第164話 南の村の小箱
南の村へ向かった注意文は、夕方より少し前に届いた。
届けたのは、帳場の文書使いと護衛の兵ひとり。
前回と同じように、村へ入る時には足を速めすぎない。馬を荒く走らせない。兵の槍を見せつけない。
急ぎではある。
けれど、急ぎの顔をしすぎれば、それだけで村は騒ぐ。
封筒には大きく書かれている。
村全体への注意。個人召喚ではありません。
村長は、その文字を見て、まず深く息を吐いた。
「……北方旧所領の封筒は、最近よく喋るようになりましたな」
文書使いは、疲れた顔で答えた。
「喋らせないと、周りが勝手に喋りますので」
「なるほど」
村長は苦笑し、封を開けた。
内容は短く、しかし慎重だった。
北方方面で不審な荷預け情報あり。
見慣れない小箱、商会荷札付きの荷、受取人不明の預かり物を受け取るよう求められた場合、受領せず村長へ。
個人名を出して騒がないこと。
商会名も現時点では村内に広げないこと。
問い合わせは村長を通すこと。
村長は最後まで読み、眉間を押さえた。
「小箱、ですか」
「はい」
「実は、今朝、馬車宿に妙な預かり物が届いております」
護衛の兵が、わずかに姿勢を変えた。
文書使いはすぐに聞き返した。
「受け取りましたか」
「宿の主人が預かりました。ただし、まだ誰にも渡しておりません。受取人の名が曖昧だったので、私に相談するつもりだったそうです」
「名は?」
村長は少し迷った。
「“旧帳場の者へ”と」
その場が、静かになった。
ミケルの名ではない。
しかし、ミケルを指しているようにも読める。
旧帳場の者。
曖昧で、嫌な言い方だった。
文書使いは、すぐに紙を取り出した。
「受取人名、旧帳場の者へ。個人名なし。ミケル殿と断定せず」
村長はその書き方を見て、少しだけ感心したように頷いた。
「断定しないのですな」
「はい。断定すると走ります」
「それも封筒に書いておくべきでしたな」
「次から検討します」
冗談めいたやり取りではあったが、誰も笑わなかった。
馬車宿は、村の南端にあった。
旅人用の小さな宿で、荷馬車が二台ほど停められる。宿の主人は太った男で、普段ならよく喋るのだが、今日は明らかに口数が少なかった。
「これです」
彼は奥の棚から、小さな箱を出した。
木箱ではない。
厚紙を木枠で補強したような箱で、手のひら二つ分ほどの大きさだった。布紐で結ばれ、荷札が一枚ついている。
荷札には、灰色の鷹に似た印があった。
ただし、正式な灰鷹商会印かはわからない。
文書使いは、息を整えて記録した。
南の村馬車宿にて小箱確認。厚紙木枠補強。布紐あり。荷札に灰色鷹状の印あり。ただし灰鷹商会正式印とは断定せず。受取人欄、“旧帳場の者へ”。個人名なし。
護衛の兵が問う。
「誰が持ってきた」
宿の主人は首を振った。
「馬車宿の定期便です。預け主は王都南門側の馬車宿だと聞いてます。持ってきた御者は、ただ預かっただけだと」
「御者はまだいるか」
「昼前に北へ向かいました。荷を下ろしてすぐ」
文書使いが書く。
搬入者、定期便御者。現在不在。預け主、王都南門側馬車宿と宿主人証言。要照会。
村長は箱に触れようとして、手を止めた。
「開けますか」
文書使いは首を横に振った。
「ここでは開けません。まず北方旧所領へ確認を戻します」
「中身が危ないものなら?」
護衛の兵が言った。
「その可能性もある。だが、ここで開けると立会いと記録が足りない」
宿の主人が青ざめた。
「危ないものなんですか」
文書使いはすぐに答えた。
「危ないと決まったわけではありません。未確認の小箱です」
村長が、宿の主人へ向き直る。
「この箱について、村で話を広げないように」
「でも、もう何人か見てます」
「なら、“預かり先を確認している荷”とだけ言いなさい」
文書使いは、その言葉を書いた。
村内説明案:預かり先を確認している荷。灰鷹商会名、旧帳場、ミケル名は出さない。
その日のうちに、小箱は村長宅の奥部屋で仮保管されることになった。
宿には置かない。
宿は人の出入りが多い。
村長宅の奥部屋なら、鍵もあり、立会人も決められる。
ただし、村長ひとりに責任を背負わせないため、宿主人、村長、文書使い、護衛の兵の四名で移動記録を作った。
小箱は開けない。
紐もほどかない。
荷札も剥がさない。
