楽しい宴の終わりに
神々の思惑など露ほども知らず、マル肉ラーバでは相変わらず賑やかな時間が流れていた。
その中でクロは、首筋に針先で弾かれたような違和感を覚え、思わずそこをさすった。
(ん? 何か嫌な予感が……)
箸でカルビを持ち上げたまま、不思議そうに天井を見回す。
その隙を突き、クレアが素早く身を乗り出した。
「あっ!」
クロが気づいた時には、もう遅かった。
持ち上げていたカルビは、すでにクレアの口の中に収まっている。クレアは何事もなかったかのように、幸せそうな顔で肉を咀嚼していた。
クロはしばらくその姿を見つめたあと、仕方がないという顔で新しい肉をプレートへ並べる。
「クロ。もう帰ってくるの?」
アヤコは焼き上がった肉を皿に置きつつ、次の肉をプレートへ乗せながら尋ねた。
「そうですね……もう少し様子を見たら、帰ろうと思います。この内戦に関わった以上、私にも責任がありますので」
クロはそう言いながら、今度こそクレアに奪われないよう、焼き上がった肉をすぐにタレへつけて口へ運ぶ。
「うまいっ」
思わず漏れた声に、クレアの耳がぴくりと動いた。
それに気づき、クロはさりげなく皿を自分の方へ引き寄せ、ガードするように残りの肉を隠した。
「そうなんだ。ところで、サクラたちの住むところってどうする気なの?」
「そうだな。流石に、アレクたちと一緒ってわけにはいかねぇわけだが」
シゲルはジュンに焼いてもらった肉をつまみつつ、ビールを流し込む。すっかり上機嫌だが、話の中身はきちんと聞いているらしい。
「そこは考えがありますので、帰ったら対応しますよ」
クロの少し含みのある声に、アヤコはじっと目を細めた。
シゲルは逆に、面白そうに口元を緩める。
「……エルデ。何か隠してることはない?」
アヤコは、頬が膨らむほど肉を頬張りながら、クレアに急かされつつ肉を焼いているエルデへ視線を向けた。
エルデは口いっぱいに肉を詰めたまま、なぜか自信満々に頷く。
「ふふぃえはいっふ。ふぃみふっす」
「……食べてからでいいよ」
アヤコが呆れたように言うと、エルデはもぐもぐと口を動かしながら、焼き上がった肉をクレアの皿へ置いていく。
クレアは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出し、嬉しそうに尻尾を揺らした。
エルデはようやく肉を飲み込むと、それはもう満面の笑みで言い切った。
「秘密っす。きっと驚くっすよ。とっても大きい……」
「エルデ、そこまで」
秘密と言いながら詳細を話そうとするエルデに、クロがすかさずストップをかけた。
アヤコは、その反応だけで嫌な予感しかしなかった。
じっとクロへ向き直るが、当のクロはしれっとした顔でホロディスプレイを操作し、新しい肉を注文している。
「……また、とんでもない物を持って帰ってくる気?」
「とんでもないとは心外ですね。喜ぶ物ですよ」
じっと見つめるアヤコに対し、クロは含みを持たせるだけで、はっきりとは答えない。
「アヤコ。もういいじゃん」
そこに、ウェンが割って入った。
手に持つ皿には、焼かれた各部位の肉がこれでもかと山積みになっている。さらに、その上へトングで新たな肉が置かれていった。
「ウェン。それは?」
アヤコが少し呆れつつウェンの皿を見ると、ウェンは何が問題なのかという顔で、短く答える。
「肉マウンテン」
「食べられるの?」
「もちろん! それは置いておいて、さっきのクロのこと」
ウェンは皿を置くと、さっそく肉マウンテンを崩し始めた。肉を口へ運んだ瞬間、顔がほころぶ。それでも話を止めることなく、クロを庇うように言葉を続ける。
「どのみち、何か大きな物を持って帰ってくるのは確定してるんだから、その時に判断すればいいだけの話でしょ」
食べ進めながら、アヤコを説得するように話すウェン。
それと同時に、肉マウンテンは見る見るうちに低くなっていく。話しながらも黙々と消えていく肉の山を見ているうちに、アヤコの疑いも少しずつ削がれていった。
アヤコは小さく笑って、ため息を吐く。
そして、改めてクロを見る。
「本当に喜ぶ物なんでしょうね?」
「捉え方次第ですが、お父さんとお姉ちゃんなら絶対に気に入りますよ」
クロはそう言って、意味ありげに笑う。
その笑みを見たアヤコは、さらに嫌な予感を深めながらも、それ以上追及するのを諦めた。
「もういいや。信じるからね」
「ええ、期待しててください」
どこかズレたような返事に、アヤコは少しもやもやしたものを抱えたものの、結局は諦めるように息を吐き、肉を焼き始めた。
そうして、焼肉は続いていった。
酔いの冷めたサクラはアンジュに平謝りし、お腹いっぱいになったダリは、目をこすりながら眠たそうにしていた。そんなダリの世話を、ダイコとシュミーが当たり前のように行っている。
シゲルとスミス、それにアレクとアンポンタンたちは、焼肉を肴に酒を酌み交わし、最初はどこか遠慮していたアレクたちも、酒の力を借りつつ馴染み、遠慮のない笑い声を上げていた。
そしてクロたちは、はち切れんばかりにお腹を膨らませ、幸せそうに眠るクレアを眺めながら、のんびりとした時間を過ごしていた。
「もう終わりって感じか?」
「マルさん。ええ、そろそろお開きですかね」
