変態討滅とバハムートの誓い
経緯を説明するため、一同はリビングへと通された。
部屋の奥には、クレアを抱いたまま心配そうに俯くアヤコの姿がある。そしてクロの姿を目にした瞬間――彼女は、堪えていたものが決壊したように、涙をこぼした。
クレアがその涙を小さく舐め取りながら、クロに向かって微笑む。
「アヤコお姉ちゃん、大丈夫でしたでしょう。クロ様……おかえりなさい」
「ただいま。……すみません、心配かけました」
「クロ、よかった……」
アヤコは泣き笑いの表情を浮かべながら、袖で涙をぬぐった。その姿に、クロの胸には言いようのない罪悪感が込み上げてくる。
(……演技だったなんて、もう言えなくなってきたな)
そのとき、静かに声が響いた。
「アヤコ、人数分のお茶を頼む」
シゲルの言葉に、アヤコは素直に頷き、キッチンへと向かう。やがて香ばしい香りとともに用意された湯気立つ茶器が運ばれてきた。
ソファには、クロを中心にアヤコ、シゲル、グレゴ、ギール、ノア、そしていつものようにクロの肩へと戻ったクレアが並ぶ。
視線が一斉に、クロへと向けられた。
「……簡単に言えば、ストームシュトルムには――変態じみた妖怪のような存在が取り憑いてまして。それが、私の身体を乗っ取ろうとしてました」
あまりにも突飛なその言葉に、場の空気が凍りついた。
誰もが反応に迷い、沈黙が流れる。その中で、最初に言葉を発したのはグレゴだった。
額に浮かぶ青筋を隠すことなく、眉間に皺を寄せ、低く鋭く呟く。
「……クロ。この空気でその冗談は、不謹慎が過ぎるぞ」
怒りを堪えた声音に、シゲルとギールもどこか微妙な視線を向けていた。
だが、クロはきょとんとした顔で、真顔のまま返す。
「……冗談じゃないです。事実ですので」
その言い分にグレゴが眉をひそめると、クロは肩をすくめるように続けた。
「実際、私の身体を乗っ取ろうとしてましたし、ストームシュトルムに取りついていたのは――“自称神”の変態老人でしたから」
静まり返る室内に、クロの一言が重たく、それでいて妙な現実味を伴って落ちていった。
誰もが言葉を飲み込む中、クロは淡々と続きを口にする。
「もう少し詳しく言うと……コックピットに灯を入れた途端、変態じいさんの声が脳内に響いてきまして。『殺せ』だの『世界はゲーム』だの、『全部壊せ』だの、まあ……うるさかったですね」
あまりにも冷静な語りに、一同は再び沈黙する。
ノアは、過去の所業がひとつずつ結びついていくのを悟り、そっと唇を噛んだ。自分があの時、抗いようもなくやってしまった“あれ”の記憶と、今の話が次々と重なっていく。
「……で、それは本当にあったことなんだな?」
シゲルが慎重に問いかける。表情は真剣そのものだ。
クロは無言で、ゆっくりと頷いた。
「ええ、本当に。だからですね……とってもうざかったんで、その変態妖怪の領域に乗り込んで。自称“神”だの、私の身体を乗っ取るだの……まあ、気持ち悪いことをベラベラ言ってたので」
そこで一拍置き、何の感情も込めず、さらりと言い切る。
「――本来の姿で、消し炭以下にして殺しました」
あまりにもドライで、容赦のない言葉。けれどそこには、誰も突っ込めないだけの“真実”の重みがあった。
誰ひとりとして言葉を返せずにいるなか、唯一、その空気を打ち破ったのは――クレアだった。
クロの肩にちょこんと乗ったまま、瞳をきらきらと輝かせ、身を乗り出すように問いかけてくる。
「クロ様っ、その変態、どうやって殺したんです?」
言葉は無邪気で、どこか好奇心すら滲んでいるが、その声には確かな敬意と誇らしさが込められていた。
クロはわずかに目を細め、肩の上の従者に視線を向ける。
「領域に入った瞬間、向こうは得意げに雷を放ってきたんですよ。“神罰”とでも思ってたんでしょうけど……まあ、ぜんぜん効かないんです、あれ」
淡々とした語り口に、場の空気が再び動き出す。
「それでも懲りずに、威圧的に“上から目線”で語ってきましてね。こっちはもう、うんざりしてたんで……」
クロは少し間を置き、にやりと笑って言葉を継いだ。
「逆に、本当に“上から”見下ろしてあげたんです。本来の姿に戻って」
その一言に、クレアがぴょんと跳ねるように反応した。
「それって、もしかして――!」
「ええ。バハムート本来の姿に戻って、文字通り、物理的に“見上げさせた”んです。小物感満載の“自称神様”をね」
クロの言葉に、クレアは「はあああっ」と小さく感嘆の声を上げ、瞳をさらに輝かせる。
「すてきすぎます! それは“見上げるしかない”ですねっ!」
肩の上で目を輝かせるクレアに、クロはほんのわずかに微笑みを浮かべる。
一方その頃、話の内容を聞いていた周囲の面々――シゲル、グレゴ、ノアたちは、再び沈黙に包まれていた。
信じがたいはずの真実の言葉。
冗談のように語られた“物理的に見上げさせた”という一言でさえ、嘘ではないのだと、誰もが無言で理解していた。
「……物理的に、か」
誰ともなく漏れた呟きに、空気が再びぴんと張り詰める。
だが、その緊張を払うように、クロは柔らかながらも芯のある声で言葉を紡いだ。
「安心してください。もうストームシュトルムに変態妖怪はいません。あの空間は私が消しました」
そして一呼吸、視線をゆっくりと全員へ向けながら、静かに言い添える。
「……バハムートの名に懸けて、もう大丈夫です」
淡々とした口調には、誓いにも似た確かな重みが宿っていた。
誰もその言葉を茶化そうとはしない。信じるしかなかった。いや、信じるべきだと、誰もが直感していた。