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第一章・5(前編)

 5.


 翌日、一行は日が昇りきってしばらくしてから出発した。単に明け方から歩く理由もないというだけである。

 定まった期限があるわけではないが、そう急ぐ旅でもない。無論早いに越したことはないのだが、いかんせん最重要人物の巫女が足が遅く体力もないので無理に急げない。

 相変わらず、ハーヴェイを先頭に後ろに巫女、その左右をイオンとコリンで挟む隊列で歩く。

 村が買い出しに使っている町を離れてから、それなりに距離を歩いている。イオンはふと疑問に思った。

「そう言えば、さすがにもうハーヴェイも地図を頼りにしないと、知ってる道じゃないだろう?」

 あまりにも自信に満ちた足並みなのでつい後を着いて行ってしまうが、ハーヴェイとて村の出身ならばさすがにこの辺りの土地勘はないはずである。しかも、聞くところによればほとんど村長の家の地下で世話男として育てられたというのだから、それほど長旅をしていたとも考えられない。

「ああ、こう言っては不安になるだろうが……だいぶ前から勘で歩いている。一応地図は頭に入れてあるし、この通り一本道だから間違うはずもないがな」

 一度振り向いてから、ハーヴェイが道の先を顎で指す。確かに、あいも変わらず街道が続いている。左右を見渡せば、街道から外れたところには森が広がり、その手前にところどころ畑や農家のようなものが見えるが、村や町と呼べるような景色はない。

「あんたがあんまりに堂々と歩いてるもんだから、黙って着いて行ってるが……まあ、どうせ俺もコリンもこの辺りは来たことがない。あんたに任せるさ。なあ?」

 同意を求めてイオンがコリンの方を振り返ると、コリンは首を傾げていた。

「どうした? 当てにできないか?」

 イオンがいぶかしんで尋ねる。コリンは思ったことは遠慮なく言うタイプだ。不平があればさっさと口に出しているはずである。首を傾げて何かを考えているなど、イオンには不気味な光景にしか見えない。

「んー……。何かさ、臭わない? ねぇオジサン」

 イオンはコリンが何を言っているのかさっぱりわからなかった。まさかと思うが、ハーヴェイの体臭が気になるとでも言うのか、と馬鹿なことを考えていると、ハーヴェイが立ち止まり真剣な顔で振り返った。

「コリン、おまえ、何か感じるのか?」

「まあ、ちょっと気になるかな? まだ自信ないけど」

「いつからだ?」

「ついさっき。あの家を通り過ぎた辺りから」

 そう言って、コリンが振り返らずに親指で遠くに見える街道を逸れた林の前の粗末な古屋を指す。

 コリンに特別な、少なくともマナのような神秘的な力を察知する能力が備わっているわけではないのは、幼馴染のイオンも知っている。そんなコリンが感じえるものと言えば――。

「獲物……いや、まさか誰かにつけられてるのか?」

 イオンが尋ねる。

「んや、あたしもさすがに人間に後をつけられたことはないから、ちょっと確信はないんだけどね。ただ、ハズレを引いた時と同じ臭いがする」

 コリンの言う『ハズレ』とは、『魔物』のことだ。魔物は、獰猛で凶暴であり、少なくとも村の人間は知らないが、人間を襲う習性がある。そして、命を落とすと雲散霧消し、肉は残らない。

 なのでコリンのような狩人たちは危ない目に遭うだけで狩っても得るものがないため、『ハズレ』と呼んでいる。

「コリンの勘なら当てになるだろう。正直に言うが、俺は旅や戦いについていろいろ教えられてはきたが、実践経験はないと言っていい」

 正直、頼りないと言えば嘘になるが、それでもハーヴェイの豊富な知識と堂々たるたたずまいは頼もしいし、そういう事情ははっきり言ってくれた方が逆に安心できる。

「ああ、コリンはこう見えて狩に関しては天才だからな」

「ちょっとー? “こう見えて”は余計じゃない?」

 コリンがジト目でイオンを睨む。それをさえぎり、ハーヴェイが言う。

「おまえたち、武器を構えておけ。くれぐれも巫女様に手出しをさせぬように。さもなくば、おまえたちの安全も危うい」

「具体的に、どうすりゃいいんだ?」

 イオンが腰の剣を皮の鞘から抜こうとして、戸惑って言う。イオンの右手は、巫女の左手を握っている。これでは両手に剣が持てない。片手だけで持ってもいいが、いつまでも巫女の手を引いていてはいざという時に満足に動けないだろうことは素人でも予想がつく。

「隊列を変えよう。コリン、先頭を頼む。イオンが巫女様をご案内しろ。俺がその後ろに着く」

 イオンが何か言う前に、ハーヴェイが鞄から縄を取り出すと、それなりに長さに余裕をもってイオンの腰と巫女の手を結んだ。

「少々無礼ではありますが……お許しを」

 なるほど、少々幼稚な方法ではあるが、人手が足りない以上しかたあるまい。

 ハーヴェイがしんがりを務めるということは、恐らく相手が飛び道具で遠距離から狙ってきた時には自らが盾になるつもりなのだろう。

 巫女を狙う下手人に狙われている状況。人の心配をしている場合ではないが、率先して矢面に立とうとするこのどこまでも忠義に育てられた男に、イオンはどうしようもなくいたたまれない感情を抱く。

 コリンも同じことを考えていたのだろう、

「ねぇ、少なくともあたしたちの後ろから来てるのは間違いないんだから、影が見えたらあたしがこう、バシュッ、っと射抜いちゃうから、あたしが一番後ろの方がいいんじゃない?」

