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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第168話 帳場が細かいと知る者

 ボルツの作業帳に残っていた名は、短かった。


 レオ。


 たった二文字。


 それだけなのに、帳場の壁に貼られた情報の移動図の中で、その名は妙に目立っていた。


 レオンではない。

 レオ。


 似ている。

 だが、同じとは限らない。


 その当たり前のことを忘れないため、ルイスは前日のうちに大きく書いていた。


 レオはレオンと同一とは限らない。


 朝、帳場に来たガレスは、その文字を見て小さく頷いた。


「名前も、似てるだけじゃ駄目なんですね」


 ヨハンが隣で肩を回しながら言う。


「まあ、俺もヨハネとかヨアンとか書かれたら困るしな」


「そんな間違えられ方します?」


「昔、荷札で“ヨハソ”って書かれたことがある」


「それは……惜しいですね」


「惜しくない。誰だヨハソ」


 豆売りの女主人が豆袋を抱えて入ってくる。


「名前を間違えられるだけならまだいいよ。間違えた名前で借金でも背負わされたらたまったもんじゃない」


 ルイスは反射的に筆を取った。


 女主人がじろりと見る。


「内部控えかい」


「はい」


「じゃあ書きな」


 ルイスは小さく書いた。


 名前の似違いで、人に荷を背負わせない。


 レティシアはその控えをちらりと見て、何も言わなかった。


 許可の沈黙だった。


 今日の確認は、前日に続き、鍛冶職人ボルツへの追加聞き取りから始まる。


 王都風の若い男。

 古鍵調整。

 先端削り。

 薄い香油。

 客名、レオ。


 昨日出たそれらの情報は、第三鍵類似加工鍵へ近づいているように見える。


 だが、近づいているように見える線ほど、足元を確かめなければならない。


 ボルツは、朝から少し不機嫌そうな顔で帳場へ来た。


「昨日も話したぞ」


 豆売りの女主人がすかさず言う。


「昨日話したことを、今日ちゃんと置き直すんだよ」


「俺は鍛冶屋であって、帳場の置物じゃねえ」


「喋る置物なんて上等じゃないか」


「褒めてねえだろ、それは」


 やり取りで少し場が緩む。


 レティシアは、ボルツへ静かに言った。


「昨日の証言を確認します。追加で思い出したことがあれば話してください。思い出せないことは、思い出せないで構いません」


 ボルツは腕を組んだ。


「それも昨日聞いた」


「今日も必要です」


「……まあ、そういうもんか」


 ルイスが昨日の記録を読み上げる。


「取引日前数日、王都風の若い男から古鍵調整を依頼された。依頼内容は、古い倉庫の錠が渋いので鍵を少し合わせたい。作業内容は先端削り。作業帳には客名“レオ”。依頼者は手が荒れておらず、靴が良く、薄い香油様の匂いがあった」


