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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第131話 王都にも鳴る呼び鈴

 北方旧所領から届いた報告書には、いつも通り封印が二つあった。


 北方旧所領帳場印。

 王太子府連絡官バルド・ロイエンの確認印。


 それを受け取った王太子府の書記官は、最近の癖でまず封印状態を確認し、受領時刻を書き、添付目録を読んだ。


「銀狐商会下見隊に関する追加確認記録……」


 読み上げた書記官が、少し首を傾げた。


「下見隊で、追加確認?」


 隣の若い書記官が苦笑する。


「また辺境の紙ですか」


「いや、今回はロイエン副使の所見つきだ」


「なら赤札?」


「内容確認だから青札だな。たぶん」


 そんな会話をしながらも、二人はもう迷わず青札をつけた。


 検討中。


 この札一つで、紙は「まだ誰かが読む前の未確定なもの」として扱われる。


 以前なら、届いた文書は補佐官室へ回され、誰かが要約し、王太子へ届く頃には、だいぶ角の取れたものになっていた。


 今は違う。


 原文。

 要旨。

 評価。

 対応案。


 少なくとも、その四つを分けようとする習慣ができつつある。


 面倒ではある。


 だが、面倒だからこそ、後で揉めにくい。


 そのことを王太子府の書記官たちは、嫌々ながら覚え始めていた。


 報告書は昼前にアルベルトの机へ置かれた。


 エドガル・ヴァイスナーが、三段に整理した紙を添える。


 原文要旨。


 銀狐商会下見隊が申告四名に対し六名で到着。

 北方旧所領側現場担当ガレスが「追加確認をお願いします」と発し、申告外人数による水、食事、動線、記録負担を確認。

 追加費用なし。

 次回以降、人数変更は前日夕刻までに通知。

 また、中継小屋仮板の踏み込み可否についても追加確認が行われ、本取引前の補強が決定。


 王太子府連絡官所見。


 追加確認手順は、申告外人数および仮板踏み込み可否の二件で機能。

 いずれも費用または事故が発生する前に確認へ移行しており、手順の有用性を確認。

 現場担当者が第一声を発しやすい短文であることが有効に働いた。


 補佐官室評価。


 追加確認手順は現地負担の不明化防止に寄与。

 王太子府内においても、赤札移行前の軽微な予定外事項を早期に机上へ戻す仕組みとして応用可能。


 アルベルトは、最後の評価欄で手を止めた。


「王太子府内にも応用可能……?」


 声には、嫌そうな響きが混じっている。


 エドガルは一礼した。


「ロイエン副使の所見にもございます。現場が最初に発する短文があることで、小さな例外を早期に記録へ戻せる、と」


「王太子府で“追加確認をお願いします”と言うのか」


 アルベルトは心底嫌そうな顔をした。


「それは……少々、現場寄りの表現です」


「だろうな」


「王太子府では、“追加確認事項あり”程度が妥当かと」


「長い」


 エドガルは、少しだけ言葉に詰まった。


 まさかアルベルトから、長いと返されるとは思っていなかった。


 アルベルトは紙を指で叩いた。


「短文が有効と書いてあるのだろう」


「はい」


「なら長くしてどうする」


 エドガルは頭を下げた。


「では、“追加確認あり”といたしますか」


「それでいい」


 たった五文字。


 追加確認あり。


 王太子府の優雅な言葉遣いからすれば、やや素っ気ない。


 だが、机の上で止まる紙には、それくらいでちょうどよいのかもしれなかった。


「何に使う」


 アルベルトが問う。


 エドガルは、すでに考えていた案を出した。


「赤札にするほどではないが、そのまま白札にはできない事項です。たとえば、添付資料不足、人数変更、日程ずれ、返礼文の本人確認不足、席次案の未確認関係者など」


「青札とは違うのか」


「青札は検討中全体を示します。“追加確認あり”は、青札または赤札へ移す前の呼び鈴として使えます」


 アルベルトは眉を寄せた。


「また札が増えるのか」


「札というより、欄です」


「同じだ」


「……はい」


 エドガルは否定しなかった。


 アルベルトは少し考えた。


 赤札は重い。

 青札は広い。

 白札は確定。


 だが、そのどれにもまだ入れていない小さな違和感がある。


 人数が一人違う。

 添付が一枚足りない気がする。

 本人の言葉を消してよいかわからない。

 席次の相手関係に少し引っかかる。


 そういうものは、放っておくと後で赤札になる。


 ならば、赤札になる前に呼び鈴を鳴らす。


 辺境の中継小屋でガレスがしたことと同じだ。


 それを自分の府でやる。


 正直、癪だった。


 だが、役には立ちそうだった。


「試せ」


 アルベルトは短く言った。


「ただし、余計な紙遊びにはするな」


「承知しました」


「初回は、王太子妃候補関連で使え」


 エドガルの眉が、ほんの少し動いた。


「エミリア様の?」


「最近、あそこは小さな確認が多い」


 アルベルトは不機嫌そうに続けた。


「小さいうちに拾う。そういう話なのだろう」


「仰る通りです」


 エドガルは頭を下げた。


 その日の午後、王太子府に小さな通達が出た。


 “追加確認あり”欄の試行について。


 赤札移行前の軽微な予定外事項、添付不足、人数変更、日程ずれ、本人確認不足、相手関係確認などについて、担当者は文書端に「追加確認あり」と記入し、確認内容を一行で添えること。

