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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第151話 子どもが見た荷車

 翌朝、北門近くの荷置き場には、いつもより早く人が集まっていた。


 集まっていた、といっても、騒ぎではない。


 ディルクの兵が二人。

 ルイス。

 ガレス。

 ヨハン。

 豆売りの女主人。

 そして、井戸番の老女がひとり。


 少し離れたところには、母親に手を引かれた少年が立っていた。


 七つか八つほどの子どもだった。


 昨日、北門近くの荷置き場で小型荷車らしきものを見た、と話した子である。


 レティシアは、今日はその聞き取りをやり直すことにした。


 理由は二つ。


 ひとつは、昨日の証言が曖昧だったこと。


 もうひとつは、曖昧な証言ほど、大人の聞き方で形が変わってしまうからだった。


 子どもは嘘をつく、という話ではない。


 むしろ逆だった。


 子どもは、大人が期待する答えを敏感に察してしまうことがある。


 怖い顔をされれば、怖い話に寄せる。

 驚かれれば、驚かせる話に寄せる。

 褒められれば、もっと褒められるように足してしまう。


 だから、聞き方に札をつける必要があった。


 ルイスは板に大きく書いた紙を持っていた。


 聞き取り時の約束。

 一、答えを急かさない。

 二、見たことと、誰かから聞いたことを分ける。

 三、わからない、覚えていない、も答えとして記録する。

 四、大人が言葉を先に出さない。

 五、子どもを責めない。


 豆売りの女主人がそれを見て、満足そうに頷いた。


「これならいいね」


 ヨハンが首を傾げる。


「五つ目、わざわざ書くんですね」


「書かないと忘れる大人がいるんだよ」


 豆売りの女主人が、きっぱり言った。


 ガレスは少し俯いた。


「俺も、焦ったら聞き方が強くなるかもしれません」


「だから紙に書いたんだろ」


 ヨハンが言う。


「焦らない人になるんじゃなくて、焦っても戻れるようにする」


 ガレスは、はっとしたように顔を上げた。


「ヨハンさん、今すごく帳場っぽいこと言いました」


「やめろ。照れる」


「照れるんですか」


「車輪も照れるし、俺も照れる」


 豆売りの女主人が呆れた顔をした。


「朝から余計なこと言わない」


 少しだけ笑いが起きた。


 その笑いを聞いて、少年の肩がわずかに下がった。


 緊張が、ほんの少し緩んだのだ。


 レティシアは少年の前にしゃがんだ。


 立ったまま見下ろさないように。


「来てくれてありがとう」


 少年は母親の手をぎゅっと握った。


「……はい」


「今日は、昨日の話をもう一度聞かせてほしいの。でも、覚えていないことは覚えていないと言っていいわ」


 少年は、少し不安そうに瞬きした。


「覚えてないって言っても、怒られない?」


「怒られません」


 ルイスがすぐに答えた。


 少年はルイスを見た。


「ほんと?」


「本当です。むしろ、覚えていないのに覚えているふりをすると、あとで困ります」


 ルイスの言い方が少し硬かったので、豆売りの女主人が横から言った。


「つまり、“知らない”はちゃんとした答えってことだよ」


 少年は、ようやく小さく頷いた。


「わかった」


 レティシアは地面に置いた簡単な絵図を見せた。


 北門。

 井戸場。

 荷置き場。

 豆売りの露店。

 中継小屋へ向かう道。


 絵は、ルイスが描いたものではない。


 豆売りの女主人が描いた。


 その方が、子どもにはわかりやすかったからだ。


「昨日、あなたがいたのはどこ?」


 レティシアは、先に荷車の話を出さなかった。


 少年は絵図を覗き込み、井戸場の近くを指差した。


「ここ。水くみのあと」


「水くみは、一回目? 二回目?」


「二回目」


 井戸番の老女が頷いた。


「昨日の二回目の水くみは、朝二刻半ごろで間違いないね」


 ルイスが書く。


