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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第35話 選ぶという仕事

 提案が集まり始めると、帳場はすぐに紙でいっぱいになった。


 北外れ馬小屋跡再整備案。

 市場南端ぬかるみ対策案。

 井戸番と荷捌き朝運用変更案。

 昼時簡易汁物運用案。

 中継小屋夜火分散案。


 最初は一枚だけだった紙が、二枚になり、三枚になり、五枚になった。


 そして、五枚になった時点で、レティシア・エーヴェルシュタインは新しい問題に気づいた。


 すべてを、すぐには実行できない。


 人手は限られている。

 板材も、杭も、縄も、金具も無限ではない。

 そして何より、同時に動かしすぎれば、ようやく整い始めた町と砦の流れがまた詰まる。


 提案が出るのは良いことだ。

 けれど、提案が増えたら今度は選ばなければならない。


 それは、誰かの声を軽んじるということではない。

 限られた力を、最も効果のある順番で使うということだ。


 その朝、帳場の机には五枚の提案書が並べられていた。


 ルイスはその前で、少し困った顔をしている。


「閣下……どれも、必要に見えます」


「ええ。必要よ」


「では、全部……」


「すぐにはできないわ」


 レティシアが静かに言うと、ルイスは言葉を止めた。


 その表情には、少しだけ苦さがある。

 提案を受ける側としては、出してくれた者たちの気持ちに応えたいのだろう。

 だが帳場は、ただ優しさで紙を受け取る場所ではない。

 受け取った紙を、現実へ繋ぐ場所でもある。


「今日、簡単な評議を開くわ」


「評議、ですか」


「ええ。大げさなものではないけれど、提案を出した人たちと、実際に人手や資材を動かす人を呼ぶ」


 ルイスは目を瞬いた。


「提案した本人たちも、ですか」


「もちろん。自分の案がどう扱われるかを知らなければ、次の案は育たないでしょう?」


 そう言ってから、レティシアは並んだ紙を指先で軽く押さえた。


「今日決めるのは、何をやるかではなく、何からやるかよ」


 昼前、砦の小会議室には、いつになく雑多な顔ぶれが集められた。


 ディルク・ヴァルゼン。

 ルイス。

 ハルトマン。

 炊事長。

 井戸番の兵二人。

 ヨハンとガレス。

 豆売りの女主人。

 蹄鉄屋の主人。

 鍛冶屋の親父。

 中継小屋に出入りする鍛冶屋の見習い。

 リュンデル村から来ている若い母親。


 貴族の会議室に、これほど身分も職も違う者たちが揃うことは、王都ならまずあり得ない。

 だがこの辺境では、むしろそれが自然になり始めていた。


 それでも、本人たちは緊張している。


 特にヨハンとガレスは、自分たちの提案がきっかけでこうなったのだと理解しているらしく、妙に落ち着かない顔をしていた。


 レティシアは席につかず、机の前に立ったまま口を開いた。


「今日は、出された提案について順番を決めます」


 部屋が静まる。


「まず言っておきます。どの案も必要です。だから、ここへ並べました」


 その言葉で、何人かの肩がほんの少し下がった。


 自分の案が否定されたのではない。

 まずそれを知るだけでも、人は少し落ち着く。


「でも、全部を同時にはできません。資材も人手も限られているからです」


 今度は、皆が少し真剣な顔になる。


「だから、何からやるべきかを決めます。その基準は三つ」


 レティシアは指を一本立てた。


「一つ。止まると全体が困るもの」


 二本目。


「二つ。少ない手で大きく流れが良くなるもの」


 三本目。


「三つ。次の仕事を生むもの」


 誰もすぐには言葉を発しなかった。


 だがその沈黙は、わからない沈黙ではない。

 自分の案が、その三つのどこに入るのかを考え始めた沈黙だった。


 ディルクが低く言う。


「では、まず井戸番と荷捌き朝運用変更案でしょう」


 レティシアは頷く。


「私もそう思うわ」


 井戸番の兵二人が、はっと顔を上げる。


「これは資材をほとんど使わない。人の動かし方を変えるだけで、井戸、炊事場、荷捌き場すべてに効く」


 ルイスがすぐ帳面へ書き入れる。


 井戸番の若い兵が緊張しながら言った。


「では、明日の朝から試しても……?」


「ええ。ただし三日間だけ試験運用。うまくいったら正式化。うまくいかなければ直す」


「はっ」


 その顔には、責任と誇らしさが同時に浮かんでいた。


 次に議題となったのは、中継小屋夜火分散案だった。


 鍛冶屋の見習いは、自分の案が呼ばれた瞬間に背筋を伸ばした。


 ディルクが言う。


「これは警備にも関わる。外からの目がある以上、夜火の置き方は重要です」


 レティシアも頷く。


「薪の節約だけではないわ。火が三つに分かれれば、人の位置も見えやすい。逆に、怪しい影も見えやすくなる」


 鍛冶屋の見習いが、恐る恐る口を開く。


「では、やってもいいんですか」


「ええ。これも試験運用。今夜から」


 見習いの目が輝いた。


 それを見て、鍛冶屋の親父がぶっきらぼうに言う。


「浮かれるな。火の置き方を間違えりゃ、風で消える」


「わ、わかってます!」


 部屋の中に小さな笑いが起きた。