 確認後、白札、青札、赤札のいずれかへ移行する。

 追加確認を記した者を処分対象としない。

 ただし、虚偽または意図的な遅延目的の記入は別扱いとする。


 書記官たちは、それを読んで顔を見合わせた。


「処分対象としない、ってわざわざ書いてある」


「書かないと誰も使わないからだろ」


「まあ……使わないですね」


「追加確認あり、か」


 若い書記官は、試しに口の中で言った。


 追加確認あり。


 短い。


 言いやすい。


 少しだけ、ほっとする。


 その言葉が最初に使われたのは、通達から一刻も経たないうちだった。


 場所は、エミリアの部屋。


 来週の小茶会の招待者一覧を確認していた時である。


 エミリアは、青札のついた席次案を見ながら、ふと手を止めた。


「リーナ」


「はい」


「この二人、同じ日に呼んでも大丈夫かしら」


 指差したのは、ミュラー伯爵夫人の姪と、ローゼン侯爵家の若い令嬢だった。


 リーナは席次表を覗き込む。


「お二人の間に、何か?」


「前回、直接の会話はなかったのだけれど……ミュラー伯爵夫人の姪が、ローゼン侯爵家の刺繍を褒めた時、少しだけ言い方が硬かったの。褒めているようで、比べているような」


「なるほど」


「でも、私の思い違いかもしれないわ」


 以前なら、ここで終わっていた。


 思い違いかもしれない。

 自信がない。

 なら黙っておこう。


 だが、机の端には新しい通達が置かれている。


 追加確認あり。


 エミリアは、少し迷ってから言った。


「これ、追加確認あり、で出してもいい?」


 リーナの表情が明るくなった。


「もちろんでございます」


「でも、こんな曖昧なことで」


「曖昧だから確認するのでございます」


 その言葉に、エミリアは少し笑った。


「そうね」


 彼女は、席次案の端に小さく書いた。


 追加確認あり。

 ミュラー伯爵夫人の姪とローゼン侯爵令嬢の同席可否。前回茶会で刺繍に関する発言に硬さあり。女官長補佐へ確認。


 文字はまだ少しぎこちない。


 だが、はっきり読める。


 リーナはそれを受け取り、女官長補佐へ回した。


 女官長補佐は確認すると、すぐに別紙を取り出した。


「これは良い確認です」


 エミリアは驚いた。


「良いのですか?」


「はい。実は、ローゼン侯爵家とミュラー伯爵家の若い令嬢方は、刺繍会で少し競い合っていると聞いております。大きな対立ではありませんが、同じ卓に置くより、別の話題に分けた方が無難でしょう」


