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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
転生者とマーケット
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街へ、風を切って

 樹海を抜け、舗装道路の端に姿を現すと、クロは慎重に周囲を確認し、別空間から一台の自転車――「ソラ」を取り出した。続けて、ふわりとタオルを取り出すと、しゃがみ込んでクレアの四肢を丁寧に拭きはじめた。


「クレア。肩にどうぞ」


「はい!」


 拭き終わったクレアは、嬉しそうに跳ねるようにクロの右肩へ飛び乗る。慣れた位置、慣れた温もりに、身体が自然と落ち着いた。


 クロはソラのハンドルに端末をセットし、認証ロックを解除。軽くサドルにまたがると、一気にペダルを踏み込む。回転が滑らかに加速し、風が勢いよく頬をかすめた。


 走り出してすぐ、クレアは思わず目を細める。顔に当たる風――その中に、見知らぬ匂いがいくつも混じっていた。


(これは……別の木の匂い? 水の匂い? 空気に混じった、何かの花……?)


 コロニーでは決して感じることのなかった、生きた空気。鼻先に触れるたびに、それらが確かに「存在している」ことを教えてくる。クレアは耳を立て、瞳を輝かせた。


「コロニーとは違って……大きくて高い箱がたくさんありますね」


 前方に見えてきた街並みに、クレアが小さく呟く。


「コロニーの建築物には高度制限がありますからね。惑星には“空”の制限がない。だから高さを活かした方が効率がいいんですよ」


 クロは風に声を乗せるように応じ、視線を前に向けたままゴーグルの表示を確認する。


「――さて、そろそろお喋りが難しくなります。安全第一でいきましょう」


「了解です!」


 クレアはぴしりと背筋を伸ばし、風を切って走るクロの肩の上で、全神経を集中させていた。主の動きに同調し、風の流れを感じ取り、視線は常に周囲を警戒している。


 やがて、道の両脇に建物が立ち並びはじめる。町の入り口だ。とはいえ、その光景はコロニーで見慣れた人工都市と、さほど変わらない。建材も看板も、人々の装いもよく似ている――だが。


 クレアの耳に届く音は、まるで違っていた。


 閉鎖空間で反響していた音ではない。澄んだ空の下、どこまでも広がっていく、解き放たれた音たち。話し声、車輪の音、風に揺れる布、遠くの工事音――それらがすべて、境界を持たずに流れてくる。


(……音が、空に届いてる……)


 クレアの瞳が、驚きに揺れる。


 町が街へと広がっていく。建物はひときわ高くなり、通りは幅を増し、流れる人波も濃くなる。


 子どもを連れた家族、道端で声を張り上げる露店主、手をつないで歩く恋人たち。どこを見ても、人という存在が絶え間なく流れ、交わり、生きている――そんな空間だった。


 クレアは、そのすべてを、肩の上から食い入るように見つめていた。


 とつぜん、頭上を何かが通り過ぎた。見上げると、巨大な機体が風を巻き起こしながら空を横切っていく。機体の尾には航空会社のロゴが輝いていた。飛行機。それも輸送用ではなく、旅客機――コロニーでは決して見ることのなかった「空を飛ぶ乗り物」だった。


 その先、視界の奥に目を向ければ、ガラス張りの高層ビル群が青空を突き刺すように聳え立っている。コロニーでは「天井」に阻まれた空間が、ここでは無限に続いていた。塔のような建物の先端に取りつけられた球状の施設や、空中庭園、送電塔が遠くの雲と重なって見える。


 街の片隅には、石造りの大きな建物。円柱と階段のあるその構えは、まるで異文化の記憶を象ったかのようだった。見たことのない字の印、鳴り響く鐘の音。教会。祈りの場という概念すら持たなかったクレアにとって、それは不思議な静けさを纏った建物だった。


 そして、風が吹く。どこからか草と水の匂いを運んでくる風――目を凝らせば、街角の公園では噴水が煌めき、子どもたちが芝生の上を走り回っている。街路樹の枝には鳥が止まり、空には凧が浮かんでいた。すべてが、コロニーにはなかった光景。すべてが、生きていた。


 耳を澄ませば、遠くから工事音が届いてくる。すぐそばでは地上鉄道が轟音とともに通過し、歩道を横切る架線の振動が風に震えていた。音のすべてが解き放たれて、空へ、地へ、遠くへと伸びていく。


 クレアの胸が、きゅっと締めつけられるように震えた。どれもこれも、初めての世界。閉じられた空では決して感じられなかった、匂いと、音と、空気の広がり――これは街ではない。「生きた惑星」そのものだった。


 その中を、クロは迷いなく走り抜ける。


 ワイルズシリーズのハンター仕様――機能美に優れた装備服の上下に、風に流れる黒髪。どこか人形めいた静謐な美貌を湛えた少女が、ひときわ目を引く。


 その肩にちょこんと乗っているのは、豆柴ほどの大きさの狼――クレア。黒い毛並みは艶やかで、瞳はまるで宝石のよう。きりりと引き締まった表情に、どこか気高さすら漂っている。


 ふたりの姿は、街ゆく者の視線を自然と惹きつけた。


「かわいい……!」「あれ、ほんものの動物?」「あの子、どこのブランド?」「肩乗り型ってうらやましい……!」


 ささやきと羨望が、風に混ざって後方へ流れていく。


 クロは、まるで気づいていないかのように淡々とペダルを漕ぎ続けた。その速度は安定しており、街の雑踏の中でもぶれることはない。


 クレアはというと、視線の意味をおぼろげに察しながら、どこか誇らしげに胸を張っていた。主と共にあること。その誇りが、表情の隅々に滲んでいた。


 やがて、通りの一角――目印にしていた角を曲がったところで、クロは自転車の速度をゆるめた。


「……まさか、花屋だったとは」


 クロが小さく呟く。視線の先には、グレゴの指定していた店舗があった。


 外装は白を基調とし、曲線を描く壁に花弁のようなガラス装飾。店先には本物と見まがうほど精巧な人工花が、光に照らされて幻想的に並べられている。


 その店構えは、辺境の街角にあるにはあまりに異質で――まるで夢の一部のように、空間を彩っていた。

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