 証言者、井戸場二回目水くみ後、北門近く荷置き場付近にいた。時刻推定、朝二刻半ごろ。井戸番証言と一致。


 レティシアは続けた。


「その時、何を見たの?」


 少年は少し考えた。


「小さい荷車」


 ガレスが息を呑みかけたが、ヨハンが肘で軽く止めた。


 急かさない。


 ガレスは口を閉じた。


 レティシアは静かに問う。


「小さい荷車は、どこにあった?」


 少年は絵図の荷置き場の端を指差した。


「ここ。大きい荷車のうしろ」


「大きい荷車は、銀狐商会のもの?」


 ロイエンがいれば「誘導」と言いそうな問いだった。


 レティシアはすぐに言い直した。


「ごめんなさい。大きい荷車に、何か目印はあった?」


 少年は首を振った。


「わかんない。いっぱいあった」


 ルイスは書く。


 大きい荷車の所属は不明。証言者、目印認識なし。


 ヨハンが小声で言った。


「いいですね、訂正も記録するんだ」


 豆売りの女主人が頷く。


「大人の聞き間違いも、残した方がいい」


 レティシアは少年へ戻る。


「小さい荷車には、何かかかっていた?」


「布」


「どんな布?」


「茶色い。汚いやつ」


「模様は?」


 少年は少し眉を寄せた。


「覚えてない」


「覚えていない、ですね」


 ルイスが書く。


 小型荷車に茶色系の汚れた布ありとの証言。模様は不明。


 ディルクが、ここで初めて口を開いた。


「荷車のそばに人はいたか」


 声は低いが、責める調子ではない。


 少年は母親の手を握り直した。


「いた……と思う」


「どんな人だ」


 少年は少し困った顔をした。


「男の人」


「顔は?」


「見てない」


「服は?」


「普通」


 ガレスが小さく「普通……」と呟いた。


 豆売りの女主人が、すかさず言う。


「子どもの“普通”は大事だよ。変だったら変って言うからね」


 ルイスは書いた。


 小型荷車付近に男らしき人物ありとの証言。ただし顔未確認。服装、証言者表現で“普通”。詳細不明。


 レティシアは、少年に優しく聞いた。


「その男の人は、何かしていた?」


「荷車のところで、布を直してた」


「布を直していた」


「うん。で、誰かに呼ばれて、ちょっと向こう行った」


 その瞬間、空気が変わった。


 誰かに呼ばれて。


 ディルクの目が細くなる。


 だが、レティシアは声を変えなかった。


「誰に呼ばれたのか、覚えている?」


 少年は首を振った。


「声だけ」


「どんな声?」


「おじさんの声」


 ヨハンが少しだけ天を仰いだ。


 おじさんの声。


 広すぎる。


 しかし、それも答えだった。


 ルイスは書く。


 男らしき人物、布を直した後、別方向からの声に応じて移動した可能性。声の主は不明。証言者表現、“おじさんの声”。


 レティシアはさらに問う。


「その声は、何と言っていた?」


 少年は考え込んだ。


 大人たちは黙って待った。


 かなり長い沈黙だった。


 ガレスがそわそわし始める。


 ヨハンが足で地面を軽く蹴った。


 豆売りの女主人は腕を組んだまま、少年を急かさないよう、わざと遠くを見ている。


 やがて少年は言った。


「……“そっちはあとでいい”って」


 ルイスの筆が一瞬止まった。


 あとでいい。


 その言葉は、北方旧所領の帳場にとって、最近かなり警戒すべき言葉になっていた。


 次回でいい。

 あとでいい。

 大したことではない。


 どれも、小さな顔でやって来て、後で大きくなる。


 レティシアは、しかし表情を変えなかった。


「“そっちはあとでいい”。そう聞こえたのね」


「うん。たぶん」


「たぶん、も書きます」


 ルイスが記録する。


 声の内容として、“そっちはあとでいい”と聞こえた可能性。証言者自身、たぶんと表現。未確認。


 ディルクが低く言う。


「方向は」


 少年は絵図の北門寄りを指差した。


「こっち」


「北門側か」


「たぶん」


 また、たぶん。


 ルイスは書いた。


