訝さが消えていた。


「今年の七月二十五日の土曜日の午後四時頃、安田さんは何をしていましたか?」

「えっ、刑事さんは私を疑っているのですか……。まあ、仕方ないか。ええと、土曜日ですよね。土曜日は大体家でゴロゴロしていますね。あの日の前の晩、家で遅くまで酒を飲んでいて、寝たのが二時か三時頃だったと思います。まあ、会社で嫌々仕事をしていますのでね、休みの前日は憂さ晴らしをしなくてはいられなくなってしまうのです。飲むと際限がなくなってしまう方なので。だから朝起きるのが面倒で、昼前まで寝ていました。それから起きてブランチを食べて、と言っても、女房がテーブルの上に置いていってくれたサラダとパンをコーヒーで流し込んだだけですけど。その後は……。ああ、夕方女房が帰ってくるまでぼんやりテレビを見ていました」

「そうですか。奥様は外出されていたのですか。安田さんにはお子さんは?」

「二人います。私は晩婚だったので、二人ともまだ高校生なんです。土曜日は部活があって朝早く家を出て夕食の時間まで帰ってきませんよ」


「そうすると、安田さんはずっと一人で家にいた、といいうことになり、それを証明してくれる人はいないのですね?」

「そういうことになりますね。でも、私は岩宿を殺したりしていませんよ。そんな無意味なこと、する気になりません」

「無意味とはどういうことですか?」

「要するに、私は岩宿をまともな人間として認めていないのです。自分さえ良ければ他の人はどうなっても構わない、などと考えている奴は人間じゃない。そんな相手を恨んでも何の解決にもならない。そんな風に考えることにしているんです。私が合成研究から外されてからはずっと……」

「そうですか。安田さんの気持ちは分かりました。いや、お忙しい所、ご協力いただきまして有難うございました」

 安田はぺこりと頭を下げると会議室から出ていった。


 鹿子木はつくば東署に戻ると、直ぐに知り合いの東京H警察署の刑事、春田徹に電話を掛けた。

「いやー、鹿子木さん、キノコの件では本当にお世話になりました。お蔭様で何とか解決することができました。有難うございました。ところで、今日はどうされましたか?」

「実は、春田さんにちょっとご協力していただきたいことができましたものですから、電話させていただきました」

「お世話になっている鹿子木さんからのお話ですから、私でできることでしたら何でも致しますよ」

「有難うございます。実は、つくばにありますG製薬会社の研究所の副本部長が崖から落ちて亡くなりましてね。事故なのか自殺なのか事件なのかまだ分かっていないのです」

「そうですか、やっかいな状況ですな」

 鹿子木は岩宿が亡くなった時の様子とその後の捜査の状況を掻い摘んで説明した。

「まだ、事件だとは決まっていないのですが、一応動機のありそうな人間について調べているんです。H署の傍にG製薬会社の本社がありますよね」

「ああ、ありますね。私はまだ中に入ったことはありませんけど」

「そこの総務部に帯織裕一郎という男がいるのですが、事件当日のアリバイについて春田さんに訊いてもらえれば助かると思いまして」

「分かりました。時間が空いた時にその会社に行って訊いてみます。アリバイを調べる日時と対象者の名前や組織名など分かっていることをメールで送っておいてください」

「いつも済みません。では、よろしくお願い致します」

 鹿子木はホッとした表情で受話器を置き、アリバイ捜査に必要な事項をメールで送信した。


 その後、しばらくの間少し前に使っていた自分の手帳を調べていたが、ようやくお目当ての相手が見つかったようで、もう一度受話器を取り上げた。

「あのー、宮城県J署の青井壮太さんでしょうか? 私は青井さんと研修でご一緒した者で、現在つくば東署に勤務しております鹿子木康雄と申します」

「ああ、鹿子木さんですか。私です、青井です。本当にお久しぶりです。お元気ですか?」

「はい、まあ何とかやっております。青井さんもお元気の様子ですね」

「ええ、私の方も事件に追われてはいますが、元気にやっておりますよ」

「それは良かった。実は、今日はお願いがあって電話させていただきました」

「そうですか。私でできることでしたらご協力しますよ」

「J署の管内にG製薬会社の東北支店がありますよね。そこでMRをしている夜須健司という男について、今年の七月二十五日土曜日の午後四時頃のアリバイを調べていただければ有難いのですが、いかがでしょうか?」

「はい、それくらいの事でしたら明日にでもG製薬に行って調べてみますよ。その夜須という男の仕事であるMRって、昔、プロパーって呼んでいた営業担当者のことでしたよね」

「はい、そうです」

「了解しました。調べておきます」

 鹿子木は青井の暖かな対応に感謝し、簡単に岩宿の転落死の捜査状況について伝えた。



 翌日の昼少し前、相次いで鹿子木に電話が入った。最初は宮城県J署の青井からであった。

「ああ、鹿子木さんですか。G製薬東北支店に行って夜須健司のことを調べてきました」

「早速動いていただき、有難うございました」

「いやー、それがですね、夜須にはかなりしっかりとしたアリバイがありました。七月二十五日の早朝から、夜須はゴルフをしていたそうです。何でも、夜須が主催するゴルフのコンペがあったそうで、一日中大忙しだったと言っています。終わった後、皆で食事をし、解散したのが午後七時だということです。念のためゴルフコンペの参加者数人に会って訊いてみましたが、夜須の言っていた事は間違いないようでした。お役に立てずに申し訳ありませんでした」

「いやいや、貴重な時間を使って調べていただきまして、本当に有難うございました。青井さんもご存知の通り、捜査は一つひとつ潰していかなければなりませんので、夜須が白であることが分っただけでも大変助かります。ご協力有難うございました」


 鹿子木が礼を言って受話器を置くと、直ぐにまた電話が鳴った。今度は東京H署の春田からであった。

「ああ、鹿子木さん。帯織裕一郎は怪しいかもしれません。午前中にG製薬の本社に行ってきました。総務部の帯織に会って話を訊いてきたんですけど、彼奴は今もまだ岩宿のことを相当恨んでいると言っていました。それで、事件のあった日の午後何をしていたかを訊いたんですよ。そしたら、あの日は朝から奥さんの実家のあるつくば市に遊びに行っていたというんです。子供たちと奥さんは実家に来ていた奥さんの姉さん家族と楽しく遊んでいたので、帯織は昼飯後、一人で車に乗ってパーラーEというパチンコ屋に行ったのだそうです。結構調子が良かったらしくて、奥さんの実家に帰ってきたのが午後七時頃だと言うんです」

「つくばのパチンコ屋に帯織がいたということを証明してくれるような人はいるのでしょうかね?」

「私もそれを直ぐに訊いてみたんですよ。そしたら、彼奴が言うには、『つくばを離れてもう長くなるので、パチンコ屋に知り合いなんていない』というんです。怪しいでしょう。後はつくばでの出来事なんで、鹿子木さんの方で調べた方が早そうですよね」

「春田さん、貴重な情報、有難うございました。早速、そのパーラーEに行って調べてみます。本当にご協力、感謝します」

 鹿子木は見えていない相手に深々と頭を下げてから受話器を置いた。


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