箱の向きだけ記録する。
北方旧所領へは、すぐ早馬が戻された。
報告が帳場へ届いた時、すでに日が傾きかけていた。
ルイスは封筒を受け取り、封印を確認する前に、ほんの一瞬だけ顔をこわばらせた。
南の村からの急ぎ文。
それだけで、何かが起きたとわかる。
レティシアは静かに言った。
「いつも通りに」
「はい」
ルイスは息を吸い、封印を見た。
「南の村村長印、異常なし。文書使い確認印あり。急ぎ札あり。封筒外装、破れなし」
開封。
読み上げが始まる。
南の村馬車宿に、小箱あり。
荷札に灰色鷹状の印。
灰鷹商会正式印とは断定せず。
受取人欄、“旧帳場の者へ”。
個人名なし。
未開封。
村長宅奥部屋に仮保管。
村内説明は「預かり先を確認している荷」。
読み終えた時、帳場は完全に静まり返っていた。
ガレスの顔が青い。
「旧帳場の者へ……」
その言葉が、部屋に落ちる。
ミケルの名はない。
だが、思い浮かぶ。
思い浮かぶこと自体が危険だった。
レティシアは、すぐに言った。
「ミケル宛てとは断定しません」
ルイスが書く。
“旧帳場の者へ”はミケル個人を意味するとは断定しない。旧帳場関係者一般、または曖昧化された受取表記の可能性。
クラウスは、荷札の写しを見ていた。
王都から来た報告に添付されていた灰鷹商会印の写しと比べる。
彼の表情は硬い。
「似ています」
帳場が少しざわつく。
クラウスは続けた。
「ですが、正式印とは違います」
ルイスが顔を上げる。
「違う?」
「線が粗い。灰鷹商会の正式印は、翼の先が三本に分かれています。この荷札の写しでは二本に見える。潰れているだけかもしれませんが、偽印の可能性もあります」
豆売りの女主人が低く笑った。
「今度は灰鷹状類似印かい」
その言葉に、誰もすぐには笑えなかった。
白蔦状類似印。
そして今度は、灰鷹状の印。
同じ構図だった。
レティシアは頷いた。
「その表現を使いましょう」
ルイスが書く。
荷札印:灰鷹状類似印。灰鷹商会正式印とは断定しない。偽印または印影潰れの可能性。
ヨハンが、うんざりしたように言った。
「また“らしく見せる”やつですか」
「可能性です」
ロイエンが言った。
その声には、疲れがにじんでいた。
しかし、誰もそれを責めない。
疲れるのは当然だ。
同じ罠が、形を変えて来ているかもしれないのだから。
ディルクは判断を求めるようにレティシアを見た。
「箱をこちらへ運ぶか」
レティシアは少し考えた。
箱を運べば、移動中に危険が増える。
南の村に置けば、村に不安が残る。
開封するなら、立会いが必要。
開けないなら、中身がわからない。
どれも一長一短だった。
「まず、南の村で開けません。こちらから立会人を送ります」
「護衛を増やすか」
「増やします。ただし目立たせない」
豆売りの女主人が言った。
「また難しいことを」
「ええ」
レティシアは頷いた。
「難しいから紙にします」
ルイスは、すぐに開封手順案を書き始めた。
南の村小箱確認手順案。
一、現地開封はしない。北方旧所領より立会人派遣。
二、立会人:帳場一名、警備一名、村長、宿主人、必要に応じてクラウスまたは商会確認者。
三、荷札・紐・箱外装を開封前に記録。
四、灰鷹商会名は村内に出さない。灰鷹状類似印として扱う。
五、中身が文書・物品・危険物のいずれでも、即時分類。
六、ミケル本人へは、開封前に箱の存在を直接告げない。噂化防止および不要な動揺回避。
ガレスが最後の項目を見て、少し不安そうに聞いた。
「ミケルさんに言わないんですか」
レティシアは答える。
「開封前に知らせると、本人が身構えます。村で動きが出るかもしれない。まず箱を確認します」
「でも、もし本当にミケルさん宛てなら」
「その時は、確認後に正式に伝えます」
クラウスも頷いた。
「受取人名が曖昧です。“旧帳場の者へ”は、本人への荷とは限りません。誰かがミケル殿を動揺させるために書いた可能性もあります」
ロイエンが続ける。
「または、北方旧所領側に“ミケルとつなげさせる”ための表記かもしれません」
ガレスは、はっとした。
「また、こっちに言わせるため……」
豆売りの女主人が低く言った。
「本当に嫌な連中だね」
レティシアは静かに言った。
「だから、言いません」
帳場は、再び紙へ戻った。