 ボルツは顔をしかめた。


「自分の言ったことを読み上げられると、妙な気分だな」


 ヨハンが頷く。


「わかります。俺も車輪の話を記録されると、急に偉そうに聞こえます」


「お前は普段から少し偉そうだ」


「ひどい」


 レティシアは会話が落ち着くのを待ってから、問いを重ねた。


「依頼者は、鍵を何に使うと言いましたか」


「古い倉庫だ」


「どこの倉庫かは」


「言ってない」


「聞きましたか」


「聞かなかった。古い倉庫の鍵なんざ、この辺じゃ珍しくもない」


 ルイスが書く。


 依頼者、倉庫の所在地は述べず。ボルツも確認せず。古い倉庫鍵調整依頼は珍しくないとの証言。


 レティシアは続ける。


「依頼者は急いでいましたか」


 ボルツは少し考えた。


「急いではいた。だが、慌ててはいなかった」


「違いは?」


「急ぎなら、早く仕上げろと言う。慌ててる奴は、手元を見る目が泳ぐ。あの男は、急ぎだったが、落ち着いていた」


 クラウスが少し身を乗り出した。


「商人の使いに多い態度ですね」


 ボルツはクラウスを見た。


「あんたのとこの使いか?」


「現時点では違うと考えています。ただし、そう見える使いは商会に多くいます」


 ルイスが書く。


 依頼者態度:急ぎだが慌ててはいない。商人使い風の可能性。ただし商会特定不可。


 ガレスが聞いた。


「その人、北方のことを何か言ってませんでしたか」


 全員が少しだけガレスを見た。


 質問としては悪くない。


 ただし、広い。


 レティシアは止めなかった。


 ボルツは眉間に皺を寄せる。


「北方のこと……」


「町とか、帳場とか、取引とか」


 ガレスが続けかけて、少し慌てて口を閉じた。


「すみません、聞きすぎました」


 ルイスが小さく頷く。


「質問内容も記録します」


 ガレスは赤くなった。


「はい」


 ボルツは、しばらく黙っていた。


 そして、ふと何かを思い出したように顔を上げる。


「そういや、言ってたな」


 帳場の空気が変わった。


 レティシアは声を変えない。


「何を?」


「俺が、そんな細かく削らなくても入るかもしれねえぞ、って言ったんだ。古い錠なんて多少雑でも回るからな。そしたらあいつが言った」


 ボルツは、少し口調を真似るように続けた。


「“北方の帳場は、細かいでしょうから”って」


 静寂。


 その一言は、紙より先に全員の胸へ落ちた。


 北方の帳場は、細かい。


 ガレスは思わず壁の図を見た。


 札。

 分類。

 差異箱。

 仮保全。

 正式荷と未申告荷車の分離。

 噂由来情報。

 第三鍵類似加工鍵。


 確かに、今の北方旧所領の帳場は細かい。


 だが、取引日前の段階で、それを知っていた者はどれだけいるのか。


 ルイスは筆を構えたが、すぐには書かなかった。


 レティシアが言う。


「その言葉は、正確に覚えていますか」


 ボルツは苦い顔をした。


「正確かと言われると困る。そんな感じだった、くらいだ。“北方の帳場は細かいから”だったかもしれん。“細かいでしょう”だったかもしれん」


「意味としては」


「雑に削ると困る、ってことだと思った。こっちは、鍵が合わなきゃ文句を言われる程度に考えてた」


 ルイスが書く。


 ボルツ追加証言:依頼者が“北方の帳場は、細かいでしょうから”に類する発言をした可能性。正確な文言は不明。意味として、雑な加工では困るとの趣旨とボルツ解釈。言葉の記憶であり未確認。


 豆売りの女主人が低く言う。


「嫌な言葉だね」


 ヨハンも頷いた。


「こっちの帳場が細かいって知ってる。しかも、鍵を細かく合わせる理由として言ってる」


 クラウスは険しい顔で言った。


「銀狐商会本部内では、北方旧所領の帳場の細かさは話題になっています」


 レティシアがクラウスを見る。


「いつから?」


「銀狐商会との正式取引条件が詰まり始めてからです。差異箱、一・一五倍、追加確認、負担と理由。正直に言えば、本部では“北方は細かい”という言い方をしている者がいました」