 だが、そこで空気が緩みすぎないうちに、レティシアは次の紙を手に取った。


「馬小屋跡再整備案」


 ヨハンとガレスが同時に姿勢を正す。


「これは重要です。けれど、資材が要ります。板、杭、留め具、縄。さらに人手も必要」


 ヨハンの顔に、少しだけ不安が浮かんだ。


「だから、すぐには全部やらないわ」


 その言葉で、ヨハンの肩が落ちかける。

 だがレティシアは続けた。


「まずは一角だけ使えるようにする。荷車三台ではなく、一台と馬二頭分。そこで流れを見る。うまく回れば拡張する」


 ヨハンの顔が、今度は明るくなった。


「一角だけでも、だいぶ違います!」


「でしょうね。ガレス、人手は?」


 急に振られたガレスは一瞬固まったが、すぐに答えた。


「流民組から二人なら、荷捌きの合間に回せます。半日ずつなら、たぶん三日続けられる」


 レティシアは頷く。


「なら、その形で」


 ルイスが書き留める。


「北外れ馬小屋跡再整備案、第一段階。使用可能区画を限定し、三日間の仮運用準備……」


 ヨハンとガレスは互いに顔を見合わせ、言葉なく頷き合った。


 次は、昼時簡易汁物運用案だった。


 炊事長は最初から堂々としていた。


「これは早い方がいい」


「理由は?」


 レティシアが問うと、炊事長は即座に答える。


「働く時間が伸びているからです。腹が空けば手が鈍る。手が鈍れば怪我が出る。怪我が出れば人手が減る」


 見事な説明だった。


 ディルクが感心したように片眉を上げる。


「兵にも効くな」


「荷運びにも効きます」


 ガレスが小さく言う。


 豆売りの女主人も頷く。


「半端豆なら、明日からでも少し出せます」


 リュンデルの若い母親も続けた。


「村から根菜の端なら持ってこられます。量はまだ多くないですけど」


 レティシアは少し考えた。


 これも資材は少ない。

 だが継続には供給と炊事場の負担が必要になる。

 最初から毎日は無理だ。


「では、まず週に二度。荷の多い日だけ」


 炊事長が頷く。


「それなら回せます」


「配る相手は?」


「兵、荷運び、鍛冶場、井戸番。まずは外で動く者から」


「いいわ」


 これも決まった。


 最後に残ったのは、市場南端ぬかるみ対策案だった。


 蹄鉄屋の主人は、少しだけ苦い顔をしている。

 後回しになると悟っているのだろう。


 レティシアはその顔を見て、静かに言った。


「これは必要です」


 蹄鉄屋が顔を上げる。


「ですが、今すぐではない」


「……はい」


「理由は、雨が来るまで数日あること。それから、灰と木屑の量を先に測る必要があること。慌てて撒いても、足りなければ逆にぬかるみが広がるわ」


 蹄鉄屋はしばらく黙り、それからゆっくり頷いた。


「わかります」


「だから準備だけ先に進める。灰と木屑の集積場所を決めて、次の雨前に実施」


 豆売りの女主人がほっと息をつく。


「後回しじゃなく、準備に回すんですね」


「ええ。止めるわけではないわ」


 その一言で、部屋の空気が少し柔らかくなった。


 評議は一刻ほどで終わった。


 決まったことは派手ではない。


 井戸番と荷捌きの朝運用は明日から三日試験。

 中継小屋の夜火分散は今夜から。

 馬小屋跡は一角だけ仮整備。

 昼の簡易汁物は週二回から。

 市場南端ぬかるみ対策は資材集積を先に。


 けれどそれは、確かに“選んだ”結果だった。


 誰かの案を潰したのではなく、順番をつけた。

 その順番に理由があると、皆が理解した。


 会議が終わり、人々が部屋を出ていく時、ヨハンが小声でガレスに言っていた。


「全部は無理でも、やる順番があるってことか」


 ガレスが頷く。


「俺たちのも、消えたわけじゃない」


 その会話を聞いて、レティシアは小さく息をついた。


 この理解こそが大事だった。


 希望は、ただ与えるだけでは続かない。

 希望には順番が要る。

 その順番に納得できれば、人は待てる。

 待てるということは、未来を信じ始めているということだ。


 夕方、中継小屋には三つの小さな火が灯った。


 大火ではない。

 けれど位置が分かれたことで、馬の影も人の影も以前より見やすい。

 鍛冶屋の見習いは、火の前で誇らしげに薪を足していた。


 井戸番の兵たちは、翌朝の動きを確認していた。

 馬小屋跡では、ヨハンとガレスが一角だけ縄で区切っている。

 炊事長は豆売りの女主人と根菜の量を数えていた。

 蹄鉄屋は、ぬかるみ対策用の灰をどこに貯めるか考えている。


 すべてが一斉に完成したわけではない。

 だが、すべてが少しずつ次へ向かっていた。


 夜、帳面を開いたレティシアは、今日の記録を口述した。


「初の小評議実施。登録済み提案五件について、優先順位と試験運用範囲を決定。即時実行二件、限定整備一件、週二運用一件、準備移行一件。提案者本人を含めた評議により、却下ではなく順序づけとして理解が進む」


 そして、最後にこう書かせた。


 選ぶことは、切り捨てることではない。未来へ進む順番を決めることだ。


 ルイスがその一文を書き終えた時、帳場の外では中継小屋の小さな火が三つ、風の中で揺れていた。

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