結晶花の秘密と巣くう影
クロは自転車を近くの駐輪場に停め、ロックをかけると、クレアを伴って花屋の自動扉をくぐる。
そこに広がっていたのは、公園や花壇に見られる自然の花とはまるで異なる――精緻な美しさを湛えた、無数の“造花”だった。
だが、それはただの人工物ではなかった。
整然と並ぶ花々はすべて、純度の高いクリスタルで構成されていた。透明な花弁は光を取り込み、七色に反射しながら、まるで呼吸するかのように生きた気配を放っている。花一つひとつに個体差があり、無機物であるにもかかわらず、そこに“個性”すら感じさせた。
「これは……見事な……」
クロが思わず漏らした声は、ごく小さなものだったが、それだけに真に迫る驚きが滲んでいた。
「はい……すごいです……」
クレアもまた、言葉を選ぶ余裕もなく同意する。小さな体をぴたりと止め、瞳を限界まで見開いていた。
いつもなら「知らない人前では喋らない」という鉄則を守るクレアだったが――この時ばかりは、理屈よりも感動が先に出た。
幸いなことに、客も店員も皆、目の前の光景に見入っていたようで、クレアの言葉には誰も気づかなかった。
店内には言葉にならない静寂が満ちていた。美と、技と、光と。造花のようでありながら、それ以上の何かを確かに放つそれらは、ただ「綺麗」という一言では片づけられない、迫力と神秘を併せ持っていた。
「これは……生きてる?」
クロの呟きに、静かな空間がふわりと揺れた。
「ええ。すべて“生きている”んです」
奥のカウンターから、ふくよかな女性の店員が穏やかに現れる。優しい微笑みと、花の香気にも似た気配をまといながら、クロたちへと歩み寄る。
「……本当に?」
クロが眉をわずかにひそめる。疑問というより、確認するような響きだった。
「はい。これらは“クォンタム・クリスタル・クォーツ”と呼ばれる、惑星リモリア固有の量子鉱晶から生まれたものなんです」
「リモリアの特産なんですね……」
クレアがぽつりと声をこぼす。店員はにこやかに頷きながら、説明を続けた。
「リモリアの地層には、ごく微細な量子振動を持つ鉱粒が存在しています。それを特殊な育成フィールドに長期間晒すことで――ご覧のような“結晶花”へと成長させるんです」
「成長……?」
「ええ。ただの工業製品ではありません。音や光、空気中のわずかな振動を吸収して、ゆっくりと変化する“半生体構造”なんです」
店員がそっと手を翳すと、傍らの結晶花が静かに花弁を開き、淡い虹彩を纏って煌めいた。それは呼吸するように、脈打つように、光を放っていた。
「“生きている”というのは少し誇張かもしれませんが……限りなく生命に近い“動的結晶”だと思っていただければ」
その説明に、クロとクレアはただ見入っていた。目の前で揺らぐその花は、装飾ではなく“存在”だった。
クロもそっと手を翳してみる。指先の気配に応えるように、目の前の花がかすかに開き、色が移ろう。
「……なるほど。綺麗だ」
その一言に、店員が微笑を深める。
「もしよろしければ、価格に合わせて花束もご用意できますが――いかがなさいますか?」
丁寧に差し出される選択肢に、クロは小さく首を振る。
「いえ。今日は、事前に注文された品を受け取りに来ました」
そう言って、腰元から端末を取り出し、グレゴから託された受取データを表示する。
それを見た店員の表情が、ふっと翳った。
「あ……申し訳ありません」
頭を深く下げ、声の調子も明らかに変わる。
「実はその――ご注文品が、まだ届いていないんです。配送予定日には間に合うはずだったのですが……」
言葉を選びつつも、誠意だけは濁さない。店員の姿勢は、誠実そのものだった。
「理由を聞いても、いいですか?」
クロは静かに問いかけた。責めるでも疑うでもない、ただ状況を確かめるような声だった。
店員は一瞬ためらうように視線を伏せ、意を決したように口を開いた。
「……現在、生産施設のある山岳地帯が、占拠されているんです」
「占拠……?」
「ええ。製造と管理を行っている結晶育成プラントが、数日前から完全に制圧されていて……私どもも詳細を把握できていない状態です」
クロの眉がわずかに寄る。言い淀む店員に、さらに問いを重ねた。
「帝国軍は? ここは辺境とはいえ、帝国の安全圏内でしょう」
その問いに、店員は唇をきゅっと結び、視線をさまよわせる。
「……領主様が傭兵部隊を派遣されたそうです。ですが……戻ってきたのは、半壊した機体と、逃げ帰った数名だけでした」
「……逃げた?」
クロの声がわずかに低くなる。穏やかな語調のまま、空気が冷たく締まる。
「ええ……。言葉を選ばずに申し上げるなら、手も足も出なかったようで」
店員はそっと深呼吸をひとつ置くと、まるで呪文のように――それでもはっきりと告げた。
「原因は……“バハムート”が巣くっている、とのことです」
一瞬、時が止まったような静けさ。
「……は?」
クロの口から漏れたその声は、明らかに“確認”だった。疑問ではなく、「聞き間違いではないか」という冷静な探りだった。