それぞれの日常、そして艦に名を
クロは端末を静かに所定の位置に戻し、手元の報酬一覧に目を通し始めた。
「で、災害は――クロにとってどうだ?」
投げかけられた問いは、いつになく静かな声音だった。グレゴは腕を組み、カウンター越しにじっと彼女を見据えている。
クロは応えるまでのわずかな間、周囲に人の気配がないことを確かめるように視線を巡らせ、それから小さく呟いた。
「……私にとっては、容易いです。でも――あれは、数の暴力ですね。弱いとは言いません。けれど、ある程度の装備が整ったハンターが協力すれば、対処は可能かと」
「そうだよな。俺も、そう思ってた。けど……今のハンターの数で、同じことが言えるか?」
クロは報酬リストから目を離さぬまま、静かに言葉を紡ぐ。
「向こうは無尽蔵。こちらは有限。いったん防衛線が崩れれば、その先は――連鎖的に瓦解します」
グレゴはふむと唸り、顎に手を添えて考え込んだ。
「災害用ネットと専用砲台、もう少し備えておくべきかもな。あるいは……」
「私がいれば、必要ないのでは?」
真顔で口にしたその一言に、グレゴは眉間に深い皺を刻む。
「お前がいるかどうかは関係ない。これは人命がかかってる話だ。どんな状況でも備えは怠らない。それが、市民や仲間の命を守るってことだろ」
静かな叱責に、クロは目を伏せて小さく頷く。
「……考えが至りませんでした」
「至れ」
グレゴは短く一喝し、それきり深くは追及せず、手元の端末に視線を落とす。
「とにかくだ。振り込みは完了してる。……で、だな。アヤコちゃんのアプリ、すげえな。おかげで、お前の規格外っぷりがまるっと露見したぞ」
呆れと感心の入り混じった声だった。グレゴは頭を軽く振りつつ、続けた。
「それと――ノアのことだが、今日は簡単な依頼をひとつ、きっちりこなしていったぞ」
「内容は?」
「お前が最初に受けたやつと同じだ。迷子の動物探し……ただ、少し手こずったみたいだな」
グレゴは肩をすくめ、苦笑を漏らす。
「まあ、あいつは――何処の誰かさんと違って、ちゃんと常識がありそうだから、こっちは安心して見ていられる」
「その常識のない誰かさんの気が知れませんね」
しれっと返したクロは、そのままくるりと身を翻し、出入口の方へと歩き出す。
「おいおい、逃げるってことは……自覚があるんだな?」
背中に向けて、グレゴが笑い混じりに言葉を投げる。
けれどクロは、振り返ることなく、静かにギルドを後にした。
「クロ様……本当に、宜しかったのですか? あんなこと言われて」
肩に乗ったクレアが、小さく問いかける。声には、ほんのわずかに心配の色が滲んでいた。
クロは苦笑しながら、前を見たまま答える。
「言い返せませんから。迷惑をかけたのは事実ですし、常識がないって自覚も……一応、ありますからね」
言葉の端に、どこか照れくさそうな響きが混じっていた。
ふたりの足取りは、そのまま夕暮れに沈む街へと向かっていく。
そして、今日という一日が終わりを告げ、静かに――いくつかの“日常”が、また積み重なっていった。
そうして、数日が流れた。クロはメガロパンサーを狩ったり、かつて交戦したオクトパス海賊団の下っ端を摘まんだりと、地道に依頼をこなしていた。一方、ノアも“最初の一歩”として、コロニー内での軽微な任務を着実にこなしていく。
アヤコとシゲルは店を閉め、毎日のように輸送艦の改修作業に没頭していた。そしてある朝、クロはそのふたりに無言で引っ張り出されると、転移シャッターをくぐらされる。
転移シャッターの先に広がっていたのは、積載スペース。
「できたぞ! これが俺の輸送艦だ!」
胸を張って宣言するシゲルの隣で、アヤコが間髪入れずに突っ込む。
「いや、クロのでしょ。それに、ここだけじゃ何がどうなってるか全然わからないよ、じいちゃん」
「うるさい。ちなみに、ここは左舷の後方積載スペースだ」
そこには、以前は存在しなかった大小さまざまなドローンが、壁際一面にぎっしりと並んでいた。思わず目を見張るクロと、その肩に乗るクレア。ふたりの反応に気を良くしたアヤコが、得意げに胸を張る。
「これね、私が作ったドローンなんだ。運搬から修理まで、何でもこなせる万能タイプだよ」
「これ……何機あるんです?」
クロの素朴な問いに、アヤコは「待ってました」とばかりにニッと笑う。
「左舷と右舷、両方の後方積載スペースに――大型が20機、中型が50機、小型が100機!」
「こんなにいらねえってのに、このバカ……作業ロボットに延々と作らせやがって」
シゲルが頭を抱えて愚痴ると、アヤコはムッとした顔で反論する。
「要るよ! しかも全部、折り畳み式でコンパクト! 歩けるし掴めるし、それなのにこの収納効率! むしろ褒めるとこでしょ!」
「才能の無駄遣いだ! おかげで予算が吹っ飛んだぞ!」
「じいちゃんのマッサージポッドの方が要らないでしょ!」
シゲルは大きくため息をつき、ぼやくように言った。
「まったく……お前らはわかってねえな。いいか、あれは要るんだよ。あんなスペース取る代物、家に置けるわけねえだろ。置くなら広い場所――つまり、この輸送艦こそが最適なんだ!」
力説するシゲルと、それに食ってかかるアヤコとの言い合いは、もはやいつもの光景だった。
そのやり取りをぼんやりと聞きながら、クロはふと何かを思い出す。
(……そういえば。名前とIDの登録、まだだった)
今さらながら、クロは自分の新たな艦――この巨大な輸送艦にふさわしい名前を、静かに考え始めていた。