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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第16話 死んだ鉱山に、まだ金の匂いがする

 翌朝の砦は、空気そのものが少し尖っていた。


 王都から追放同然に流れてきた令嬢が、荒れた領地を立て直し始めた。

 水路を守り、村を救い、倉庫の腐敗を暴き、そして今度は鉱山が“死んだふり”をしていたことまで見抜いた。


 そこまで来れば、もう誰もこの地の変化を偶然とは思わない。


 だが同時に、それは別の意味も持つ。

 見えていなかったものが見え始めたということは、見られたくなかった者たちにとっても、もう時間がないということだ。


 レティシア・エーヴェルシュタインは、まだ朝靄の残る客間で机へ向かっていた。


 昨夜持ち帰った粗い帳面は、灯りの下で見るより朝の光の下の方がよくわかる。紙質の差、インクの癖、書き手の手の速さ。裏流通の記録は一見乱雑だが、数字の並びには奇妙な整いがあった。慣れた者が、長く続けてきた記録だ。


 白石。青脈。深掘り三。

 それぞれが何を示すのか、まだ全ては読めない。

 だが少なくとも、正式帳簿にない“もう一つの鉱山”がここにあることだけは明らかだった。


「お嬢様」


 マルタが茶を置く。


「総司令殿がお待ちです」


「ええ、すぐ行くわ」


 立ち上がる前に、レティシアは帳面の端へ小さく書き込んだ。


 表の死と、裏の生。


 それが今の鉱山の正体だった。


 中庭では、ディルク・ヴァルゼンが既に数名の兵と共に待っていた。

 その脇にはルイスとハルトマン、それに昨日鉱山で道を案内した古参兵まで揃っている。今日は明らかに“ただの確認”では終わらない日だった。


「おはようございます」


「おはよう。皆、早いのね」


「鉱山の件は、早い方がよろしいかと」


 ディルクはそう答え、すぐ本題へ入る。


「昨夜、南小路の旧倉庫から押収した紙束を整理しました。裏搬出の記録は、少なくとも一年半分はあります」


「やっぱり長いわね」


「ええ。しかも、表の収量が落ちたとされる時期と、裏の搬出量が増えた時期がほぼ重なります」


 レティシアは頷いた。


「死んだことにした山から、価値のある部分だけ抜いていたのでしょう」


「はい」


「町商人は?」


「ベラム商会の店主は“帳場を貸していただけ”と言い張っています。ですが、倉庫番補佐が消えた以上、時間の問題かと」


 レティシアは少し考え、それから問いを変えた。


「鉱山そのものを知る人間は、まだ残っている?」


 その場にいた古参兵が答える。


「……おります」


「誰?」


「昔の坑夫長だった男です。名をオルドと言います。今は町外れの酒場に居着いておりますが、山のことなら、今でもこの辺境で一番詳しいかと」


 ディルクが低く補足する。


「ただし、扱いづらい男です。数年前、急に坑道から外され、それ以来ほとんど人と関わっておりません」


「外された?」


「ええ。理由は“歳と腕の衰え”とされていましたが、現場の者でそれを信じている者は少ない」


 レティシアはそこで決めた。


「会いに行くわ」


「いまから?」


 ディルクが問う。


「ええ。帳面だけで山は読めないでしょう?」


 彼は一拍置いてから頷いた。


「承知しました」


 町外れの酒場は、朝だというのにもう薄暗かった。


 夜通し飲んだ者が潰れ、昼に働く気もない者がまだ椅子へ沈み、窓際には前夜の煙が残っている。表通りから少し外れた、まともな商人なら昼間に近づかないような店だ。


 その奥、壁際の席に男はいた。


 白髪混じりの髪を無造作に束ね、無精髭を伸ばし、安酒の壺を脇へ置いている。年は六十を越えているだろうが、肩はまだ妙に大きく、指先には石と鉄を長く扱った者特有の節くれがあった。背を丸めていても、ただの酔いどれではないことが見て取れる。