 声の方向、北門側の可能性。ただし未確認。


 ここで、ヨハンが手を上げた。


「聞いていいですか」


 レティシアが頷く。


 ヨハンは少年にしゃがんで聞いた。


「その小さい荷車、動く時に音はした?」


「音?」


「車輪の音。ぎい、とか、かたん、とか」


 少年は少し目を丸くした。


 それから、急に頷いた。


「した。かたんって」


「何回も?」


「うん。かたん、かたんって。変な音」


 ヨハンの顔が変わった。


「左の車輪かな……」


 ディルクが問う。


「わかるのか」


「荷車の片側の車輪が少し欠けてるか、軸が歪んでると、一定の間隔でかたんと鳴ります。昨日の未申告荷車、移動させた時に片輪が少し鳴りました」


 ルイスはすぐに記録する。


 証言者、小型荷車移動時に“かたん、かたん”という反復音を聞いたと証言。ヨハン所見、未申告荷車移動時の片輪音と類似可能性。要照合。


 ガレスが小さく言った。


「音……」


 泥だけではない。


 荷車には音もある。


 ヨハンが気づくもの。

 子どもが覚えていたもの。


 それがつながる。


 レティシアは少年に微笑んだ。


「とても大事なことを教えてくれたわ」


 少年は少し不安そうにした。


「怒られない?」


「怒られません」


 豆売りの女主人が言った。


「むしろ、あとで豆を一袋やるよ」


 少年の目が明るくなる。


 母親が慌てた。


「そんな、いただけません」


「子どもに怖い話させたんだ。甘くない豆くらい持っていきな」


「甘くないんですか」


 少年が少し残念そうに言うと、場に小さな笑いが起きた。


 豆売りの女主人は胸を張った。


「甘い豆は高いんだよ」


「おかみさん」


 ヨハンが笑いながら言う。


「こういう時くらい甘くしてやってくださいよ」


「じゃあ少しだけ砂糖をまぶす」


 少年は、ようやく笑った。


 聞き取りはそこで終わった。


 レティシアは母親にも礼を言い、少年に「思い出したことがあっても、急いで話さなくていい。お母さんと一緒に帳場へ来て」と伝えた。


 子どもの証言は、走らせない。


 けれど、消さない。


 荷置き場に残った大人たちは、しばらく無言だった。


 ディルクが最初に口を開く。


「“そっちはあとでいい”」


 ルイスが頷く。


「声の主が、荷車付近の男へ指示を出した可能性があります」


「ただし未確認」


 ロイエンはいなかったが、彼が言いそうな言葉をガレスが小さく付け足した。


 皆が一瞬ガレスを見る。


 ガレスは慌てた。


「あ、すみません」


 レティシアは首を横に振った。


「その通りよ」


 ガレスは少しだけ背筋を伸ばした。


 ディルクは続ける。


「荷車は一人で置いたのではない可能性がある。少なくとも、声をかけた者がいたかもしれない」


 ヨハンが言う。


「それに、かたんって音が本当に未申告荷車と同じなら、北門近くにあの荷車がいた可能性が強くなります」


「荷車を確認しましょう」


 レティシアは決めた。


「ただし、仮保全区域で。子どもの証言と照合する形で」


 ルイスが書く。


 追加確認:未申告荷車片輪音照合。証言由来情報として扱う。ヨハン立会い。音の一致は断定ではなく、類似確認に留める。


 豆売りの女主人が頷いた。


「いいね。音にも札だ」


 ヨハンが少し笑った。


「音の札まで来ましたか」


「そのうち匂いにも札がつくよ」


「もうマルタさんがつけてます」


「ああ、そうだった」


 帳場へ戻ると、ロイエンが王都向けの文書を整理していた。


 彼は子どもの聞き取り結果を受け取り、かなり真剣に読んだ。


「“そっちはあとでいい”……」


 声に重みがあった。


 レティシアは言う。


「まだ、証言です」


「ええ。ですが、気になる言葉です」


「気になります。でも、飛びつきません」


 ロイエンは苦笑した。


「先に言われました」


「最近、飛びつかない練習をしていますので」


「王都でも必要です」


 ルイスは、聞き取り記録を清書した。


