第一章・8
8.
その日の夜。一行は男部屋として取った部屋に集まってくつろいでいた。コリンと巫女用に女部屋も取ってあるのだが、二人はまだ寝るには早いと押しかけて来ていた。
「おまえ……ここに着いてから食ってばっかりじゃないか。夜食は太るらしいぞ」
さっきから炒った豆を鷲掴みにしては口に放り込んでボリボリやってるコリンに、イオンが呆れて言う。
「いーひゃん、はへらへるほひにはへほはなひほ」
「食べながら喋るんじゃない、全く……」
恐らく、『食べられる時に食べておかないと』と言っていたのだろう。
昼間の自主稽古を認められて、今日の剣の稽古は休みになった。せっかくなので、宿に備え置かれた本でも読んでみようかと思っていたイオンだったが、コリンがいるとどうにも場が騒がしくなって仕方ない。
ブーツを脱いでベッドの上に座り、窓の外を眺めているハーヴェイに尋ねる。
「ところで、次の目的地はどこなんだ? ここから遠いのか?」
イオンの問いかけに、ハーヴェイは振り向いて答える。
「いや、実はすぐ近くだ。最初の『聖地』がある」
豆を巫女の口に運んで食べさせていたコリンが顔を上げて言う。
「そう言えば、その『聖地』っていうのを回るのが目的なんだっけ? すっかり忘れてたけど」
そして再び、豆を巫女の唇に当てる。巫女は雛鳥のようにそれをポリポリと咀嚼する。
「これを見ろ」
そう言って、ハーヴェイが傍らから折りたたまれた厚紙を差し出す。イオン達が座っているテーブルには届かないので、イオンがそれを受け取ってテーブルの上に広げる。地図だった。
「赤で円が描かれてるのがわかるか? 俺が描いたものだ」
確かに、地図の一区画に赤いインクで円が描かれている。
「その円の中に、ほぼ等間隔で四つ、聖地はある。ここまで出るのに少々かかったが、そのルートを巡るのはそれほど距離はかからない」
「じゃあ、どれくらいなの?」
「歩いて二日の間隔だ」
「……充分遠いって、それ」
不機嫌そうな顔をして、豆を一掴み口に放り込むと、ボリボリと咀嚼して葡萄の果汁を水で薄めたもので押し流す。
「いや、思ったよりずっと簡単な旅だと思うぞ。俺は年単位で帰れないと思ってた」
イオンがさっきから手にしたはいいがさっぱり読めていなかった本を閉じて傍に置き、コリンの目の前の豆が入った器に手を伸ばす。ピシャリ、とその手をコリンが引っ叩く。
「オジサン、途中に休める場所はあるの?」
じっとりとした視線を向けて再び本を手に取るイオンを無視して、コリンが尋ねる。
「それぞれの聖地の周りには、そこを守っている者の小屋があるらしい。それと、今いる場所から最も近い最初の聖地と円の反対側、三番目に回る聖地の隣は大きな街がある」
「それならまあ、いっか……」
コリンはふむふむと頷くと、器をひっくり返して残りの豆を全部口に流し込んだ。
「あとは……いや、何でもない。おまえ達、そろそろ部屋に帰れよ。俺達ももう寝るからさ」
何か言いかけて、イオンはコリン達に自分達の部屋で休むよう促す。
夜食の豆も食べ終えたコリンは文句も言わず、言われた通りに巫女の手を引いて出て行った。
「ほんじゃ、おやすみー!」
コリンと巫女を見送ると、イオンはコリンが散らかした豆のカスを手で掃除した。
「何か気になるか」
ハーヴェイが、先ほどイオンが何か言いかけたのを気にしてか問う。ハーヴェイ相手になら言ってもいいだろうと判断したイオンは、
「いや、途中、また変なのに襲われなければいいな……って」
そう、不安を口にした。それを聞いてハーヴェイはなるほど、といった顔をした。
「おまえには教えておこう」
イオンが豆のカスを掃除し終えて、自分のベッドに上がりこんだのを見て、ハーヴェイがランプの灯りを消す用意をしながら言う。
「巫女様を狙う輩は、旅の途中よりも、旅の終わりになるほど増える。理由は――その時になったら教える」
そう言って、ランプの灯りを消した。
窓から差し込む月明かり以外は、闇に包まれる。