 ルイスが記録する。


 銀狐商会本部内で、北方旧所領帳場の細かさが話題になっていた。差異箱・追加確認・負担整理等による。共有範囲確認要。


 ロイエンも口を開いた。


「王太子府でも同じです」


 全員が彼を見る。


「補佐官室、商務係、外部連絡窓口、監査官室。北方旧所領の手順は、面倒だが有効という形で話題になっています」


 豆売りの女主人が言った。


「面倒ってところだけ外に出たわけだ」


 ロイエンは否定しなかった。


「その可能性があります」


 ルイスが書く。


 王太子府内でも北方旧所領帳場の細かさ・面倒さが話題化。外部連絡窓口経由で外部へ伝わった可能性。未確認。


 ガレスは、不安そうに言った。


「細かいって、褒め言葉なんでしょうか」


 豆売りの女主人が即答する。


「嫌味半分、警戒半分だね」


 ヨハンが頷く。


「あと、ちょっと降参も混じってます」


 ルイスが思わず書きかける。


 レティシアが視線だけ送る。


「内部控えです」


「はい」


 レティシアは新しい紙を出させた。


 追加条件:北方旧所領の帳場が細かいと知る者


 ガレスがそれを見て、少し息を呑んだ。


「また条件が増えた」


「ええ」


 レティシアは頷いた。


「ただし、広い条件です」


 クラウスも頷く。


「商会関係者だけでも、かなり入ります」


 ロイエンも続ける。


「王太子府にも多い」


 ルイスが眉を寄せる。


「広すぎて、絞れませんね」


「だから、重ねます」


 レティシアは前日の三条件表の横に、新しい円を書かせた。


 一、銀狐商会取引日程を知る者。

 二、旧搬入口が確認対象であることを知る者。

 三、白蔦会の噂効果を知る者。

 四、北方旧所領帳場の細かさを知る者。

 五、鍵を加工する必要を知る者。


 五つになった。


 ヨハンが、思わず笑いのない声を出した。


「円が増えた……」


 豆売りの女主人が言う。


「円が増えると、人は減るんだろ?」


「理屈では」


 ルイスは答えた。


「ただ、どの円にどの程度触れているかが問題です」


 クラウスが指で円を示す。


「銀狐商会本部なら、一と四を知る者は多い。三も噂に敏い者なら知る。五は限られる。二は北方側か王太子府からの情報が必要です」


 ロイエンが続ける。


「王太子府なら、二と四を知る者は多い。三を知る者もそれなりにいる。一は商務係なら知る。五は通常知らない」


 ディルクが低く言う。


「鍵の加工必要性を知るには、石材置き場第三鍵の件を知る必要がある」


 レティシアは頷く。


「ただし、第三鍵そのものを知っていたとは限りません。古い倉庫の鍵を合わせる必要がある、程度でもよい」


 ルイスが書く。


 五条件整理。

 一、銀狐商会取引日程。

 二、旧搬入口確認対象情報。

 三、白蔦会噂効果。

 四、北方帳場の細かさ。

 五、古い鍵加工の必要性。

 五条件すべてを正式に知る者とは限らず、一部を推測した可能性あり。


 ガレスが壁の円を見ながら言った。


「犯人は、北方を雑なところだと思ってなかったんですね」


 その言葉に、帳場が静かになった。


 ガレスは自分の言葉を確かめるように続けた。


「雑なら、雑な偽装でよかったはずです。でも、帳場が細かいと知っていたから、鍵も削って、紙も用意して、印も似せて、いろいろ置いた……」


 ヨハンが言う。


「見つけられても、それっぽく見えるように」


 クラウスが低く続けた。


「むしろ、見つけられる前提で」


 レティシアは頷いた。


「その可能性があります」


 ルイスが記録する。


 仕掛けた者は、北方旧所領を雑な辺境とは見ておらず、細かく確認する帳場として認識していた可能性。偽装は“見つけさせる”ことを前提に、複数の言わせたい言葉を組み込んだ可能性。


 豆売りの女主人が、嫌そうに息を吐いた。


「こっちを馬鹿にしてるんじゃなくて、こっちの細かさを利用してるってことかい」


「ええ」


 レティシアは答えた。


「その方が厄介です」


 午後、王都への追加照会が作られた。


 表題は長い。


 北方旧所領帳場の細かさに関する情報流通および鍵加工必要性認識者の確認


 ヨハンが表題を見て、顔をしかめた。


「もう呪文ですね」


 ルイスが答える。


「短くすると危険です」


「聞き飽きたけど、その通りなんですよね」


 照会内容は、四つ。


 一、王太子府内で「北方旧所領の帳場は細かい」「面倒」などの表現が使われた場面。

 二、それを聞いた外部連絡窓口関係者。

 三、灰鷹商会副支配人または関係者へその話が伝わった可能性。

 四、王都外郭の錠前商・金具商と外部連絡窓口、灰鷹商会の接触。


 ロイエンが所見を書く。


 鍛冶職人ボルツの追加証言により、依頼者が北方旧所領帳場の細かさを知っていた可能性が出た。ただし文言は記憶証言であり、確度は中以下。にもかかわらず、鍵加工依頼の文脈で発せられた点は重要。王太子府内の“北方は細かい/面倒”という雑談・非公式説明の流通確認が必要。