 表題は、


 北門近く荷置き場における小型荷車目撃証言・再確認


 白蔦の文字はない。


 未申告荷車とも断定しない。


 証言者は子ども。

 保護者同席。

 誘導質問の訂正あり。

 未確認情報。


 記録には、レティシアが一度問いを言い直したことも入れた。


 大人側の聞き方も記録するためだった。


 ロイエンはそこを見て頷く。


「誘導の訂正を残すのはよいですね」


 ルイスが答える。


「消すと、最初から正しく聞けたように見えてしまいます」


「それもまた偽装ですか」


「偽装というほどではありませんが……よく見せすぎることにはなります」


 ロイエンは静かに笑った。


「王太子府に聞かせたい言葉です」


 その日の午後、仮保全区域で荷車の音の確認が行われた。


 未申告荷車は、動かす前に外観と封印状態を再確認された。


 ヨハンが立ち会う。


 車輪に触る者は一名。

 移動距離は三歩分。

 床には新しい布を敷き、車輪跡も別に記録する。


 ガレスは横で見ていた。


 ヨハンが布を巻いた取っ手を持ち、ゆっくり押す。


 かたん。


 小さな音がした。


 もう一歩。


 かたん。


 さらに一歩。


 かたん。


 ガレスの背中がぞくりとした。


 子どもが言った音。


 かたん、かたん。


 ヨハンは車輪を見て言った。


「片輪の縁に小さな欠けがあります。昨日押した時も気になりましたが、これなら同じ音が出ます」


 ルイスが書く。


 未申告荷車片輪音確認。三歩移動時、反復する“かたん”音あり。ヨハン所見、片輪縁の欠けによるもの。子ども証言の音と類似可能性。ただし、証言者本人による現物音確認は行わない。誘導回避のため。


 ガレスが首を傾げる。


「本人に聞かせないんですか」


 レティシアが答える。


「聞かせたら、“これだった”と言ってしまうかもしれないわ」


「本当にそう思っても?」


「本当にそう思ったのか、大人がそう言ってほしいと思ったのか、分からなくなる」


 ガレスは少し考え、頷いた。


「難しいですね」


「難しいわ」


 最近、このやり取りが増えている。


 難しい。


 だから、紙に置く。


 夕方、王太子府へ送る追加報告が整った。


 ロイエンは所見にこう書いた。


 北門近く荷置き場にて、小型荷車を見たとの子どもの証言を保護者同席で再確認。証言内に“そっちはあとでいい”との未確認発言あり。また、荷車の反復音について、未申告荷車片輪音との類似可能性を確認。ただし、証言を誘導しないため、証言者本人への現物音確認は行わず。北方旧所領側は、子どもの証言を走らせず、未確認札を維持している。


 書き終えたロイエンは、筆を置いた。


「また王都で長いと言われそうです」


 ルイスが言う。


「短くすると、どうなりますか」


 ロイエンは少し考えた。


「“子どもが未申告荷車を見た”になります」


 ガレスが顔をしかめた。


「それは怖いですね」


「ええ」


 ロイエンは頷いた。


「だから長くします」


 夜の帳場で、レティシアは追記を口述した。


 子どもの証言は、軽く扱ってはならない。重く扱いすぎてもならない。小さな目が見たものは、大人の言葉で簡単に形を変える。だから、見たこと、聞いたこと、覚えていないこと、たぶんと思ったことを分ける。“そっちはあとでいい”という言葉も、“かたん”という音も、まだ答えではない。だが、答えへ向かう道に置かれた小さな石である。石を拾って投げるのではなく、位置を記録する。


 ルイスは、最後の一文を書きながら小さく息を吐いた。


 北門近くの荷置き場に、新しい札が増えた。


 未確認証言。

 音の類似。

 声の方向。

 保護者同席済み。


 少しずつ、見えなかった荷車の足取りが紙の上に浮かび始めている。


 まだ、誰が白蔦を描いたのかはわからない。


 だが、その荷車がどこから来たのか。


 その輪郭だけは、ほんの少しだけ、朝より濃くなっていた。

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