「オルド」


 古参兵が呼ぶ。


 男は面倒くさそうに顔を上げた。

 その視線がディルクを通り、さらにその隣に立つレティシアへ止まった瞬間、あからさまな嘲りが浮かぶ。


「なんだ。今度は貴族の娘まで来たか」


「レティシア・エーヴェルシュタインです」


 名乗っても、男の顔色は変わらない。


「知ってるさ。最近この辺で一番面倒な名前だ」


 ルイスがむっとしたが、レティシアは気にしなかった。


「山の話を聞きに来たの」


「だったら帰りな。あの山は終わった」


「終わった山から、どうして高純度の青い鉱石が出るのかしら」


 そう言って、レティシアは昨日押収した試料の一つを机へ置いた。


 オルドの目が止まる。


 ほんの一瞬。

 だが、その一瞬で十分だった。


 酒場の薄暗がりの中でも、老人の瞳の色が変わるのがわかった。


「……それを、どこで」


「死んだことになっていた鉱山の帳場で」


 オルドは黙ったまま石を手に取り、指先で撫でる。

 節だった親指が表面を滑り、爪で軽く弾く。

 まるで長年会っていなかった旧友の顔を確かめるような触れ方だった。


「これは“青脈”の石だ」


 やがて彼は低く言った。


「死んだ浅層じゃ出ねえ。もっと下だ」


「まだ生きているのね」


「生きてるさ」


 老人は苦々しく吐き捨てた。


「だが、表では死んだことにされた」


「なぜ?」


 問いかけると、オルドはすぐには答えなかった。

 酒壺を取ろうとして、やめる。

 そして低く笑った。


「俺も最初は、ただ山が痩せたんだと思ってた。だが違った。深い方へ降りる手を急に止められた。特定の坑道だけ“危ない”って封じられて、そのくせ夜になると別の連中が入るようになった」


 ディルクが口を挟む。


「どんな連中だ」


「まともな坑夫じゃねえ。山の怖さを知ってる歩き方じゃなかった。けど、見張りはついてた。積み出しだけは妙に手慣れてた」


「それで、あんたは外された」


「口を出したからだ」


 オルドは試料を机へ戻す。


「深い青脈は、まだ領地を食わせられる。そう言った。なのに監督役は“もう採れねえ”としか言わねえ。だったら何で夜の荷が増えるんだって噛みついたら、次の月には俺は外されてた」


 酒場の中が静かになる。


 誰もこちらを露骨には見ていない。

 けれど全員、聞いている。


 辺境の噂は、こういう場所で血を得るのだ。


「山はどこが生きている?」


 レティシアが問う。


 オルドはしばらく彼女を見ていた。

 試すように。

 あるいは、どこまで本気なのか見定めるように。


「……本気で聞いてる顔だな」


「ええ」


「なら教えてやる。だが半端ならやめとけ」


「半端なら、ここまで来ていないわ」


 その返答に、オルドは初めて小さく喉の奥で笑った。


「いいだろう。青脈はまだある。だが表の入口からじゃねえ。西の崩れ坑の奥、古い換気道の先だ。本坑は死んだふりに使われてる。生きてるのは、わざと誰も行かねえ場所に隠されてる」