南の村へ派遣する立会人は、ルイスではなく補助書記の若い男に決まった。
ルイスは本帳場を離れられない。
ロイエンは王太子府との照会を続ける必要がある。
クラウスは同行を申し出たが、銀狐商会の幹部が村へ行くと目立ちすぎる。
代わりに、クラウスの書記が商会確認者として同行することになった。
理由は二つ。
荷札が灰鷹状類似印であること。
銀狐商会が灰鷹商会印の正式形を知っていること。
ただし、銀狐商会書記が同行すること自体も記録される。
銀狐商会書記同行は、印確認のためであり、箱所有または処理権限を意味しない。
ヨハンがそれを見て言った。
「もう、全部に“意味しない”ってつきますね」
ルイスが答える。
「意味してしまうと危ないので」
「意味しない札」
「正式には、非認定注記です」
豆売りの女主人が顔をしかめた。
「また王都語みたいなのが出た」
クラウスが少し笑った。
「商会でも使えそうです」
「使わない方がいいよ、頭が痛くなる」
けれど、使わざるを得ない。
それを皆、わかっていた。
出発前、レティシアは南の村へ向かう者たちへ確認した。
「箱を見ても、灰鷹商会の荷とは言わないこと」
「はい」
「ミケル宛てとは言わないこと」
「はい」
「村人に聞かれたら」
補助書記が答える。
「預かり先を確認している荷の確認です」
「よろしい」
「箱を開けて、中に白蔦状のものがあった場合は」
補助書記は少し詰まった。
レティシアは待った。
補助書記は、深く息を吸ってから答えた。
「白蔦会とは言いません。白蔦状類似印、または白蔦状の物品として記録します」
「よろしい」
「もし、誰かの名前が書いてあったら」
「その場で声に出さない。紙を伏せ、立会人の範囲で確認。個人名は封書化」
補助書記は頷いた。
「はい」
ディルクが護衛へ言った。
「道中、箱を狙う者がいる可能性もある。だが、村で騒ぐな」
「承知しました」
夕暮れ前、立会人たちは南の村へ向かった。
帳場に残った者たちは、どこか落ち着かない時間を過ごすことになった。
待つ。
これが一番難しい。
ガレスは壁の情報の移動図を見ていた。
灰鷹状類似印。
南の村。
旧帳場の者へ。
小箱。
点線が増えている。
でも、まだ点線だ。
ヨハンが隣に来た。
「気になるか」
「気になります」
「俺もだ」
「早く開けてほしいです」
「でも、急いで開けると危ない」
「はい」
ガレスは、苦笑した。
「最近、何をしても“危ない”に戻りますね」
「そうだな。でも、前よりは危ない理由がわかる」
「それは、少しだけ楽です」
「怖いけどな」
「怖いです」
二人はしばらく黙って図を見ていた。
夜が深まる前に、南の村から第一報が届いた。
小箱は、立会人到着まで未開封。
村内で大きな噂化なし。
ミケル本人にはまだ知らせていない。
開封は翌朝、明るい時刻に実施予定。
レティシアはその報告を聞き、頷いた。
「夜に開けない判断はよいです」
ルイスが記録する。
南の村小箱、夜間開封せず。翌朝明るい時刻に開封予定。立会人到着済み。噂化なし。
豆売りの女主人が言った。
「夜に箱を開けると、何でも怖く見えるからね」
「それもあります」
ロイエンが答えた。
「それに、灯りでは見落とします」
クラウスも頷いた。
「商会でも、印確認は昼に行います。夜は影が誤読を生みます」
レティシアは静かに言った。
「では、待ちます」
誰も反対しなかった。
待つしかない。
夜の追記には、まだ中身のわからない小箱のことが書かれた。
レティシアは、壁の点線を見ながら口述した。
南の村に小箱が届いた。灰鷹商会ではなく、灰鷹状類似印。ミケル宛てではなく、“旧帳場の者へ”。どれも、こちらに言わせたい言葉を少しずつ含んでいる。灰鷹だと言わせたいのか。ミケルだと言わせたいのか。それとも、こちらが疑いを広げる姿を見たいのか。箱はまだ開けない。夜の灯りで見れば、影まで証拠に見える。明るい時に、立会いのもとで見る。待つことも、調査である。
ルイスは、筆を置いた。
外はもう暗い。
南の村の村長宅奥部屋では、小箱がまだ開かれずに置かれている。
中に何が入っているのか。
誰が置いたのか。
誰に受け取らせたかったのか。
何もわからない。
ただ、開けずに待てたことだけが、この夜の唯一の確かな成果だった。