注文が途切れ、終わったのかを確認するため、厨房から出てきたマルとカクがクロたちのテーブルへやってくる。
そして、クロの言葉を受けたマルは店内を軽く見わたした。
そこには満足そうな顔ばかりが並んでいて、マルも嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ったく、よく食ったな。久しぶりにいい疲れだ」
「そうですね。それにしても、すごい食べっぷりでしたね」
マルもカクも、一仕事終えたように息を吐くと、ゆっくりとカウンターの椅子に腰を下ろした。
その表情には疲労があったが、嫌な疲れではない。客に満足してもらえた店主と料理人の、どこか誇らしげな疲れだった。
「とても美味しかったです。調理器とは違って、カルビはカルビでも一枚ごとに味が違っていて面白かったです」
「そうだね。自分で焼くってこともだけど、脂が跳ねる音とか匂いも違っていて楽しかった」
アヤコとウェンは、嬉々として感想を語る。
その言葉に、マルは嬉しそうに顔をほころばせた。
「そいつは良かった。しっかし、明日の仕込みが大変だな」
「そうだね。今日のうちに、ある程度は解体しておかないといけないね」
カクも頷きながら、厨房の方へ視線を向ける。
その言葉に、アヤコの目がわずかに輝いた。
「あの、見せてもらってもいいですか?」
興味深そうに尋ねるアヤコに、ウェンもすぐに頷く。
「私も見たい。どうやって肉ができるのか気になる」
二人の知識欲に火がついていた。
この肉が、どうやってできているのか。コロニーの構成料理とはまったく違う仕組みに興味津々で、食欲とは別の好奇心が二人の目に宿っている。
「いいぜ。厨房に来な」
マルは少し嬉しそうに言うと、アヤコとウェンを厨房へ案内しようとする。
だが、そこに答えを知っているジュンが慌てたように声をかけた。
「あの、止めておいた方が……」
「大丈夫だよ。どうやって構成されるのか興味があるな~」
「どんな調理器なんだろう。コロニーでは見たことがないタイプかもしれないから楽しみ」
アヤコとウェンは、そう軽く答えた。
「いえ、違……」
ジュンが否定しようとしたが、そこにシゲルとスミスまで興味を持ち始める。
「俺も興味あるな」
「そうですね。コロニーでは見たことのない物であれば、一度目にしてみたい」
シゲルはビールを一気に飲み干してグラスを空にすると、スミスと共にアヤコたちの後を追った。
「ああ……」
「大丈夫ですかね」
ジュンの嘆くような声に、カクの心配そうな声が重なる。
ジュンは静かに息を吐き、首を横に振り、これから響くであろう声に備えて、そっと耳を塞いだ。
それとほぼ同時に、厨房の奥から、言葉にならない悲鳴が響いた。
次の瞬間、アヤコとウェンが真っ青な顔で厨房から逃げ出してくる。
「む、無理! あれは無理!」
「ラーバって何! あのブニっとしたのって何!」
二人は半泣きになりながらジュンの元へ駆け寄ると、そのままそろって抱きついた。
「だから、止めたんですよ」
ジュンは困ったように言いながらも、二人を振り払うことはしない。
「だって、あれっ! あれ何!」
「綺麗な肉じゃなかった!」
アヤコの想像では、肉は3D量子プリンターのようなもので一枚一枚構成されているはずだった。
ウェンはウェンで、特大の調理器が大きな塊を作り、それを切り分けているものだと思っていた。
だが、実際に厨房の奥にあったものは、二人の想像とはまるで違っていた。
白く厚い皮。赤く走るラインと血管束。大きな口の内側には、ざらついたヤスリ状の組織。
ラーバの姿と、皿の上に並んでいた美しい肉は、二人の中でまったく結びつかなかったらしい。
(まあ、結びつくわけないか)
クロは面白そうに、真っ青になって震える二人の様子を眺めていた。
そこへ少し遅れて、シゲルとスミスが戻ってくる。
シゲルは二人の姿を見るなり、腹を抱えて笑った。
「はっはっは! いい勉強になったな! しかし、まさかこんな贅沢品だったとはな」
その隣でスミスは、笑うに笑えない顔をしながらも、どこか納得したように頷いている。
「……なるほど。生の食材か。調理器とは根本から違うわけだ。シゲルさんの言う通り、コロニーでは贅沢品だな」
スミスは冷静に分析しながら、端末に軽くメモを取っていた。
その様子を見て、シゲルはにやりと笑う。
「でだ。アヤコ、ウェン。もう焼肉は食わねえのか?」
わざとらしい問いかけに、アヤコとウェンは、しばらく焼肉の皿を見つめたまま、何とも言えない顔をしていた。
厨房で見たもの。
今、目の前で焼けているもの。
その二つが頭の中でうまく繋がらず、けれどプレートの上から漂ってくる香ばしい匂いと音だけは、容赦なく食欲を刺激してくる。
脂が熱で弾け、タレの香りがふわりと広がる。
二人の視線は、ゆっくりと焼けた肉へ向かった。
「……食べる。美味しかったし」
「……うん、食べる。また食べたいって思うもん」
そう呟いた二人に、ジュンは小さく苦笑しながら、最後に焼けた肉をそれぞれの皿へ置いていった。
アヤコとウェンは少しだけ躊躇したあと、同時に箸を伸ばす。
口に入れた瞬間、複雑そうだった表情が、悔しそうに緩んだ。
「……美味しい」
「……うん。やっぱり美味しい」
その言葉に、シゲルはまた楽しそうに笑い、クロはその様子を満足そうに見つめていた。