「やっぱり……」


「エミリア様が気づかれたのですね」


 エミリアは、少し頬を赤くした。


「たまたまです」


「たまたまでも、記録に残せば役に立ちます」


 その言葉は、王妃が言ったことと似ていた。


 エミリアは、胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。


 席次案は、赤札にはならなかった。


 青札のまま、確認事項を処理。


 そして修正案へ移った。


 たったそれだけ。


 だが、もし確認せずに進めていたら、小茶会で小さな冷えが生まれていたかもしれない。


 その冷えは、後から誰かの不機嫌として表へ出る。


 王都の社交では、そういう小さな冷えが時に大きな噂になる。


 夕刻、進行確認会の簡易報告に、その事例が入った。


 エドガルは報告を読み、少しだけ頷いた。


「エミリア様の追加確認か」


 レムスが答える。


「はい。席次案の相手関係確認です。赤札化せず、青札内で処理できました」


「よい例だ」


「殿下へ上げますか」


「上げる」


 エドガルは即答した。


「小さいが、よい例だ。殿下にはこういうものを見せた方がいい」


「エミリア様の実務例として?」


「そうだ。ただし、レティシア様との比較になる書き方は避けろ」


「はい」


「“茶会運営における本人観察による追加確認”とする」


 レムスは書き留める。


 エドガルは、少し考えた後で付け加えた。


「それから、追加確認ありの通達について、処分対象としない文言は残せ。外すな」


 レムスは顔を上げた。


「そこを気にされますか」


「使われなくなれば意味がない」


「承知しました」


 エドガル自身、少し不思議だった。


 自分がこんなことを言うとは。


 だが、今は理解している。


 言った者が損をする仕組みでは、誰も呼び鈴を鳴らさない。


 呼び鈴を鳴らさない組織では、火が大きくなるまで気づけない。


 王太子府は、その火を何度も見逃してきたのかもしれない。


 もちろん、そう簡単には認めない。


 だが、紙の上ではもう見えていた。


 夜、アルベルトはエミリアの追加確認事例を読んだ。


「刺繍の発言が硬かった……?」


 最初は、意味がわからないという顔だった。


 エドガルは説明する。


「茶会における若い令嬢方の相性確認です。エミリア様が前回の会話の違和感を覚えておられ、追加確認として女官長補佐へ回しました。結果、席次修正につながっています」


「そんなことまで見るのか」


「茶会では重要です」


「……そうか」


 アルベルトは紙を読み直した。


 彼には、刺繍の発言が硬いという感覚はよくわからない。


 だが、わからないからこそ、エミリアが気づいた意味はあるのだろう。


 自分が見ないものを、彼女は見ている。


 それを、少しだけ理解した。


「エミリアを呼べ」


 エドガルが一瞬顔を上げる。


「今からでございますか」


「いや、明日でいい。礼を言う」


 短い言葉だった。


 だが、エドガルはその重さを理解した。


「承知しました」


 翌日、エミリアはアルベルトの執務室へ呼ばれた。


 彼女は緊張していた。


 何か失敗したのか。

 追加確認を出したことが、面倒だったのか。

 自分の気づきが、余計な口出しだったのか。


 そんな不安を抱えながら入室すると、アルベルトは机の上の紙を持っていた。


「席次案を見た」


 エミリアの背筋が伸びる。


「申し訳ございません。まだ確定前でしたので、追加確認として」


「いや」


 アルベルトは、少し言いにくそうに視線を落とした。


「よく気づいた」


 エミリアは、瞬きをした。


「……え?」


「俺にはわからない。刺繍の発言が硬いとか、令嬢同士の空気とか。だが、お前には見えたのだろう」


 エミリアは、返事に困った。


 褒められると思っていなかった。


 叱られることなら、何度も想像していた。

 だが、褒められた時の返事は、用意していなかった。


「たまたま、です」


「たまたまでも、拾ったのなら役に立つ」


 その言葉は、どこかで聞いたようだった。


 王妃。

 リーナ。

 女官長補佐。


 そして今、アルベルト。


 同じような言葉が、違う人の口から出た。


 エミリアの目が、少し潤みかけた。


 彼女は慌てて伏せる。


「ありがとうございます。次からも、気づいたことがあれば……追加確認にします」


「ああ」


 アルベルトは頷いた。


「ただし、抱え込むな。確認に回せ」


「はい」


 短いやり取りだった。


 甘い言葉ではない。

 劇的な和解でもない。


 だが、エミリアにとっては十分だった。


 自分の気づきが、邪魔ではなかった。


 それだけで、胸の奥にあった硬いものが少し緩んだ。


 その日の午後、王妃宮にも報告が届いた。


 エレオノーラは、エミリアの追加確認事例を読み、静かに微笑んだ。


「よいですね」


 セラフィナも頷く。


「エミリア様らしい確認です」


「ええ。レティシアなら、別の角度で見るでしょう。エミリアは、人の間の小さな硬さを拾った」


「殿下も評価されたそうです」


「それもよいことです」


 王妃は紙を閉じた。


「ただし、褒められたからといって、彼女に何でも見せてはいけません。見えるものから少しずつ」


「承知いたしました」


「追加確認は、弱い者を便利に使うためのものではありません。無理をさせないための呼び鈴でもある」


 その言葉は静かだった。


 だが、セラフィナは深く頭を下げた。


 同じ頃、北方旧所領では、王太子府から短い報告が届いていた。


 王太子府内で「追加確認あり」欄を試行。

 王太子妃候補エミリアが茶会席次案で追加確認を出し、席次修正へつながった。

 短文による早期確認が有効に働いた。


 ルイスはそれを読み、思わず顔を明るくした。


「エミリア様が、追加確認を使われたそうです」


 レティシアの手が止まった。


「エミリアが?」


「はい。茶会の席次案です。令嬢同士の空気を見て、確認に回したと」


 レティシアは、しばらく黙っていた。


 それから、ほんの少しだけ表情を和らげた。


「そう」


 ただ一言だった。


 けれど、ルイスにはわかった。


 それは安堵の声だった。


 ロイエンが、静かに言う。


「王太子府にも呼び鈴が鳴りましたね」


 レティシアは頷く。


「ええ」


「嬉しいですか」


 その問いは少し踏み込んでいた。


 ルイスが緊張する。


 だが、レティシアは怒らなかった。


「嬉しいわ」


 素直に答えた。


「エミリアが、自分の見えたものを紙に置けたなら」


 ロイエンは、少しだけ目を伏せた。


「それは、よいことです」


 その日の夜、帳場の追記はいつもより少し短かった。


 レティシアは、窓の外ではなく、王都から届いた紙を見ながら口述した。


 呼び鈴は、場所を選ばない。辺境の中継小屋で鳴った言葉が、王都の茶会の席次にも届くことがある。荷車の前で使う言葉と、令嬢たちの沈黙の前で使う言葉は違うようで、同じ役目を持つ。小さな違和感を、なかったことにしないための音。誰かがその音を鳴らせたなら、まだ間に合う。


 ルイスは、静かに書き終えた。


 中継小屋の火が揺れている。


 王都のどこかでは、エミリアが自分の小さな紙を封筒にしまっているかもしれない。


 辺境と王都。


 遠く離れた二つの場所で、同じように小さな呼び鈴が鳴り始めていた。

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