 レティシアはそれを読み、静かに頷いた。


「よいと思います」


 ロイエンは苦笑する。


「雑談にまで照会が及びますね」


「雑談が荷車になることがある、とフェルナー監査官が」


「ええ。まったく、その通りです」


 同じ頃、王都でも補佐官室が動き始めていた。


 フェルナー監査官は、外部連絡窓口の記録を洗い直していた。


 灰鷹商会副支配人との接触。

 王都南区資材商談会。

 非公式要約を見た可能性のある補助文官。

 そして、錠前商・金具商との接点。


 その中で、レムスが一枚の記録を見つけた。


「監査官」


 フェルナーが顔を上げる。


「何です」


「外部連絡窓口の補助文官が、王都外郭の錠前商マーロと接触しています」


 フェルナーの目が少し細くなった。


「日時は」


「灰鷹商会副支配人との商談会の翌日です。名目は、王太子府外郭倉庫の古錠交換見積もり」


「灰鷹商会との接点は」


「マーロは灰鷹商会にも倉庫金具を卸しています。銀狐商会にも過去納入あり」


 フェルナーは記録を受け取った。


 そして短く言った。


「北方へ速報。表題は慎重に」


 レムスは頷き、筆を取る。


 王都外郭錠前商マーロとの接触記録に関する第一報


 フェルナーは少し頷いた。


「よろしい。“灰鷹の錠前商”などと書かないこと」


「はい。マーロは灰鷹専属ではありません」


「その通り」


 夕刻前、その第一報が北方旧所領へ届いた。


 ルイスが読み上げる。


「王太子府外部連絡窓口補助文官、王都外郭錠前商マーロと接触記録あり。名目、王太子府外郭倉庫古錠交換見積もり。マーロは灰鷹商会にも倉庫金具を卸すが、銀狐商会にも過去納入あり。灰鷹専属ではない」


 クラウスがすぐに頷いた。


「マーロの名は知っています。腕はよい。古い鍵や錠前に詳しい職人です。ただ、灰鷹専属ではありません」


 ルイスが書く。


 マーロ:王都外郭錠前商。古い鍵・錠前に詳しい。灰鷹商会にも納入、銀狐商会にも過去納入。灰鷹専属ではない。


 ディルクが低く言う。


「鍵の線が王都へ伸びたな」


 レティシアは頷いた。


「伸びました。ただし、まだ点線です」


 ガレスが壁の図を見る。


 レオ。

 王都風の若い男。

 鍛冶場。

 第三鍵類似加工鍵。

 王都外郭錠前商マーロ。

 外部連絡窓口。

 灰鷹商会。


 点線だらけだ。


 だが、ただのもやもやではない。


 どこが点線で、どこが実線かが見えてきている。


 夜の追記に、レティシアはこう口述した。


 “北方の帳場は細かいでしょうから”。その一言は、褒め言葉ではない。嫌味でもあり、警戒でもある。だが、それ以上に、仕掛けた者がこちらをどう見ていたかを示すかもしれない。雑な辺境ではなく、細かく見る帳場。だから鍵を削り、紙を入れ、印を似せ、言わせたい言葉を箱に詰めた。細かさは、守りにもなる。だが、細かく見ると知る者には、利用されることもある。ならば、こちらはさらに分けるしかない。細かさを罠にされたなら、罠ごと細かくほどく。


 ルイスは、最後の一文を書き終えた。


 壁の図には、新しい名前が加わっている。


 マーロ。


 まだ点線の先にある名前だ。


 だが、その点線は、王都外郭へ伸びていた。

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