 そう申し出るが、ハーヴェイは、

「的は広い方がいい」

 真面目な顔でそんな冗談めいたことを言う。

 これ以上言っても無駄だと考えたイオンは巫女と繋いだ手を解き、鞘のベルトを外して右、左と剣を握った。

 と、いきなり手を離された巫女が、不安そうに今まで腰の前で握られていた手をふらふらと彷徨わせる。

 それを見たイオンは、ハッとすると今手にしたばかりの剣を再び鞘に収めた。

 そうだった。この巫女――少女は、“物理的に”目が見えないのだ。マナとは生命を構成する要素だと聞いているので、多分生きている人間である自分の存在は認識しているだろう。それがどの程度具体的なのか、視覚にするとどれくらい鮮明なのかはもちろんわからない。

 しかし、この少女は物理的な音も聞こえないという。ならば、少なくとも、今まで自分をいずこかへいざなっていた手を理由もわからず離されたのだ。それはさぞかし不安だろう。

 イオンは何かを捜し求めるように、今までイオンの手があった辺りの空中をふらふらと彷徨う巫女の手をそっと握った。

 巫女の手は一瞬ピクリと驚いたように跳ねたが、やがて安心したのを伝えようとするかのようにイオンの手をペタペタと何度か叩き、そしてぎゅっと握り返してきた。

「えーっと、」

 物理的に音は聞こえていないという。ならば自分の声も聞こえないのだろうが――そう思いつつも、ずっと世話係をしてきたというハーヴェイが普段そうしているように、話しかけてみる。

「ちょっとだけ、我慢してて下さい、ね」

 上手い言葉が見付からず、とりあえずそれだけ言う。そして、握った手を巫女の腰の横に下げ、そこに撫で付けるようにする。トントン、と軽くその位置で手を叩いて、何とか一旦手を離すということを伝えようとする。

 そして、巫女の反対の手と自分の腰を繋いでいる縄を軽く引っ張る。それで、しばらくはこれで案内すると伝えたつもりだ。

 果たしてどの程度わかってもらえたか甚だ不安だ。木の枝で突付いただけで裂けて血が滴るのではないかと思うくらい弱々しい白い肌に、無骨な縄を括りつけているのは何とも申し訳ない気分にさせる。

 だがとりあえず、巫女は一旦手を離すということを理解したようだった。もう空中で手を彷徨わせてはいない。代わりに、縄でつながれた方の手を腰の前に持ってきて構えている。

 試しに縄を少し横に引っ張ってみると、ちゃんとその方向に着いてきた。どうやらイオンの意思は伝わったようだ。

 そんなやりとりは全く気にせず、弓矢を取り出し彼方の木々の間を苦い表情で睨んでいるコリン。しかしハーヴェイは斧を構えながら、イオンと巫女を見ていた。その顔は、酷く慈愛に満ちている。

 緊張感の中の温もり。しかしそれも束の間。

「下がって!」

 そう言うと、コリンは三人を押しのけ、つがえた矢を放った。空気を裂いて矢が突き進む。その先を目で追うと――イオンとハーヴェイにも見えた。黒い四本足の影。村の近くでも見かけるオオカミ型の魔物だ。

 辛うじて命中したのが確認できたが、魔物はこちらに向かって走ってくる。ハーヴェイが背中で巫女を庇い、その後ろをイオンが囲む。

 魔物が近付き、輪郭がはっきりしてくる。コリンが第二の矢を放つ。それは弓の弦を唸らせて飛んで行き、確かに魔物の頭に刺さった。駆けてくる魔物の足取りが崩れる。そこへ更に第三の矢が放たれる。その一発で、魔物は自身の駆ける勢いのまま転げ、地面に倒れ伏す。やがて倒れた魔物からじわじわと蒸気が立ち上るように黒い影が倒れた吹き出る。そしてそのまま、魔物は霧のように消えた。

 一同から、一瞬の安堵が漏れる。

 だが、その瞬間。

「しまった!」

 コリンの叫び声。そのまま振り返りながら矢をつがえる。イオンがその視線の先を追おうとやや遅れて振り返ったその時。白い閃光が走った気がした。何かが見えたような、だが何が起きたのか理解できない。

 イオンの右横を、コリンの矢がすり抜ける。左横をハーヴェイが駆け抜ける。

 首筋が何やら冷たいような気がした。次の瞬間。ぷす、と一杯の水袋に空いた穴から水が噴き出るように――今しがた“冷たいような気がした”イオンの首筋から血がほとばしる。

 時間にして三数えるほどもないだろう。だが、イオンにはその瞬間がとてつもなく長く感じられた。そして、自分に何が起こったのか理解するのに、随分時間がかかった、とも。

 さっきの魔物は囮だったのだ。一行がまんまと魔物に気を取られてる隙に忍び寄った下手人が、イオンの首筋を刃物で切り裂いたのだ。

 かなりの至近距離だが、それでもコリンの矢が今しがたイオンに襲いかかった下手人の胸に突き刺さる。続いて、ハーヴェイが一気に間合いを詰め、斧で深々と斬る。そして下手人は倒れた。だが、同時に、イオンも眩暈を覚えたような気がしてその場に倒れ込む。

 コリンとハーヴェイが悔しさに歯を食いしばる。今すぐにでも、イオンに叫び寄りたいが、下手人はまだあと四人。それぞれ一定の距離を空けてこちらに襲いかかってきている。これを始末しなければ、全員がやられる――!

 イオンが地面に倒れ込んだ勢いで、腰に結ばれていた縄がやや引っ張られる。それに手を引かれた巫女が、戸惑うようにまた手を彷徨わせる。

「ダメーーー!」

 思わずコリンが叫ぶ。

 巫女に更に別の方向から駆け寄ってきた下手人の凶刃が振り下ろされようとしていた。

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