質素な旅人用の宿屋だが、村の自分のベッドより立派だ。しかも、ここのところずっと言ってみれば野宿続きで、更には寝ずの番もしていたので、急に疲れが押し寄せてくるような気がした。
隣の部屋から、ぼすんぼすんと音がする。大方、コリンと巫女がベッドの上で飛び跳ねて遊んでいるのだろう。呆れたイオンだったが、その音もやがて止んだ。
いつの間にか、イオンは眠りに落ちていた。
その夜、イオンは夢を見た。
自分の見詰める先に、何か光の塊のようなものがある。そこから目を動かせないので周囲の様子も、自分がどこにいるのかもわからない。しかし、恐らくこれは自分の視点ではないだろう。そんな気がした。
やがて、その光の塊――いや、塊というほど大きくもないし、どこか弱々しい印象を受ける。これはむしろ粒だろうか。その光の粒が、水のようなものの中へゆっくりと沈んで行く。それが水なのかどうかはわからない。そして、その光の粒を追うようにして、自分の視点もその水のようなものの中へ沈んで行く。
やがて、光の粒の動きが止まる。光の粒から、二つの光の筋が枝分かれする。そして、筋の先に元の光の粒の半分くらいの大きさの粒が生まれる。それはやがて、ぐわん、ぐわんと膨張と収縮を繰り返す。
そして、その光が形を変えていき――イオンはハッとなった。その光が作り出した形、それは一糸まとわぬ姿でうずくまるようにした巫女の姿だった。
実際だったら、赤面して直視できないような光景だが、不思議と下劣な感情は抱かなかった。むしろ、その神秘的な姿に見とれていた。
やや遅れて、もう片方の枝分かれした光の筋の先の小さな粒も、何かの形を成そうとし始める。それを、夢の中のイオンは見守る。しかし――不意に聞こえてきた鶏の鳴き声で、ハッとイオンは目が覚めた。
まだ外は薄暗い。首だけ動かして隣のベッドを見ると、ハーヴェイもまだ寝ている。
昨日、少女二人の入浴の見張りなどさせられたせいで、まだ変な気分が抜けていないのだろうか?
自分のせいではないが、何となく今しがた見ていた夢に自己嫌悪を覚えつつ、イオンはそのまま眠るともなく横になっていた。
*
一行は宿屋で朝食を済ませると、さっそくすぐ近くにあるという旅の目的である聖地へと向かった。
食べ収めだとか訳のわからないことを言って朝から大量の肉料理を貪ったコリンに、イオンは胸焼けを覚えたが、本人はいたって平気そうに歩いている。
「聖地って、何かこう、神様がいるみたいなところでしょ? 綺麗な場所なのかな?」
コリンが巫女の手を引きながら言う。何となく自分に尋ねているのだろうと察したハーヴェイが答える。
「さぁな。場所の雰囲気までは俺も知らされていない。行けばわかる」
その返事に、コリンはぶすっとした顔をする。
「その通りだけど、それって何か身も蓋もないような気がするよ、オジサン」
そんな二人のやりとりを見ながら、ふとイオンは巫女の表情が何となく暗いものに変わっているような気がした。巫女は普段ぼーっとしているか喜んでいるか二つしか表情がないのだが、たまに近くに一行がいない時、不安そうな顔をする。どうもさっきから、そんな表情に見えるのだが、巫女を不安にさせるような要因が見当たらないので、何も言わないことにした。どうせ本人に尋ねようにも、言葉が聞こえないのだ。何もしてやれることなどない。
しばらく歩くと、先導していたハーヴェイが道を逸れて森へと向かって行く。
「ちょいちょい、オジサン。道、外れてるけど?」
コリンが慌てて尋ねる。
「いいんだ。目的地は、この先の森の中だ」
そう言って、ハーヴェイはなおも歩を進める。確かに基本的に街道は町と町を繋ぐものなので、街道沿いに進んでいては別の町に着くだけだ。聖地なる場所ならば、森の中にひっそりと存在してても不思議ではない。
黙ってイオン達が後に着いて行くと、ハーヴェイが前方を指差して言った。
「見えたぞ。あれが入り口だ」
木々の隙間に、斜めに切られたような巨大な岩の塊がある。その断面には、何か不思議な紋様が描かれている。
気にしなければ気にならない。だが、言われてみると確かにそこは、何か特別な場所への入り口に見えるところだった。