ブリッジの魔改造と、感想という名の驚き
アヤコとシゲルの言い合いが続く中、クロはひとりキッチンの奥へと歩を進めた。
そこには家にある調理器が一通り並んでおり、食洗器や収納棚が整然と配置され、機能性重視のつくりには清潔感が漂っている。
ただ――目を引いたのは、その奥にどっしりと構える巨大な冷蔵庫と冷凍庫だった。
「……長距離移動の時用、かな」
クロがぽつりと呟くと、肩の上のクレアがきょとんとした顔で言葉を返す。
「入ったら寒そうですね」
その無邪気な返答に、クロは思わず苦笑した。大きな扉を開けてみると、中はまだ空っぽだった。真新しい金属の棚が整然と並び、冷気だけが静かに広がっている。
クロはそっと扉を閉じ、周囲の設備にひととおり目を通してからリビングへと戻る。
どうやら、言い合いはひと段落したようだった。
「……まあ、お互い様だ。この出費はマーケットで取り戻すとしよう」
シゲルがやや疲れた声でそう言うと、アヤコが腕を組みながら問い返す。
「でもさ、護衛料はどうするのよ?」
その言葉に、シゲルはためらうことなくクロを指さした。
「要るか?」
「……要らないですね」
クロが即答すると、アヤコは思わず吹き出した。
シゲルは気にも留めず、話を続ける。
「それに、ノアなら安く雇える。これなら今まで高額だった護衛料も、だいぶ抑えられる」
「……そうだね。でも、ノアには正規料金を払ってあげなよ?」
アヤコが軽く釘を刺すように言うと、シゲルはふんと鼻を鳴らして返した。
「まだケツの青いペーペーだ。……考えておいてはやるがな」
そう言い切ると、シゲルは“次だ”と言わんばかりにリビングを出ていく。
「じいちゃん、大人げないな〜……」
アヤコが肩をすくめてぼやくと、クロは小さく笑いながら言った。
「でも、結局は正規料金を払うでしょう」
その言葉に、アヤコも素直に頷く。
「うん。じいちゃん、そういうとこ……照れ屋だからさ」
そう笑いながら、クロはシゲルのあとに続いた。
案内されたその他の施設には、メディカルポット室や展望デッキが含まれていた。展望デッキには、シゲル専用のマッサージポットと、静かに揺れる鑑賞用のテラリウムが設けられており、まるで個人の癒やし空間のようだった。
そして、いよいよ最後に案内されたのが――艦のブリッジ。
入った瞬間、クロは静かに辺りを見渡し、第一印象を口にした。
「……最初に見たときより、ずいぶんスッキリしましたね」
素直な感想だったが、それを聞いたアヤコとシゲルは同時に眉をひそめた。
「そこだけかよ」
「クロ……この“凄さ”が分からないなんて、残念すぎるよ……」
ふたりは呆れたように言いながらも、すぐに誇らしげに胸を張る。
「まずはね、軍用時代の複雑なシステムをぜーんぶ取っ払って、必要なものだけ残して再構築したの。戦闘するわけじゃないし、余計な部分は削除して、民間用に――っていうか、私の“魔改造システム”を導入した感じかな」
アヤコは満足げに胸を張ると、さらに熱を込めて続けた。
「できるだけ簡単に、扱いやすく。ワンマンでも動かせるように設計して、自動アナウンス、自動レーダー解析、そして私の目玉――“長距離自動航行機能”も搭載したよ。これは試験運用が必要だけどね」
続いて、シゲルが腕を組みながら補足する。
「それとな、投影モニターのUIは一から作り直した。誰でも分かるように、素人でも扱えるように。不要な計器類はバッサリ撤廃したぞ」
さらに声に力を込める。
「で――俺のこだわり、“操縦席”な。あの無骨な軍用シートなんてクソだ。体に負担がかかるだけだしな。代わりに、低反発のサポート素材で造ったストレスフリーな座席にしてやったわ!」
ふたりの話を聞きながら、クロは静かにブリッジを歩きながら見渡す。
薄く青みがかった床には、必要最低限のラインだけがうっすらと光を放ち、壁には凹凸のないパネルが幾重にも重なるように並んでいた。操作モニターは物理的な端末ではなく、操縦席に座ると自然に展開する投影型――指先で空間をなぞるだけで、反応が返ってくる。
タイル状に浮かぶ情報表示は、触れるとわずかに“沈む”ような感触を持ち、指を離すと静かに波紋のように戻っていく。
その静かな操作感に、クロは思わず感心するように小さく頷いた。
「……でも、席の数は削ってないんですね。ワンマンなら、ひとつで十分なのでは?」
ふと漏れた疑問に、目を丸くしたアヤコとシゲルが揃って「まだ分かってないな」といった表情を浮かべる。
「クロ、それには理由があるの。右側の席は、ドローンの制御と積載スペースの監視、それに重力慣性制御のために使うの」
アヤコが丁寧に説明すると、すかさずシゲルが続ける。
「左の席は、このメインスペース全体の環境管理用だ。重力慣性制御、空調、水質のろ過と循環――生活に必要なシステムを一括管理するための操作席だな」
「なるほど……かなり変えましたね」
クロが淡々と感想を述べると、アヤコは頬をふくらませて不満そうに口をとがらせた。
「えっ、それだけ? 感想、それだけ〜?」
その抗議に、クロはわずかに息を吐いて肩をすくめる。
「……これでも、十分に驚いてます。ただ、あまりに実用的すぎて、言葉が見つからないだけです」
そう返すクロの声に、クレアがくすりと笑い、小さく頷いた。