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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第40話 北より来た銀狐の商隊

 北の山道から現れた商隊は、ゆっくりとした速度で辺境へ近づいてきた。


 慌てる様子はない。

 威圧する気配もない。

 だが、油断もしていない。


 その歩みは、まるでこの土地の状態を測るかのようだった。


 先頭の荷車には、銀色の狐が描かれた旗。

 風に揺れるその印は、派手ではないが、妙に目を引いた。


 市場の端で荷を運んでいたヨハンが、その旗を見て小さく呟く。


「……来たな」


 ガレスが横で荷を下ろしながら言う。


「なんか、嫌な感じだな」


「わかる」


 理由は説明できない。

 だが、町の人間としての勘が働いている。


 “楽そうな話を持ってくる連中は、たいてい後で面倒になる”


 そんな経験則が、身体のどこかに残っているのだ。


 門前では、すでにディルク・ヴァルゼンが待っていた。


 兵は過剰には配置しない。

 だが、死角も作らない。


 商隊は門前で止まり、先頭の馬車の扉がゆっくりと開く。


 最初に降りたのは、護衛の男だった。

 視線は鋭いが、剣には手をかけない。


 次に降りてきた人物を見た瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。


 女だった。


 長い外套を纏い、その下に整った装い。

 歩みはゆったりとしているのに、どこか隙がない。


 視線が合うと、まるでこちらを測るように、ほんのわずかに笑った。


 そして、そのまま一歩進み、優雅に一礼する。


「初めまして」


 声は低く、よく通る。


「北方山越え商会《銀狐商会》、交渉役を務めております、セラフィナ・ヴァルクと申します」


 名乗りは丁寧だった。


 だがその声には、ただの挨拶以上の響きがある。


 場を支配しようとする者の声だ。


 ディルクは一歩も動かずに応じる。


「辺境防衛を預かる、ディルク・ヴァルゼンだ。目的は」


 簡潔な問い。


 セラフィナはその硬さを楽しむように、ほんの少し口元を緩めた。


「噂を聞きまして」


「噂?」


「ええ。捨てられたはずの領地に、火が戻ったと」


 その言葉に、周囲の兵がわずかに眉を動かす。


 “捨てられた”という言い方は、事実ではある。

 だが、あえてそれを口にするのは、試している証でもあった。


 ディルクは表情を変えない。


「それで」


「商談に参りました」


 セラフィナは自然な動きで、辺境の内側へ視線を滑らせる。


 市場。

 整えられつつある道。

 北外れの馬小屋跡。

 中継小屋の煙。


 そのすべてを、一瞬で見ている。


「……よく整えられておりますね」


 褒め言葉だった。


 だがその裏にあるのは、値踏みだ。


 どこまで回っているか。

 どこがまだ弱いか。

 どこに手を入れれば、流れを握れるか。


 それを見ている。


 ディルクが短く言う。


「案内する。だが、勝手に動くな」


「もちろん」


 セラフィナは微笑んだ。


「商人は、場の規則を破れば次がありませんから」


 その言葉はもっともらしい。

 だが同時に、“規則がなければ破る”とも聞こえる。


 帳場では、レティシア・エーヴェルシュタインがすでに準備を整えていた。


 机の上には、これまでの提案書と修正記録。

 そして、新しい帳面。


 ルイスが少し緊張した面持ちで立っている。


「閣下、来ました」


「ええ」


 レティシアは短く頷いた。


 扉が開き、ディルクが先に入る。

 その後ろに、セラフィナ。


 視線が交わる。


 一瞬の静寂。


 セラフィナは、ほんのわずかに目を細めた。


「……なるほど」


 小さく呟く。


 そして、ゆっくりと歩み寄り、再び礼をした。


「お目にかかれて光栄です。辺境を立て直された方」


 レティシアは椅子に座ったまま応じる。


「挨拶は結構よ。用件を」


 間を置かない。


 柔らかくもない。

 だが無礼でもない。


 セラフィナはその応じ方を、楽しむように笑った。


「単刀直入ですのね」


「時間は有限だから」


「ええ、その通りですわ」


 セラフィナは椅子へ腰掛ける。


 動きは静かで、無駄がない。

 だが視線は常にこちらを外さない。


「では、申し上げます」


 指先を軽く組み、言う。


「貴領で産出される鉱石。これを北方へ流すお手伝いをさせていただきたいのです」


 ルイスの手が、帳面の上でわずかに止まる。


 やはり来た。

 それが最初の感想だった。


 セラフィナは続ける。


「対価として、食料、燃料、馬具、鉄具。さらに必要であれば、中継設備の拡張にも協力いたします」


 魅力的な条件だ。


 辺境にとって、どれも不足しているものばかり。


 だがレティシアは、表情を変えない。


「条件はそれだけ?」


「いえ」


 セラフィナは微笑む。


「輸送の効率を考え、一時的に我々へ流通をお任せいただければと」


 その一言。


 ルイスが小さく息を呑む。


 ディルクの視線が鋭くなる。


 レティシアは、ほんのわずかに視線を落とし、机の上の紙へ触れた。


 井戸の修正。

 ぬかるみの対策。

 馬小屋跡の整備。

 夜火の配置。


 すべて、少しずつ、自分たちの手で積み上げてきたものだ。


 それを、外へ預けるということは――


「……つまり」


 レティシアは顔を上げた。


「この土地の流れを、あなたに渡せと?」


 セラフィナは否定しない。


「預かる、と申し上げた方が正確ですわ」


「同じことよ」


 レティシアの声は静かだった。


 だが、その場の空気がわずかに変わる。


 セラフィナは一瞬だけ沈黙し、それから小さく笑った。


「厳しい方」


「当然でしょう」


「ですが」


 セラフィナは少しだけ身を乗り出す。


 距離が、ほんのわずかに近くなる。


「貴女ほどの方なら、おわかりのはずです。すべてを自分で回し続けるのは、いずれ限界が来る」


 その声は柔らかい。


 だが、刺す。


「外の力を使う。それもまた、強さではありませんか?」


 ルイスが思わずレティシアを見る。


 正しい。

 完全に間違ってはいない。


 だが――


 レティシアはゆっくりと口を開いた。


「ええ。使うわ」


 セラフィナの目が、わずかに光る。


「ただし」


 その次の言葉で、空気が止まった。


「こちらの規則の中で」


 静かで、揺るがない声だった。


 セラフィナは、その言葉を受け止め、数秒だけ黙った。


 それから、ゆっくりと笑う。


「……面白い」


 その笑みは、先ほどまでの営業の顔とは少し違っていた。


「では、その規則を伺いましょうか」


 交渉は、ここから始まる。


 外の商人と、辺境の領主。


 だがこれは、ただの取引ではない。


 ここまで積み上げてきた流れを、守るための戦いだった。

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