No.1 不思議な女 上田ユウ
朝、カーテンを開けた。
空は一面雲に覆われ、今にも僅かなその切れ間から重いしずくが落ちてきそうだった。
上田ユウ、28歳。
彼女は暫く、その空を見上げたまま動かなかった。
夫・英二は、誰もが知る一流企業に勤め、二人は何不自由のない生活を送っていた。
だが、妊娠二ヶ月を迎えたこの日、ユウは下腹部の鈍痛ともに生温かい下血を感じた。
流産だった。
急いで携帯電話で119番通報をすると、突然の目まいに見舞われそのまま意識を失った。
ユウの人生はこの出来事を境に、静かに、しかし確実に不思議な世界へと歩み始める。
どれほどの時間が経過したのだろうか。
目を覚ましたユウは、目の前に広がる不可解な光景に戸惑っていた。
どうやら病院の一室らしい。
「これはまずい。家族には、まだ連絡がつかないのか」
慌てた様子の医師の顔が、はっきりと見える。
不思議なことにユウは白い病室の天井の隅から、ベットに横たわり苦しんでいる自分の姿を見下ろしていた。これが俗に言う幽体離脱なのであろう。
――死にたくない。
徐々に冷たくなっていく足先を感じながら、
ただそれだけを、強く願っていた。
突然、四方から暗闇が迫ってきた。
音も、光も、急速に遠ざかっていく。
真っ暗な空間の中を、幅広いベルトコンベアが静かに動いている。
目を凝らして見ると、そこには――
先ほどまで苦しそうに低くうなっていた自分自身が横たわっていた。
しかしその顔は驚くほど平然としていて、
とても穏やかで、安らいでさえいるように見えた。
しかも、ベルトコンベアの行き着く先には、
言葉では言い表せないほど、やわらかな光があった。
本能的に、
「行っちゃダメ!」
ユウは上から叫んでいた。
その瞬間、ベルトコンベアは動きを止め、音もなくドアが現れ閉まった。
同時に、再び暗闇が押し寄せた。
二度、三度と、その光景は繰り返され――その都度ユウは叫んだ。 「行っちゃダメ!」
そして、ユウは目を覚ました。
「良かった……。もうダメかと思ったよ」
医師の大きな声が、現実へと引き戻す。
そう、彼女は一度、死にかけたのだ。
それから一年後、ユウは二度目の臨死体験をする。
原因は、またしても流産だった。
突然、腹部に激しい痛みが走り、
通っていた病院へ駆け込んだユウは、
そのまま二か月の入院生活を送ることになる。
その頃、彼女はよく同じ夢を見た。
一度目の臨死体験と同じように、そこは暗闇の世界だった。
気づくと、いつも一本の長いトンネルの中に立っている。
そのずっと先には、温かな明るい光が見えていた。
光に導かれるように、ユウは歩き出す。
やがて、彼女を迎え入れるように目の前がぱっと開け、
一面に、色とりどりの花畑が広がった。
美しい花々が、道をあけるように左右へと揺れる。
ユウは思わず小躍りしながら、その道を進んでいく。
やがて、川に突き当たった。
しかし、川の水は今にもあふれ出しそうに波打っている。
向こう岸には、誰もいない。
――寂しい。
川を背に、迷いながらも、
ユウはその場所を後にした。
「今だから言えますが――あなたは危ないところでした」
退院のとき、医師は静かに告げた。
「アメリカ海軍に医師の知人がいましてね。日本には、もう有効な薬がなかった。
相談したところ、当時は非常に貴重で入手困難だった抗生物質――クロマイを、
アメリカから取り寄せてくれたのです」
医師は、そこで言葉を区切った。
「あの薬がなければ、あなたは助からなかった。
どうか、米国海軍に感謝してください」
――この二度の臨死体験によって、ユウの人生は変わった。
人の「運命」が見えるようになったのだ。
運命とは、すでに決まっているものなのだろうか。
それとも、変えられるものなのだろうか。
自分に見えてしまう未来がほんとうに存在するものだろうか――。
間違った情景を見ているのかも知れない。
しかしながら、ユウにはそのことを確かめるすべはない。
ユウは、何時も迷っている。
見えた未来を知らせるべきや否や――。
こうして不可思議な女,上田ユウは誕生した。




