神と怪物の対話
「申し訳ないですね、クロさん」
ユウタが穏やかな声音で告げる。
その表情に乱れはない。場を収めた者の余裕か、それとも演じられた神の微笑か。いずれにせよ、揺らぎは見せない。
「気にしてませんよ」
クロは淡々と返しながら、乱れたジャケットとシャツの襟元を整える。胸ぐらを掴まれた跡を軽く払い、生地が伸びていないか確かめる。その仕草は落ち着いており、先ほどの一幕など些事だと言わんばかりだった。
その様子を見つめつつ、ユウタは小さく指を鳴らす。
乾いた音が室内に響き、視線が集まる。
そしてクロを指し示し、穏やかに命じた。
「誰か、クロさんに椅子を」
言葉が落ちるが、誰も動かない。沈黙だけが残った。
それでもユウタは笑みを崩さない。
むしろ、それが当然だとでも言うように、静かにうんうんと頷いている。
誰も動かない沈黙を破ったのはジャッジだった。
「私が用意します」
空気を読み、いち早く立ち上がる。
壁際に積まれていた予備の椅子へ歩み寄り、丁寧に一脚を手に取る。番号は刻まれていない、簡素な造り。席持ちとは明確に区別された椅子だ。
それをクロの背後へ静かに置き、小さく声をかける。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
クロは一言礼を述べ、腰を下ろすと、ジャッジはにこりと微笑み、自席へ戻った。
だがその背中に向けられる視線は冷たい。
とりわけアンガーの目には、先ほどの屈辱がまだ燻っている。
その時、再びユウタが指を鳴らした。
乾いた音とともに、視線が一斉に彼へ集まる。
それを確認し、満足げに語り始めた。
「さて、クロさん。テンダーからある程度は聞いてますよ。なんでもUPOの依頼で、長期化する内戦の調査。という事ですが、何を聞きたいんです?」
ユウタは椅子に背を預け、指先を軽く組む。声は柔らかい。だがその奥には、余裕が見て取れる。
クロはその視線を真正面から受け止め、淡々と返した。
「単刀直入に伺います。内戦を終わらせる気はありますか? 貴方達はそれを目的にしてるんですよね」
間を置かず、核心。
室内の空気がわずかに冷えるが、ユウタは一瞬の躊躇もなく答えた。
「ないです。向こうが我々に従っていただけるなら話は別ですが」
「ちなみに革命軍内の掃除は終わってます。向こうの害虫は私が駆除しました」
クロは淡々と事実を言い切る。誇張も感情も乗せない。ただ結果だけを置く。
端末を取り出し、ホロディスプレイを起動させる。空中に簡易マップが展開された。
「革命軍に紛れていた地上のアウトローたちは私が狩りました。大本の大将は破壊済み。命令系統はアリ中将に移っていますし、彼は内戦を終わらせるため動いてます。これでもまだ続けます? 争いを起こす意味がないですよ」
戦略的にも、政治的にも、既に潮目は変わっていると示し、一息に説明する。
クロの説明に室内の反応は様々だった。
驚愕。疑念。怒気。
視線がざわめく中、全く変わらない者が二人いる。
ユウタとジャッジ。
「ありません」
ユウタは即答し、その微笑は崩れない。
「終わらせてしまえば、私の力を示す機会がなくなる」
その言葉に、室内の空気がわずかに熱を帯びる。
ジャッジ以外の面々は誇りに満ちた表情を浮かべる。肯定。陶酔。
クロはその様子を一瞥し、再び問いを投げる。
「もう示してますよね。これ以上、何を示すと? すでに黄金の聖神という宗教を創り上げ、力を示している」
ユウタは首をわずかに傾げる。
「どこにです? 私の名前は、この星系にしか轟いていません」
声は穏やかだ。だがその奥にある欲求は隠していない。
「十分でしょ。恐らくこの宗教は縮小することはあれど、無くなることはない。それでは不十分だと?」
クロの問いは静かだ。だが、その奥には確かな軽蔑が滲んでいる。
ユウタは小さく息を吐き、わずかに首を振った。
「全く……君は判っていない。度し難いね」
失望とも、嘆息とも取れる声音。
その言葉に、クロの視線がわずかに鋭さを増す。
「度し難いのはそちらでしょう。味方を撃つような愚か者がこの中にいる。どちらが度し難いと思います?」
その一言で、室内の空気が凍りつく。
視線が揃って泳ぎ、互いを探る。だが誰も口を開かない。沈黙だけがゆっくりと広がっていく。
クロは視界の隅にいる「六」の席へ意識を向ける。
そこに座る女性は反応を見せない。ただ静かに目を閉じ、動揺は表に出ていない。だが、わずかに肩が揺れていた。呼吸が乱れた様子はない。
(笑っているのか? それとも……)
視線を向け、確認しようとした、その瞬間。
クロは別の変化を捉える。
ユウタの表情だ。
見た目は変わらない。だが、笑顔の温度が落ち、目が笑っていない。
その冷えた視線が、まっすぐクロを射抜く。
「なるほど。愚か者がいるという情報、ありがとうございます」
小さく礼を述べると、ユウタは手を叩く。
乾いた音が響き、再び視線が彼へ集まる。
「みんな、一旦室内から出てもらえるか。少し、二人で話させてほしい」
「ユウタ様、危険です!」
四席の女性が立ち上がる。それを合図に、他の席持ちも次々と立ち上がり、抗議の声を上げるが、ユウタは頷きつつ静かに手を上げて制した。
「大丈夫」
そして凍りついたままの笑顔で、クロへ視線を向ける。
「クロさん。私を殺す気はありませんよね?」
問いかけの形を取りながら、その実、試すような問いかけ。
「ないですよ」
(今は、ですがね)
最後の言葉は胸の内に沈める。表情は変えず、小さく頷く。
ユウタはそれに応えるよう同じく小さく頷き、その頷きに従うように、退室を促す。
席持ちは渋々と従うしかなく、衣擦れの音が重なり、ひとり、またひとりと室外へ出ていく。
その際、誰もがクロへ視線を向けた。
敵意、警戒、露骨な憎悪。
その中でもアンガーの視線は露骨な敵意を隠さない。六席の女性は最後まで顔を上げず、クロに視線を向けることはなく、伏せたままだった。
そして最後にジャッジが静かに一礼し、扉の外へ出る。
重厚な扉がスライドし閉じる音が響き、室内は完全な静寂に包まれた。
白と金だけの空間。
二人きり。
先ほどまでの宗教的演出も、席持ちの威圧も、すべて消えた。
「クロさん……いや、クロ。本気で話しましょうか」
声から飾りが消える。笑顔もない。
見下す視線を隠そうともしないまま、まっすぐにぶつけてくる。
「私は最初から本気です」
クロは椅子に浅く腰掛け直し、姿勢を正す。
互いの視線が絡む。
本番が、始まる。




