名を与えられた艦
アヤコとシゲルの言い合いが続く中、クロはふと視線を外へと向けた。
主要な設備案内はひととおり終わった。あとは――外観の確認だけだ。
艦のハッチを抜け、三人は無重力下へと身を投じる。アヤコとシゲルは先に宙を舞い、クロもそれに続いた。
ゆるやかに浮上しながら、艦の上部へと向かうと、アヤコがある一点を指差した。
「見て、ちょうど中央にあるコレ。出力は低いけど、常時展開できるシールド装置を取り付けたんだ」
その説明に、シゲルが腕を組み、やや渋い顔で口を挟む。
「もう少し強力なヤツにしたかったんだがな……常時展開型って時点で、選択肢が限られるんだよ。今のところ、これが限界だ」
クロはふたりの説明を聞きながら、ゆっくりとその装置を見やる。
「……いつものような改造は、しないんですか?」
何気ない問いに、ふたりは同時に肩をすくめて笑みを漏らした。
「したいのは山々なんだけどね。じいちゃんがさ」
言われたシゲルは、ふんと鼻を鳴らしながら言葉を継ぐ。
「改造? できるさ。できるに決まってる。……だがな、材料が足りねえ。特にシールドのコア部品は、そう簡単に手に入らねえ代物だ」
「なるほど……そういうことですか」
クロは静かに頷き、あらためて艦の全景を見渡す。精密に調整された艦体、無骨ながらも整然とした外装。その姿には、どこか“完成”という言葉が似合っていた。
「こうして、出来上がると……良いものですね」
ぽつりと漏らしたその言葉に、すぐさまアヤコが首を横に振った。
「違うよ、クロ。まだ、完成じゃない」
その否定に、クロはわずかに目を見開く。
「……どうしてです?」
アヤコは指先をそっと胸元に添えながら、柔らかく言った。
「だって、“名前”がないでしょ。この艦、まだ“誰でもない”ままだよ」
クロはその言葉に答えず、ほんの一瞬だけ視線を落とす。
沈黙を破ったのは、横から響いたシゲルの低い声だった。
「……言ったはずだぞ。もうそろそろ――いや、今決めろ!」
シゲルの一喝に、クロは思わず小さく肩をすくめた。
「……う~ん」
唸るように声を漏らしながら、空を仰ぐ。
――名前。まったく考えていなかった。手元にメモもなければ、思いついていた案もない。けれど、決めなければならない。
クロは、静かに視線を艦へ戻す。かつてはただの輸送艦だったはずの船体。今は――自分と共に進む、居場所であり、道具であり、相棒でもある。
その中で、クロはゆっくりと考えを巡らせていった。
(艦全体のシルエットを見れば、“モノタートル”でも悪くない……けど、ひねりがないな。“レッド君”は――ない。さすがに、ない。“レッドライン号”……却下だ。まず、絶対に否定される)
浮かんでは消えていく案を、クロは頭の中で次々に並べては打ち消していく。
すぐに決まるわけもなく、けれど“決めなければならない”という空気が背中を押す。
彼女の肩の上でクレアが小さく身じろぎする気配を感じながらも、クロは言葉を紡げずにいた。
その様子を、アヤコとシゲルは言葉を挟むことなく――じっと、静かに見守っていた。
(う~ん……カバンのように使う予定だった……カバン。この形……)
考えがふと、ひとつの像を結ぶ。
そしてクロは、ごく自然に口を開いた。
「――ランドセルにしましょうか」
一言。その響きが、静かに艦の外殻に吸い込まれていく。
アヤコとシゲルが同時に固まり、無言でクロを見つめたまま言葉を失う。
そんな中、肩の上のクレアだけが首をかしげて問いかける。
「クロ様……“ランドセル”とは、なんでしょう?」
クロは表情を変えず、淡々と答える。
「背負うタイプのカバンです。この輸送艦に形が似ていますし……最初はカバン感覚で持っていこうとしていたので、ちょうどいいかと」
少しだけ照れを含ませたその説明に、クレアはぱっと顔を明るくした。
「さすがクロ様です! 語感もいいですし、とても良い名前だと思います!」
クレアが満面の笑みで称賛の声を上げる一方で――アヤコとシゲルは、ゆっくりと顔を見合わせた。
「ランドセルって……まあ、確かに……見えなくもないけど……」
アヤコが遠慮がちに呟くと、シゲルも腕を組みながら渋い顔で頷いた。
「……うむ。形状的には、まあな。上下のラインも似てるし、本体の方なら背負えそうだ。実際、こいつ――最初は手に持ってカバンみたいに運ぼうとしてたからな。……理屈は、通る。けどなぁ……」
曖昧に言い濁すふたりの様子に、クロはどこか楽しげな声色で口を挟んだ。
「想像してみてください。私の本体が、この艦を背負ってる姿――けっこう似合ってません?」
その一言に、シゲルは顔をしかめ、アヤコは吹き出しそうになりながらも想像してしまったらしく、口元を押さえて肩を震わせる。