 レティシアとディルクが、ほとんど同時に視線を交わした。


 やはりそうだ。

 山そのものが終わったのではない。

 見せる山と、本当に掘る山を分けていた。


「案内できる?」


 レティシアが問うと、オルドは鼻を鳴らした。


「酒代次第だと言いてえとこだが……その石を持ってきたなら、見てみたくはあるな」


「ならお願いするわ」


「ただし、山へ入るなら明るいうちだ。崩れ坑は日暮れを待ってくれねえ」


 その足で、一行は再び鉱山へ向かった。


 今度は前日と違い、道の空気まで変わって見える。

 死んだ山へ行くのではない。

 生きた山を奪い返しに行くのだ。


 オルドは道中ほとんど喋らなかった。

 だが一度だけ、北尾根へ目をやり、吐き捨てるように言った。


「山を知らねえ奴ほど、山を金の袋か何かと勘違いする」


 レティシアはその言葉を覚えておくことにした。


 鉱山へ着くと、オルドはためらいなく西側の崩れ坑へ向かった。


 そこは昨日見た主坑道と違い、いかにも放棄されたように見える場所だった。

 入口は半ば崩れ、坑木も古く、誰が見ても“もう使えない”と思うだろう。


 だが老人は、その脇に残るごく細い人の通り道を指した。


「本当に死んでるなら、ここがこんなに踏まれてるわけがねえ」


 兵たちが目を凝らすと、確かにそこだけ草が低い。

 荷を持たない少人数が、繰り返し通った痕だ。


 中へ入ると、空気が変わる。

 表の坑道より湿っている。

 だが奥から流れてくる風がある。

 完全に潰れた穴ではない。


 オルドは迷わず進み、崩れた板の奥を押しのけた。


 その先に、狭い換気道が続いている。

 大人一人が屈んで通れる程度の幅しかないが、壁の擦れ方が新しい。


「ここを夜だけ使ってたわけね」


 レティシアの呟きに、オルドが頷く。


「山を知らねえ奴は、本坑しか見ねえ。だが本当に欲しい石があるなら、別道くらい平気で作るさ」


 換気道を抜けた先で、一行はついにそれを見た。


 青い鉱脈。

 石壁の奥に、鈍い光を抱いた層が走っている。

 ごく広いわけではない。

 だが、死んだとされていた山にとっては十分すぎるほどの生きた色だった。


 ルイスが息を呑む。


「……まだ、あったんだ」


 ディルクも無言で石壁へ手を触れる。


 そしてレティシアは、静かに確信した。


 これだ。

 この領地をもう一度立て直す火種は、間違いなくここにある。


 けれど同時に、この鉱脈が長く裏で抜かれてきたこともまた動かしようのない事実だった。


 オルドが低く言う。


「これを正しく掘れりゃ、町は息を吹き返す。兵の革も替えられる。道も直せる。だが今までそれをやらせなかった連中がいる」


 レティシアは頷く。


「ええ。だからこそ、ここからは急ぐけれど、慌てない」


「どう違う」


「急いで掘れば、また裏の手が滑り込む。慌てて表に出せば、王都も外も匂いを嗅ぐ。だから、先に“こちらの山”として押さえるの」


 ディルクがレティシアを見る。


「封鎖しますか」


「一度は」


 レティシアは青脈から目を離さずに答えた。


「でも完全には閉じない。人員、道具、坑木、排水、全部こちらの管理へ組み替える。その準備ができた瞬間に、正式な再稼働へ入るわ」


 オルドが口の端を上げる。


「貴族の娘の言葉じゃねえな」


「山が死んだふりをしてたせいで、少し学んだのよ」


 戻る頃には、夕方の光が鉱山道を長く染めていた。


 誰も口数は多くない。

 見たものの重さが、それだけで十分だったからだ。


 砦へ戻る直前、ディルクが低く問う。


「これで、領地は変わりますか」


 レティシアは少しだけ考えた。


「これだけでは変わらないわ」


「では」


「変えるための火を、ようやく見つけたの」


 その答えに、ディルクは深く頷いた。


 夜、帳面を開いたレティシアは、いつもよりゆっくりと記録を口述した。


「旧坑西崩れ道の奥に生きた青脈を確認。表の本坑は死を偽装するための外皮。裏流通は、換気道と北側旧山道を組み合わせた継続運用だった可能性が高い。元坑夫長オルド、現地知見により協力を約す」


 そして最後に、こう書き足した。


 この山は終わっていない。終わったことにされていただけだ。

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